魔岳



十の世代を遡るむかし、神尾山は二つの頂を持つていたという。

天の戦に敗れた神将が長く尾を引く焔と共に一つの頂を砕き、

片側を抉った。それが神将の墓標になったとされ、神尾山と呼ばれる

所以になった。

その抉れ切立った壁にいくつもの坑道が開かれ、産業の中核となる

金属の採掘が行われている。だが現在坑道からは黒煙があがり、

賑わっていた宿場に人影はない。

天幕が張られ、続々と日の本の兵士が隊列を組み、百の単位で移動

している。篝火の中、鉱山の総管理官の屋敷がいまは軍本営とされ、

不知火、玄嶽、和賀藩の戦旗が並び立つ。


不知火隊長、伊庭辰之進中将が本営の総大将として任命され、

この戦局を任されている。

純白の陣羽織に鬼門甲、腰には鮮やかな本柴に銀の竜がうねる装飾の

魁音刀を差し、目をつぶり灰音の報告に聞き入る。


「…らんの攻撃により、征羅比瑪ゆらひめを殲滅いたしましたが、

連続交戦時間の限界に達し、収容されております。再出撃に一日から一日半の

猶予が必要との事です。」

灰音章雪は報告書を読みつつ、伊庭に資料を提出する。

「征羅比瑪の爆撃の被害は。」

「は、全坑道二六か所中、十二までが崩落。日の本軍二百名以上の死者を

出しました。」

「また、来るな。」

「御意。」

本営には伊庭の本に風祭玲、灰音章雪、美浪結宇が侍り、作議を行っている。

「中将、玄嶽二大隊が到着いたしました。」

この地を管轄する日の本軍、和賀藩兵が伝える。程なくして、鎧の音と共に

玄嶽隊長、呉越蒙尊ごえつもうそん少将とその部下が現れた。

呉越は剃髪に顔を何本もの刀傷が走り、片目は見えていない。

濃緑の陣羽織の内に秘めた岩のような肉体が、五十を超えた男とは思えない

覇気を隠せずにいる。

「伊庭殿。」

「呉越。壮健だの。」

二人の本閥隊長は礼の後、卓についた。呉越の背後には三名の男が付き従う。

「第一大隊、藤本重義少佐であります。」

「第二大隊、八十田甚右衛門少佐であります。」

坊主頭の巨漢二名が低い声でいった。その隣、やや若い精悍な侍に、呉越が

目で促す。

「特務機動隊総隊長、柏崎壮之介中佐であります。」

伊庭が目を細め微笑む。

現在までの戦局を、灰音章雪が詳細に説明を始めた。


*


一旦玄嶽隊士は陣の設営指示に退出した。

その後、柏崎が小ぶりな樽を抱え不知火本営を訪れる。

連者隊総隊長と云えば、玄嶽攻撃隊の要である。その男が単身訪問する事に

灰音も美浪も首を傾げる。が、伊庭は快く通した。

御頭おかしら。無沙汰をしておりました。」

散切り頭に日に焼けた笑顔で柏崎は深々と礼をする。

「壮之介。久しいではないか。」

伊庭も破顔し、柏崎の肩に手を置く。

「これ、御頭の好物。」

「地酒か。」

「征羅比瑪を焼いたらつまみになりますかね。」

柏崎の軽口に伊庭は大声で笑っている。

「壮之介。」

風祭も笑顔を見せる。柏崎もそれに答える。

「名残惜しいが、発たねばならぬ。」

「ではあきらさんが別動隊に?」

「うむ。御頭と呉越少将を頼むぞ。」

風祭は伊庭に礼をし、その場を離れた。柏崎は暫し談笑し、

玄嶽本陣に戻っていった。


が今は連者隊総隊長か。」

微笑む伊庭は灰音と美浪に向き直る。

「お前たちの入隊前、柏崎壮之介は不知火隊士であった。」

先士さきんじだ。仁悟朗と士道を鍛えたのはあの男よ。」





伊庭と呉越は玄嶽大隊と不知火の連携に関して、それぞれを統率する

藤本、八十田、不知火からは灰音、美浪と共に作議を行った。

侵攻に関して大まかな同意を得、部下をつれ玄嶽本陣より一旦本営に戻る。

屋敷からは野太い怒号が響いている。

「あれは…」

いいながら伊庭は舌打ちをした。呉越は眉をしかめ、ため息を漏らす。

阿黎あれい殿がいらっしゃっていますな。」

「ここまで出張ってくるとは。奇特な方だ。」

本閥総帥の二人に苦虫を噛み潰すような表情をさせているのは、阿黎哲興あれいてつおき

神尾山の所領藩である和賀藩主である。


剣呑で荒れた土地である山岳部を領地とする和賀藩は代々貧しい藩であったが、

先代藩主の縁者にあたる哲興がその地位を継ぐと、鉱山の採掘に乗り出した。

元地質学者であった哲興の慧眼と、近隣先進国より招いた採掘技術者により

産業の中核になりえる鉄鉱、石炭、胴、錫等の採掘に成功する。

中でも莫大な利益となったのが神尾山の銀山であった。

他藩に抜きんでた財力を持った和賀藩主、阿黎哲興は幕僚として迎え入れられ

その発言力を増していった。

特に本土決戦軍閥師団に対しての資金の供与と政治的な賛同は大きな影響力が

あり、本閥総帥といえどその発言を無碍には出来ない。


「伊庭中将、呉越少将。よくぞ。」

齢六十を超える阿黎は黒々した揉み上げに炯々と光る目が剛健すぎる

印象を与える男で、体つきも大きく声が通る。伊庭と呉越を認め相貌を崩して

いる。

「本閥総帥二名が直接率いるとは。軍神ここに現れり。」

上機嫌で笑いながら席を勧める。

「明日にでも和賀藩兵四百名の援軍が到着する。今は鉱山に突入し

化け物どもを詰めてしまえばよかろう。」

叱責するように声を荒げるその先には、痩せた白髪の老人が座している。

厚い眼鏡の奥でしわがれた瞼が痙攣し、その脇に官吏らしい部下が三名着く。

「阿黎殿。あちらの方は。」

見慣れぬ人物に伊庭が問う。

「幕閣直属の地方治水官殿じゃ。あー…吉本殿であったか。」

「吉木幸之助、でございます。」

老人は気の弱そうな声を上げた。

「こちらの踏査図を見ていただければわかりますように…坑道は

一時ひとときに五十名もの人が入るだけで一杯で御座います。落盤、足場の損壊の

危険性もあり…突入は不可能で。」

古びた鉱山の地図を広げながら、吉木は途切れ途切れに説明をした。

「何を府抜けた事を。」

「突入じゃ。」

「まあまあ。阿黎殿。和賀藩兵には坑道から出現する狗族及び弥者の

追討に加わって頂く。小人数での侵攻は任せていただきたい。」

「伊庭中将がそういわれるなら…」

「玄嶽より、特務機動隊も出動いたします。」

「おお、呉越殿、連者隊が出るのか。」

「玄嶽本陣に出撃待機しております。よろしければ視察等いかがか。」

「それは見たい。是非お願いしたい。」

呉越の言葉に阿黎は上機嫌で笑いながら席を立った。

首を振る呉越に伊庭は苦笑する。灰音は憮然とした表情で視線を落としている。


「昨日、伊庭様よりご要望のありました精細な坑道図を作成いたします。」

吉木が立ち上がる。疲労によろめき、部下の者がその腕を支えた。

「その件でご足労願えたか。よろしく頼む。」

伊庭の言葉と共に治水官達は退室した。その後を美浪が小走りで追う。


作議室の外、縁側に続く廊下で吉木の部下の一人、官僚らしき者を

美浪は呼び止めた。

「もし、少々よろしいか。」

「は、何でございましょう。」

気弱そうな若者で太い眼鏡、左目の縁に大きな痣がある。

「朧丸だな。」

「…ほう、さすがだな。報告にあった。何らかの力で擬装をみやぶると。」

背筋を伸ばした朧丸は体つきまで違って見える。眼鏡を外すと精悍な別人の

表情で、にやりと笑った。


縁側を人のいない方向に歩きつつ、美浪は朧丸に問いかける。

「なぜ出張っている。弥者との全面戦争に間諜もあるまい。」

「俺一人ではない。月光本隊が別件で動いている。」

「月光本隊だと?」

「うむ。幕閣からの官僚と和賀藩兵への輜重隊、他藩からの技術者。

本閥と藩兵以外の者に多数偽装している。」

「なぜそんな大掛かりな査察をこの戦の最中に行っているのだ。」

「美浪殿には隠しようがない。治水官として赴任した吉木幸之助。あれは

我が隠密諜報部隊、月光首領、月皓つきしろ半蔵だ。」

美浪は絶句した。

「今次の戦とは別に調査を賜っている。上意だ。その内容は言えぬ。半蔵の件は

伊庭隊長に報告して構わぬ。だが、そこで留め置いて欲しい。」

「わかった。そのようにお伝えする。」

「恩に着る。美浪殿、我々には厄介な能力をお持ちだな。」

朧丸は笑いながら庭の植え込みに消えた。美浪は暫し黙考し、踵を返した。





神尾山北壁のふもと、尾永森林に本閥、和賀藩兵は陣を構えている。

その前方、正面に神尾鉱山、大通洞と呼ばれる最も大きな採掘口があり、

その内部より弥者達は現れ、狗族が集結しつつあった。

総攻撃の三日前、神尾鉱山陥落の急報を受けた幕僚は、弥者出現の状況から

神尾鉱山を弥者の本拠と位置付けし、本閥全軍の出撃を要請。

早騨宿全滅のわずか1日後である。

不知火、玄嶽共に神尾鉱山へ急行した。その海上輸送は環太積が行う。

そして、本閥内唯一の空対空戦闘部隊、糺天爆撃錬兵、暁輝あかづきが随獣を伴い、

神尾山へ向かった。


本閥、藩兵一斉の総攻撃が行われ、一時的に大量に現れた狗族を撃退したが、

征羅比瑪と呼ばれる浮遊狗族による空対地爆撃で甚大な被害を受け、

隊列は乱れ本軍は一時散りじりになった。

暁輝の使役する戦術格闘航空随獣、「らん」の攻撃により、征羅比瑪は

鎮圧されたが、長距離の航行と戦闘の疲労により鸞は休止状態にある。


現在、本閥主将を迎え陣を立て直した日の本軍は、正面に和賀藩兵と玄嶽

一大隊、その左翼に不知火が展開し、単独で進行、弥者の背後からの襲撃。

右翼に玄嶽一大隊が正面隊と共に弥者を叩く手筈になっている。


*


空中に渦を巻くような軌道で浮遊する編切りを、深町仁悟朗は気合一閃で

集中させ、一匹ずつ斬り落とす。足元には編切りの死体。頭から青黒い

体液を浴びる。

「よし、粗方片付いたか。」

「仁悟、青坊主みたいになってるよ。」

笑いながら間宮桃乃介が後につく。

「桃は星巡ほしめぐりは温存せい。灰音殿の指示あるまで俺が討つ。」

「私が出るっていっても自分でいくくせに。」

桃の言葉に仁悟朗は大声で笑った。その向こう、編切りの死体の先に

大型の狗族が現れる。成人男性の肉体が地面に向けて収束するように脚部になり、

その頭部は神話に現れる龍に似た爬虫類の物だった。全高は人間の二倍はある。

「編切り殲滅後、一本踏鞴いっぽんだたら出現。先士さきんじの深町、畦倉が遭遇。」

美浪の宗波が波のように伝わる。

「畦倉、玉杉、一本踏鞴を殲滅。他、大型狗族の出現に備えます。」

桔梗の凛とした声が響いたように伝わる。

「何、もう倒したのか。早いな。」

「仁悟、私がいくよ。」

「待て待て。」

一本踏鞴が空中に飛び上がり、一瞬の後に爆音と共にその巨大な足で地面を

踏み抜く。地が揺れ、木々が騒めいた。

仁悟朗は垂直に飛び上がる破双で、その衝撃波をかわし袈裟切りに射刃を放出する。

一本踏鞴の肉体は両断され、吹き飛ばされた。


狗族の死体が累々と重なり、一本踏鞴の踏み抜きの衝撃が同心円状に

跡を残している。

仁悟朗は白煙を上げる愛刀に月旦抜きを注入した。

不知火担当の左翼、小規模の坑道がいくつも開く北壁東側である。

戦陣羽織に身を包んだ灰音章雪、美浪結宇、不知火の紋章と麒麟の角が輝く

兜を身に付けた伊庭辰之進が現れる。そこに畦倉士道と玉杉桔梗が加わった。

「残弾報告をお願いします。」

「明星、六。」

「野火、五。」

「星巡、五。」

神言錨かむいびょう、十七。」

最後の桔梗の報告に灰音は頷いた。

「よし。侵攻する。戦闘は避ける。」

伊庭が言葉を発し、不知火は狗族の目を避けるように森林を北上する。


「士道、仁悟朗。壮之介には会ったのか。」

「は。ご挨拶させていただきました。」

「御頭。荘さんは人間が丸くなりましたな。随分とお優しくなられた。」

「てやんでえ。貴様ら、入隊時の暴れっ振りを忘れたのけえ。」

伊庭の軽口に隊士は皆笑う。戦闘中であり、戦意は高揚しているが、独特の

安心が隊の雰囲気を和らげている。

絶対的な指導者、伊庭辰之進がその中心にいた。

「久しぶりに荘さんにお会いしたが、誰かに似ているような気がする。」

「む、俺も感じた。」

その時、玄嶽の女性隊士の宗波が不知火隊士を打った。

「玄嶽、荒井少尉であります。正面隊東端、和賀藩兵を弥者が襲撃。

応援を乞う。」

「不知火、伊庭だ。向かう。」





切り立った山々の谷、宮来みやこ街道と呼ばれる山路を悪兵衛達は進む。

不知火隊士五名と共に馬車二台、唐澤以下三名の輜重隊が続く。

紀野衛きのえ山系と呼ばれる険しい山あいを進むと標高があがり、積雪が増え気温も

落ちる。隊士達から白い息が漏れている。

晴れ間から冬の黄金色の光が差した。午後の遅い時刻に小休止を取る。

隊士達は生姜の香りの湯気のあがる飴湯を含み、瓦煎餅と呼ばれる焼き菓子を摂る。

「うまい。硬くてうまい。」

悪兵衛が盛大な音を立てて煎餅を噛み割った。

「悪兵衛、食いながら大声だすな。煎餅が顔にかかる。」

「お、胡麻が入ってるな。」

「唐澤さん、これおいしいね。」

「玄嶽の輜重隊の方に分けてもらったのよ。」

日が差す山道の途中、隊士達の表情も幾分明るい。

厳しい戦いであった早騨宿の戦いに勝利した不知火隊士達は、「遂げた」

感慨に包まれている。


山道の奥、深い木々の先から馬蹄が鳴る音が響いてくる。

「あれは」

「…麒麟だ。」

隊士達は立ち上がり路の先を凝視する。やがてうっすらと発光する随獣、

麒麟とそれを駆る風祭玲が木々の間から現れた。隊士達は直立で敬礼をとる。

「早騨宿奪還の報、聞いた。ご苦労。」

防寒の為の純白の外套に身を包んだ風祭が随獣から降りる。

焚火を囲み、風祭より作戦行動の内訳が告げられる。

「我々は神尾山南東の廃坑道より侵入。弥者、狗族を駆逐しつつ大斜坑を

目指す。その先で本隊と合流し、さらに下部に侵攻する。」

簡易的な踏査図の写しを元に、経路の説明を行う。複雑な坑道の行き交う

神尾鉱山内部全てを把握する事は不可能に思えた。

「副長、弥者の本拠は最下部という事でありますか?」

踏査図を頭に叩き込むように凝視しながら十字朗が問う。

「不明だ。が、大斜坑直下の南北と中央の立坑より敵出現の報があった。」

「地の底だね。」

バルザックが顎に手を置き、地図を見つめる。

「補給車両一台に武装、装備品、半日分の糧食を積載。残りを一台にまとめろ。

随獣で我々のみ進行、輜重隊は早騨宿方面に撤退。作業かかれ。」

風祭の号令一閃で隊士達が動き始める。

唐澤が風祭によりそい、小声で話した。

あきら、大丈夫なの?相当危険な気がするんだけど…。」

「うん。私たちは。それよりここから弥者の別働がいる危険性があるの。」

「補給隊を狙うのは奴らの常とう手段だから、彦ちゃん達の方がよほど危ない。」

「すごく嫌な予感がする。」

「大丈夫。屯所に帰ったら遥香とにいこう。」

「引き返す勇気、もってね。」

十年来の友人でもある唐澤に微笑むと、風祭は随獣に向かい、鞍を外し始めた。


*


兵員輸送用ではない荷馬車は酷い揺れであった。

風祭の随獣、モウカ号に引かれた台車で隊士達は固定した荷物にとりつき、

必死で振りおとされないようにしなければならない。

「この速度、人間六人と荷物を牽いているとは思えん。」

 「一説には、随獣が信頼する人間と共にあるとき、その重量が消失するらしい。嘘だと思っていたが…」

「二人とも舌を噛むよ。」

バルザックが笑いながら言った。

土煙をあげ、土砂を跳ね上げて山道を駈ける。

麒麟は有蹄ではない。足底は肉食獣に近いそれで、長距離の移動の為に鉄製の足具を履かせている。轟く馬蹄音はそこから生まれる。

風祭は弥者の斥候が居た場合を考え、その注意を引くために敢て目立つ方法を

とった。輜重隊の安否に慮ったのである。


神尾山南壁東、今は打ち捨てられた採掘資材所跡がある。

希少な鉱石の採掘を狙った物であったが、坑道の老朽化、埋蔵資源の枯渇により

現在は閉められている。

不知火隊士達は、治水官の詰所であった簡易な屋敷に荷を解き、

突入の装備を始める。

「坑道にて弓は不利になる。一圓は直接攻撃用装備。一真は近距離射撃装備に

切り替えろ。大弓は必要ない。」

「各自、月旦抜きは三戦分用意。糧食はここに置いていく。今食せ。」

風祭のきびきびとした声が飛び、日の落ち始めた屋敷の土間で

隊士達は鬼門甲を身に付け、襷をまわす。魁音刀の振動はまだない。

「悪兵衛。」

「はっ。」

唐澤の用意した握り飯で頬を膨らませた悪兵衛が立ち上がる。

「よく聞け。旭光は使うな。」

「は、今何と。」

「旭光は使役してはならぬ。坑道の天井を支える梁を破壊した場合、崩落の

危険性がある。」

ごくり、と喉を鳴らして飯を飲み込んだ。

「立坑のうち、通気坑道と呼ばれるものは外部まで貫通している。そこならば

使用に耐えるかもしれぬ。しかしその機会があるかどうか。」

「崩落の場合、全滅の可能性がある。よいな。」

「承った。」

悪兵衛は硬い表情で答えた。


隊士達の装備を促し、見届けた風祭は表に出、随獣モウカ号に寄添う。

荷馬車を牽く為の鞍を外し、足回りを丁寧に確認する。

「ここより先、お前の体格では侵入は困難になる。南西方面、輜重隊を

追い、合流。早騨宿で待機せよ。」

薄闇のなか、モウカ号は大きく胴震いし、不満げにいななく。

その鬣の中から燃えるような紅眼で風祭を見つめている。

「我がままを言うな。」

風祭は苦笑しながらその首筋を撫でた。

「輜重隊を…私のともだちを、お前に守ってもらいたいのだ。」

風祭に額をあわせ暫し別れを惜しむと、モウカ号は走り抜けて来た街道を

目指し歩み始める。

その姿が消えるまで、風祭玲は見送った。





神尾鉱山北壁、東端の崖上に不知火本隊はいた。

眼下には、和賀藩兵二百名余りの隊列。濃紺の胴巻き姿の藩兵達の横腹に、

漆黒のなめし皮の鎧を身にまとった弥者数十名が食いつくように

襲撃している様が見える。

隊列は混乱し、斬り合いの最中に弥者が投げ打った光弾が炸裂し

燃え上がっている。

「急がねば滅ぶな。」

号令を発しようとした伊庭を美浪がとめた。

「御頭、あれを。」

玄嶽の第一大隊の一部が移動しつつあるなか、その内より十名程の

隊士が破双により急接近する。和賀藩を二つに分けて急行した玄嶽隊士が

弥者と激突した。

「早いな。」

「連者隊です。」

「うむ。合流し弥者を叩く。」

不知火隊士は崖を迂回しつつ次々と破双で飛び出した。


救援にきた和賀藩兵を護りながらも、圧倒的な攻撃で弥者を押す連者隊。

その戦技、魁音撃は不知火に近い。次々と弥者を斬り、形勢は一瞬で

覆った。中でも、隊を指揮し自らも剣を揮う純白の襟巻をなびかせた

侍の姿が目に付く。柏崎壮之介であった。

鬼門甲を濃緑の長着で包んだその姿は、明らかに他の隊士と比べても

早く、鋭い。射刃の輝きが閃くたびに弥者が崩れ落ちる。

大きく手を振り和賀藩と呼応し、弥者の残存兵を切り捨てていく。


崖下まで降り、小高い丘陵でそのたたかいの全容を見た伊庭はすでに救援に

必要がない事を知った。傍らの灰音に語り掛ける。

「うちの頭目とどちらが強い?」

「柏崎様です。たいの捌き、反応の速さ、創造的な戦闘。悪兵衛とよく似た剣

の使い手ですが、すべてが悪兵衛の一枚上です。」

「そうか。」

「柏崎様に悪兵衛の剣を鍛えて頂ければ」

「1年ないし1年半後、彼を上回る力を見につけます。」

「悪兵衛も玄嶽に渡すのはちっとばかりつれえな。」

伊庭は目を細めて見つめている。

弥者の中でも一際大きな者が、両手の先に火球を生み出し、投げつける。

爆破し大きく燃え広がったそれは和賀藩兵を焼く。連者隊も防御的魁音撃で

防ぐが、一歩攻め込めない。

日の本軍の先鋒に立つ連者隊が狙われ、火球が撃ち込まれた。

同時に全身を白みがかった魁音撃の塊に包まれた柏崎が、破双をしのぐ速度で

飛びだし、火球の弥者の半身をで吹き飛ばした。

連者隊、和賀藩から歓声があがる。

戦技と魁音撃を組み合わせた独特の攻撃であった。

目撃した不知火隊士もどよめく。

「あれは。」

「技術調べで見た記憶があります。恐らく魁音撃、紫電でしょう。」

「玄嶽の戦技に手をいれたか。」

「御意。」

局地戦の勝敗は決した。


*


玄嶽、連者隊は直立で伊庭率いる不知火を迎える。

「不知火、伊庭中将に敬礼。」

柏崎の鋭い号令が飛ぶ。今しがた戦闘を終えた隊士達にほぼ被害は無い。

「休め。特務機動隊の働き、見事であった。」

「不知火も、来るには来た。役に立たなかったと報告せよ。」

「そのようにご報告します。」

「あ、後の方はいらん。」

「承りました。」

伊庭が破顔し、柏崎の肩に手を置く。連者隊隊士達から笑顔がこぼれる。

両名は並び立ち、和賀藩兵の被害状況を見分に向かった。


「そうか。わかった。荘さんは悪兵衛に似ている。」

仁悟朗が思いついたように言った。士道も手を叩いている。

「悪兵衛より格好いいよ。顔もいいし、背も高いじゃん。」

桃乃介が口をとがらせる。

「え、そうかな。そうでもなくない?」

桔梗がすこし怒った顔で声をあげた。





漆黒の中、悪兵衛の横顔が灯りに照らされる。

先頭に十字朗とバルザックが松明を持ち、そのすぐ背後に悪兵衛、

同様に灯を持った橘川兄弟、風祭が並ぶ。

坑道の壁伝いに油路があり、等間隔で常夜灯が燈される仕掛けになって

いるが、現在は大本の油槽が枯渇している。

踏査図を元に不知火別動隊は進む。内部は表ほどの寒気はなく、

却って蒸し暑い程であり、風祭は防寒用の外套をすでに脱ぎ捨てている。

「副長、神尾山で当初行われていた内偵というのは?」

松明を回して辺りを確認しながらバルザックが声をかけた。比較的広い

坑道に声が響く。

「元々は和賀藩抱えの金物業者の大店、大野屋が採掘を取り仕切っていた。」

「およそ二年程前、希少な鉱石の採掘に成功し、軍事転用が可能な為、

一部採掘現場を幕僚直轄で行われるようになった。」

悪兵衛は剛力くらべの行われた尾宇治での、浪人の人足の話を思い出している。

「その後、直轄地での採掘に不可解な人死にが多発し、弥者の目撃情報が頻発した。

そこで我々が内偵を繰り出したのだが。」

「落盤事故で採掘自体が止まってしまったというわけですか。」

「そうだ。」

風祭は短くこたえ、口惜しさをにじませる。

「落盤は仕組まれた物であり、それを起こしたのは弥者なのか。相当な

技術が必要に思えるが。」

「採掘場に現れる以上、それなりの知識と技術は保有しているのだろうね。」

十字朗とバルザックの会話を、悪兵衛はじっと聞き入っている。

「なぜ、そんな事を。自らの存在を喧伝するようなものだ。」

「僕は、早騨宿侵攻自体が、そこから目を逸らさせる陽動だったように思う。」

「前方、灯りが見えます。」

一圓が鋭くいった。小さな点でしかない光源をいち早く発見する。

「数、二十一。」

一真も細かくその数を捉える。そうなると他の隊士達も坑道の果てに

蠢く光源を目視できる。

「我々の侵攻途中で、作戦を共にする部隊の報告はない。敵だ。」

「一圓、一真、常夜灯に着火。足場を確認し、光源を保持しつつ撤退。」

「頭目、戦闘指示。」

風祭が一瞬で判断し、次々を指令を下す。松明の明かりが灯る坑道が

明るく照らされる。前方の闇の中の灯火の上下動が激しくなり、こちらに接近

しているのがわかる。

やがて、闇の中から足音と武具の鳴らす金属音が聞こえてくる。

松明に照らされ、長大な角に松明の光を反射する両目、光沢のある黒茶の鎧に

身を包んだ弥者の戦闘集団が現れた。


「報告のあったヤマトビトがビャッコとはな。」

中央に立つ黄金の装身具に身を包んだ弥者が口を開いた。

その男を護るように、屈強な体躯の弥者達が仁王立ちしている。

「宣戦布告」

「吶喊白兵衆参、不知火である。」

「弥者と認め、攻撃する。吶喊する。殲滅する。」

「いざ尋常に勝負。」

「勝負。」

隊士達の言霊は巨大な砲撃のように弥者の集団を襲った。

何人かはその場で倒れ、膝をつき、荒く息をする者もいる。

中心の弥者が仮面を外し、虚空に向けて吠えた。

長く続き、高く低く音色を超える遠吠えであった。他の弥者達も呼応するように

遠吠えを上げる。坑道が異質な音色で染まっていく。

不知火隊士が抜刀する。白、赤、青の火花が隊士達を照らし、爆ぜる炸薬音が

坑道にこだまする。

弥者達の声が途切れた瞬間が、戦闘開始の合図であった。


十字朗とバルザックは先陣の弥者の太刀を受け流しつつ、緩やかに後退するかに

みせかけ、一気に踏み混んで斬り捨てる。その間隙をぬって飛び出した者を

空中で両断した。悪兵衛はその士魂に呼応し、低く唸る琿青をおさえつける。

「カ サ ネ カ キ」

弥者の長と思える者が呪詛を発し、大太刀で斬りかかる。十字朗は受けず破双で

下がった。弥者の剣の軌道に沿って、坑道の硬い岩盤にいくつもの斬撃の衝撃が

走り、土煙が舞う。

「多撃同時の破常力か。僕とどちらが強いかな。」

バルザックが不敵な笑みを浮かべ剣を八双に構えた。

立ちはだかる弥者の長の背後、裸形の男が全身を革紐で縛められている。

一瞬の対峙の間にその男の革紐が解かれ、ゆらりと立ち上がった。

悪兵衛はそれを見た瞬間に俯き、左手で固く両目を護る。

裸形の男は頭部のみ、人間の頭より二回りも大きい球体で、横に一本、

切り付けられたような筋が入っている。それがゆっくり開くと内部からぬるぬると

光る眼球が現れ、雷のような閃光が迸った。

辺りを白光で満たし、視界が消失する。前線の十字朗とバルザックは網膜を

焼くような光に顔を背け、膝をつく。

悪兵衛は目を護ったまま飛び出し、二人の腕を持つと渾身の力で破双を発動、

後方に下がる。

閃光が収まると、仮面で光を防いだ弥者達が不知火に殺到した。

赤頭あかがしらと呼ばれる狗族であった。知能が低く、戦闘に組み込むことは出来ないが

生命の危機を感じた時、その眼球から強烈な閃光を生み出し、見た者の全身を

麻痺させる。対戦経験のあった悪兵衛はいち早くそれを察知したのだった。


弥者達の太く、筋繊維が盛り上がった太ももが次々と弩弓の矢で撃ち抜かれる。

普段は一圓が身に着けている魁音武装、一四式装填弩弓を一真が装備し、

狙い定めて弥者達の脚を撃ち抜きその動きを止める。

一圓の魁音戦鎌、白拍子しらびょうしが突風の様に飛来し、赤頭の首を斬り飛ばし、

回転しながら手元に戻った。

驚異的な視力をもつ橘川兄弟は赤頭の存在に気付き、防御しつつ風祭を

護った。後衛組はその被害を受けていない。

「副長。」

十字朗とバルザックを下がらせた悪兵衛は風祭に短く指示する。

無言で進みでる風祭が魁音刀を抜くと、激しい火花が坑道を照らした。


大柄な太刀を持った弥者の長が進み出る。他撃同時攻撃を持つ弥者は

剣での戦闘に絶対の自信を見せ、ゆっくりと剣を頭上に構える。

間髪をいれず、風祭は単独で飛び出した。

玉閻ぎょくえん

裂帛の気合声と共に魁音撃の奔流が刀身より吹き出る。

放跋魁撃波と呼ばれる玉閻は、通常の魁音撃に見られる爆壁を射出するのではなく、

破壊の衝撃を扇形に噴出する。弥者達は全身を魁音撃に苛まれ絶叫をあげて

消失していった。

風祭が刀を下すと、分解された弥者達の衣服と、首を切られた赤頭の躯が

転がっている。

風祭は高い振動音を上げる魁音刀、馳駆紫に月旦を打ち、刀身から白煙が

上がるが、その振動は止まらず、続けてもう一本月旦を注入した。

強大な殺傷力を持つ玉閻は、魁音刀にかかる負担も大きい。

「一圓、一真。敵は。」

「無し。」

「坑道には確認できず。」

風祭は刀を収めると、十字朗とバルザックの元に赴き膝を落として

二人の眼底を調べる。

「失明してはおらぬ。もう視力は戻り始めているだろう。」

「は。失態を。」

「申し訳ありません。悪兵衛、助かったよ。」

「このたわけ共。調子に乗って段平を振り回すからだ。」

不知火最強の一角である二人に、風祭の容赦ない叱責が飛ぶ。

橘川兄弟が肩をすくめている。





弥者の遠吠えが、山々にこだまを呼ぶ。

夕日がその影を伸ばしながら、競う様に高く低く声をあげる。

大通洞と呼ばれる最大の坑道口、その前面に弥者達は陣取っている。

皆、黒茶のなめし皮の鎧に灰色の毛皮、金の装飾を施した武具を手にし、

所属する同じ部隊である事を示唆している。

弥者達に対して、玄嶽、和賀藩合同の第一大隊が展開しているが、

強力な飽和破常力と、複数戦闘にたけた軍団に攻めあぐねている。

百名程の弥者達は縦横無尽にその隊列を変え、五倍の兵力を持つ日の本軍を

翻弄する。大通洞の中に引き込み、個別での戦闘、大きく陣を移動しながらの遊撃、それに伴い坑道奥より出現する編切り、一本踏鞴、入道蜘蛛に手を焼き、

効果的な反撃は成功していない。

柏崎壮之介が連者隊を率いて、玄嶽第一大隊と合流した。

大隊を率いる藤本少佐は堅実で正攻法を好む宿将であり、変化に飛む戦闘に

苦虫を噛み潰した表情を見せる。

「弥者達の指令系統はどうなっている。」

戦況を聞いた柏崎は、藤本と側に侍る軍師達に問う。

「あらゆる戦局に対応した行動で、緻密な指令があると考えられますが…。」

「弥者にも、宗波のような連絡手段があるとしか。」

陣幕にも響く、嘲笑を含んだ弥者の遠吠え。

「もしくは、あの声か。」

柏崎は大通洞の麓に視線を走らせた。


*


「玄嶽、荒井少尉であります。不知火の状況をご報告賜ります。」

「伊庭だ。現在北壁東端の第九坑道に到着。搬出場を経て、下部第三斜坑に

向かう。」

「了解しました。」

「どうした。」

「現在、大通洞前にて戦闘が膠着。連者隊が合流いたしましたが、第一大隊より

不知火の吶喊に頼るべきと要望が出ました。」

灰音は伊庭を見つめ、ゆっくりと首を振った。伊庭は頷く。

「伊庭殿。」

「呉越であります。当初作戦通り、侵攻をお願いいたします。」

「うむ。背後より突く形にはなるが、それまで耐えられるか?」

「亀故に、耐えて見せます。」

呉越少将の笑いを含んだ思考が伊庭をうつ。

「後に会おう。」

宗波による通信を終え、不知火本隊は灯りの揺れる坑道を進みだした。

「章雪、なぜ玄嶽と和賀藩は倍以上の兵力を持ちながら膠着する?」

「弥者の軍の統率が、日の本を上回っているのでしょう。また、攻め込まず、

待避せず、その場で戦闘を続ける行動に意味があると思われます。」

灰音章雪の傍目八目の物言いに、伊庭は苦笑する。

「時間稼ぎと申すか。」

「恐らくは。」

「奴ら、何を待っている。」

伊庭の問いに灰音は黙し、淡々と歩み続ける。

玉杉桔梗は同じ坑道に侵攻しつつある、別動隊の男に心を馳せる。

「悪兵衛、ここでは旭光は使えぬ。今どうしている。」


*


波状の攻撃・撤退を繰り返す灰色の弥者の軍と、大通洞より出現した二十体以上

の一本踏鞴の足爆に、和賀藩兵と玄嶽は苦しめられていた。

防御的魁音撃で放射される爆風を避け、飛び込んだ連者隊が一本踏鞴を次々と

切り捨てる。またそれに対し、弥者達が攻撃を仕掛ける。攻め、守り、また攻めを

繰り返し、玄嶽・連者隊を先鋒とした魚鱗の陣をとる日の本軍と、大通洞を背後に

し、鳥雲の構えで迎え撃つ弥者達。互いに見合う状況となった。


弥者の一人が軍先鋒に歩み寄る。よく通る若い声で言い放った。

「ヤマトビト、我が主が単騎でのナシアイを望んでいる。」

玄嶽に騒めきが広がる。鋭い宗波が全軍に奔った。

「遠山中佐である。攻撃停止、弥者の伝令を聞く。」

「…ナシアイとは一騎打ちを指す。」

遠眼鏡で前線を観察する呉越に遠山勘解由かげゆ中佐が向き直った。

黒髪を丁寧になでつけ、学者髷の穏やかな容貌の男である。実直な参謀で、

玄嶽の軍師連をまとめる呉越の右腕である。

「総司令、奴ら報告にある通りの軍団だとしたら…」

「報告の真偽を確かめる事も出来るな。儂もまだこの目で見ていない。」

呉越は無表情に言い放った。


「ヤマトにマスラオ無しか。我が主の剣を受ける者は、数が頼り。」

弥者の声に背後の者達の勝ち誇る嘲笑が響く。勝利の遠吠えを上げる者もいる。

柏崎は桜花兜を脱ぎ捨て、配下に声を掛ける。

「俺がやつらの主を斬ったと同時に突撃。本隊と共に大通洞に侵攻せよ。」

いいながら弥者の前に歩んでいく。玄嶽から騒めきが起きる。

伝令の弥者は柏崎の姿を認め、満足気に陣の中に戻っていく。


やがて最奥より長身の弥者が現れた。

二本の角が垂直に屹立し、仮面にその表情は読み取れない。

灰色の毛皮と軽量な黒の革鎧に身を包み、しなやかで体重を感じさせない

歩みを見せる。腰に太刀、背に刀袋にいれた剣を背負っている。

弥者達は膝をつき、こうべを垂れ恭順と敬意を表す。

荒井少尉の宗波が伝わるが、恐怖に声が揺れる。

「未確認ながら尊級みこときゅう弥者出現。大通洞前、マカミノミコトを思われる者が

一騎打ちに現れました。玄嶽より連者隊、柏崎中佐が迎え撃ちます。」





柏崎はマカミノミコトと思しき弥者の眼前に立つ。

純白の襟巻が一陣の風になびいた。

相手からは何の気も感じられない。が、仮面の奥の灰色の瞳が

柏崎を射るように見通している。

二人を大きく円を描くように玄嶽、弥者が取り巻く。


「桜花進勅聯隊、玄嶽。柏崎壮之介中佐である。」

「弥者の長と見受け、一騎打ちを承る。」

「秋霜烈日、日の本ある処玄嶽あり。いざ尋常に勝負。」

「勝負」

玄嶽隊士全員から勝負の二文字の言霊が轟く。

柏崎は腰の魁音刀、新井浦にいうらを流れるように抜く。黄金色の火花が

鮮やかに散った。

弥者の長はナシアイと呼ばれる一騎打ちを受けた男の口上を聞くと、

腰の太刀を鞘ごと外し、部下に渡す。

背に負った刀袋を解き、漆黒の拵えの打ち刀を腰に差した。

「あれは…」

「まさか」

「魁音刀ではないのか。」

「鹵獲した我らの武装を」

玄嶽隊士から騒めきが起きる。弥者にとって天敵とも呼べる本閥の武装、

魁音刀を弥者の長は腰に差しているのだ。

「マカミノミコト。」

人と獣が混じり合ったような声色で、短く言い放つ。腰を落とし、刀に手をかける。

柏崎が目を見張った。

黒絹に光る柄をゆるやかに握り、マカミノミコトはゆっくりと抜いていく。

激しい黄金色の火花が散り、その仮面を照らしている。

魁音刀は、使役者の士魂の生成に反応し、振動を始める。

その振動の固有の波形ともに、抜刀時の鞘内部が擦過される事により、

激しい炸薬音、火花が生じるのである。

マカミノミコトが抜いた魁音刀は奪い取られ、使役されているものではなく、

。士魂を通し、唸り声を上げている。

「貴様、侍なのか」

柏崎は我が目を疑う事実を前に叫んだ。

マカミノミコトは答えず、八双からやや剣を倒した変形の中断に構える。


「連者隊副長、呉羽少佐であります。」

「尊級弥者はマカミノミコトを名乗り、魁音刀で武装しております。」

新たな宗波が奔った。

「なに。」

「ばかな。魁音刀だと?」

不知火隊士が立ち止まり、口々に言った。

「御頭。」

みなの視線が伊庭に集まる。

「事実だ。一部の者にしか伝えられてはいなかったが。」

「恐らく、本閥の侍が弥者帰りした者であろう。」

伊庭の冷徹な声が響いた。


柏崎の鋭い袈裟切りを一歩引いて避けたマカミノミコトは、刀を返しながら

同様に斬り付ける。柏崎は剣で受け、激しい衝撃光が溢れた。

一瞬の鍔迫り合いで見合った後すぐに刀を流し、右手を柄から離し突き上げる。

マカミノミコトは同様に左手を離し、柏崎の拳を受けた。電光の素早さで

足底を柏崎の懐に当てる。柏崎の破双の後退と、マカミノミコトの蹴破の

炸裂が同時に起きた。

柏崎は飛び退りながら回転して着地する。その間にマカミノミコトはまた

ゆっくりと中断に構えた。

「中佐の拳禍を防いだぞ。」

「先刻の技は蹴破。やはり本閥の者か。」

玄嶽隊士から動揺の声が広がる。マカミノミコトの戦技はわが身の術として

完全に身につけられた物であるように見える。

「矛をさかしまにするか、弥者。」

柏崎は怒りに燃え、叫んだ。地を踏みしめ、突きの姿勢に入る。辺りの空気が

収束し、身体を白みがかった紫の光が包む。必殺の構えであった。

マカミノミコトは大きく身体を開き、左の掌を柏崎に向け、意識を統一する。

「紫電」

気合一閃と共に、破双を超える速度で柏崎は衝撃の塊となり、突進する。

「ア ワ イ ク ジ リ」

マカミノミコトの言葉の直後、剣先を弥者の眉間に突き立てようとした柏崎の

全身から、士魂が消失した。あと半歩の距離である。

正体不明の虚脱感に目眩を感じ、剣を持ち、立っているだけの力しか残っていない。

弥者は柏崎をすり抜けるように飛び出し、剣光が閃く。

柏崎の両の腿が真一文字に斬られ、鮮血が迸った。膝をつき、俯く。

マカミノミコトは音もなくその横に立った。柏崎は震える腕でわずかに刀を

持ち上げる。マカミノミコトの打ち下ろしと同時であった。

柏崎の頭部が落ち、転がった。

純白の襟巻が首元から鮮血に染まる。


弥者達の勝利の遠吠えが響いた。

マカミノミコトは刀を振り、腕で刀身を挟み血糊を拭いた後、納刀する。

玄嶽隊士達を見回し、踵を返して大通洞に歩み去った。


「そうか。わかった。」

伊庭は呉越より個人宛の宗波を受け取る。

眉間に皺が寄り苦渋の顔つきをみせる。すぐに前方を向き歩み始めた。

灰音章雪は直観的に、マカミノミコトの一騎打ちを受けた侍の敗北を知った。





不知火本隊は緩やかな下り坂に階段を設えた斜坑を過ぎ、

中央立坑と呼ばれる巨大な縦穴を降りる。鉱山には主要な立坑が三か所、

北、南と中央があり、弥者の出現は北立坑より確認された。その先、裏手に

回り込んだ形である。垂直に降りる坑道を取り囲むように足場があり、

一部は縄梯子を使って降下しなければならなかった。

ぽつりぽつりと常夜灯が灯る先は暗黒の空間で、まさに地の底である。

立坑の最下層は下部通道と呼ばれる集積と移動の中央空間に接続しており、

その先は有毒な瘴気漏れを防ぐための壁がいくつか、さらに神尾鉱山最深部に

向かう下部第五斜坑がある。

通称大戸通道と呼ばれる下部通道は灯りと篝火が焚かれ、静まり返る。

斜坑へ向かう扉の前に灰の狩衣に錫杖と太刀で武装した弥者が二名、

立つ。その存在は美浪がいち早く発見していた。


岩肌の陰からその姿を認めた灰音は静かに指示を下す。

「桔梗殿、間宮殿、魁音撃を用い二名の弥者を無音で斬ってください。」

二人は頷き、刀の柄に手をかけて踏み出す。

その瞬間に空気より重く、淀んだに踏み出した事を感じる。

先行する桔梗と桃乃介の頭上に青白い炎の塊が燃え、二人を仄明るく照らし

だした。

「これは。」

「まずい、破常力の罠だ。」

桔梗は破双で飛び出し、桃も続く。不知火本隊もその後を追った。

門前の広場に到着した時、すでに扉が閉められ閂をかける音が響く。

やがて二人の頭上の炎も消滅した。


「申し訳ありません。」

灰音が首を垂れる。

「索敵に特化した破常力だろう。気付かなくてあたりめえよ。」

伝法な口調で伊庭がいいながら、扉を調べる。

「仁悟朗、士道。やってくれ。」

巨漢二名が伊庭に礼をし、扉の前に立つ。各々片足を扉に当てた。

「一斉の」

「せ。」

掛け声と共に爆音が響き土煙と共に鉄の門扉が吹き飛んだ。その奥は通道が続き

同様の閂扉があり、弥者の姿はない。

「美浪殿。」

灰音の声に美浪が刀を薄く抜き、刃鳴りを残してまた納刀する。

「弥者はこの空間には存在しておりませぬ。すでに扉の奥に。」

伊庭の目くばせで仁悟朗と士道はさらに奥の扉を蹴破で破壊した。

壁際で美浪が浮環で内部の様子を探る。遮蔽物があった場合浮環の波が

遮られ、侍や弥者の存在は感知出来ない。

「弥者、二十一…二十二名、それに、多数人間がいます。人数把握できず。」

「坑夫か。」

「逃げ遅れた者や行方不明の者はおりますが、少数です。」

「救出と同時に弥者を殲滅する。間宮、美浪、士道で状況を見て救出。

残りの者は吶喊。全員抜刀。」

隊士達の魁音刀の火花が散った。


*


悪兵衛達別動隊は、途中遭遇した弥者の索敵団を切り倒し、南立抗を経て

下部通道に達した。この先で不知火本隊と合流の予定であったが…

「だめです。まったく復旧が進んでいません。」

大居通道への道が大きな崩落によって塞がれている。あちこちを調べた

悪兵衛と十字朗が戻り報告した。

「南立抗へ引き返して、中央まで進んで降下するか。最も弥者と狗族の

出現を目撃されている。簡単には進めそうもないな。」

風祭の言葉に、暫し、不知火別動隊は次手を模索する。

「あ、そうだ。南立抗の奥に、中央と北の間に通じる避難路があります。」

バルザックが声をあげた。

「まことか。」

「はい、先ほどみた踏査図に。」

灯りを待ちより、簡易の踏査図を確認する。掠れた文字で小さく下部連絡抗、

避難時に使用と書き込みがあった。

「バルザックは酒を飲まんと頼りになるな。」

一圓の軽口に笑いが漏れる。確かに立抗の通道の逆側、最奥に潜り戸を発見した。

内部は人ひとりがようやく通行できる広さで灯りは無い。

別動隊は十字朗を筆頭に一定の間隔で連絡路に入っていった。


*


不知火本隊が到達した、大戸通道の最奥には異様な光景が待っていた。

空間を大きく塞ぐ金網とそこに張り付けられた人間。両腕と脚が縛り付けられ

呻いている。その奥に同様の金網、大人の男、女、老人、子供と皆一様に

磔にされ、その金網自体を屈強な弥者五人で支える。

人間の数は優に五十名は超えている。半死半生の体で意識を無くしている者が

多い。恐らく長い時間この戒めを受け、その服装からごく一般の人々であろうこと

がわかる。身体の大きな男性は手首を杭で貫通させ金網に縛り付けられている事から、弥者達の擬態ではなかった。

扉を開け、踏み込んだ不知火隊士達の頭上に青白い炎が燃える。

位置特定の破常力がここにも巡らされ、薄暗い通道でも侍達の行動が可視化され

ている。周到な罠であった。

「待避。」

一瞬で状況を見た灰音の指令で、隊士達はうず高く積まれた採掘用の鉄籠に身を

隠す。そこに針のような固形物が降り注ぎ地面と鉄籠を突き刺した。

仁悟朗は足元の襲来した固形物を手に取る。

「氷か。」

氷で生成された釘状の投擲武器であった。白煙をあげている。

士道が地を蹴って仁悟朗の下へ転がる。その位置を正確に氷の鋲が射撃した。

その手から氷を受け取り、調べる。

「灰音殿、純粋な氷結物だ。内部に金属等はない。」

士道の言葉を受けた灰音の表情が曇る。

「通常の魁音撃では人質を巻き込むな。」

伊庭は敵陣に視線を走らせ言った。手にする白銀の刀身の魁音刀が低い唸り声を

あげている。

「御意。玉杉殿、神言錨で金網の弥者を狙撃できますか?」

「金網が移動しながら二重にあります。誤射するか貫通してしまいます。」

灰音の言葉に桔梗が応えた。金網は左右に移動しつつ、わずかずつ此方に距離

を狭めている。

「俺がやるか。」

伊庭の言葉と共に魁音刀の唸りが大きくなった。

「なりませぬ。マカミノミコトの出現の報が。恐らく、もう一人尊級弥者が

存在しております。御頭は御控えください。」

灰音の言葉に伊庭は踏みとどまる。

「攻撃の間隔とその精度を見ます。深町殿と畦倉殿で陽動、破双にて敵前を

交差してください。被弾した場合撤退します。」

灰音の指示を受け、士道と仁悟朗は通道の端まで進み、左右同時に通路に飛び出た。

すかさず氷弾が襲う。二人は破双でそれを避け、敵中央を交差するように移動した。

頭上で燃える炎を狙ってか、その狙撃は正確で絶え間なく二人の位置に氷が

降り注ぐ。通道の端まで移動した後、二人は鉄籠に身を隠しながら合流した。

「一度の射撃で五発、連続で四度。その単位で射角と方位角も変えています。」

「灰音殿、今の攻撃で破常力を行使した者は二名です。」

美浪の言葉に灰音は頷いた。伊庭が顔をあげる。

「一人の弥者が五発射撃を二度。指の数か。」

「御意。毎回弾頭を生成するのが果たしてどの程度可能なのかと。」

「無から有を生み出す飽和破常力は使役する弥者にも負担となる。せいぜい

三度か四度だが…。」

「その数にしては、金網に人質を磔にしたこの陣は異様です。恒久的な防衛を

目的としているように思えます。」

「同様の破常力を使役できる弥者が控えておるのかもしれぬ。敵戦力の消耗と

残弾を調査すると共に、攻撃を加える。」

伊庭の号令の元に、灰音の指示が隊士に与えられた。

仁悟朗を先頭にその背後に桃、士道と続き灰音が殿しんがりの隊列を組む。

伊庭と美浪、桔梗は鉄籠に身を隠す。

「吶喊する。」

仁悟朗の言葉と共に隊士達が敵陣の前面に飛び出した。





「野火」

仁悟朗の気合声と共に横薙ぎの破壊の波が走る。更に逆薙ぎの野火を射出し、

連続で狙撃された氷弾を消滅させた。背後から桃乃介が飛び出す。

「星巡」

瞳に白い焔が宿る。次々と飛来する氷弾をすべて刀で撃ち続ける。

「明星」

士道の声と共に剣先から一陣の光線が迸り、天井すれすれを弧を描いて光の線が

飛んだ。一筋の光芒が通路の奥に消えた瞬間に破壊の衝撃が炸裂した。

爆璧魁榴撃と呼ばれる明星は、任意の地点で爆壁を破裂させる。畦倉士道により

編み出された魁音撃である。

氷弾の狙撃が一瞬の間、止まった。

不知火本隊は通道の奥に侵攻する。桃乃介の星巡が発動、振りよせる氷弾を

斬り付け、弾いていく。金網の人質一人一人の顔が目視できる程に接近した。

「明星」

士道の裂帛の声と共に二筋の流星が通路の奥に流れる。

だが爆壁は炸裂せず、その場で白化し粉々に散った。


花びらのような結晶と化した魁音撃の残滓が、舞い散る。

「シ ロ ノ ム ラ サ メ」

粉雪の向こう、通路の最奥に闇が凝縮したような弥者が声を発する。

空中が白く煙り篝火の明かりを反射して粒子が輝く。

「ナ ノ タ ン ジ」

黒の弥者の両隣の灰色の狩衣姿の者が声を発し、大きく掌を振ると、

空中で凝固した氷弾が発射された。

不知火隊士は一旦待避し、鉄籠に身をひそめる。

美浪の宗波が全軍に奔った。

「不知火、美浪大尉であります。現在下部大居通道にて、尊級弥者と遭遇。」

「キリヒトノミコトと思われます。」

隊士達は厳しく引き締まった表情をしている。唯一、伊庭だけが不敵に笑う。

「章雪、黒髪の弥者が氷弾を生成し、投げつける破常力の者を使役していたな。」

「御意。キリヒトノミコトの生成能力は…武庫之原のたたかいに於いて、平原全体

を霧で包むほどの力を見せており、無尽蔵にあると思われます。」

「投射する方の弥者の破常力はそれほど負担になるまい。あと十、いや二十以上は

攻撃できるか。」

防御に魁音撃を撃った仁悟朗と桃乃介の表情が曇る。強力な能力を持つゆえに

それ程の氷弾を防げる斬弾数は無かった。


「ビャッコの侍達。姿を見せなさい。」

黒髪の弥者が深く、静かに言葉を発した。一人、歩み寄り、仮面を外す。

地底にきらきらと輝く氷の粒子の向こう、細面に赤い瞳が怪しい光を放つ。

「ヤマトビトを、殺します。」

金網の内側、若い女が磔にされ、猿轡で縛められている。

キリヒトノミコトは腰の太刀を抜き、閃かせた。

「このように、ひとりずつ。」

言葉と共に女が痙攣する。胸辺りから身体が伸びていき、皮一枚で繋がっていた

下半身が重力のままに落ちた。分断された下腹部が丸く膨らんでいる。妊婦で

あった。その腹をキリヒトノミコトは踏み抜く。血潮と腸が吹き出た。

「ふたり、でした。」

嗤いながら弥者は言った。


伊庭は無表情で立ち上がる。腰の魁音刀が重く響く金属音を発し続ける。

「章雪、止めるなよ。俺は斬るぜえ。」

「御意のままに。」

伊庭はゆっくりと鉄籠から通路の中央に歩む。その背後には燃え上がるような

士魂を滾らせる隊士達が皆、付き従う。

通路の中央に凛として立つ不知火の侍達の姿を認め、キリヒトノミコトは

張り付けたような微笑を浮かべている。

その両脇に狩衣に漆黒の数珠を身に着けた、投射の破常力を使役する弥者が

並ぶ。左右に十名ずつ。それぞれ掌を空中に捧げている。

空中に氷弾が生成され、二百もの切っ先が不知火隊士の眉間と心臓に狙いをつける。


「旭光」

悪兵衛の怒号と共に、眩く輝く破壊の爆壁が撃ち上がった。

弥者達の真上の通道の天井、大掛かりな小屋梁と束を粉々に破壊すると共に、

それを支える棟木まで砕き、岩盤を穿つ。

崩れ落ちる岩と土砂に妻梁が折れ、崩落が起きた。

土煙が充満し、視界が消失する。

待避の声と共に、不知火隊士達は破双で後退した。


*


「無茶な事を。」

避難路の暗がりで、バルザックは苦笑している。

「不知火の皆を確認した。御頭の魁音撃をもってすれば崩落なぞ物とも

するまい。」

破双で戻った悪兵衛の言葉に風祭は眉をしかめる。

「この通路まで崩れたらどうするつもりなんだよ。」

一圓が口をとがらせる。

「耐える構造だろう。そうでなければ通道の避難路にならぬ。」

十字朗は気楽な言葉を発する。

避難路から通堂内を確認した不知火別動隊は、本隊の窮地を察した。

全員での吶喊の後、交戦、人質の救出を考えた風祭に悪兵衛が旭光の使役の

許可を頼んだのであった。

崩落の轟音と地響きが止んだ。



十一



不知火本隊と別動隊は合流した。

弥者達を全て土中に埋める程の崩落は、半球状に形成された氷の橋梁によって

防がれ、土砂はそれによって支えられている。

「無茶しやがって。」

笑う伊庭に悪兵衛をはじめ別動隊の隊士達が敬礼する。

「バルザックにも言われました。申し訳ありませぬ。」

「人質を下すぞ。」

磔にされた五十名もの人々は早騨宿の者であった。消耗が激しく、

すでに事切れている老人もいる。

美浪の宗波が呉越宛に送られる。現状の報告と救出の要請である。

「マカミノミコトの軍団は大通洞内を後退、我々はそれを追っております。

しかし治水官殿の進言により、大人数での移動は危険とされ、現在特務機動隊と

第一大隊の選抜した者で侵攻、拙者も同道しております。」

呉越の思考を受け、伊庭は沈思する。現在の不知火は敵にのか、

弥者二軍をいるのか。

「章雪。」

「マカミノミコトの軍を挟撃し、玄嶽と合流した後にキリヒトノミコトを

追うべきかと思われます。」

「悪兵衛。」

伊庭に問われた悪兵衛は俯き、拳を握る。怒りの表情を浮かべて顔を上げた。

「黒髪が、人質を殺すのを目撃しました。」

「ご下命あらば、拙者一人でも追って報復します。斬ります。」

悪兵衛の瞳を見つめながら、伊庭は宗波に乗った。

「呉越、現在地は。」

「北立坑を降下中であります。」

「了解した。不知火はキリヒトノミコトを追い、侵攻する。」

集結した不知火隊士は伊庭辰之進の本、最深部を目指す。


「もう少しで岩の下敷きだったぞ。」

桔梗が悪兵衛の肩をこずいた。

「申し訳ない。」

「私は避けるけど。危なすぎるだろ。」

桃乃介も同様にこずく。

「すまぬ。副長の命令だった。」

「たわけ、嘘を申すな。」

すかさず風祭の怒声が飛び、隊員達は笑う。

大居通道の最奥から下部第五斜坑を下り、通常の採掘では最深部にあたる

下部第二通道に到達する。この先が幕僚管轄の採掘現場となる。

マカミノミコトの軍が背部から現れるのか、それとも追っているのかは不明で

あり、危険な状態が依然続いている。

不知火隊士が十三名、同一の作戦行動に参加する事は近年無い。

本閥最強とも言える戦闘力を誇るが、それでもマカミノミコトとキリヒトノミコト

という弥者の将軍達に対し、勝利できるかどうかは五分五分と伊庭は考える。

玄嶽含め、不知火も死者を出す事を覚悟しなければならなかった。

先に逝った柏崎壮之介に思いを馳せ、若い隊士達の背を見回す。

「俺の番が来たな。」

「御頭?」

風祭が伊庭の独り言に問う。

「いや、なんでもねえよ。」

優しく微笑む伊庭の横顔を風祭は見つめた。


*


呉越蒙尊率いる玄嶽は、特務機動隊を含め四十名で侵攻している。

北立坑を降下し、大居通道に到達した。

崩落後の通道の強度は未確認であり、氷の橋梁の倒壊に再び崩落を起こす

可能性がある。玄嶽は人質達の救護と共に通道の補強に奔走する。

「総司令、呉羽であります。」

連者隊副長である呉羽布目くれはゆめ少佐他二名に斥候が命じられ、先行していた。

呉羽から緊急の宗波が届く。

「現在、下部第六斜坑にて不知火と合流。」

「何?合流だと。」

参謀である遠山勘解由中佐は眉間に皺をよせ考え込む。

呉越は呉羽に指示を与え、宗波から抜けた。

「マカミノミコトの軍はどの通道を通ったのだ。煙のように不知火を追い越して

いったのか。」

「大通洞より斜坑を経て、南立坑を進めば玄嶽とも不知火とも遭遇せずに

侵攻はできますが…大幅な周り道になりますゆえ、それほどの速度で移動したとは

考えられませぬ。」

「では最深部には向かわず、鉱山自体から撤退したのか。」

遠山は細密な踏査図を取り出し、今一度調べる。

揺れる常夜灯のもと、通道を調べる遠山の額に汗が浮かび上がった。

「総司令、マカミノミコトの軍は、我が玄嶽空挺隊と同様の能力を持つ可能性が

あると思われますか。」

「破常力を用いた降下部隊に遭遇した事がある。そういった能力もあるだろう。」

遠山は踏査図の一点を指した。

「大通洞の南端、大立坑があります。これは山頂まで突き抜ける縦穴ですが、

通行ではなく、空気の取入れと物資の運搬の為にあります。」

「そうか。大立坑は最深部まで穿たれているのか。」

「御意。もしマカミノミコトの軍が降下したのであれば、すでに…。」

「弥者達は合流し、不知火は弥者全軍と尊級二名と対峙する事になる。

全隊招集せよ。急ぎ不知火を追う。」

遠山は脇差を抜き、宗波を飛ばした。


*


不知火隊士は第六斜坑の突き当りで呉羽少佐率いる連者隊二名と合流し、

小休止をとっている。

篝火の周りに腰を下ろし、マカミノミコト対柏崎中佐の対決の顛末を聞いた。

呉越からの連絡により、マカミノミコトの軍とキリヒトノミコトの軍が集結して

いる可能性が高く、玄嶽と合流の後に侵攻という判断からであった。


「壮之介様の紫電が発動した直後、すべての士魂が消失したかのようでした。」

色白で丹精な顔つき、沈鬱な中に怒りを滾らせて呉羽は語る。玄嶽では珍しい総髪

で、長い髪を結わえて垂らしている。

「章さん、空間型の破常力かな。」

悪兵衛は数々の戦闘の経験を振り返り、灰音に尋ねた。

「紫電は弾丸のような初速で敵目標に突出します。発動後に士魂を失っても

その質量と速度は変わらず攻撃できるはず。それが強みでもあるからです。」

「では、その速度さえ奪う破常力という事か。」

「情報が少ないですね。ですがその構造を看破せねば、戦闘に勝利する事、

難しいでしょう。」

「奴は、私が斬ります。命にかえて。」

呉羽が低い声を上げた。目は血走り、髪が逆立っている。

伊庭が声を掛け、立ち上がり二人は不知火の輪から外れ静かに話す。

何度か呉羽が涙を拭った。


半刻もまたず、玄嶽本隊が不知火と合流する。本閥の侍のみで構成された

決死隊五十五名、現在はこの人員で弥者と相対するしかない。

とうとう神尾鉱山最深部、大空洞と呼ばれる幕僚管轄の採掘場前まで

歩を進めた。

眼前に鉄製の大扉があり、大空洞そのものを封印しているかのようである。

玄嶽隊士が十名がかりでその扉を開けていく。


内部は地底とは思えない広大な空間が広がり、地上五階程の高さまで

丸天井が広がっている。天球の中心の縦穴が遥か上空まで延び、

篝火が星のように頭上にまたたく。

中央に巨大な岩盤が隆起したように屹立している。

黒色に輝き、断層から出土したものではなく、剣が突き立っているような

姿をしている。その周囲を保護するように足場が組まれている。

人間に畏怖を与える神々しい岩であった。

その麓、いくつもの篝火が焚かれている。

燃え上がる炎を背にして、弥者の軍団が本閥の侍を見据えていた。



十二



「畦倉殿、バルザック殿は玄嶽の號擲隊と共に、その装備を持って空爆を

開始してください。不知火本隊の侵攻と共に橘川兄弟、美浪殿、玉杉殿は

中距離遠隔攻撃、突入部隊の編制と戦闘指示は、頭目。」

灰音の落ち着いた声に悪兵衛は頷く。

「悪兵衛、央人なかんどに俺をいれろ。将軍を、斬る。」

伊庭に敬礼を返し、弥者に向き直る。

左にマカミノミコトの黒の軍団、右にキリヒトノミコトの灰の軍団、その

中央に二人の将軍が立つのが見える。どちらも仮面で表情は見えない。

悪兵衛は奥歯を噛みしめ、額に血の筋を浮かび上がらせる。

本土決戦軍閥師団、不知火と玄嶽の戦闘準備は整った。

「播磨少佐。」

呉越が一歩前に歩み寄る。

「宣戦布告を、頼む。」

「承った。」

士魂ちからと剣。」

「士魂と剣」

伊庭の声に不知火隊士達は気迫を込めた声で答える。

台地を踏みしめ、全身を士魂が巡る。血の流れが怒りと共に沸き立つ。

悪兵衛の背後には士魂を燃え上がらせる不知火隊士達が控える。

その大きな力を感じながら、宣戦布告書を懐から取り出し、払う様に

広げた。


眼前の弥者達はその数百名以上、本閥の侍の二倍は優に超える。

また、拝命殺戮を行う単独者ではなく、組織戦闘を訓練された軍団であった。

しかし、悪兵衛をはじめ侍達に、たたかいへの逡巡の表情は見えない。

悪兵衛は士魂を込め、宣戦布告を叫ぼうとする。

が、周囲の異変に気付いた。

蛍のような光の球体が明滅し、弥者達に向かう。その数は瞬く間に増し、

地底の空間全体から光球が生まれ、中央の弥者の将軍に集積しているように

見える。キリヒトが手にする何かに集光している。

「あれは…大量殺戮兵器か。」

「飽和破常力の使役は、ありません。」

次第に増す光におののきながらも、灰音の問いに美浪は答える。

神々しい光に猛々しさは無く、むしろ穏やかな意思をも感じる。

集積していく光はやがて巨大な構造物を形作っていった。


弥者達の背後に、黄金色に輝く鳥居が現れた。

明滅しながら突如として現れたそれは、台石から柱、控え柱の至る所に

弥者の文字が描かれ、厳かな光を放つ。

鳥居の先に、雄大な景色が見える。朝日に輝く山々とその麓の山林、

そこに至る舗装された大通りと、無数の弥者達が並び立っている。

現在の時刻は真夜中。異様な光景であった。

「何だ、あれは。」

「別の世界なのか。」

隊士達は圧倒され、ただそれを見つめる事しかできない。

弥者達は整然と鳥居を潜り、へと移動していく。

全ての者が朝焼けの大地に立つと残ったのは将軍二人であった。

キリヒトノミコトの手には、何か小さな物が握られ、眩い光を放っている。

弥者達の移動の終わりと共に、鳥居の逆側から黒煙が沸き上がった。

噴煙のように上空に向かって放たれたそれは、無数の鳥影に見える。

半透明の白色の胴に羽ばたく翼、触手をその背後になびかせている。

烏賊の姿にも似た、征羅比瑪と呼ばれる狗族であった。

「間に合いました。」

上空に円を描いて飛翔する征羅比瑪の群れを見上げ、キリヒトノミコトは

満足そうに呟く。

「時間だ。」

「攻撃を見届けなければ。」

マカミノミコトに応えた黒髪の弥者の手には手鏡が握られ、光を放っているが

それは徐々に弱まりつつある。

「皆、我主わぬしを待っておる。」

マカミノミコトはキリヒトノミコトの肩に手を置いた。頷いた黒髪は、

二人共に、鳥居を潜る。

手鏡の光が消失すると共に、黄金の鳥居は徐々に透明になり、空気の粒子に

なったように分解し、消えうせた。


本閥の侍達は、あまりの出来事に言葉を失い、立ち尽くしている。

「弥者の反応が消失しました。…この場には存在しておりませぬ。」

美浪の言葉に皆我に返った。

上空には無数の征羅比瑪が飛び、屹立する岩盤を中心に円を描いている。

「危険です。待避してください。」

努めて冷静な声を上げる灰音。その声と共に玄嶽にも待避の命令が伝わる。

同時に征羅比瑪が吐瀉物のような液体を雨のように降らせはじめた。

烏賊の漏斗とも呼ばれる口に似た部分から黒色の液体を吐きながら飛び回る。

岩石の表面と足場に付着したそれは、一瞬の間の後に赤熱化、爆発が起きた。

雨のように爆破液が降り注ぎ、岩盤と足場が破壊されていく。液体同士の

誘爆により大きな破裂音と共に地響きが起きる。

本閥の侍達は爆撃を避け、大空洞の端まで待避するが、狙われた場合ひとたまりも

ない。上空を飛翔する征羅比瑪に対する攻撃手段を持ち合わせていなかった。

「劫壁を対空防御に展開、中央を迂回しつつ第六斜坑へ向かい、待避する。」

呉越の声と共に不知火隊士を中心に玄嶽隊士が周りを固める。

伊庭は上空を見上げ考える。劫壁による防御は二度か三度の爆撃を耐える。

が、征羅比瑪の数は優に千を超え、豪雨のような爆撃を行っている。

今はその標的が何故か中央の岩石ではあるが、隊に向かった場合、防ぐ事は

物理的に不可能であった。

「破双で走り抜けますか。」

伊庭と同様の思考に至った遠山が進言する。

「危険です。戦技を使用する事による士魂に狗族が反応します。」

灰音が蒼白な表情で返す。

一塊になった本閥の侍達に、征羅比瑪の一団が向かってくる。

その数は数百。

「南無八幡。」

悪兵衛は呟きながら桔梗を背に庇った。



十三



大立坑の上空より、つんざくような鋭い吠声なきごえが響いた。

円を描き浮遊する征羅比瑪の集団を切り裂き巨大な物が落下する。

地面擦れ擦れで空中に浮かんだは、四枚の羽根を持つ、大鳥であった。

らんだ。」

「暁輝か。」

隊士達が口々に言い放つ。朱に輝く羽毛がはためかせ、空中に留まるその

随獣は、地上のあらゆる鳥類より巨大であった。

鷲と龍を合わせたような頭部の首元に鞍が着けられ、背後で暁輝隊士が操る。

爆音をあげて一瞬で上昇していった。

次々に征羅比瑪の死体が落下する。

擦過するだけで身体の一部を失い、煙をあげている。

上空で鸞二羽が狗族を散りじりに追い立て、吠声が上がるたびに、死体が

堕ちる。爆破液も回転しながら飛翔する鸞には、撥ね飛ばされ、まったく

通用しない。天敵、であった。


やがて征羅比瑪の集団は上空の立坑の出口に向かい、飛び去った。

地には無数の征羅比瑪の死体が煙をあげている。

岩盤回りの木組みの足場が燃え上がり、轟音をたてて崩れた。


鸞を操っていた暁輝隊士四名が伊庭と呉越に敬礼し、報告をしている。

降り立った鸞の頭頂は五米もあり、初見の隊士達が物珍しく遠巻きに眺めている。

悪兵衛がそのうちの片側に近づいていった。

「小巻ではないのか。やはり、小巻だな。」

鸞の一羽は近づく悪兵衛に警戒の表情を見せ、黄金色の大きな瞳で見つめたが、

声を聞くとすぐに悪兵衛の髪をついばんだ。

「痛てて、わかったわかった。久しいな。」

「斎藤殿は。そうか。今回は来ていないのか。見事な働きであったぞ。」

悪兵衛は微笑みながら、小巻と呼ばれた鸞の嘴を撫でた。

悪兵衛の傍らに桔梗が歩み寄る。

「そうか。石那珂島いしなかじまに来てくれた子か。私を乗せた…長次郎といったか。あれは

元気なのか?」

小巻は長次郎を嫌っているらしく、その悪口に悪兵衛と桔梗は吹き出した。

灰音章雪は、崩れた足場を避け屹立する岩石を遠山と調べている。

美浪と呉羽はそれぞれ玄嶽本隊と和賀藩兵に向かい宗波を飛ばしている。

その報告と指示に伊庭と呉越が加わる。

本閥の侍達は緊張の限界を超え、極度の疲労に座り込む者もいた。


「以前世話になった鸞だったのですね。」

温和な表情の灰音が悪兵衛のもとにやってくる。

「章さん、生き残ったな。」

「はい。検証せねばならない事が山積みです。」

「そもそも、弥者達の目的は何だったのか。手がかりは、得ました。」

灰音は手に爆破された岩盤の破片を持っている。黒く輝くそれは、未だ熱を

持つ。悪兵衛に手渡した。

「幕閣が直接採掘に乗り出した、軍事転用可能な鉱石とはこれです。」

悪兵衛はその破片を見つめ顔を上げた。

導鐵どうがねだ。」

「はい。魁音兵装の中核となる希少な鉱石です。」

「この小山のような切り立った岩盤全てが導鐵で構成されているようです。」

「まことか。」

「導鐵の採掘や製造法は軍事機密です。なぜ弥者が。」

「それを、今後追及せねばなりません。」

桔梗に答えると、灰音は巨大な岩盤を見上げた。


黒く輝く山の前に現れた輝く黄金の鳥居。

そこに消えた弥者の軍団。

キリヒトノミコトの残虐、マカミノミコトの無双。

あらゆることが悪兵衛の脳裏に閃き、また消える。

ようやく自らの疲労に気付き、その場に腰を下ろした。

傍らの桔梗の瞳を見つめる時、新たな力が沸き起こるのを感じる。


多大な犠牲を払いながら本閥の侍達は生き残った。

後に不知火のいくさを記した物に書かれる、最後の決戦への起点と

なった日とは、今日の事である。




魔岳   了

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