閑話 七

閑話 七



不知火屯所、格技道場にて、悪兵衛は目を瞑り意識を集中している。

開け放された板戸の外は秋の陽で溢れ、紅葉した楓が舞い落ちている。

悪兵衛の眼前、灰音章雪がしずかに悪兵衛を見つめる。


「いかがでしょう。体内での士魂の操作の綿密さが重要です。」

「ううん、想像してみたのだが。章さんのいう様に意識して一部に集中と

なると難しい。負荷がかかっていない上で士魂を集めるのだろう?」

「はい。刀を振る、拳をうつ、蹴りを放つ。こういった自発的な動作に

士魂を込めるのは比較的容易です。しかし今のお話は根本が違います。」


格技場には二人だけ、特別な訓練という事で貸し切っている。

魁音撃を使用せず、相手の初撃に耐えて切り返す事の出来る技を伝授、もしくは

開発して欲しい。というのが悪兵衛の要望であった。

灰音章雪は確認されている魁音撃、現在使用されていない戦技も含めたすべての

技術書に目を通し、悪兵衛の望みを叶えるために準備をしてきた。

「もとは玄嶽と不知火共同で開発された戦技ですが…使用が難しく

その頻度も少ない為習得する者が極端に少なくなった技です。構造を見る限り

限りなく悪兵衛殿の要望に近いと思われます。」

「士魂を集中し、任意の部位のおもて一寸先に表出し固定…。うううん。」

灰音が調べ、編纂した技の注釈を何度も読み込み、理解に苦しむ悪兵衛。

灰音はその姿に微笑んでいる。

「悪兵衛殿が防御の為の戦技はないかと尋ねて来られた時は驚きましたが…。

早騨宿でのたたかいの報告書を見ました。あなたは対ムツノナタノミコトを

想定しているのですね。」

「うむ。拙者の剣では歯が立たなかった。」

「実際にお見せしましょう。」

道着姿の灰音が立ち上がった。

「全力で、蹴破を私に当てて下さい。」

「一切の手加減無しという事か。」

「次にムツノナタノミコトと会った時、手心を加えると思いますか?」

「わかった。」

ムツノナタノミコトに見逃された、殺す機会を見送られたという思いが、

悪兵衛の中に再燃される。怒りの士魂が充溢していく。

踏み込み、足底に士魂を集中させ、接触と同時に爆破する。

灰音に向けた蹴破は間違いなく全力での物であった。その炸裂と同時に

悪兵衛は吹き飛ばされ、道場に転がる。

灰音は腰を落とした姿勢で左腕を突き出し、手の甲を見せている。構えから

微動だにしていない。

雲凱うんがい、という戦技です。」

悪兵衛はよろよろと起き上がりながら、目を輝かせている。

「章さん、これだ。」


*


午後、土曜は屯所の食堂が休みである。隊士達は連れ立って昼食を摂りに

表通りに繰り出した。

「悪兵衛、どうしたその顔は。」

美浪が心配そうに見つめる。悪兵衛は額に瘤をつくり、目元が腫れ鼻血の後が

生々しい。

「午前中の訓練だ。章さんの蹴破を二十も受けた。」

平然としている悪兵衛を見ながら美浪は苦笑する。連れ立った橘川兄弟は

悪兵衛の怪我など、興味が無い。

「腹は減ってるのか。」

「生半可では食いきれないらしいよ。」

双子はうきうきとちらしを見ている。四人でいま巷で噂になっている、

「あぶら蕎麦」を食しに出かけてきた。

油の字を大きく丸で囲ったのぼりのたつ店には、すでに五名程並んでいる。


卓についた四人の前に、すり鉢程の大きさの丼ぶりいっぱいに、ゆで上げた

蕎麦、山盛りのもやし、にんにく、豚肉が乗せられた油そばが供された。

「よく混ぜろって言われても。」

「こんな山盛り混ぜられないよ。」

「下から麺を引っ張り出して食うか。」

「もやしから順に食べればかさは減っていくさ。」

それぞれに文句や感想を言いながら、隊士達は食べきった。いや、

悪兵衛と橘川兄弟が食べきれない分を全て美浪が引き受けた。


御淀川を見渡す広い河川敷に腰を下ろし、しばし休みながらあぶら蕎麦の

悪口を言い合っている。

涼しい秋の風が吹き抜けていく。

川釣りに笑いあう人々を見ながら悪兵衛は思いに耽る。

生と死が交互に訪れる戦闘を潜り抜け、弥者の秘密の一端を垣間見た神尾坑山。

玄嶽連者隊総長の死に悲嘆する不知火隊士達。

初めて、風祭副長の涙を見た。

「悪兵衛、腹が膨れすぎて眠くなったか。」

一圓の言葉に笑いながら悪兵衛は寝ころんだ。

「あんな量、美浪以外食えぬだろう。」

「あの二倍の量の大きさの油そばを食うと、賞金がもらえるってさ。」

「なに。これは、今晩いくしかないな。」

美浪の自信たっぷりの言葉に隊士達は笑った。


「播磨悪兵衛殿でござるな。」

夕日を遮り、袴姿の侍が声をかけた。

眼鏡で長身の男と、小柄で獰猛な顔つきの男の二人組だった。

眼鏡の男が声を掛けてきたのだが、その猫撫で声に気味の悪さを感じ

悪兵衛は起き上がる。

「播磨だが。」

「恐縮ではござりますが、我が主が是非お目通り願いたいと。」

「かまわん。」

「では、ご足労願います。」

二人組の立ち居振る舞いに尋常の侍ではない物を感じ、悪兵衛の表情が

引き締まる。美浪が刀の柄に手をかけながら耳打ちした。

「両名とも本閥の侍だ。腹の底の士魂が大きい。」

「ならば警戒する事もあるまい。先に屯所に戻っていてくれ。」

「気をつけろ。士魂の燃え方が友好的とは思えぬ。」

悪兵衛はにやりと笑って美浪の肩に手を置き、二人組と連れ立って歩みだす。


*


街の喧騒を抜ける頃、陽は港に落ちようとしている。

二人の侍に誘われ、大路から外れた廃寺の門の前に悪兵衛は立つ。

薄闇が迫る中、本堂の前には篝火が焚かれ庭全体が浮き上がって見える。

着流し姿の老人が縁台に寝そべり、おおぶりな徳利から酒を猪口に注いでいる。

悪兵衛を尋承じんじょうした侍二名は、老人の元に集い、膝をついた。

「団長、播磨です。」

「おい、確かなのか。あれは子供ではないか。」

小柄な侍が声をあげる。眉間に皺を寄せ、悪兵衛を睨む。

きびきびとした行動に厳しい武を感じさせる男であった。

「若いな。」

猪口で酒を舐める老人の表情は暗がりでわからない。が、いくぶん嗤いを

含んだ声をあげた。

「間違いありません。本閥選より見ております。それは上条も同様ですが。」

「なに?俺は記憶にないぞ。」

二人の侍を制して老人は縁台から立ち上がる。

白の総髪に薄緑の着流し、手には木剣を二本携える。薄明りの中でその相貌が

爛々と輝くように見えた。

縁台から庭に降りた男は悪兵衛を見据えながら足元を確認する。

「播磨殿。ご足労済まぬな。腕をみたい。」

日の本軍、本閥不知火の頭目を務める悪兵衛にかける言葉とは思えなかった。

頭目とは、単独での戦闘に於いて攻撃力、戦闘指示を受け持ち、その武力に

並ぶものがないと言われる称号でもある。

悪兵衛に対して本閥の人間が腕をみたい、というのは…それまでの戦績を疑い、

実力も猜疑されているという事である。いや、不知火自体の戦闘力を査定される

に等しい。侮辱、であった。

「承った。誰と立ち会うのか。」

「わしだ。」

長身の老人は笑いながら木刀を投げてよこす。

「茶でも飲みながら手下にまかせろ。ご老人。」

ごく当たり前の声色で悪兵衛が言い放った。見守る二名の侍と、対峙する

老人の間に火花が散る士魂のやりとりが起きる。

「貴様」

一歩前に踏み出した小柄な侍の肩に、長身の者が優しく手を置いた。

「上条。団長自らのご指名であるぞ。」

「手合わせが何だ。俺が一刀で斬り倒してやる。」

「そうはいっても、だ。」

眼鏡の男の穏やかな物言いに激昂する男は落ち着きを取り戻していく。

悪兵衛は、やや重量のある一本を選び、片方を返した。

握った木刀を振り担ぐ。その重量に心鉄の存在を確認する。

(やはり本閥の人間か。心鉄いりとは。)

魁音刀の構造部材である心鉄を内包する木刀は、重量があり士魂を通す

訓練に使用される。町道場では使用される事はない。


正眼に構えた老人は全身の力が抜け、ただ、そこに佇むように見える。

篝火に照らされた厳しい表情の口元に笑みが浮かぶ。

悪兵衛は額に筋を浮かべながら激しく斬り付けた。受けさせて木刀ごと

叩き落す算段であった。が、うけずに躱した老人は背をむける。

一瞬の躊躇をした悪兵衛の首元に流れるように切っ先が当てられた。

一歩引いて仰け反り躱す。

老人は剣を下し力の入らない下段に構える。老獪な相手であった。

引き締まった表情の悪兵衛は変形上段に構えようとする。その刹那に

老人は下段の構えのまま破双で飛び出した。

悪兵衛の鳩尾に肘をいれる。その速度、強度に驚きながら悪兵衛は片膝を

ついた。

「本気でこんか。不知火。」

老人の声に反応するように、悪兵衛は立ち上がりざま破双で突出、

燃え上がる士魂を込めて剣を振った。炸裂音が響く。

木刀が破裂し心鉄が融解する。足元を穿ちながら輝く爆壁が撃ち上がる。

旭光であった。

対人戦で使用した場合、全身に打撲を与えながら上空に打ち上げられると共に

内臓に著しい損傷を与える可能性がある。

が、老人は片腕をあげ腰を下ろして気合を込め、旭光の衝撃と巻き込みに堪えた。その姿は道場で灰音が見せた構えと同じである。

「雲凱。」

「古い手よ。よう知っておるのう。」

老人が一歩踏み出した瞬間、士魂の燃焼の突風が悪兵衛を襲った。

足元に円形の衝撃が発生し、輝く爆壁が発生する。悪兵衛はその過程を

時がゆっくりと流れるように感じながら目に焼き付けた。

激しい衝撃と共に足元から全身を苛まれながら打ち上げられ、

地に叩き付けられると同時に意識を失った。


*


不知火屯所の正門詰、陣羽織に薄紫の着流し姿の灰音章雪が現れる。

門番の添田より話を聞き、縁台で休む悪兵衛に歩み寄った。

「美浪殿より聞きました。」

左目を大きく腫らし、肩で息をしている悪兵衛が顔を上げて笑った。

「負けた。」

「本閥の者と聞きましたが。どなただったのですか?」

「わからぬ。案内をした二人とは別に、老人と仕合った。」

悪兵衛に肩を貸し、柵明荘へと歩き出す。全身に打撲と擦過傷を受けた

悪兵衛は激痛に顔をしかめている。

「章さん、相手は旭光を使ったよ。」

灰音は絶句した。

弓弦ゆんづるのような月が二人を見下ろしている。




閑話 七  了

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