神前仕合
序
対狗族、対弥者の戦果の報告、それに伴う被害、今後の予算分配等
議題は多岐にわたる。
今回は神尾鉱山でのたたかいの結果、弥者の侵攻に対する体制作りに
会議は紛糾した。半日に渡った話は一応のまとまりを見せる。
書記をしていた小物に書簡の送付を頼みながら、伊庭辰之進中将は
手元の書付を整理する。目の前に上座の男が腰を下ろした。
「玉杉殿。」
伊庭は手を置き、深く一礼する。
日の本の軍事を束ねる将軍直轄の大年寄、玉杉
白髪交じりの髷にがっしりとした体格、鋭い眼差しに引き結んだ口元、
伊庭が新兵であった時からの上司である。
「どうだ。不知火は。」
深く、落ち着いた声で問う。伊庭は顔をあげる。
「日々、隊士共々、任務に邁進しております。」
「…お嬢様も身命を賭しておられる。」
「任せるぞ。伊庭。」
厳しい表情で立ち上がった玉杉幕僚長に頭を下げる。
玉砂利が敷かれ、松が植えられた見事な庭を望む渡り廊下。
静かに歩む伊庭の前方に痩身の侍が懐手で佇む。
「
「伊庭。」
見事な白髪の総髪を揺らして、老年の男が顔を向ける。
環太積隊長、誓野総士郎中将であった。伊庭は隣に並び、白砂の庭を
見渡す。暫し無言の時を経て、誓野が口を開いた。
「旭光の者はどうしている。」
「先日、負けて帰ってきたがもうぴんぴんしておるわ。」
「そうか。」
「誓野、貴様手合わせしたな?」
「ちと、士魂の練りが足らんの。」
「困った奴だ。」
誓野の言葉に伊庭は苦笑する。
本閥創立以来、三十年の時を共に戦ってきた二人であった。
神前仕合
一
「どう違うかって言われても。うーん、灰音殿は、硬い。悪兵衛は
ぼんやりしている。」
玉杉桔梗の感想に灰音と悪兵衛は顔を見合わせ、首を捻る。
寒風が板戸を鳴らす。火鉢の横でリンドウが眠りこけている。
屯所格技場、
いた悪兵衛ではあったが完成には至っていない。
「士魂の集中が足りないのであろうか。」
「それはあなたが最も得手の筈。使い方、でしょうね。」
「玉杉殿、神居鋲の習得時にどのような考え方で訓練を行いましたか?」
「…射刃は面で撃つから、その精度と威力を上げようと思って。魁音撃の
範囲を線に、点に、って突き詰めていきました。」
「恐らく、これも同じなのです。」
「どういう意味だ?」
「あなたは腕全面に士魂を集中する事は出来ている。しかしそれは面なのです。
腕の中心をとおる線に束ね、やがてそれを集中させる点にまで凝縮します。」
「ここです。」
灰音は悪兵衛の手の甲の一点を指した。
「やってみよう。」
道着姿の悪兵衛は構えて息を整え、士魂を集中する。
桔梗はその眼前に立ち、すり足で近づく。
桔梗の鋭い足刀と共に破裂音が響いた。悪兵衛が吹き飛ばされ転がる。
リンドウが起き上がって鼻を鳴らしていたが、また座布団の位置を確かめて
昼寝に戻った。
「先ほどより出来てないですね。」
灰音が顎に手を当てて考え込む。桔梗があきれ顔で悪兵衛をみつめる。
「なんだか、まったく士魂を感じなかったぞ。当たらなかった。」
悪兵衛がよろよろを起き上がる。鼻から血を吹いた。
「士魂を感じない。収束されていなかったのですか?悪兵衛殿、士魂が尽きて
いるのですか?」
「いや、まだまだ。今まで一番練られたと思う。」
「悪兵衛。構えてみて。」
雲凱の構えをとる悪兵衛に腕を握って桔梗が調べる。
「はい、集中して。」
桔梗の声と共に大きく息を吐きながら腹の底の士魂を燃やし、
下碗に集中させ、やがて手の甲まで収束させる。額に筋を浮かべ、首筋まで
紅潮し、脂汗が吹き出る。
「あ、わかった。これじゃあ出来るわけがないよ。」
*
作議の間で伊庭と刑部が二人の男と相対している。
一人の老人は茶がかった白髪の総髪を後ろにまとめ、眉間と目元、口元に刻まれた
皺が厳しい容貌を際立たせる。黒目に光は無く唇を引き結んでいる。
「隠密諜報部隊、月光。首領の
ふわりと頭を下げた。いま一人、その背後に気配を消して付き従う細面の青年を
指す。
「これなるは、月光三班を纏めます、
頭を下げた青年は年は三十に手が届かないくらい、切れ長で吊りあがっている
目が半蔵とよく似ている。
月皓半蔵は、神尾鉱山にて地方治水官の吉木幸之助に扮していた。今はまったくの別人といっていい。その身の変わりに伊庭は内心舌を巻いた。
「吶喊白兵衆参、不知火。隊長の伊庭でござる。」
「副長の織田刑部と申します。」
「月光とはかねてより共に任務を全ういたしておりましたが、こうして面前に
御出で頂くのは初めてでござるな。」
「我ら、陰足の職務の為、ご容赦願いたい。」
陰語の蔑称をあえて用い、月皓はにやりと笑った。背後の霧丸の無表情は
仮面を貼り付けているようである。
「さて…本日伊庭様にお目通り願いましたのは、ご報告あってのこと。」
「月光本隊が捜査しておりました、幕僚内部の調査の結果ですが、早急に
不知火に対応して頂きたい事柄がありまする。」
「聞こう。」
二刻後、月皓は、霧丸を伴って不知火屯所を出る。
すぐに編笠に顔を隠した浪人風の男達がその前後につく。霧丸は背後の男を
ちらと見て、歩調を合わせた。
「おぼろ、俺は城に顔を出してくる。」
「困ります。この後、
「お前がまとめろ。もうできるはずだ。」
霧丸は屯所では見せなかった微笑みを見せる。編笠の下で朧丸は困り顔で
兄をにらむ。
「そうふくれるな。土産を買ってきてやる。」
「金鍔には騙されません。」
霧丸は笑いながら朧丸の頬をぺたぺたと撫でて、一瞬の後、列から消えた。
明くる日、選抜された不知火隊士が刑部の元に参集、本閥四軍の神前仕合
に参加する為、
刑部と風祭を筆頭として、悪兵衛、桔梗、玄真が屯所を発った。
二
東京のほぼ中央に位置する不動明道館。日の本でも最も壮大な総合武道場で、
八角の屋根の中央に、随獣四体の黄金の立像が陽に輝いている。
木立から現れた巨大な武道場に悪兵衛は目を見開き、呆気にとられた。
「こんな大きな武道場は見た事がない。」
「悪兵衛、口を閉じろ。」
桔梗が笑いながら悪兵衛の顎をおさえた。
「懐かしいわい。幼少より通ったものだ。」
玄真が見回して目を細める。
「お前も剣術の大会か?」
風祭も懐かし気に見上げながら訪ねた。
「いえ、柔術です。毎年来ておりました。」
「ああ、あの柄の悪い連中だな。」
「そんな事はありません」
玄真の焦り声に隊士達は笑った。内偵ではなく、ましてや命をかけた戦闘前提でも
ない遠征に、皆の表情も明るい。ただ、織田刑部だけは懐手でずっと思案顔を
している。が、元々思慮深い刑部の表情に違和感はなかった。
南側の大門を潜ると正面に入り口があり、それは直接観客席に続く。
隊士達は建物の外壁沿いに続く石畳の沿道を歩き、西にある出場者用の門へ
向かう。
樹木で囲まれた門庭には日の本藩士の関係者と本閥の人々が談笑している。
それぞれの待合になっているようであった。
鮮やかな紺碧の陣羽織に詰襟、制帽の集団が集う。環太積である。
隊士の中に知己を認め、悪兵衛が歩み寄った。
「春之丞。」
悪兵衛が声を掛けたのは同期の侍、久世春之丞。若鹿のような痩身に、
日に焼けた笑顔で白い歯を見せる。
「悪の字。貴様きたか。」
二人は肩に手をかけ笑いあう。
「播磨少佐。先日はご足労感謝する。」
感情のない声で長身眼鏡の男が声をかけた。
「
悪兵衛は敬礼をする。答礼した阿波野の背後に小柄な男が控える。
「不知火か。殴り込みの連中だな。」
「失礼する。」
阿波野は背後の男の肩に手をかけ、その場を離れようとする。
「俺もひとつ挨拶してやる。」
「よせ、上条。」
「何故だ。腕に覚えのある連中だろうが。」
「だから、余計に、だ。あ!上条、向こうに出場者向けの出店がある。
握り飯でも食おう。」
「ん?そうか。よし。」
二人のやりとりを苦笑交じりに久世は見つめる。が、すぐに悪兵衛に向き直った。
「おい、阿波野参謀と顔見知りなのか?」
「いや、それほどでもない。先日たまたまお会いする機会があった。」
奥歯を噛み、引き締まった悪兵衛の表情を春之丞は伺う。
「もう一方は上条源之助中佐だ。我々の戦闘班を束ねる。…あの通りの
少々血の気の多い方でな。」
「見てわかった。」
悪兵衛と春之丞は笑いあう。
「播磨少佐。」
真新しい制服に身を包んだ女性士官が進み出る。
「お主は…
「吉房七重少尉であります。」
きびきびとした動作で敬礼をした七重を見て悪兵衛は目を丸くする。
「本閥選に残られたか。」
「はい。不知火希望でしたが、縁あって環太積に。」
吉房七重はかつて弥者の拝殺目標にされた事があり、悪兵衛と灰音が
命を護った事があった。学徒の当時から本閥入りを希望し、尚武で聞こえた
武僑高等学園でも白眉であった。
頬を紅潮させて、悪兵衛を見つめる瞳が潤んでいる。
「では環太積では久世のもとに?」
「はい。日々鍛えて頂いています。」
「優秀だ。お前と違って勉学もな。」
「それをいうな。」
久世の言葉に悪兵衛は顔をくしゃくしゃとつぶし、笑いあう。
「悪兵衛。登録所にいくぞ。」
桔梗がやや冷たく声をかけ、不知火隊士達は明道館の裏門を潜る。
「環太積の新人隊士を知っているのか?」
「はあ。以前の内偵で顔見知りになりもうした。当時は学徒でしたが。」
「不知火頭目ともあろうものがにやにやしおって。」
「は、申し訳ない。」
呑気に笑っている悪兵衛を睨んで、桔梗は歯噛みをしている。
風祭が袖で顔を隠してあらぬほうを見ている。苦笑を隠し切れない。
隊士達は登録所にてそれぞれの身分を示し、参加する者の書付を行った。
三
不知火隊士が逗留する宿の街道を挟んだ向かえ、簡素だが落ち着いた小料理屋。
二階の小上がりで卓を囲む。障子の外には堀が見え、柳の枝の合間から
提灯で明るく照らされた三十石船が行きかう。
鉄鍋に割り下が煮えており、中年の女中が牛肉を丁寧に鍋に広げる。
「あれ、焼かないのか。」
「御女中、最初から煮るのか。」
「さようでございます。何かお困りで?」
悪兵衛と玄真の声に、隣の卓で刑部と鍋を囲む風祭が声をかける。
「
食い入るように鍋を見つめる悪兵衛を見て桔梗が笑っている。
酒を舐めながら目を細める刑部に風祭は向き直る。
「刑部殿、此度の神前仕合、戦の前の行事として隊から選出する者は
どういった意図があったのですか?」
風祭の疑問は最もで、本閥三軍との模擬仕合には通常、先鋒を務める
戦闘司令の頭目、中盤で戦闘制御を行う
玉杉桔梗は、本丸の警護と反撃、中距離攻撃が可能な
隊旗を預かり、全体支援を行う
「うん。ちと考えがある。後程意図を伝える故、試合では隊士を叱咤してくれ。」
刑部の言葉に風祭は頷いた。
「うまい。これはこれでうまい。」
「もーうるさいな。」
煮えたすきやきを食べ、一口毎に騒ぐ隊士を見て、刑部は微笑んでいる。
「
「はい。隊士と共におるほうが気楽です。」
風祭の言を聞きながら、酒で口を湿らせる。堀に乗り合い待ちの
猪牙舟が泊まり、船頭が煙管を燻らせている。
陽もすっかり落ちたが、道行く人は多い。
小料理屋を出た風祭と桔梗は満足げに微笑んでいる。
「刑部殿、我らは湯殿に参ります。皆もどうか。」
風祭の言葉に刑部は賛同しかけるが、背後の悪兵衛と玄真の顔つきを見て、
思いとどまる。
「…こやつらはどうも食い足りぬようだ。もう一軒いってくる。」
刑部の言葉に二人の顔が輝いている。
「刑部殿、江の戸の寿司、寿司がよいです。」
「名物なのか?」
「名物だ。」
「刑部殿、拙者も寿司が。」
「わかった、わかった。」
肩を組んで小躍りしている悪兵衛と玄真を従えて、苦笑まじりに歩み始める。
桔梗が悪兵衛にべっと、舌を出した。
目前の宿屋より、浴衣姿の男達がぞろぞろと出てくる。皆力士のように
屈強で大柄な者達で、坊主姿である。
「どこにいても、あの連中はわかりやすいのう。」
玄真が苦笑交じりに呟く。悪兵衛は見覚えのある傷跡の男の元に歩み寄った。
「後藤殿。不知火の播磨でござる。」
早騨宿戦で作戦行動を共にした、玄嶽、後藤安俊であった。
悪兵衛の姿を認め、無言で頭を下げる。
「隊の安曇とバルザックがその節は世話になった、命を救われたと。」
「両名に成り代わり、御礼申し上げる。」
深く、悪兵衛は頭を下げた。
「任務でござる。失礼する。」
無表情に後藤は言い残し、玄嶽隊士共々その場を後にしたが、振り向いて言った。
「安曇殿、バルザック殿は日の本に必要な侍。護れて光栄でござる。」
悪兵衛は微笑んでその後姿を見送った。振り向くと、刑部と話をしている
見知ったざんばら髪の男がいた。
「灰音中佐は…どこに。」
「今回は同道しておらぬ。」
「むう、きやつめ、何を。魑魅魍魎のごときはかりごとを」
「何もない。屯所での業務が押しているのだ。」
「先生、奴は私の参加を知っていたのですか?」
「知る由もない。真治郎、お仲間がいってしまうぞ。」
「はっ、では失礼いたします。」
玄嶽参謀の小早川が髪を振り乱して駈けていく。刑部は笑いながら見送った。
「玄真殿、刑部殿は我らが先生と呼ぶのはわかるが…本閥の他隊士もみな
そういうのは何故だ?」
「ああ、刑部殿は一時、高等尚武所で教鞭を執られていた。その時の教え子が
本閥の参謀には多くいるのだ。」
「章さんもその一人か。」
「そうだ。あの、玄嶽の参謀か?奴もそうなんだろう。」
普段、勉学の不得意な悪兵衛にも刑部は丁寧に楽し気に教える。
その学び舎を想像し、悪兵衛は不思議と勉学に対する意欲が沸いてくる
気がした。
四
翌朝、神前仕合開始宣言が暁輝副長、
予めくじを引いて決められた取り組みが張り出される。
隊士達の騒めきを一睨みで静粛にさせた宇都見は、齢六十を超えて尚、
壮健な侍であり、知略に長ける暁輝の宿将である。
隊から三名が代表として一対一で剣術を競う。戦技の使用が許され、
審判が優劣を判定する。魁音撃は使役してはならない。
剣術仕合というよりは戦場挌技の模擬試合であった。
刑部ら、式委員を務める者は上座で判定し、本閥それぞれの控え所から
隊士が呼び出され仕合う。審判は日の本幕僚の者が務める。
神主による祝詞が神前に捧げられ、開会式を終えると第一試合が始まる。
不知火、玉杉桔梗対、環太積、吉房七重であった。
剣の走り、体さばき、打ち込みの強さ、すべて桔梗が上であったが、
七重の見せる破双に会場が騒めく。速度、距離共に橘川兄弟を凌ぎ、
その度に戦況が覆る。試合場の隅まで追いやられた後、一瞬で中央に戻る
事三度、桔梗の突き、薙ぎを避け、攻撃に繋げる破双使いに審判達も瞠目した。
高難度とされる斜め上方への破双と連続での片手面を桔梗は防ぎきれず、
受けた木刀ごと吹き飛ばされた。
そこで試合は終了となる。桔梗の負けとされた。
第二試合の環太積と暁輝は環太積の久世春之丞が、しなやかな速剣で勝利する。
体さばきと士魂の練りに優れた暁輝隊士は、久世の速度の前に為す術なく、
首筋に木刀をぴったりと当てられ、参ったをした。
第三試合、不知火、伊駒玄真対、玄嶽、後藤安俊は、双方の合意により、
剣術ではなく組打ちでの仕合であった。膂力に優れた両者の貞拳の打ち合いは
見ごたえがあったが、やや後藤がその技術に優れ、玄真を打倒す。が、腰に
飛びついた玄真がそのまま寝技に移行し、絞め技を仕掛けようとした所、後藤に
よる相手と密着した状態での拳禍が玄真を撃つ。
横腹から内臓に波のような衝撃を受け、玄真は敗北した。
玄嶽控え所では、小早川中佐が髪を振り乱し、何事か大声をあげている。
「不知火ともあろうものが二敗は頂けぬな。」
式委員を務める環太積参謀長、霧島歌右衛門大佐が織田刑部に耳打ちする。
天才軍略家と名高く、若白髪をきっちりと撫でつけ、学者髷に結った面長の
表情、眉が薄く視線が鋭い。
「面目次第も、ございませぬ。」
刑部はしっかりと頭を下げる。が、その表情は飄々としている。
「隊士の引率は誰が。」
「風祭玲大佐でござる。拙者同様、副長を預かっております。」
「ほう。風祭。例の…」
霧島は眉間に皺を寄せ腕組みをしている。十年前、霧島は三十六の若さで
大佐に昇進した。史上最年少と言われ本閥でも話題にあがった。しかし、
五年前に風祭が二十九で大佐を任命され、最年少の称号と話題が不知火に
移った事があった。未だにそれを快く思っていないという噂を刑部は
聞いている。
「刑部、不知火はどうした。」
穏やかな表情の宇都見准将が腰を掛ける。刑部と霧島は頭を下げた。
「どうも、調子が出ておらぬようで。」
「左様か。」
宇都見は刑部の言葉に笑いながら手元の茶をすすった。
「吶喊白兵衆参ともあろう者どもが、あの体たらくでは。思うに戦闘指導を
行う引率の者に問題があるのではないかと。」
霧島がいかにも隊を気遣う声色で宇都見に進言する。刑部はまっすぐ前を
見、無言でいる。
「最後まで、見届けよう。」
宇都見の言に両名は頭を下げた。
*
第四試合、玄嶽対暁輝は暁輝隊士の空中からの蹴破が決まり、暁輝勝利、
第五仕合に悪兵衛の呼び出しがかかる。
すでに二敗している不知火控え所では怒る風祭の叱咤で室温も上がっている
ようだった。
「悪兵衛、決して油断するな。」
「は。」
悪兵衛の表情に期するものを感じ、風祭はそれ以上の言葉をかけなかった。
桔梗と玄真は俯き、無言だが敗北の屈辱や怒りを感じさせない。
風祭はそんな二人に猶更苛立っている。
明道館中央に不知火、播磨悪兵衛と、環太積、上条源之助が立つ。
互いに礼を交わし、蹲踞の姿勢から正眼で立ち上がる。
するすると近づき、気合声と共に剣を撃ちあう。悪兵衛よりやや視線が
低い上条は筋骨たくましく、撃剣は強く、鋭い。また体さばきも見事で
環太積隊士としては珍しい超攻撃型剣士である。類型として悪兵衛に近い。
そうなると戦いの経験や戦闘での閃きが物を言う勝負になるが、
それすらも上条に一日の長があるようだった。
激しい連続の打ち込みに悪兵衛はやや守勢であったが、一瞬の間を上条が
見せる。打ち疲れと見た悪兵衛は距離を詰めるべく飛び出す。が、それを
見越した上条は強力な四股で悪兵衛を吹き飛ばした。
空中で姿勢制御を試みる悪兵衛の眼前に破双で飛び込んだ上条が、士魂を
込めた剣を受けさせる。
悪兵衛は木刀を取り落とした。
その場で膝をつき、首を垂れる。悪兵衛の敗北であった。
霧島は額に手をあて、大げさに声をあげる。宇都見は変わらず穏やかな表情で
霧島の言に耳を傾ける。
刑部は静かな表情で悪兵衛を見つめている。
五
すべての戦果を神に納め奉る納式を行い、式委員長の訓示により神前仕合は
終えられた。
本閥四軍の者はそれぞれの控え所に戻り、帰隊準備を行う。
納式中より、風祭の弩髪、天を衝くようであり、不知火以外の者もそれを見て
肝を冷やすほどであった。
三名の敗北に関して、風祭はまだ何も言及していない。
式委員の刑部が雑務を終え、控え所に戻るとその様子を見て苦笑する。
悪兵衛、桔梗、玄真は荷物を纏めて座し、顔を真っ赤にした風祭が仁王のように
立ち尽くしている。
「刑部殿。人選と作戦に関してお考えを伺いたい。」
風祭の煮える鉄のような声が響いた。
「
「みな、ご苦労であったな。」
刑部は腰を下ろす。その正面に風祭も正座した。
「狗族が侍の士魂を感知するのは、どの程度の燃焼具合であったか。」
刑部の唐突な言葉に風祭は出鼻をくじかれ、首を捻る。
「士魂の大小あれど、おおよそ使役者が七割以上の力で燃焼した時、多くの狗族が
それを感知すると、技研の報告があったな。」
「悪兵衛、旭光を射出する際、最小の士魂の燃焼は自らの中でどれ程だ?」
「七割五分と感じています。」
「桔梗、神居鋲は?」
「七割です。」
「玄真はいわずもがなだが。このように、今回の人選は自身の内で、燃焼を微細に
制御できる者を選んだ。仁悟朗や士道は毎回十割燃やすのでな。」
「何故…?」
「それは、神前仕合中、七割までの士魂の燃焼のみ許したからだ。その旨は事前に
各自に伝えておる。もし、玲にその事実を話していれば、試合中の激昂は
なかったであろうな。」
「隊士達には控えた士魂の燃焼で勝利を模索せよと伝えていた。内密にな。」
「さすがに本閥えり抜きの侍達には通用しなかったが。」
そこまで言って、刑部は傍らの白湯を飲み干した。
「刑部殿、神前仕合での士魂の燃焼と隊士の戦力を狗族が測っていたと?」
「それを確かめねばならぬ。お前は芝居を打てるような者ではない。わかるな?」
刑部に静かに諭され、風祭の表情はようやく穏やかに戻っていく。
刑部の言葉が事実であれば、不知火の戦力を隠し、他本閥を囮にするような
作戦行動になる。その為あえて引率である風祭に激怒させてみせた。
それを躊躇なく指示し、平然と行う刑部に風祭は空恐ろしさを覚えている。
*
環太積隊士達は荷物を引き払い、輜重隊の牛車一台と共に帰途につく。
参謀長である霧島は幕僚向けの会議で残留、他四名の隊士が宿を発った。
それを、陣羽織に丁服、小袴姿の悪兵衛が待ち受けている。
「何用か。」
上条源之助が鹿爪らしい表情で問う。
「織田刑部殿より、環太積の皆様と帰路を共にせよとの達しです。」
悪兵衛は呑気な表情で言った。
「ああ、聞いている。上条、そういう訳だ。」
阿波野が間に入った。
「何故だ。」
「はあ。少々の間でも環太積隊士の方と関わり、武を学ぶようにと。」
「ふん、そういう事か。ならば着いて来い。」
傲然と歩みだす上条に苦笑しながら阿波野が着いていく。
環太積隊士達はその後に従った。
半刻程街道を歩き、賑やかな人どおりも少なくなっていく。
環太積本部は東京から徒歩で丸一日の距離にある、
日の本最大の軍港に位置する。
本閥の侍の脚ならば夜までには充分到着する。
悪兵衛は懐に手をいれ、白絹の錦守を握る。不知火隊士がそれぞれに他本閥との
帰投を命じられた際、桔梗が悪兵衛に渡したものだ。
「母から頂いたものだ。かならず持って屯所に戻れ。」
桔梗の真摯な眼差しに悪兵衛は力強く頷いた。それほど、この道程には危険が
潜んでいるとの刑部の見立てであった。
「悪の字。」
春之丞の声に悪兵衛は我に返った。袖を引かれ隊列の最後まで下がり、
輜重隊の牛車と並ぶ。
「貴様、どういうつもりだ。あの試合は。」
「どういうつもり、とは。」
「とぼけるな。あれは…そうだな、限界までの能力で剣を振っていない。」
無言で俯いた悪兵衛を見つめ、春之丞は苦笑した。
「相変わらずだな。訳があるという事か。俺はお前と手合わせしているから
わかるが、他の不知火隊士も何らかの縛りの元に参加していたのだな。」
牛車の背後を歩んでいた吉房七重が目をむいて耳をそばだてる。
「すまぬ、何があるかわからぬ。屯所まで内密にしてくれ。」
「わかった。だが、知られれば上条殿は激怒するぞ。」
平坦な小杉街道を南下し、広大な大澗川を左手に見ながら歩を進める。
神前仕合で三勝を挙げた環太積隊士達の表情は明るい。
西日の差す頃、全行程の半ばを過ぎ、
街道の向かい側には自然堤防が続き、その向こうに松林と日に輝く海が見える。
床几に腰をおろし、
隊士達は笑顔で食している。
ただ一人、悪兵衛は腰を下ろさず辺りを見回す。腰の琿青に手をかけている。
上条と談笑していた阿波野が席を立ち、悪兵衛の元に歩み寄って来た。
「播磨少佐、久寿餅はいかがか。」
「結構でござる。」
「他の不知火の皆様もそれぞれ本閥三軍に別れて?」
「拙者以外の帰投路は関知しておりませぬ。」
硬い表情の悪兵衛を見つめ、阿波野はにやりと笑った。
「護衛、でしょうね。何から。」
悪兵衛は答えない。
「私は貴方の士魂の燃焼を目撃している。あの廃寺で。」
「仕合では最大限まで出していない。…上条は自らの攻め手に夢中で
気付いていませんが。」
「自らの実力を隠し、他本閥の護衛につく理由は。」
阿波野の瞳に耐えられず、悪兵衛は口を開く。
「不確定な情報の上での作戦行動でござる。これ以上はご容赦願いたい。」
しばらく悪兵衛の横顔を見つめ、阿波野は笑った。
「承った。戦闘に入った場合、不知火頭目の貴方の指示の手並みを見たい。」
「お引き受けいたす。」
上条が大声で阿波野を呼ぶ。負け犬と何を話すかと怒声を浴びせるが、
阿波野が差し出した餅を頬張り、大人しくなった。
六
暁輝隊士達と共に、風祭玲、玉杉桔梗は帰投する。
緋色の陣羽織に身を包んだ隊士達の中、二人の純白の不知火の隊服が
浮き上がって見える。
隊士五名と共に北の街道筋を歩み、暮れる陽と共に人の行き来が少なくなった。
移動用の
二人の名は暁輝でも知られており、隊士達は遠巻きにしている。
また引率の
帰路を歩む。
「大佐、そろそろお聞かせ願えませんか。どう見ても不知火の護衛としか
思えませぬ。」
綺麗な髷を結った三十路半ば、温和な表情の崎坂は風祭の意思の強い横顔を
見つめる。
「詳しくは言えぬ。不確定故隊士達を混乱させ、必要以上に戦意を高める事が
まずい。護衛は違いない。戦闘が始まったならば、指示は少佐が行ってくれ。」
風祭の言葉に唇を引き結んで、崎坂は頷く。
神前仕合に選ばれた若い暁輝隊士達が、さらに若い桔梗を興味深く眺め、
誰が話しかけるかで揉めている。
*
暁輝、環太積の帰投に遅れる事二刻。本閥会議を終えた暁輝副長の宇都見双角、
不知火の織田刑部が、共に不動明道館に隣接する講堂よりあらわれる。
そこに護衛の伊駒玄真、玄嶽隊士五名が寄添う。不知火の二名は本日は
東京泊り、明朝に帰投予定であった。
玄嶽の本拠、大番町に宿を取り、簡易な慰労会が開かれるという。
この地は刑部にとっては学徒時代から下宿の経験もあり、懐かしく住み慣れた
処であり、半年前には弥者による和平派幕僚拝殺の内偵の本拠にもなった。
夕闇がせまり、人どおりの増えつつある繁華街を抜け、神楽掘を横目に
歩きながら見付を過ぎる。外堀を埋める雑木林に入った。
南北に長い林は、夜半に物盗りが出るため「ひったくり林」などと物騒な
あだ名がつけられていたが、屈強な玄嶽隊士は日中と同じように歩んでいく。
旧知の刑部と宇都見は談笑している。
ふと、先行する玄嶽隊士が脚を止めた。
夕日が木立を抜けて降り注ぐ街道の先、道の中央に若者が一人佇んでいる。
美しい文様の異国風の長着、涼し気な目元の十代にも見える青年であった。
「戦闘準備、隊形整えよ。抜刀。」
間髪をいれず刑部が叫び、宇都見を背後に庇いながら魁音刀に手をかける。
号令と共に玄嶽隊士達は一斉に剣を抜いた。黄金色の火花が明るく道を照らす。
若者は無表情に眺めている。
「奴がそうか。」
「恐らくは。宇都見殿、危険です。」
刑部は脂汗をにじませる。弥者による本閥えり抜きの隊士の戦力の査定、
その指揮者の選定、拝命殺戮。それを準備し、複数人の侍と対峙するのを
前提として、たった一人で現れた眼前の男が弥者であれば…
無表情な若者が口を開いた。
「参謀の男。織田刑部か。アシタ様に会ったそうだな。」
若者の周りに旋風が巻き起こり、裾がはためく。
聞き覚えのある声、佇まい。刑部は前方の若い男を見つめいった。
「貴様は」
若者は懐手から袂をわけながらよく響く声で叫ぶ。
「ヤシャショウライ。」
声と共に長大な角が若者の額を割る。筋繊維の一本一本が浮き上がるような細身の屈強な肉体に黒革のたすき、鈍く光る銀の短剣が連なっている。
白銀の冠と剣が一つになった装飾品を自らの角にはめこむ。
本閥の侍八名を前にして、只々無心で弥者の姿を現し、立ち尽くす若者。
スバルノミコトであった。
「集合、全方位攻撃に備え」
刑部のするどい声に玄嶽隊士が素早く隊列を整え、スバルノミコトに相対する。
弥者の戦士は白く輝く短剣を両手で引き抜き、中空に放ると剣が意思を持つように
回転し始める。
「ハ ナ ニ チ ョ ウ」
スバルの気合声と共に回転する剣が玄嶽隊士に殺到する。隊士達は剣を振って
魁音撃、劫壁を前方に展開させる。が、急激にその軌道を変えた剣は上昇し、
回転しつつ降下した。玄嶽隊士が展開した劫壁の裏に回りこみ、先鋒の隊士二名の
延髄を斯き切った。
血潮を吹きあげて隊士が倒れる。絶対の防御を誇る劫壁を破り攻撃してきた
攻撃に玄嶽隊士も怯む。
「不知火太鼓発奏、防御。」
刑部の声と共に玄真が背に負い、格納していた
黒々と燃える炎の紋章が描かれている。
「
玄真の気合声と共に、腹の底に響く打撃音が鳴り渡る。
連続した魁音が玄嶽隊士の足元から士魂を燃え上がらせ、各々の持った魁音刀が
唸り始める。
原初の魁音兵装である太鼓は、使役者の士魂の燃焼度合に応じて同じ奏法でも
その音色と質、影響力を変える。刑部の命により玄真は防御の発奏を行っているがその燃焼割合を細かく調整しながら音色を変化させている。
並みの弥者であれば戦意を喪失してしまう不知火太鼓の魁音撃であったが、
スバルノミコトはさらに空中の短剣を閃かせ、隊士達を全方位から襲った。
が、守曾と呼ばれる防御特化型の不知火太鼓により、玄嶽隊士の劫壁は
その影響範囲を大きく広げ、頭上から足元まで覆う程に拡張している。
火花をあげて短剣が落下した。
スバルノミコトは無表情に自らの一本角の装飾から、短刀を取り外し、
逆手に持つ。
「先鋒二名で動地で戦力奪取、後方二名で射刃。」
素早く冷静に刑部が指示を出す。声と同時に玄嶽隊士二名はスバルノミコトに
進み寄り、肩を中心に士魂の力場と共に突撃した。
スバルノミコトは半歩、重心をずらすと、一名は外側に向かい転倒、もう一名は
勢いそのままにその場で踏鞴を踏んで回転する。玄嶽隊士は仲間達を見つめながら
延髄を断ち切られ、絶命した。転倒から素早く起き上がった隊士の胸に短刀が突き立ち、血潮を上げてゆっくりと抜かれていく。スバルノミコトは一歩も動かず、
その方向を見てもいない。中空の短刀は血をまき散らして回転しながら
スバルノミコトの手元に戻った。
玄嶽の侵攻第一手とも言える戦技、動地がまったく通用しない事に、隊士達は
震撼する。が、後方二名は果敢にも同時に射刃を撃った。
スバルノミコトはその動作をただ、見つめている。鋭い鋭角の爆壁が殺到し
弥者を斬り刻むかに見えた。しかし衝撃の刃は不自然にその軌道を変え、
スバルノミコトを自ら避けるように背後の松に着弾する。
「馬鹿な。念動で魁音撃すら」
射刃を捻じ曲げられた後藤安俊が呻く。弥者が片手を上げると短剣が回転しつつ
空中に飛び上がる。六本の回転刃はゆっくりと本閥隊士達を包囲する。
「全員私の背後に。宇都見殿を防御せよ。不知火太鼓発奏、攻撃。」
刑部の声がさらに響く。
「
玄真が奏法を変えるのと共に隊士二名が下がり、宇都見をはさんだ。
スバルノミコトは刑部の命令を訝しむ。防御要員の侍を下げ、自らが陣頭に
立ち、ワリヂカラの増大する音はその攻撃力を上げている。
防御を捨て、攻撃を執りながらその要は自らのみという、ちぐはぐな対応に見える。
一度手を合わせた参謀を名乗る男の戦闘とは思えなかった。
その逡巡に合わせたように、刑部は大地を四股で踏み抜く。
爆風が巻き起こるが、距離のあるスバルノミコトに直接の打撃を与える事は
ない。六本の短剣が空中高く舞い上がった。
「やはり、そうか。」
刑部は微笑みながら魁音刀、
その顔を照らしている。
「貴様」
スバルノミコトは初めて表情を変えた。眉間に皺を寄せ、犬歯をむき出して
凄まじい怒りの表情で刑部を睨む。が、一度目をつぶり、元の無表情にかえると、
その身体はゆっくりと空中に浮かび、手元に回転する短剣が戻る。
静かに短剣を納めながら、スバルノミコトはもう一度刑部を見つめる。
「織田刑部。我とのナシアイを受けろ。」
「断る。斬り合いは苦手ゆえ。」
スバルノミコトはにやりと笑い、旋風と共に空中高く浮かびあがる。
呆然とする本閥隊士、魁音刀を下段に構える刑部を残して、弥者の戦士は
南に飛び去った。
七
風祭玲の魁音刀、馳駆紫が咆哮を上げている。月旦抜きを注入し、
刀身から白煙があがった。
玉杉桔梗は静かに剣を鞘に納める。
足元には鮮やかな橙色の衣の弥者が倒れ込んでいる。その数二名。
風祭の眼前には焼け焦げて散りじりになった人型の陰が残っている。
弥者四名の残滓であった。
「お見事でした。」
崎坂少佐が歩み寄る。
「周囲を索敵。恐らくはこの小隊だけであろうが。」
風祭の号令と共に暁輝隊士達が散った。
「大佐、環太積、玄嶽にも同様の刺客が?」
弥者の遺骸を見分しながら崎坂が声をあげる。
「本閥隊士の戦力の査定をしていたならば、もっとも兵力を割くのは
環太積であろうな。」
「何と。弥者が本閥の侍に対して拝殺を。」
「しかし、その情報の出所は。弥者の企みを事前に察知するなど、現在まで
例をみない事柄でござる。
「私も詳しくはわからぬ。作戦のみ刑部殿より拝命したのだ。」
「副長、悪兵衛が。」
弥者を前にして眉も動かさず斬って捨てた桔梗が、不安の色を隠せずに叫ぶ。
「我が頭目を信じよ。」
風祭は目を閉じ静かに言い聞かせた。
*
穏やかな海面に西日が輝いている。
白砂青松の中、悪兵衛と環太積隊士達の眼前に、仮面の男達が対峙している。
その数五名。鮮やかな橙色の
充溢した力を感じさせる屈強な肉体、それぞれが頭部に長大な角を屹立させる。
弥者の戦士団であった。
砂浜の前後に人影は無く、異様な静けさに波の音だけが聞こえる。
「吉房少尉、輜重隊と共に
戦闘指示。」
平常と変わらぬ阿波野の声で時間が動き出したようであった。
吉房七重と輜重隊士の背後を護るように隊士達は移動し、同軸を回転
するように弥者達もその位置を変える。訓練された戦闘団の動作である。
弥者達の中心、一際上背のある者が上半身を肌蹴る。隆々とした筋骨が
西日の逆光の中に黒い影を落とす。身体の中心に明滅する光源があり、
それは脈々と左腕に流れ込んでいる。
「上条中佐右翼、久世中尉左翼の弥者二名に対峙、防御主体で応戦。阿波野中佐
中距離戦闘支援。抜刀。」
悪兵衛の叫びにそれぞれが魁音刀を引き抜く。
刃鳴りと炸裂音、緑青に輝く火花が飛び散る。ただ一人、悪兵衛は中央の男から
視線を逸らさず静かに立ち尽くしている。
四人の弥者も同時に背の太刀を抜いた。白銀が西日に煌めく。
「宣戦布告。」
「本土決戦軍閥師団である。弥者の戦士と見受ける。」
「いまここに戦端を開く。殲滅する。申し出異論なくば、いざ尋常に」
「勝負。」
「勝負」
悪兵衛の宣戦、侍達の怒号が響き渡った。
「我らタヂカビト。ミカヅチの護りとカクリャキのちから。主の命により
ヤマトビトの宣戦を受ける。」
中央の弥者の深く落ち着いた声が響く。その佇まいに幾多の戦闘を潜り抜けた
者の威圧を感じ、侍達の表情が厳しく引き締まる。
「明、生、流」
上条の鋭い言霊が擦過する、痺れるような感覚を受けた弥者二名が殺到した。
「巌、心」
続いて久世の言霊。発生すると同時に破双で下がり戦線を横に伸ばす。
左翼の弥者二名が列になり追う。
中央の男はじっと推移を見つめている。
「阿波野中佐、久世側後衛の弥者に攻撃。」
悪兵衛の声と共に阿波野は破双で飛んだ。
獣のような絶叫が響く。上条の剣が弥者の腕を斬り飛ばした。
中央の男はその声に反応するように、上条側に移動する。悪兵衛は目を離さず
対峙しながら砂浜を駈ける。
「定壁」
上条の気合声、太刀を振りかぶった弥者の右半身が消失し、太刀が落ちる。
「マ ガ ネ ノ カ イ ナ」
中央の弥者の左腕が強く輝く。爆発するように砂が舞い上がり、破壊の衝撃が
弥者の拳を包む。破双を凌駕する弾丸のような速度で突進した。
その標的は魁音撃を射出した上条であった。触れれば人間の肉体を粉々に破壊する
その破常力は、将軍、ムツノナタノミコトが使役する物と同様にみえる。
破常力の発動と同時に悪兵衛は砂を蹴り、上条に激突する勢いの破双で飛び出す。
重い衝撃が走る。上条、悪兵衛、弥者を中心に砂が噴き上がり、破裂音と共に
弥者は拳を突き出した姿勢で踏鞴を踏んで後退した。
悪兵衛の雲凱が発現していた。上条を護り、必殺の突撃を防ぎ切ったその姿勢は、灰音が見せた手の甲に士魂を集中する物ではなく、掌をかざして受ける独特の構え
であった。
悪兵衛は間髪を入れず、踏み込んで逆の拳を打ち込む。強烈な回転の波動に
弥者は姿勢を崩し、苦痛の表情を浮かべながら身体の平衡を保つ為、大きく全身を
振った。
「旭光」
刀を抜いた青い火花が舞い散る中、破壊の爆壁が生成され、弥者を足元から
消し飛ばしていく。仮面の奥で弥者は悪兵衛を見つめる。天に昇る瀑布のような力に全てが掻き消され、粒子となった。
片腕を斬り飛ばされた弥者が、砂煙をあげて突撃する。その速度は旭光に殺傷
された弥者と同様で、またその残った拳も光を帯びている。まったく同じ
飽和破常力であった。魁音撃を射出した直後の一瞬の脱力で、悪兵衛は回避する
事が出来ない。
轟音が響く。悪兵衛の傍ら、上条が片腕を上げ、突撃した弥者を吹き飛ばした。
強力な雲凱であった。
「旭光」
さらに踏み出した悪兵衛の必殺の魁音撃が炸裂する。砂塵をまきあげ、衝撃の爆壁が拳に光を宿す弥者を殲滅していく。断末魔の咆哮を残し、弥者が下半身から
分解され、上空に打ち上げられる。輝く破壊球が上昇し、消失した。
人知を超えた兇悪とも言える破壊力に、上条も瞠目した。
やがて、砂浜には静かな波音のみ残る。
八
久世の魁音刀が屹立した砂壁に突き立っている。
その背後、二名の弥者の遺体が横たわる。
「弥者の襲撃を不知火は察知していたのですか。」
久世から脇差を受け取り、納めながら阿波野が歩み寄る。
「は。作戦行動でした。」
悪兵衛は琿青に月旦抜きを施し、ゆっくりと納刀した。
「上条中佐、助命頂きかたじけない。」
「その前にお主が俺を護った。貸し借り無しだ。」
頭を下げた悪兵衛は上条の明快な言葉に笑顔を見せた。
「敵戦力や戦術も播磨少佐は知っていたようであったが。」
阿波野は眼鏡の奥の瞳で、射るように悪兵衛を見つめる。
「いえ、それは全く。たまたまでござる。」
「悪の字、阿波野殿への目標指示は何故あっての事だ。」
砂壁に突き立った魁音刀をようやく引き抜いた久世が言葉を発する。
やがて砂壁はゆっくりと崩れ、音を立てて砂浜に戻った。
久世が対峙した弥者の破常力の残滓である。
「お前に向かった二名が列を組んだからだ。順列がある以上攻撃の手順がある。
まず、お前の攻撃手段を奪う者が先行し、後の者が仕留める配置だ。」
「俺に向かった物は二名同時だったが。」
上条に向き直り悪兵衛は事も無く話す。
「どちらも攻撃主体の破常力を持つ者だったのでしょう。一人は恐らく直前に
発動した破常力を真似る…というか、同様に顕現させる能力だったのでは」
「最初に旭光を打ち込んだ者はいかにしてその能力を見定めたのですか。」
「あれは、似た技を使う者と対峙した事がありました。敗北しましたが。」
阿波野は感じている。悪兵衛はいま、戦闘を反芻しながら自らの行動を言葉で
表している。が、実際には考えずに感覚で動き、指示を出していたのだろう。
そうでなければ、あの速度で戦闘指示を出す事は不可能に思えた。
(吶喊白兵衆参、不知火の頭目か。攻撃力もさる事ながら、この若さで恐ろしい
程の状況判断だ。こやつ、斬り合い、殺し合うために生まれてきたのか。)
「播磨、貴様燃え上がる士魂を感じたぞ。なぜ神前仕合でそれをださぬ。」
上条は眉間に皺を寄せ、悪兵衛に詰め寄る。久世が「まずい」という表情で
止めようと歩みだす。
「あれは…旭光です。旭光を撃ち出さねば、士魂を燃やす事難しく。試合では
魁音撃は使用不可であったためでござる。」
あたふたとした悪兵衛の説明に上条は腕組みする。
「ふん。あの旭光も団長にくらぶれば練りが足らぬ。」
「では、あの老人は環太積団長の、誓野総士郎様でしたか。」
「あ。」
「ばか、上条。」
阿波野が上条の肩を抱いて連れて行く。
「おい、何を言う。あれは内密にせよとのお達しだったではないか。」
「しまった。つい。すまん。」
「お前は全く」
阿波野はがっくりと首を落とす。上条は困り顔で阿波野を見つめる。
久世が悪兵衛にことのあらましを聞き、大笑いしている。
*
洲干大港まで残り二刻半の距離ではあったが、陽も落ち、弥者の襲撃に備える
為、宿を取ることになった。
食事の用意を待つ間、上条源之助は悪兵衛と連れ添い、宿の中庭に降りる。
その姿を見かけた久世春之丞はすぐに後を追った。
「よし、集中せよ。」
上条の声と共に悪兵衛は体重を落とし、士魂を凝縮させ、雲凱の構えをとった。
指を大きく開いた掌を外側に向け、逆の腕を引き、体重を利き足にかける。
「成る程。発動点が手の甲ではなく、たなごころに現れている。」
悪兵衛の姿勢と腕を調べながら上条は言った。
「上条殿、お願いいたします。」
「よし。」
気合声と共に上条が手の甲を眼前に持ち上げ、両脚を力強く踏みしめる。
雲凱が発動し、周辺の空気が振動する。悪兵衛とは比べものにならない程、
強力な技であった。その姿勢は道場で見せた灰音章雪と寸分たがわない。
「防御力に雲泥の差があるように思われる。姿勢の差でしょうか。」
「関係ない。発動すれば良い。士魂の練りのみの話しよ。」
上条は悪兵衛に対し誓野総士郎と対峙した時の、傲岸不遜な若者の印象を持っていた。が、今は真摯に技を追及する一侍であり、戦闘に関して類いまれな才能を持つ者という見方に変わりつつある。
「播磨、形というのは流れゆく水のようなものだ。本質は同じ。お前自身を研ぎ
澄ませばよいのだ。」
「悪兵衛で結構でござる。」
不知火屯所の道場で、玉杉桔梗は悪兵衛の士魂の発動点が手の甲でなく手のひらに
現れる事を発見した。その後に雲凱自体の姿勢を変え、稽古をしてきた。
完全に習得したのが、まさに一昨日の事であり、その結果が勝利に繋がった。
(また、玉杉殿に助けて頂いた。)
悪兵衛は桔梗を想い、胸の中が熱く満たされていくのを感じている。
「悪兵衛。神前仕合の仕切り直しだ。魁音撃ありでやるぞ。」
上条が腕を振りまわしながら木刀を持ちだしている。
「中佐、宿の飯の用意が出来ました。船盛りがあります!」
久世が中庭に現れ、大声をあげた。
「なに、船盛りだと。よし、悪兵衛、試合は後だ。」
上条はうきうきと裾を絡げて宿に入っていった。
「春之丞、船盛りとは何だ。」
「船の形をした大きな器に、山のように刺身を盛った料理だ。」
「なに、それはすごいな。我らも行こう。」
「いや、あれは嘘だ。上条中佐の注意を引くためだ。俺たちは風呂にいくぞ。」
「嘘なのか。」
「嘘だ。」
二人は大声で笑いながら、宿に上がった。
二階の張出から、浴衣姿の阿波野が見下している。
「阿波野中佐、吉房です。」
「入れ。」
長着に陣羽織姿の吉房七重が現れた。
「あらましは聞いただろう。玄嶽の護衛が夜半に到着予定だ。」
「はい。本部への帰還はいつに。」
「それは私も与り知らぬ。幕僚直下の下命故な。お前はもう技研所属扱いに
変わる。」
「承りました。」
「食事後、自室にて待機せよ。」
硬い表情のまま、七重は阿波野の本より退去した。
阿波野は手にした作戦行動書に目を落とす。
「新型魁音兵装特殊支援部隊、
かすかに聞こえる波音に、阿波野の呟きは掻き消された。
九
晴れ渡った輝く空から、花びらのような雪が舞い落ちる。
不知火屯所、伊庭辰之進は自室より庭を眺めている。
神前仕合を終え、帰所した織田刑部がその報告を終えた所であった。
「月皓の言がまことであった、という事になるな。」
「は。本閥三軍、すべて襲撃を受けました。」
「幕僚内に弥者の間者が存在するというのか。」
伊庭の苦渋の声に、刑部は黙り込み、しばし沈黙の時が流れた。
余りの事の重大さに空気すら淀む錯覚を覚える。
「内々に神前仕合が決まったのは今より半年の前。どの時点で情報が
漏れたかだが。」
刑部が顔をあげた。
「今回、神尾山襲撃の際のような組織的な戦闘行為を想定した敵では
ありませんでした。例えるなら…戦闘準備を始めたのがここ数日のような。」
「拙者と宇都見双角殿、その護衛の侍を拝殺する為に兵力を準備する
スバルノミコトが直々に現れたのが極端な例です。」
「では弥者は直近になって神前仕合を知り、本閥の侍の戦力の査定と共に
拝殺に現れた、と。」
「恐らくは。」
伊庭は火鉢に手をあて考え込む。
「刑部、その見立てを報告書に記す事、あい為らぬ。」
「御意。月光の月皓殿に提供してはいかがでしょうか。」
「うむ。お前が直接話すのがよかろう。俺は幕僚長に直々に伺う。」
「承りました。」
「…まさか、幕僚長筋に間者がという事は。」
「ま、そうなったら俺もお前も本閥も、おしめえよ。」
伊庭の気楽な言葉に刑部は苦笑した。
*
洲干大港、環太積本拠より水路で不知火屯所に戻った悪兵衛は、
早々に灰音章雪に報告を行う。雲凱の成功とその効果を聞き、灰音は
殊の外喜んだ。しかし、廃寺での対決した相手が環太積団長の誓野と聞き、
その表情が曇る。
魁音撃は全て年鑑にまとめられ、認定年ごとに更新される。
効果、攻撃力、殺傷した敵等詳細に記されているが、その使役者は軍事機密と
なる。秘匿情報が洩れた場合、強力な魁音撃の使い手が拝殺目標にされる事を懸念
されたからであった。
侍が宣戦布告を行う時、その使命と所属、階級まで明かす。それは戦闘準備の為の
士魂を燃やし、覚悟の上剣を揮う為であり、基本的にはその場の敵は鏖殺するのが
前提である。
「噂には聞いた事がありましたが、やはり誓野中将が旭光を。」
人の口に蓋をする事は出来ぬ。強力な魁音撃、特に唯技は度々隊士の噂に
なる事があった。公然の秘密になっている者も存在する。
暫し灰音は考え込んだが、やがて顔をあげて微笑む。
「これは、内々にしておきましょう。隊士にも口外はなりませんよ。」
悪兵衛は胡麻を練り込んだ煎餅をばりばりと食べながら頷いた。
格技場では気合声と剣を打ち合う音が響いている。
入り口の渡り廊下で、悪兵衛はその音を聞き目をつぶる。何にも代えがたい
好ましい場所であった。所在なく立ち尽くしていると、道着に着替えた玉杉桔梗と
間宮桃乃介がこちらに向かってくる。
「悪兵衛、帰ったのか。」
「一人で船旅だったらしいね。」
桃の軽口に苦笑いしながら、悪兵衛はやや神妙な面持ちで桔梗を見つめる。
「玉杉殿、少々よろしいか。」
「うん。どうした?」
桃はニヤニヤと笑いながら格技場にむかった。その後姿が消えるまで見届けた後、
悪兵衛は懐より白絹の錦守を差し出した。
「お返しいたします。」
「先だっての弥者との戦闘に於いて、雲凱を使役いたしました。」
「どうだったのだ。」
「玉杉殿のお陰で、この命救われました。まことに」
悪兵衛は膝をつき、頭を下げた。
「たて。」
桔梗は悪兵衛の手をとり、立たせて掌に念珠を握らせる。
赤・白・灰の不揃いな錦石が連なる小さな物であった。
「私もこれを返す。」
悪兵衛が錦守を渡された時、同時に悪兵衛も桔梗に持たせた物であった。
「悪兵衛、これは。」
「父の形見でござる。」
桔梗の体温がやどる念珠を握りしめ、懐にしまう。
悪兵衛は俯き、静かな声で語る。
「聞かれているかもしれませぬが、父は、弥者に斬られました。」
「五体をばらばらにされました。拙者はその腕を拾いました。」
悪兵衛の髪が逆立ち、見せた事のない表情と全身を燃え上がらせる憎悪の
炎から、桔梗は目を背けた。
目に涙をためた顔をあげると、去っていく悪兵衛の背中が見えた。
一歩踏み出すが、桔梗は声を出す事が出来ない。
静かに、雪が舞い落ちている。
神前仕合 了
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