荒肝の武士



切株に青く、丸みを帯びた可愛らしい鳥がとまり、さえずっている。

刑部は襖を開けて目を細めた。

「ルリビタキか。珍しいな。」

「山より下りてきましたか。」

灰音が答える。屯所内、作議の間で二人は静かに庭を臨む。

「どうだ。修復工事は。」

「当初、二月ふたつきとの事でしたが未だ開通には至っておりませぬ。」

灰音と美浪が内偵していた神尾鉱山で落盤事故があり、

それ以上の調査が不可能になり撤収となった。

悪兵衛達の力太郎との対決の二日前の出来事である。

廊下を歩む足音が聞こえ、刑部は腰を下ろす。二名とも頭を下げた。


「ご苦労。」

不知火隊長、伊庭辰之進が現れる。

陣羽織に長着姿で幕僚会議後、直接赴いた出で立ちである。

きびきびとした動作で卓につき、腕組みをした。

「遅れまして。」

風祭も現れ、入室しつつ襖を閉める。

「よし。」


開津かいづ藩領内、早騨そうだ宿が狗族の襲撃に合い、全滅。」

玄嶽げんがく出動と相成った。不知火より戦闘班小隊出撃。玄嶽と連携し

狗族の殲滅及び、宿場町の奪還の命が下った。」

伊庭の言葉に三名は色を失う。

早騨宿は音に聞こえた宿場町であり、交通の要でもある。

「作戦行動の起草、及び隊士の選抜を行う。」



荒胆の武士





本土決戦軍閥師団、桜花進勅聯隊おうかしんちょくれんたい玄嶽げんがく

本閥に於いて最多の兵力を持ち、拠点防衛、侵攻、奪還制圧を目的と

し、日の本軍と連携する、実質統合陸軍である。

対弥者・狗族との非対称戦争の中核を担うべき軍団ではあったが、

攻めるべき弥者の本拠地、拠点、中間支援地点等、すべて不明であり

侵攻を受けた後、迎撃という後手後手に回る作戦が続いている。

早騨宿壊滅、奪還の命を受け一個大隊が派兵されるが、歩兵中心の

その足並みは遅く、不知火隊士をして「亀野郎」と謗られる所以であった。


不知火屯所から明日香街道を南下、海岸沿いに一日、そこから神尾山の

南壁に向かう山肌に広く栄えた港町が早騨宿である。

攻撃隊として編成された、播磨悪兵衛、安曇十字朗、橘川一圓・一真、

ルートヴィヒ・フォン・バルザックが港に入ったのは屯所より一日半の

移動の後の深夜であった。

宿営地が設営され、日の本軍の兵士達が宿場町を眼前にして

隊列を組む。

その向こうには無数の篝火と、焼け出され、激しい戦闘の後に

廃墟となった家々が連なる。

まだ彼方此方に火の手と煙があがり、北に見える楼閣の下の大門が

弥者による篝火で照らされている。

あたりは不気味に静まり返り、兵士達の息遣いと鎧の音だけが

響く。


「玄嶽、小早川真治郎中佐であります。参謀を仕りまする。」

指揮官の小早川中佐は痩身の青白い顔で、年は三十に届かない様子、

ざんばら髪を振り乱すように話す。

しかしその音量が叫ぶような大声になったり、ぼそぼそと小声で話したりと、

少々奇異な印象を与える男であった。

「何たること、不知火のご同輩に申し訳ない。」

「我が玄嶽の本隊は移動中でして、一両日到着が遅れるのです。」

「何たること。我が胸中はかきむしらんばかり。」

どたばたと歩きながら大声で話す小早川に閉口する。

「お気になさらず。では作戦は玄嶽到着後に発動という事で相違ないか。」

「播磨少佐、苦難の時に動揺しておりませんな。卓越した人物。」

「…私程ではないがね。」

最後の言葉は小声で聞き取れなかった。

「戦略的には、玄嶽・不知火合流後に幕僚命令の早騨宿奪還作戦発動で

ござる。だが…。我慢できまい。」

「だが、と申されましたか?」

「あ、いえ。結構。こちらには開津藩兵士が二二〇名駐屯しております。」

「また和賀藩より明後日に三百名の応援部隊が到着の予定。本日はお休みに

なり、明朝改めて作戦要綱の確認を。」

「あいわかった。ではこれにて失礼する。」

一同は小早川に一礼し、天幕を後にする。悪兵衛の背後に声がかかった。

いくさはあらゆる知恵や哲学を超える啓示です。少佐。」

悪兵衛は敬礼して退室した。


*


宿営地の一角に不知火の天幕が用意され、装備品が運び込まれる。

同時に輜重隊が目録と今後の補給予定の打ち合わせに訪れた。

「今の糧食は三日分、それ以降は随時っていう事になってるの。」

不知火隊士と見まごうような頑健な体躯をした輜重隊長の唐澤彦衛門が

細々こまごまとした補給予定を伝える。悪兵衛とバルザック、十字朗は聞きながら

干芋を噛み切り、咀嚼している。

「暖かい物、用意できなくてごめんなさいね。」

「唐澤さんのせいではござらぬよ。」

十字朗は呑気な顔で芋を白湯で流し込んだ。

「作戦行動中で、炊具が使えないのよ。」

「敵は坂の上の大門の先に集結している。小高い丘陵状の地形だ。

こちらの位置が丸見えになる。火は使えまい。」

バルザックは悪兵衛の言葉に、にっこりと笑った。

「唐澤さん、寿司握ってよ。」

「あ、いいな。食べたい。」

橘川兄弟は弓を張りながら気楽に声を掛ける。

「あっ、そうね。海も近いし…だめよ、お米炊けないもの。」

「明日、どうにかできないか小早川殿に進言してみよう。」

「あの指揮官、変わった人だったね。」

バルザックが思い出し笑いをしている。髪をかき乱して手を振り上げる。

「播磨少佐、卓越した人物!」

バルザックの思いのほか似ている形態模写に笑いが起きた。

宿営地の先、篝火に照らされた大門の付近は変わらず沈黙している。



明朝、悪兵衛・バルザック・十字朗は玄嶽の天幕内で作戦行動について確認する。悪兵衛達の遠征計画と合流まで、装備品、人選は不知火の起案で、

玄嶽との合同作戦の立案、作戦指示は小早川が行う。

相変わらずの奇矯な物言いではあったが、その内容は堅固で確実、

明快であった。

大まかに記すと、不知火の弓士と玄嶽の中距離支援隊が先行で攻撃、

本隊が突入と共に不知火が率いる玄嶽の別動隊が左翼から急襲という

ものである。大門の西側は切立った崖になっており、踏破の後

弥者の本体を叩く。いわば玄嶽本隊を陽動に使う作戦である。

不確定な要素として、敵の兵力を掴み切っていないという問題があった。

「早騨宿全滅の折、目撃されたのは多数の入道蜘蛛、数体の青坊主、弥者と

いう事であります。敵戦力の増強は確認されておりませぬ。」

「が、ふえておろうな。すぐわかる。」

「今なんと?」

「いえ、何でもありませぬ。本日昼に玄嶽本隊の報告が参ります。

いましばらく待機を。」

悪兵衛達が天幕を去ろうとしたとき、どかどかと鎧武者が

入って来る。皆鉢巻きに灰茶色の鎧姿、開津藩兵士達であった。

「これは大石殿。こちらは昨夜到着された不知火の御歴々でござる。」

兵長らしき、厳しい表情の初老の男が敬礼をする。悪兵衛達も居住まいを

ただし、答礼を返した。

「開津藩、兵長の大石允義少尉であります。」

「不知火、播磨悪兵衛少佐、以下二名隊士でござる。」

「本日は玄嶽、小早川司令に意見具申に参った。」


早騨宿は開津藩所領地であり、藩政はいち早く狗族殲滅、奪還に陣を形成した。

幕僚の命により、本閥、玄嶽と不知火と合流、その作戦指示と共に

殲滅戦が行われるはずであったが、兵長の大石は敵を前にして

玄嶽の到着を待つまでもなく、攻撃、宿場町の奪還をすべきであるという

意見だった。玄嶽の到着を待ち、すでに膠着状態が二日続いている。

藩の民が虐殺され、名に聞こえた宿場町が全滅という事実に、

開津藩兵士は憤然としている。

また、大門の先に、捕虜として宿場町の民が捕らえられているという情報も

あった。が、敵兵力に弥者が存在し、全体像がわからぬ今は本閥を待たずに

全面的な戦闘に入る事自体、許されぬ。


「わかります。大石殿。貴方のめい、開津藩の勇士達の怒り、正義。」

「戦とは、男の心に火を撃ち出すものでなければならない。」

小早川が髪を振り乱し、大仰に叫んだ。が、その後沈黙してしまう。

「小早川司令、いかがいたし…。」

「この小早川、何も聞かなかった。憤るもののふの声、波音に流れて

いった。この身はただ、ここで待つのみ。」

床几に腰かけ、首を垂れる。大きく息をつき、手に持った扇子を振った。

大石兵長は頷くと、共の者と共に出て行く。

暗黙のうちに開津藩兵の出撃を許可した形になる。

悪兵衛と十字朗、バルザックは顔を見合わせた。

「小早川司令、このままでは」

悪兵衛が問いかけた所、小早川が俯き肩を震わせている事に気づく。

「中佐。」

「失礼、なんでもありませぬ。」

顔をあげた小早川は何もなかったような顔色で、白湯を飲み込む。

「開津藩兵が突入準備を始めます。我らも共に。」

「いけませぬ。」

「不知火は待機です。出れば先ほどの話しが無駄になってしまう。」

「しかし」

「なりませぬ。播磨少佐。」

「みすみす藩の兵を死なせる事になります。」

バルザックが静かな怒りを込めて言った。

「敵入道蜘蛛は二十とも四十とも言われております。青坊主は十前後。」

「弥者は確認が取れておりませぬ。存在していないのかも。開津藩兵二百、

自ら早騨宿を奪還する。これ以上のほまれはありません。」

「重ねて申します。不知火は手出し無用。」


*


三名は開津藩宿舎に向かった。粛々と兵備を進めている。

「失礼する。大石殿。」

悪兵衛は突入の策を練る兵長の天幕に入る。

「これは播磨殿。皆様。よくぞ。」

「突入は、我らと共に明日もしくは明後日まで待っては貰えぬものでしょうか。」

「それは、開津藩兵が狗族との戦闘に敗北するという事でありますか。」

十字朗が珍しく声を荒げる。

「そうは申しておらぬ。」

「我々は狗族、弥者との戦闘を表立って引き受ける部隊だ。一日の長がある。」

「聞くところによると、開津藩の兵の半数は民兵だというではないか。」

大石兵長は大きくため息をついた。

「いかにも。かく言うそれがしも漁民あがりでござります。」

「早騨宿には血縁の者も多く、老いた両親と妹夫婦がこの侵攻で亡くなり

申した。そうした境遇の者が多く居ります。」

「防御に優れ巧遅で名高い玄嶽は、その侵攻速度により何度も狗族を

とり逃したと聞きまする。現に今も手をこまねいておる。」

大石兵長の血を吐くような言葉に三名も言葉が無い。

周りの兵も、沈鬱な表情の中に怒りを滾らせ、戦意で充溢している。

手下の者が天幕に現れ、兵備の完了を伝えた。

「我ら敗れた後は、頼みましたぞ。」

大石允義兵長は開津藩兵共々、陣幕を蹴上げて出て行った。


「バルザック、あの場合どうしたらよかったのだ。」

「うーん、兵を集めて大石殿に腹を切らせるね。」

「何。」

「そうしなければ、あそこまで燃え上がった兵達の戦意は消せない。それに

突入したらもっと多くの血が流れる。」

「十字朗はどう思う。」

「わからん。が、バルザックが正しく思える。大石殿に腹を切らせた、と

兵に向かって嘘をついて、あの頑固親父は縛りあげておくかな。」

「あー、それがいいね。」

三人は少し笑い、開津藩の天幕を後にした。



低く黒々とした雲が覆っている。昼日中だが薄暗く、

いまにも降り出しそうな空模様であった。

胴丸と小具足に身を固めた開津藩兵が整然と並び、槍の穂先がぎらぎらと

光る。搔盾かいだてを固めた兵が前面に展開し、その背後に火縄銃の兵が並ぶ。


「あんな古い火縄で。」

一瞥した一園が吐き捨てるように言った。

「いつごろの物だい?」

バルザックが遠眼鏡で見渡す。

「三十年位前だな。」

不知火隊士は、小早川司令と共に、急きょ設えた物見台から戦局を

観察している。蛇行しながら北の大門に続く街道を、藩兵が続々と

進行する。辺りの廃墟は静まり返り、敵の気配は無い。

関所である北の大門は固く閉じられ、その眼前に藩兵は布陣される。

索敵の兵が戻り、破城槌が用意される。戦闘準備が整った。


大門の楼閣から一人の男が飛び降りた。

橙色の直垂ひだたれ姿に仮面、その額からねじれた双角が突き出している。

その手には漆黒の錫杖が握られ、先端に鈍く光る黄金の装飾が施されている。

仮面の奥の瞳が光る。が、その表情はわからない。

開津藩兵の搔盾兵がその周囲を囲むように配置された。

「弥者め。停戦の申しだてか。」

大石兵長の声が響き渡った。


「弥者が一名。杖を持ってる。」

「使者かな。」

橘川兄弟がその超人的な遠目で状況を伝える。

「危険だ。大量殺戮の破常力を持っている場合がある。」

「播磨少佐、まだまだまだ。扉は開いたばかりです。」

閉じたままの大門と小早川司令の顔を悪兵衛は見比べた。


「ヤマトビト、めいおえるとき。」

弥者は若々しい声で叫び、錫杖をゆっくりと構えて回転させる。

遊環の涼しい音が響いた。

「撃ち型用意。」

大石の声と共に搔盾兵の背後の鉄砲兵が立ち上がり、二〇の銃口が

弥者に向けられた。


昇る白煙からやや遅れて連続した発砲音が響く。

遠眼鏡を覗いていたバルザックが口を開いた。

「弥者を銃撃。」

立ち上る硝煙の隙間、弥者は優雅な舞のように錫を回す。

「撃ったけど、兵が倒れてる。」

「弥者の動きと攻撃が連動してないように見える。別に飛び道具の攻撃隊が

いるかもしれない。」

橘川兄弟の報告を聞きつつ、十字朗は歯噛みをしている。

「くそ、あの爺さん死ぬぞ。」

二度目の発砲音がこだました。

「弥者は舞のような動作を繰り返している。開津藩兵の鉄砲兵、

槍兵が倒れている。何が起きているんだ。」

バルザックが眉を寄せ、遠眼鏡から目を離した。

弥者が立ち止まる。開津藩は全体を下げながら槍兵を展開させる。

その時、大門が開き、二名の人影が現れた。

「門が開いた。二人の弥者、男と女だ。」

錫杖の弥者と同様の鮮やかな橙の直垂ひたたれの大柄な男性型弥者、

同じ色味の壷装束の女性型弥者でそれぞれ仮面で表情は見えない。

長大な角がどちらにも生えている。

「盾の兵が消えた。」

「どうなってるんだ。槍兵も何人か消えた。」

橘川兄弟の声の意味がわからず、バルザックは遠眼鏡を覗きなおす。

大柄な弥者が何かを叫ぶとその瞬間、何人かの開津藩兵が忽然と消えた。

兵達は恐慌状態に陥っているように見える。

隊列は崩れ、浮足立った兵が後退する。兵達の背後に黒煙が沸き上がった。

土中から現れた無数の入道蜘蛛であった。

開津藩背後と左右の廃屋より、群がるように襲い掛かる。

遠く、絶叫と怒号が響く。

門より、人の三倍はあろうかという巨人が複数現れる。

筋骨逞しいその全身は青く、眼球が顔の中心に一つしかない。青坊主と

呼ばれる大型狗族であった。入道蜘蛛に立ち向かい、隊列を組み直し始めた

藩兵を、その手に持った大型の槌で薙ぎ払う。兵が吹き飛ばされ、血まみれで

泥濘に落下していく様が見えた。


「全滅するぞ?」

十字朗が叫んだ。悪兵衛も立ち上がる。

「どうか、落ち着いて。今はまだまだ。」

小早川は傍らの者に指示を与えながら、その表情は変わらない。

「小早川司令。」

悪兵衛も髪を逆立て全身に士魂を漲らせながら低い声をあげる。

「彼らは」

「独断で突入したのです。作戦要綱にはありません。この数名では

反撃も救出も叶いません。動いてはなりません。」

「…これは指令としての作戦命令です。すなわち上意。」

「開津藩壊滅。残存兵が離脱している。」

バルザックの暗い声が響く。

「なんだ?何をしている?」

「何やってるんだ。」

橘川兄弟の言葉に戦場に目を移す。

展開していた隊列は失なわれ、残った兵達は後退しつつ戦闘を続けている者、

負傷者、前線から逃亡を図る者。すべてが一気に潰走した。だが動いていた兵達は

足を止め、呆けたようにその場に立ち尽くす。そこに入道蜘蛛は

襲い掛かり、稲を刈るように虐殺を続ける。

「開津藩兵、その場に留まり戦闘を休止。無抵抗で殺されている。」

不知火の侍達は、その惨劇をただ、見つめるしかなかった。


やがて何処ともなく入道蜘蛛は姿を消し、青坊主を率いる弥者が

門の中に入っていく。

後には死屍累々の様が残る。

「嘆け友よ。悲劇は終わった。」

小早川司令が場違いな大声をあげた。





夜半、しのつく雨の中黒い人影が三つ、廃屋の間を通り抜け街道を避けて

大門へと接近する。

「ここで待機。敵出現の兆候あれば、攻撃してくれ。」

黒色の菅傘から水滴が落ちる。悪兵衛は背後の橘川兄弟に短くいった。

三名は潜入用の道中着に身を包み、濡れたからすのような出で立ちである。

悪兵衛は単独で戦場跡を歩み、しゃがみ込んで龕灯の明かりで手元だけを

照らす。雨と泥水と大量の血が道に川のように流れている。

暗闇の中、重なり打ち捨てられた搔盾を引き上げ、小さな明かりで照らす。

悪兵衛の表情が変わった。


*


玄嶽天幕内、小早川とバルザック、十字朗が卓を囲む。

「玄嶽本隊、早朝に到着の予定です。午後より突入作戦を開始いたします。」

司令の抑揚のない声に二名は視線を落とす。

見殺しにした開津藩兵達の事が重くのしかかっている。

「敵戦力は」

「入道蜘蛛四八体、青坊主四体、弥者三名。」

「想定される破常力は」

「一つ、飛び道具完全防御。」

「一つ、複数名を消し去る。」

「一つ、兵の思考を奪い、抵抗させない。」

小早川は立ち上がり楽し気に大声で語る。

「それを知る為に送りこんだな?」

バルザックが怒りを含んだ低い声を上げた。

「いいえ、違います。バルザック中佐。」

「ここで扉が開かれたのです。」

「弥者が破常力を繰り出した順はその能力を物語っている。」

「どういう意味だ?」

十字朗もうんざりした表情で声を発した。

「なぜ、三番目の破常力の行使者は最初に現れなかったのか。

兵の思考を奪えば後は案山子も同然のはず。」

「それは、火縄で狙われたくなかったからです。恐らく精神統一の為

その場に留まる必要が。」

「ではなぜ、二番目の破常力の行使者は最初に火縄兵をすべて

消し去らなかったのか。」


「それは、二番目の弥者が任意で兵を消し去るのではなく、視界に

入った一定範囲を消すという能力だからだ。」

天幕に悪兵衛が丁服に陣羽織姿で戻った。

「おお、少佐。戻られましたか。さすが現地での調査は目覚ましい。」

「…この場にいてもわかったがね。」

小声でいいながら小早川はせわしなく歩き回る。

「隊列が乱れ、火縄兵が搔盾兵と共に混乱した時、二番目の弥者が

現れ、破常力を行使したのです。その為、一番目の弥者が飛び道具を

ひきつけ、ある程度数を減らさなければならなかった。」

「そこで別の者がなんらかの攻撃を」

「いや、死体には銃痕があった。杖の弥者は破常力で飛び道具を

。」

「そういう事か。あの舞のような動作は。」

バルザックは遠眼鏡で見た杖の弥者の動きを鮮明に思い出す。

悪兵衛は眉を寄せて言葉を続ける。

「二番目の弥者は兵を消しているのではない。一定の範囲の人間を

。」

「搔盾をめくると、紙のように平たく潰された兵の亡骸があった。」

「大石允義殿の死因も、それだ。」

バルザックと十字朗は顔をしかめている。

「そこで三番目の弥者が思考を奪う破常力を行使、直接攻撃の入道蜘蛛

と青坊主を投入したわけですね。素晴らしい。蛮族の弥者にこのような

知恵があるとは。」

上機嫌な小早川にバルザックが向き直る。

「小早川司令。当初の作戦要綱に変更は。」

「ありません。開津藩と同様の突入に見せかけ、玄嶽の魁音で叩きます。」

「不知火の皆様は当初の予定通り別動隊で側面からの攻撃を。」

「…間に合わんと思うがね。」

呟く小早川を睨みながら悪兵衛は低く声を上げた。

「別動隊は拙者のみと共に攻撃、不知火隊士は正面突入隊に編入して

もらいたい。」

小早川は悪兵衛の進言に眉を吊り上げた。

「俺とバルザックで弥者を斬る。ついでに青坊主も片付ける。玄嶽は

入道蜘蛛を防げばいい。得意だろう?亀は。」

十字朗は揶揄を込めて声を掛ける。

バルザックが十字朗に向けて雀拳じゃんけんをして勝った。

「僕が女弥者と潰す弥者。」

「俺が杖の弥者か。青坊主は先取りだぞ。」


「作戦の変更はありません。」

小早川は無表情で言い放った。

「当初の予定通りです。よろしいですね。」

にやりと笑いながら有無を言わせぬ調子である。

「しかし」

「いい。十字朗。従おう。章さんの指示でもある。」

「灰音殿か。…そうだな。」

言葉を聞いた小早川の表情が変わった。額に青筋を浮かべ、唇が

震えている。

「灰音、灰音章雪がなんと。」

「指令は灰音中佐をご存じで?」

「灰音は何と申した。」

先ほどまでとはうって変わった様子に、悪兵衛は面くらいながらも

答える。

「作戦行動は現地の参謀の指示通りに。戦況が変わる、もしくは何らかの

情報を得た場合、作戦の変更を頭目の拙者が指示せよ、と。」

「それは、参謀が私と知っての言葉か。」

「さあ。それは存じませぬ。」

小早川は速足で歩き回り、髪をくしゃくしゃとかき上げる。

ぶつぶつと何を話しながら両手を天にかざし、顔を覆う。

「おのれ灰音章雪、奸物めが。この場に及んでまだ私を」

「指令殿、いかがいたした。」


小早川は立ち止まり、目をつぶって何事かを呟き、大きく手を開いて

大声をあげる。

「美しい者に破る事の出来ない命令などない」

「播磨少佐、不知火隊士を正面突入隊に編入しましょう。」

「それが貴方の、貴方の判断を支持した灰音章雪中佐の意向として。」

「御意。では玄嶽到着の後に。」

不知火隊士が腰をあげた。





不知火天幕。輜重隊長の唐澤が華やかな食卓を整えている。

さわらと鯖の棒寿司に貝の汁物、塩漬けの菜が並ぶ。

「村外れの炊事場を解放してくれたの。助かったわ。」

小早川の意外な配慮に苦笑する面々である。

「あ、寿司だ。やった。」

「お酒が欲しいね。」

卓につき、にこやかな橘川兄弟とバルザック。対して十字朗と悪兵衛は

眉を寄せて先ほどの一幕を話している。

「小早川司令と章さんはどうも知り合いみたいだ。」

「うむ。しかし灰音殿からそんな話は聞いた事がない。」

「作戦報告書でも、玄嶽との連携で小早川の名を見た事がないな。」

「報告書は…幕僚の検閲がある。我々に公開されるのは一部という

噂もあるんだ。」

「二人とも生え抜きとすれば…学生の時かもしくは本閥選以来と

いう事もあるな。」

「左様。だが…指令は灰音殿にあまり良い感情をもっておらぬ。」

「奇特だが風変りな男だ。感情なんかわかるか。」

悪兵衛の乱暴な物言いに十字朗は吹き出して笑った。

鯖の棒寿司に辛子をつけて、悪兵衛は頬張る。

辛味がつきぬけ、鼻を赤くして涙目になっている。


*


人並みな食事を終え、到着してから初めて一息ついた。

不知火の面々は翌日の作戦予定を反芻する。

個々の戦闘計画は悪兵衛が別動隊で行動する以上、その場での

判断になる。が、そこはバルザックと十字朗に任せ、悪兵衛は何も

言わない。二人が一流の戦士であり侍である事は重々わかっている。

弓士としての橘川兄弟の起用は、本隊を指揮する小早川に一任される。

悪兵衛の心配はそこにあった。

「指令は開津藩兵を犠牲にしてまで、敵戦力の査定をする男だ。」

「一圓と一真の使い所が気にかかる。」

「錫杖の弥者の的にされるか?撃ち返しなぞ、あたってたまるか。」

一圓が笑いながら言った。

「潰す弥者の的になるかもね。」

一真が返す。二人の表情に不安は無い。

「指令が先鋒として二名を指名した場合、一圓にバルザック、

一真に十字朗がつき、射撃中の護衛を頼む。」

悪兵衛の言葉に四名が頷いた。

「隊列の組成でどうなるかわからんが、そこはうまく軍規違反でもやるさ。」

十字朗の気楽な言葉にその場がなごむ。

唐澤が燗の酒を持ってきた。食後に一定量までは作戦前でも許されている。

バルザックと十字朗は笑顔で猪口を受け取った。

「後は悪兵衛の別動隊だね。」

「悪兵衛一人と玄嶽一小隊か。頼むぞ、いさかいは起こすなよ?」

悪兵衛の喧嘩早さを知っている二人がのぞき込む。

「心配するな。玄嶽なんぞに負けん。」

「そういう事じゃないんだよ。」

バルザックがため息をつき、十字朗が額に手をあてている。

「玄嶽さん、素敵よね。あの坊主頭に仏頂面。」

唐澤が後片付けをしながら華やいだ声をあげている。

「なんで玄嶽の輜重隊に入らなかったの?」

一圓が声をかけた。唐澤は両手で顔を隠して腰を振っている。

「そんな。お仕事にならないわよ。」


早暁、玄嶽大隊着任の報を受ける。

本閥と弥者・狗族の全面的な戦闘が開始されようとしていた。





玄嶽の大隊、最小数五十名の隊士が早騨宿に到着した。

丸二日間の移動にも関わらず、疲れも見せず無表情かつ規律の取れた

その動作はまさに陸軍の本丸を体現している。

桜花兜おうかとうと呼ばれる丸兜に全身を覆う鬼門甲、濃緑色と迷彩色を基調とした

陣羽織に身を包み、眉庇まびさしから覗く視線は鋭く、力に漲っている。

天幕にて小早川と共に大柄な坊主頭の中年男と、細身の女性が不知火を迎えた。


「本体を率いる、後藤安俊大尉と、別動隊の麻生叶あそうかなえ中尉でございます。」

「別動隊、不知火、播磨悪兵衛少佐である。」

「他、直接打撃兵二名、遠隔攻撃兵二名、待機しております。」

後藤と呼ばれた坊主頭の男は、額から顎までを分断するような刀傷が

目立つ。小早川と悪兵衛に無言で敬礼し、天幕から出て行った。本隊と

バルザック、十字朗と合流する為であろう。

「麻生中尉は、特務機動隊を率いて頂きます。作戦指示は与えておりますのでご確認を。…まぁ、いらぬがね。」

相変わらず消えいりそうな語尾の言葉を残し、小早川は部下と共に机に向かう。

悪兵衛に麻生中尉が敬礼する。肩までの短髪に、鋭く、つり上がった瞳。

若竹のような引き締まった体躯で、身長は悪兵衛とほぼ同じ。年齢はわずかに

上に見える。

「少佐、別動隊と共に作戦行動の説明をいたします。こちらへ。」

硬く、きびきびとした声で麻生中尉は悪兵衛をまっすぐ見つめて言った。


「特務機動隊というのは…連者隊の事か?」

道すがら、悪兵衛は麻生に聞く。作戦行動、特別任務に秀でた物を選抜し、

戦略的に集合離散する部隊、通称連者隊の噂は聞いた事があった。

「左様です。少佐。特務連者隊として今次の作戦に従事します。」

冷たく一言一言が拒絶の印象を与える麻生の言葉の抑揚である。

六名の小隊で連者隊は構成され、不知火同様、肩までの鬼門甲に濃緑の長着に

袴と、本隊よりやや軽装の装備の者達であった。隊士は口を堅く結び、一様に

厳しい表情を崩さない。悪兵衛の挨拶に皆敬礼の姿勢をとる。

麻生中尉より作戦の説明がなされた。

本隊の西、村外れの断崖を作戦開始と共に登攀とうはん、山中を大門に向かい侵攻、

本隊の交戦中に指示と共に敵本丸に直接攻撃という手はずである。

敵中枢に弥者が確認されている以上、攻撃の要になるのは悪兵衛であった。

作戦開始は一刻後。悪兵衛は装備を整えに一旦不知火天幕に戻る。


すでにバルザック、十字朗、橘川兄弟は作戦説明を受け装備品の最終確認の

段階であった。それぞれの魁音刀は低い唸り声を上げている。

「作戦はいかがであった?」

悪兵衛が鬼門甲に手を通し、拘束金具を留めながら聞く。

「移動時間がある。先に発たねばならん。」

十字朗が刀を腰に差し、立ち上がる。

「移動しながらおいおい伝えるよ。」

バルザックが悪兵衛の肩に手を置いて十字朗に続く。

「小早川ってやつ、搦め手がすきみたいだ。」

「悪兵衛も気を付けて。」

橘川兄弟も天幕を出て行った。唐澤が悪兵衛の髪結いを手伝ってくれている。

「やっぱり、玄嶽のひとって素敵ねえ。あの大きな身体にへの字のお口。」

浮かれた唐澤の言葉に苦笑しながら、手元の白湯を一口飲んだ。

鬼門甲に炎之長着、足元を固めた不知火の姿で悪兵衛は天幕を出た。

厚い雲の下、篝火が焚かれ不気味に浮かび上がる大門が見える。

視線を左に流すと樹木の生い茂る山道に続く崖、その麓にいくつかの集落。

外れに早騨宿の西の門。その先の山中に突入する位置に、連者隊が待機して

いる手筈になっている。

見送る唐澤に一礼し、悪兵衛は小走りで村の西を目指す。

大門の向こう、遠く霞んで見える神尾山より遠雷が聞こえる。





連者隊を指揮する麻生から作戦行動の確認が行われた。

蛇行しつつ北の大門を目指す本隊に比べ、連者隊の行動はほぼ直線であり

やや時間の余裕がある。兵達は互いの装備品の確認をしている。

「少佐、山中にてその隊服は目立ちます。」

麻生はやや侮蔑の眼差しで悪兵衛に進言する。

濃緑の装備の玄嶽隊士の中で純白の長着の悪兵衛の姿はいかにも目立つ。

「それで良い。弥者に目標とされ易い。」

「我ら連者隊で相手にならぬ、と?」

「知らん。だが拙者が討つ。」

にべもない悪兵衛の言葉に、連者隊はにわかに気色ばむ。

「登攀中は武具を持てません。一人徒手で弥者と渡り合うつもりか。」

麻生は眉を吊り上げて低く声をあげた。麻生の異変に隊の者は集まる。

指揮官に絶対の信頼を置いているのがわかる。

「試すか?麻生中尉。」

悪兵衛はにやりと笑って琿青を鞘ごと抜いた。麻生も装備品の背負い袋を

下す。連者隊士は三歩下がり輪のように二人を囲む。


麻生は両拳で顔面を隠す貞拳の防御の型、悪兵衛は掌をやや開いた

組打ちの型で対峙する。素早く距離をつめた麻生が左拳を突き出す。

である。悪兵衛は掌でその軌道を反らした。その瞬間、体重を込めた

麻生の右の鉤突きが悪兵衛左こめかみを狙い、蛇のように繰り出された。

悪兵衛は肘をあげて、左腕全体で頭を護る。体重の軽い拳が腕に接触した

瞬間、腕全体が振動し、激痛が襲った。

(これは…戦技か。)

拳が接触した左肘と上腕の境目あたりに波のように衝撃が広がり、肉体が破壊され

つつあるのを感じる。素早く悪兵衛は右拳で左の掌を打った。

微弱な拳環を流し込む。広がりつつある衝撃が分散され、左手の痺れが残った。

(恐らく、拳渦(けんか)という技だな。)

左腕を垂らした悪兵衛の額にじわり、と冷や汗が浮かんだ。

衝撃に回転を加えた拳環に対して、内部に衝撃を残す拳渦はその使い所が難しく

不知火に習得している者は少ない。知識として知っている程度であったが、

人体にはかなり有効な打撃として効くようだ。

不知火道場にて、風祭副長の試演を思い起こす。本来の拳渦の使い所は…

一歩引いた悪兵衛に麻生が接近、鋭い呼気と共に突上打を繰り出した。

悪兵衛の鳩尾を正確に狙っている。悪兵衛は拳を組み、あえて腹で受けた。

波のような拳渦の衝撃が全身に広がる。連者隊士が息を飲み、声を上げた。

麻生は左手を殺し、両腕で防御できない状態で拳渦を悪兵衛に叩き込んだ。

恐らく意識を失い作戦には参加出来ない。だが与えられた任務は連者隊のみで

遂行してみせるという算段があった。

そのまま悪兵衛は崩れ落ちるように身体が下がっていく。

かがんだ頭を拳渦を繰り出した左手にくぐらせ、左手で麻生の首と左腕を

極めて、組む。大きく伸びあがって身体を捻る。麻生の脚が投げだされ、

高く空中で回転した。

「裏投げ」と呼ばれる組打ちであった、地面に激突する瞬間、悪兵衛は

組みをほどき、麻生は脳天からではなく、頭・頸椎・肩で衝撃を分散させた。


投げを打たれた麻生は一瞬意識を失ったが、すぐに覚醒し立ち上がろうとする。

地に着いた腕に力が入らない。連者隊士が手を貸してようやく立ち上がった。

悪兵衛は長着を直し、隊士から琿青を受け取って差している。

拳渦によって、打撃を受けたはずの左腕も、全身の衝撃も無かったように振る舞っている。

「何故だ。」

麻生は悪兵衛を睨みながら思わず声に出した。

「何故も糞もあるか。鍛錬が足らぬぞ、中尉。」

悪兵衛は拳環で拳渦を散らした。これは体内での士魂の組成を得手とし、

キリヒトノミコトの破常力、力太郎との腕相撲等、様々な戦闘経験による

知識に拠るものである。

「作戦開始は半刻後。すこし休めば動けるようになる。」

「連者隊士で拙者との組打ちを望む者がおるか。」

応える者はいなかった。皆、悪兵衛を見つめている。

「よし。」

「麻生中尉、玄嶽では特別な糧食があると聞いた。少しわけてくれ。

腹が減った。」

悪兵衛の気楽なものいいに麻生叶はため息を漏らし、膝をついて

装備品の封を開けた。


*


玄嶽本体四十四名と共に十字朗、バルザックは行軍している。

橘川兄弟は列後方の槍隊と行動を共にするとし、先発の二名と離れ密かに、

大門到着と共に合流する手はずになっている。

蛇行する本通りを進むと、入道蜘蛛に殺傷された兵達の遺骸が増えてくる。

本隊とは別に回収する班が編成され、原形を留めた遺体を運び始める。

無念の面持ちの者、悲痛な恐怖に囚われた者、破常力に惑わされ、無表情の者。

開津藩兵達を見ながら十字朗とバルザックは手を合わせた。

本隊を指揮する後藤安俊大尉は無表情で行軍を続ける。まるで兵達の遺骸が

目に入らないようであった。

「大尉、遺体をどこまで。」

「戦闘の邪魔になる。この位置まで下がらせ一まとめにしておけ。」

遺体処理班の隊士に後藤は答える。

その答えを聞き、十字朗が拳をかためて歩みだす。が、バルザックが肩に

手を置き、留めた。無言で首を振る。

十字朗はうつむき、隊列に入り、歩みだした。




険しい山中を悪兵衛と連者隊は進む。先行する者が

破双を駆使し、崖上に綱を張り、それを伝って隊士が駆け上がる。

ほぼ直線に山中を行軍する能力は不知火にもない。

無尽蔵にも思えるような体力で急な斜面をかけあがり、

樹木を利用して崖や河川を超える。そうかと思えば腰まで水に浸かり、

顎を地面にあてて泥塗れで進行する。

悪兵衛は麻生と隊士の補佐を受けながら進み、その能力に瞠目していた。

途中、早騨宿の街並みを眼下にし、本隊の行軍を臨む位置で連者隊は休止

する。

「この短時間でここまでの山中を踏破するとは。さぞかし厳しい訓練を

しているのであろう。」

悪兵衛は息をつきながら麻生に尋ねる。

「この程度ならば演習より楽です。」

麻生はややぶっきら棒に答える。悪兵衛は他の隊士にも声をかけ、労う。

腰帯より先ほど麻生から分けてもらった乾麺麭と呼ばれる糧食を

出して口にいれた。

「うまい。さくさくでうまい。」

呑気な言葉に隊士達から笑いが漏れた。

「まだ空腹ですか。」

麻生が困り顔で尋ねる。

「うーん、先ほど食べたのが、もう腹から無くなった。」

さすがに麻生も笑顔を浮かべた。片頬にえくぼが出来ている。

遠く、玄嶽の太鼓が響く。一つずつ、腹に響く音が断続的に響く。

「戦闘準備が整いました。」

麻生が表情を引き締めて悪兵衛に告げる。

「よし。合流地点を目指す。」

悪兵衛と連者隊は発った。



*



バルザックと十字朗、玄嶽本体は北の大門の手前に陣を整える。

先行隊に金砕棒を携えた屈強な突撃班、その背後に長槍を装備した支援班、

さらにその背後に魁音刀を装備した直接攻撃班。

不知火の二人は突撃班の背後に位置している。

支援班の背後の隊士が断続的に大太鼓を鳴らす。

「玄嶽太鼓」と呼ばれる地を揺るがす重い音響が隊士達を奮い立たせている。

「突撃班は大門前まで進行。その背後に不知火。間をおかず支援班。」

身体に刺さるような波形が通り、小早川の意思を伝える。

宗波であった。不知火では美浪結宇大尉のみ使役する魁音撃であるが、

玄嶽ではその戦闘形態から複数の者が使用でき、小早川もその一人である。

柔らかな美浪の意思と仲間を繋ぐ宗波に比べ、小早川のものは刺々しく、

思考に刺さるように伝えられ、その音量も大きい。

「小早川司令の宗波はうるさいな。」

「これは慣れないね。」

十字朗とバルザックの軽口に、後藤大尉は眉間に皺をよせ、睨む。

「宗波を受けた。首尾はどうなっている。」

悪兵衛の思考が不知火隊士に告げられる。

「三段構えの突撃班下に安曇、バルザック。一圓、一真?」

十字朗が応え、橘川兄弟に呼びかける。

「中盤、支援班の下に二人とも配置されてる。」

「我ら以外に射撃要員はいないよ。」

橘川兄弟の思考が応える。杖の弥者を警戒した布陣のようである。が、

その位置では弓士としての距離を稼いだ攻撃が出来るわけではなく、

かつ反撃の危険性も残る中途半端な位置であった。

小早川の策に首をかしげながら、悪兵衛は通信を終える。


「攻撃を開始いたします。不知火両名は大門前に展開。」

小早川の宗波に頷き、十字朗とバルザックはゆっくりと歩を進める。

濃緑と迷彩色の軍団から、純白の陣羽織に身を包んだ二人が現れ、

大門の前に立つ。扉がゆっくりと開いていく。

「これからもどちらかが死ぬまで隣で剣を揮う気がするよ。」

「十字朗もそう思うかい?」

二人は刀を抜く。十字朗は白い火花が飛び散り、バルザックは赤い火花が

爆ぜた。その眼前、扉の奥に男女の弥者が現れる。大柄な圧殺の男、

思考操作の女の二名であった。自らが「白虎」と呼ぶ宿敵の出現に

歯噛みしているように見える。


「宣戦布告。」

「吶喊白兵衆参、不知火。」

「ルートヴィヒ・フォン・バルザック中佐である。」

「同じく安曇十字朗少佐。」

「早騨宿の民間人を虐殺、蹂躙し、開津藩兵への攻撃を侵略と認め、

戦争行為を行う。報復、殲滅する。」

「いざ尋常に勝負」

「勝負」

朗々たる二人の声の後に玄嶽兵の鬨の声が続いた。





夕日色の直垂姿の弥者の男が一歩前に出た。堂々とした体躯に

強固な意志を思わせる眼差し、鼻と唇に金環の飾り具を身に付けている。

「我はタヂカビトの一、ゾクノホノヌシ。主に誓いヤマトビトを討つ。」

男は両腕を掲げ、開いた掌に力をいれる。破常力独特の八百万の

起きる。強大な力の行使の前触れであった。

「突撃班、號擲ごうてき用意。」

小早川の宗波が奔る。前面に展開していた玄嶽隊士達は、一斉に金砕棒の芯を

ひき抜き、手槍状にして構えた。

「撃て。」

十字朗とバルザックの背後より、魁音を帯びた輝く手槍が射出される。

號擲とは、魁音武具に士魂を通し、魁音撃を纏わせて投射する本閥戦技で

ある。強大な攻撃力を誇るが、攻撃対象までの距離が弓には遠く及ばない。

「カ エ ラ ヒ ノ チ」

弥者が叫ぶ、飛来する手槍が一瞬で地面に叩き付けられ、その質量を無くした

ように平らに潰れる。が、撃ち漏らした何本かが背後の女性弥者の肩と

脚を貫いた。

「続き支援班、撃て。」

小早川の指令と共に、突撃班の背後の支援班が、長槍を分解し、手槍状にして

構え、號擲を射出した。

ゾクノホノヌシが仲間の弥者を庇った掌に槍が突き立ち、女の胸を貫いて

門戸に磔にした。

「コホリ」

「ゾクノホ、ミコトに」

女は一度せき込み、血の塊を吹いた後、こと切れた。

「おのれ、ワリビト」

掌を貫いた槍を一瞬で地面に叩き付け紙のように平たくさせた弥者は

怒りと悲しみに燃える瞳を向ける。

「突撃班、第二射用意。」

冷徹な小早川の声が響く。支援班と入れ替わり、突撃班が金砕棒に

内蔵された手槍を引き抜く。一糸乱れぬ行動は日頃の厳しい演習を

思わせる。

「きたなし。」

若く丹精な顔立ちの弥者が楼閣に現れる。杖の弥者であった。

飛び道具を用意していないかに見せかけた玄嶽の兵装に身を引いていたが、

隠し武器とも言える手槍の投擲で仲間を失った。その瞳は怒りに燃え、

唇の端から犬歯が見えている。錫杖を構えながら身を翻して飛び降りた。

「一文字」

十字朗の鋭い気合声が奔る。魁音刀から射出された衝撃の刃は

垂直に伸びる一本の光の線となり、飛び降りた杖の弥者の身体を

空中で分断した。強烈な魁音撃の破壊力に、二つに分かれた半身は

地面に落ちながら白煙をあげ、消滅する。

汎用的な能力を誇る魁音撃、一文字は射出する際、十字朗の剣先の変化で

真横から垂直まで自由な角度を持たせることが出来る。

杖の弥者が斬殺されるのと共に隊士達を取り巻くように土中から入道蜘蛛が

現れる。死角を潰すような長方形の隊列を組み、外向きに配列された玄嶽隊士は

一斉に魁音刀を抜いた。黄金色の火花があがり、炸裂音が轟く。

「動地により目標を迫撃後、射刃で攻撃。三名一組であたれ。」

後藤大尉の冷静な宗波が全身を打った。

屈強な隊士が動地の気合声と共に刀を抱くようにして肩で蜘蛛に激突する。

魁音撃特有の衝撃と光が走り、入道蜘蛛が体表面から白煙を上げて

押され、たたらを踏んだ所を、背後の隊士が距離が短い射刃で止めを刺していく。

上半身を魁音撃で包み、体当たりして相手の後退を促す戦技を動地といい、

玄嶽では接近戦で頻繁に使用される技であった。

ゾクノホノヌシは、入道蜘蛛の奇襲にも隊列を乱さず、冷静に屠り続ける玄嶽を

見つめる。手槍が貫通し、赤い血が滴る掌を握る。

その眼前には刀を八双に構えたバルザックが立つ。横には杖の弥者、マソミノヌシ

を一刀の元に切り伏せたもう一人のビャッコの侍。

「死神め。我が弟を斬ったな。」

半ば開いた門の奥、小高い場所に毘沙羅びしゃら堂と呼ばれる祈禱所の屋根瓦が見える。

その脇から巨大な青坊主が四体現れ、地響きを立てて接近する。

不知火の隊士が意識をそちらに向けた瞬間、ゾクノホノヌシは二名が視界の中で

重なる位置までゆっくりと移動した。

「カ エ ラ ヒ ノ チ」

ゾクノホノヌシの呪詛と共に頭上に凝り固まった

組成された巨大な脚が現れる。正確にバルザックと十字朗の真上にそれは

形成され、一瞬で落下した。

「擂嵐」

バルザックの裂帛の声が響く、高速の連続斬りで生じた六つの破壊の斬撃が

剣の軌道の元に激しく光りながら現れる。

「我の、勝ちだ。」

弥者は相討つ状況になりながらも、満足そうに眼を細める。

擂嵐の斬撃は四撃が刹那の間の後、破壊音と共に弥者の四肢を粉々にした。

残り二撃は上空に打ち上がり、十字朗とバルザックに落下しつつあった

破常力で形成された足底を吹き飛ばす。

旭光と並び攻撃力最強と言われる擂嵐は、六撃すべてを一目標に

集弾した結果である。複数の攻撃目標を同時に攻撃できる能力が真の

強みであった。


背後の玄嶽兵は入道蜘蛛相手に一歩も引かず、攻撃に耐え、撃退しつつ

ある。蜘蛛は半数まで減っている。

十字朗は頷いて眼前、門の奥から殺到する青坊主に視線を戻した。

バルザックは大きく剣を揮い、巨大な敵に躊躇なく踏み出す。

同時に独特の衝撃音が鳴り響き、毘沙羅堂の屋根を一部吹き飛ばして

輝く爆壁が撃ち出された。

「あれは…旭光」

「悪兵衛!」





玄嶽の射撃の号令が宗波によって伝わる。

個々の兵装まで相手に筒抜けになる少人数で布陣し、直接打撃に見せかけ、

金砕棒に内蔵した間接攻撃を放つ。同様に第二陣である支援隊も偽装した長槍での

投擲により、こちらの武装を読んだ弥者を殲滅。

小早川の策であった。事前に悪兵衛は概要をバルザックに宗波で伝えられては

いたが、不知火の軍師達とは異質な物を感じている。

「攻撃が始まりました。」

麻生が悪兵衛の背後で報告する。連者隊は今、崖上の毘沙羅堂を見下ろす位置

で小早川の指令を待っていた。

神仏への祈禱と、海難の際の村人の避難所も兼ねるその建築は八角形の巨大な

堂であり、古の神の像が祀られているという。

魁音撃の衝撃が響く。

「あれは一文字。十字朗がやったか。」

悪兵衛が呟いた直後、毘沙羅堂の東側から、青い巨人が現れる。

「青坊主出現。少佐、指令が宗波を開いておりません。」

「よし、降下し本陣と合流する。背後より青坊主を叩く。」

眼下の崖は途中に岩棚がいくつかあり、綱を下して中継しながらの降下を

予測する。が、麻生叶からは意外な言葉が出た。

「破双落ちで一気に降下します。」

「それは?」

「少佐はお使いになれます。接地寸前で上空に向けて衝撃緩和の破双を

撃つ着地法です。」

「あれか。」

「…笠間村での戦いに、私は従軍しておりました。その際、初めて播磨少佐を

拝見いたしております。先程の失礼、お許し下さい。」

背後の連者隊は悪兵衛を見つめ頷く。麻生中尉以下、皆悪兵衛を既知であった。

「古川、橋本、先行。以下続け。」

麻生の命により崖を蹴って二名の連者隊士が飛び降りる、地面間際で爆発音と土煙

が起きる、次々と隊士は降下していく。

「播磨少佐。」

「悪兵衛でいい。」

いうなり悪兵衛は身を躍らせた。迫る地に向けて上空に飛び上がる要領で破双を

炸裂させる。一際大きな爆破音と共に土煙が巻き上がった。

片膝をついた状態からゆっくり立ち上がる。開け放たれた北の門からは怒号と

魁音撃の衝撃が流れてくる。四体の青坊主達の後ろ姿が見える。

最後の麻生が着地した。

「青坊主が戦闘に入った時、言霊で引く。前進。」

「了解しました。二名、祈禱所内を捜索。」

別動隊で弥者を叩くと言いながら、本来の作戦目的は拉致されたと言われる

村人の捜索であろう、と悪兵衛は考える。

(元々不知火には出番を作らない、もしくは自らの策の内に収まらないと

考えたか。)

奇矯に見える小早川司令のその実、精緻な思考に舌を巻く。

毘沙羅堂を見上げつつ、門の手前まで移動し、索敵の隊士の報告を待つ。

護衛の弥者がいた場合、悪兵衛が叩かねばならない。


背後の毘沙羅堂方向より、魁音撃の衝撃と連者隊士の怒号が聞こえた。

間髪を置かず小早川の宗波が奔る。

「連者隊二名の死亡を感知した。報告せよ。」

「現在本隊と合流に向け進行中、祈禱所に索敵に向かわせた二名です。」

「弥者と思われる。拙者が向かいます。」

背に負った琿青を腰に差し、悪兵衛は躊躇なく歩き出す。

低く断続的に魁音刀が唸りを上げている。麻生達が続く。屈強な精鋭である

隊士殺害の報に、その表情は青ざめている。


毘沙羅堂、東門は開け放たれ、近辺にはいくつかの血だまりと

連者隊士の装備品、肉片が散らばる。爆発によって吹き飛ばされ

四散したかのようであった。

麻生中尉は二名を門前に残し、自らと一名で悪兵衛の背後につく。

悪兵衛は周囲を一瞥した後、堂に入る。

薄暗い広大な堂内の奥、巨大な戦神の立像が祀られ、その周囲に

蝋燭が燃えている。


正面に座す者がいた。炎の陰になりその表情は見えないが、頭の左右に長大な角、

座して尚悪兵衛より一回りも大きい巨大な男だった。

「貴様は」

悪兵衛の全身に力が漲り、睨む瞳に炎が宿る。

男はゆっくりと立ち上がる。およそ七尺を超える体躯に隆々とした筋骨は

到底人とは思えない威圧感と圧迫感を与えた。胸元から仄明るい光が

生み出され、その四肢に流星のように脈動しながら伝っている。

「烈火の侍か。久しいな。」

腹の底まで響き渡る声が巨人より発せられた。

「現在毘沙羅堂内にて弥者と遭遇。みこと級、ムツノナタノミコトと思われます。」

麻生の悲痛な意思が奔った。小早川の絶句が伝わってくる。

「先程からの蚊のような波はそれか。」

複雑な文様の描かれた仮面の奥で、巨人は嗤う。

「全員待避、本隊と合流」

震える小早川の指令が伝わる。

「麻生中尉、指令通りだ。」

「悪兵衛殿は」

「背を見せられるか。いけ。」

琿青をゆっくりと抜く。鮮やかな青の火花が悪兵衛とムツノナタノミコトを

照らした。



十一



ムツノナタノミコトの拳に、堂内の角柱が吹き飛ぶ。一抱えもある堅固な

檜葉の柱を、素手で粉々にした。連者隊士を惨殺した攻撃の正体である。

両拳をやや前に突き出し、左脚を上げつつ、全身を撓ませる。

直後、拳の先に光を乗せ、触れるだけで人間を四散させるほどの攻撃を

繰り出す。その速度も大型肉食獣を思わせる常軌を逸した俊敏さであった。

悪兵衛は辛うじて避けながらも、刀を構える事さえ出来ない。

破双で距離を取り、ムツノナタに向かい変形上段をとった。

「コ ン ゴ ウ ノ カ イ ナ」

弥者の声が響く。胸元より泉のように光が沸き上がり、全身に充溢されていく。

(あの脈動、まるで、士魂が光って目に見えているようだ。)

悪兵衛は唐突に思った。

相手の筋力は人間の物ではない。でがかり、脚運び、体さばきを見てからでは

間に合わない。その初動を掴み、魁音撃を

ムツノナタはほんの刹那、前傾になり体重を移動したかに見えた。

悪兵衛の全身から士魂が琿青に注ぎ込まれ、破壊の衝撃塊が刃先に集中する。

「旭光」

悪兵衛の裂帛の気合とムツノナタの正拳が飛び込むのが同時であった。

爆壁と拳の接触により、全身を魁音撃の反魂が打った。悪兵衛は二歩、下がる。

打上げられた破壊の渦は堂の梁を破壊し、屋根板を吹き飛ばして円形の穴を

開け、日光が降り注ぐ。その下に片腕から白煙を噴き上げるムツノナタが

立っていた。

長大な両角に金の飾り、仮面の下の瞳が燃えるように輝き、全身に光を纏って

いる。まさに闘神の出で立ちであった。素手でのみ攻撃してきた弥者の背には、

悪兵衛の身長よりも大きな鉈が揺れている。

腕を一振りして白煙を払い、掌を握りながらムツノナタは悪兵衛の目前まで

歩む。全身に受けた旭光の反魂の衝撃で悪兵衛は固まり、動く事が出来ない。

「見事見事。烈火の侍よ。」

巨人は見下ろしながら言った。

「背の大鉈は飾りか。稲でも刈るのか。」

悪兵衛は全身の硬直から抜け出そうと脂汗を流しながら言った。

巨人が全身に力を籠めた瞬間に死を覚悟する。が、体重を感じさせない程の

速度で、ムツノナタは飛び上がり旭光の明けた大穴の外に飛び出した。

屋根に着地した振動が伝わる。


門の先、青坊主が二人の白衣の侍に襲い掛かるのが見える。

子飼いのヤシャビト達の姿はない。扉に打ち付けられた槍と

橙色の単衣が見えた。

その向こう、湧き上がる黒煙のような入道蜘蛛達は確実に数を減らし、

堅固な玄嶽隊士に屠られつつある。

海風を受けながらムツノナタノミコトは斬られた同胞を思い、目を瞑った。



*



「尊級が現れただと!?」

「悪兵衛が一人で」

麻生の宗波を受けた十字朗とバルザックは顔を見合わせる。

大門からは巨大な青坊主が地響きを立ててその先を護るように立ち塞がる。

血走った眼球をせわしなく蠢かせ両脚を大地に食い込ませている。 

「遅れれば悪兵衛が危ない。」

「十字朗、右を頼む。」

短く言葉を交わした二人の頭上を、光源が飛来し、青坊主の頭部に命中、

爆砕した。続く光源も青坊主に降り注がれ、青坊主の肉体を破壊していく。

橘川兄弟による魁音の長距離射撃であった。

同時に矢を射出した兄弟は弓を下した。一真は金と黒檀に彩られた魁音長弓、

厭月、一圓は金と白絹の同型武装、跨月こげつを装備している。

「全弾命中だな。」

「門に向かおう。悪兵衛が尊級と戦ってる。」

死体処理班として戦場から一定の距離を置いた二名と玄嶽隊士は、

小早川の戦況判断により偽装を脱ぎ捨て、空爆攻撃へと移行した。

長距離攻撃を嫌う弥者に察知されずに戦力を減らした後、精密な空爆で

直接攻撃班を補佐する為であった。


崩れ落ちる肉塊と化した青坊主を一瞥し、十字朗は専用の魁音刀、水鏡を

大きく振った。バルザックは魁音刀に月旦抜きを注入し、両刃から白煙を

噴き上げさせる。その視線が一点で止まった。

大門の向こう、毘沙羅堂を背にして、戦神と見紛う程の弥者が立ち塞がる。

「ムツノナタ」

「悪兵衛は…遅かったか」

苦渋の表情を浮かべる十字朗、目をつぶり俯くバルザック。だが直後二人は

顔をあげ、力強く門へ踏み出す。魁音刀は低く唸り、眼に白い焔が燃え上がる。

ムツノナタノミコトは背に負った巨大な鉈を振り上げ、高く掲げる。

全身から微弱な光が血管を流れる血潮のように鉈を握る右手に集まっていく。

「再びまみえる。ビャッコの侍達。」

巨人の弥者は呟きと共に、大鉈を揮う。その攻撃は門柱を一撃で破砕した。

あまりの衝撃に柱は吹き飛び、大量の破片が銃弾のように不知火、玄嶽を襲う。

玄嶽突撃班の指揮官である後藤大尉は不知火二名の間に飛びだし、金砕棒で

地面を突いた。

ムツノナタノミコトはさらにもう一本の門柱を完全に破壊する。

門の奥側に位置する控柱が、大門の楼閣部分の重量に耐えきれず、悲鳴を上げる。

柱が割れると同時に屋根瓦が雨のように降り注ぎ、直後楼閣部分が崩落した。

大音響と土煙をあげ、大門が崩れ落ちる。不知火・玄嶽を巻き込んでの

破壊であった。

毘沙羅堂から飛び出した悪兵衛は、楼閣が土煙と共に垂直に崩落していくのを

目撃する。その直下で戦っていた不知火隊士と玄嶽隊士は直撃を受ける。

手前には弥者の巨人がそびえ、悪兵衛に向かって踵を返した。

悪兵衛の背後には麻生と連者隊三名が付き従う。

「麻生中尉、小早川司令に指示を仰げ。」

「悪兵衛殿は」

「尊級を討つ。」

破壊された瓦礫の山の下、戦友たちの死を思うとき悪兵衛は敵との力の優劣、

戦力の差を考える事は出来なかった。琿青が唸り士魂が充溢していく。

怒りが、戦友の死、自らの死、その恐怖を上回る。全身が燃える焔の塊に

なっていく感覚を覚える。


ムツノナタは悪兵衛達の元に大鉈を放り投げた。

巨大な鉈の先端は丸く、重石の役目をする炎の意匠の飾りがついており、

投げ捨てられた鉈は地面に落ちると起き上がりこぼしのように揺らめいたあと

屹立した。

ただ一瞬の間、その行動に侍達は意識を向けてしまう。

破双をも上回る速度でムツノナタノミコトは接近し、悪兵衛の眼前、

組んだ両拳で大地を撃った。

間欠泉のような爆発が起きた。悪兵衛達の全身を衝撃が襲い、吹き飛ばされる。

玄嶽隊士は右半身を破砕され、地面に激突する。即死であった。

隊士の一人は咄嗟に麻生を庇い、体表面が衝撃で削り取られる。

麻生中尉は士魂で身を護りながらも衝撃で全身を強く打ち、回転しながら

地面に投げ出された。もっとも遠くにいた隊士は吹き飛ばされ、身体を

地面に激突、意識を失う。

悪兵衛は、爆発と同時に破双で背後に下がっていた。襲い掛かる衝撃波を

体内に充溢する士魂で緩和し、距離を開ける事により致命を避けた。

が、吹き飛ばされた空中でもう一度破双を使い、炸裂音と共にムツノナタに

突撃した。

「旭光」

悪兵衛の怒号が響き、轟音と共に爆心より破壊の光弾が打ち上がる。

地面を撃ったムツノナタの懐に爆壁を生成、全身を消し飛ばすつもりで

あった。が、破常力で強化された弥者の脚は、破双と同様にその攻撃を

も退いて躱す。


悪兵衛は旭光を射出した姿勢のまま地に落ち、呼吸もままならない。

その眼前に、ムツノナタの影が差した。

屹立した巨人の片側の角が白煙をあげ、組織が分解している。

自らその根元を押え、めりめりと音を立てて折った。放り投げられた

角は身動きも出来ない悪兵衛の下に重い音を立てて落ちる。


ムツノナタノミコトは大鉈を握ると、侍達には一瞥もせず、

その場を後にした。地を響かせる足音が遠くなっていく。

「麻生中尉、報告せよ」

小早川の金切り声の宗波が奔る。麻生叶は吹き飛ばされた先の杉の木に

もたれたまま、消え入りそうな意思で返す。

「播磨悪兵衛少佐が…旭光にて、尊級弥者を撃退。…少佐の生死は確認

出来ません。」

それだけ伝え、麻生叶は意識を失った。



十二



定壁という基礎的な魁音撃がある。爆壁を生成し、わずかな間、その場に

留まらせる攻撃手段である。防御を旨とする玄嶽隊士は、この定壁を

強化・延長した劫壁ごうへきという名の魁音撃を駆使する。

これは爆壁での攻撃ではなく、その衝撃を長く、遠く置く事で他の攻撃を

緩和、相殺させる為の戦技であった。

ムツノナタノミコトの破壊により崩れ落ちた楼閣は、その直下にいた

後藤安俊大尉はじめ、何人かの玄嶽隊士の頭上へ張った劫壁により、

硬く防御され、十字朗とバルザックは傷一つ負っていなかった。

橘川兄弟の空爆により、残存していた入道蜘蛛も全滅し、玄嶽の被害は

皆無であった。

だが、尊級弥者と遭遇した精鋭である連者隊は、四名を殺害される。

生存した麻生叶中尉は意識を取り戻し、玄嶽付きの医師に治療を施されて

いる。

壊滅した早騨宿の生き残りは発見されず、拉致されているかどうかは未確認の

ままである。ムツノナタノミコトは毘沙羅堂に入った後、忽然と姿を消した。


悪兵衛は意識不明のまま本陣に搬送され、一時は心臓の鼓動を止める。が、

医師団の治療により意識が戻り、すでに起き上がる程の回復を見せた。

全身を苛んだ衝撃の後遺症は奇跡的に無い。

十字朗に肩を貸され、救護所の天幕を出る悪兵衛を玄嶽隊士が声を上げて

迎えた。皆口々に、単騎で尊級弥者を退けた悪兵衛を称えている。

悪兵衛は眉をしかめ、十字朗に不知火天幕まで戻る事を頼んだ。


「相手にならなかった。俺が傷をつけたのは角の先だけだ。」

「情けをかけられたか、他の目的があって打ち捨てられた。」

吐き捨てるように悪兵衛は言った。

「それでもムツノナタは帰っていったんだろう。」

「次に勝つ方法を考える時間があるよ。」

十字朗とバルザックが微笑んでいる。

「俺が間に合えば、射殺いころしたのに。」

「一圓は入道蜘蛛に接近しすぎて小早川司令に怒られたじゃない。」

橘川兄弟の軽口で、悪兵衛の青ざめた顔にようやく表情が戻った。


「不知火隊士の皆様、小早川司令が。」

玄嶽の伝令が天幕に訪れる。火急の要件である。

不知火の侍達は玄嶽本部を訪れた。

弥者及び狗族の討伐を行い、作戦は成功の筈であったが、小早川はせわしくなく

歩き回り、髪をくしゃくしゃとかき上げている。

「おお、不知火の諸君。貴方達に作戦指令書が届いているのです。」

不知火の紋章で封をされた書付を悪兵衛は広げる。のぞき込む十字朗と

バルザックの顔色が変わった。

「神尾鉱山に弥者大隊と思われる軍団、多数の狗族が出現。交戦に入った。」

「戦闘参加が可能な者は神尾山南壁を迂回、不知火本隊と合流後、

敵を殲滅だと…?」


「我々玄嶽にも同様の指令書が届いています。…しかし、山中での行軍を指揮する

連者隊に死傷者を出し、脚は鈍ってしまいました。不知火との合同での

参加は厳しく思われます…動揺すべきでない!苦難の時こそ」

大声を上げて小早川は歩きまわる。

悪兵衛はバルザック、十字朗、一圓、一真を見つめ頷く。

「早騨宿を出立する。各自装備を確認。」

「小早川司令、不知火隊士五名、早騨宿奪還作戦を終え、神尾鉱山へ

向かいます。」

小早川はあらぬ方向を見つめながら敬礼を返した。

「戦争はあらゆる知恵や哲学を超える啓示です。」



*



黒々とそびえる神尾山を見上げ、瓦礫が撤去されつつある大門跡地を

進む。作業に従事する玄嶽隊士達が皆、敬礼し、不知火の侍達は

答礼する。

「弥者達の狙いは何なんだ。」

悪兵衛は自問するように呟いた。並んで歩くバルザックが暫し沈思し

口を開く。

「小早川司令は搦め手で弥者と狗族に相対し、戦果を上げた。」

「結果で言えば見事な策だった。…しかし」

「欺かれていたのは我々人間だったのかもしれない。」

バルザックの言葉の終わりと共に、轟音が耳朶を貫いた。

見上げた厚い雲の中、黒い影が見え隠れしながら北に向かって

飛行している。

「あれは…らんだ。」

悪兵衛は大きく瞳を見開いて言った。




荒胆の武士  了

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