閑話 八

閑話 八



こんこんと舞い落ちる雪が庭石、灯籠、玉砂利、芝をすべて白く

染めていく。屋根瓦からまとまった雪がどさ、と落ちた。

リンドウとタケルが黒い足あとを残して走り回り、歯をむきだして

じゃれ合っている。トモエは縁台で二匹を目で追い、時々あくびをしている。


「雲凱、か。道場戦技と言われてたがな。」

仁悟朗が腕組みをして悪兵衛の話しに聞き入る。

「習得の必要性があるね。」

バルザックが腕の甲を眼前にかざし、脚を踏み込んでみる。

「俺は使える。十字朗に習った。」

士道が鼻を鳴らした。その安曇十字朗は一真と一圓が苦手な剣術を

教えている。

仁悟朗、士道、バルザックといった巨漢に囲まれた悪兵衛は

さながら猛獣の中の若鹿に見える。

外の雪模様に対し、格技道場内は熱気がこもり、皆道着から白い湯気が

あがっている。

腹拳はらけんで強い奴は生身で耐えられるぞ。」

仁悟朗の言葉に男達は笑う。悪兵衛だけが意味がわからず見回す。

「腹拳ってなんだ?」

「腹を拳で打って声を出したら負け、そういう遊びよ。やってみるか?」

「よし。負けた方は晩飯のおかず抜きだ。」

悪兵衛の提案に皆笑って乗った。

悪兵衛の鋭い拳の一撃に、仁悟朗は額に筋を浮かべて耐えた。

返しの拳で悪兵衛は前のめりに倒れ込み、歯を食いしばって苦痛に耐えるが…

「うぐうう」

「悪兵衛の負け。」

次に士道と仁悟朗が互いに打ち合うが、顔を赤くして耐え、引き分け。

バルザックは三人の拳を受けたがものともせずに、涼しい顔をしている。

逆に丸太の様な腕から繰り出される拳に全員唸り声をあげてしまい、

バルザックが全勝となった。

「だめだ、バルザックが強すぎる。」

「どんな腹をしているのだ。」

道着を肌蹴て、大きく膨らみながらも割れた腹の筋を見せてバルザックが

にやにやと笑っている。白い肌に拳の痕が赤い。

「玄真殿は強いぞ。」

「あ、そうだ。バルザックも勝てぬ。」

「たぶん、無理だね。勝てない。」

「そうなのか?知らなんだ。」

車座に座り込んで、皆腹をさすっている。

話をしていると、丁度道着姿の伊駒玄真が現れた。

上背はないが、引き締まった岩のような肉体に、鍛え上げた二の腕に

太い血の筋が走っている。剣術も達者だが、組打ちと柔術を得意とし、

隊士に教授する事も多かった。

「悪兵衛、玄真殿に申し込んでみよ。」

悪兵衛は立ち上がり、玄真に腹拳を申し込む。玄真は笑って受けた。

皆、その周りに集まる。

悪兵衛は集中し力を込めて踏み込み、玄真の腹を打った。

ぶすう、と屁が鳴った。突然の事に悪兵衛は口を手で押さえる。その瞬間に

玄真の拳が悪兵衛の腹を襲った。

「ぶはっ」

「悪兵衛の負け。」

皆大声で笑っている。玄真は平然としているがその表情がさらに笑いを誘う。

「バルザック、来るか。」

わざと厳しい表情で玄真が言った。バルザックは赤い顔で必死にこらえながら

拳を構え、打つ軌道を確かめる。ぷすっと屁が鳴った。バルザックが拳を

振るたびに、ぷすっぷすっと鳴らせる。限界に達したバルザックが打つと、

ばすんとおおきな屁を出した。目をつぶって笑いに堪えるバルザックの腹を

玄真は容赦なく打った。

「ぶはあ」

「バルザックの負け。」

隊士達が腹を抱えて笑っている。


「何だ、あいつら。」

「いい大人が屁で笑ってるよ。」

「一圓、一真、集中せよ。」

十字朗の容赦ない声が橘川兄弟に飛んだ。


*


明るい満月が白い庭を照らしている。

石灯籠の灯りが雪化粧をした楓を照らす。湯気がゆらゆらと立ち上る

屯所の露天風呂に悪兵衛と灰音が肩までつかっている。

「吉房七重さんが環太積に。」

「うん。本閥選を勝ち抜き「蜃気」であったか。合格したようだ。」

「それはご立派です。意思の強い方でしたからね。」

灰音は目をつぶり、薪小屋に血相を変えて訪れた七重の表情を思い出す。

「それが、少々妙な事になって」

「妙な事?」

「戦闘指示を阿波野参謀に任されてはいたのだが。吉房どのはすぐに撤退命令、

宿で合流した後は玄嶽に護送されて一人移動したのだ。」

「支援部隊に編入の為、と聞いたが。そんな事あるのだろうか。」

悪兵衛の回想を聞きながら、灰音は沈思黙考する。

「神前仕合の期間中、技研の松橋様と御津菱の竜井様が来られました。戦技用の防具の試作品の提供と、新型魁音兵装の完成の報告です。」

「新型。例の。」

「はい。使役する人員の選抜と訓練に時間がかかりましたが、稼働可能な段階

に来た、と。近々大きな発表予定であるとの事でした。」

「では、吉房どの支援部隊というのは」

「恐らく、新型絡みの特殊部隊と考えられます。」

何か、不吉な予感を感じ、悪兵衛は黙り込む。灰音は額に浮かぶ汗を拭った。

「さ、考えてもいたし方ありませぬ。あがって応召ぶくろにいきましょう。

仁悟朗達がしびれを切らして待っていますよ。」

灰音の優しい声に悪兵衛は顔を輝かせて、湯船から勢いよく上がって、また

入り直した。

「さむい、想像以上にさむい。」

「士魂です。」

灰音が楽し気に笑っている。


*


新敷城、敷地内に浪華技研と呼ばれる本閥技術研究部の支部が存在する。

主な魁音兵装の開発は東京の本部が行い、周辺技術と研究を行う。

その一角、浪華技研の所長である笹森吉右衛門中佐が、重苦しい空気の中、

二人の男と会議を行っている。

一人は東京より訪れた技研総責任者である後藤田勘助大佐、今一人は

魁音兵装技術担当、松橋匠風中佐である。

「危険すぎると思われます。」

松橋が膝に手を当て強い口調で言った。

「試作の完成を見たとはいえ、試用の際の書付は酷い物です。これでは」

松橋の言に、笹森は顎髭をしごきながら研究と試用の結果がしたためられた書付を

めくる。

「本部長のお考えは。」

迎えに座している厳しい表情の後藤田に笹森は問う。胡麻塩の頭に学者髷を

乗せ、目を伏せていた後藤田がゆっくりと言葉を繋ぐ。

「成果は有った物の、その過程が問題視されている。特に和平派からの反発が

大きい。非人道的装備との声も上がっている。」

「精度を上げ、疲弊を減らさねばなるまい。幕僚が良くとも、幕閣の反撥が

大きい。」

「しかし、理論上は現在が限界値です。さらに精度を求めるとなると

「御門」自体の設計の見直しが。」

「それも含めて目標値を定めねばならぬ。」

暫しの沈黙の後、後藤田と松橋は立ち上がった。

「では、明日みょうにち。」

「失礼いたします。」

月明かりの下、配下と共に門を潜る二人を笹森は見送る。

「如何でしょうや。」

笹森の背後に総髪に眼鏡の男が立つ。新型魁音兵装担当主任の暮林儀久少佐で

あった。三年前、本部より浪華技研に移動し研究を続けている。

「現行では厳しいな。和平派の反撥か。」

「何を馬鹿な。それでは戦に勝てませぬ。」

「これ以上の観測値は不可能で御座る。所長もよくご存じのはず。」

「設計上はな。人的資源の見直しはどうだ。」

「それは」

「明日、本部長の視察後、入れ違いにはなるが環太積と暁輝より生え抜きが

入所予定である。魁音位相角の見直しが計れるであろう。」

「予測値をそれに合わせて今後の開発予定に差し込めばよい。」

「御意。ではその旨は本部長には。」

「まだ伏せておけ。またぞろ和平派に非人道的だと騒がれる故な。」

徒爾とじな事を。侍の十や二十の死なぞ、全面戦争に入れば微々たるもので

あろうに。」

後藤田達の去った黒門を見つめ、暮林は侮蔑の笑みを漏らす。

笹森は一瞥して静かに退室した。



閑話八  了

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