閑話 四
閑話四
「副長…玉杉と間宮です。」
「入りなさい。」
行燈の元、きっちりとした小袖姿で風祭玲が書見台に向かっている。
背筋がのび、玉結びの黒髪の脇から細く白いうなじが覗いている。
玉杉桔梗と間宮桃乃介は浴衣姿に風呂桶をもち、にっと笑って
部屋前に膝をついている。
「お風呂のお誘い?」
風祭の声に二人はうんうん、と頷く。
「まだ仕事がある。」
幾分柔らかい風祭の声に二人は動じず、にっと笑って待っている。
「仕方ないな。いこうか。」
不知火の女性宿舎、麓淡荘は屯所より半町も無い程の距離に
あり、
ドウダンツツジの白い生け花が湯気の中で揺れている。
三人は肩まで湯につかり、微笑みながら言葉を交わす。
「桃は遠征から帰ったばかりでしょう。」
風祭は屯所では見せない笑顔で桔梗の高く結わえた髪を直して
やっている。
「悪兵衛とバルザックといってきました。昨日帰隊しました。」
「どうだった?」
桃色に染まる桔梗と桃の肩は丸く、まだ少女の面影を残している。
風祭は白く優美な首から肩の線、大ぶりな胸の谷間に湯が溜まっているが、
鎖骨には朱く刀傷が刻まれている。
「任務はよゆうです。あ、でもタケルを訓練に随行させたんですけど
がんばりすぎて。」
「どうした?」
「気絶しました。こんな顔。」
桃乃介が白目をむいて舌を出す真似をする。
湯殿に明るい笑い声が響く。
「バルザックはもともと頼りになる男であったが。悪兵衛はすっかり頭目だのう」
「はい。今回も超大型狗族を屠ったのは悪兵衛の作戦指示と旭光でした。」
「訓練した甲斐があったな?桔梗。」
「はい…。」
「いま悪兵衛の事考えてたろ」
桃が桔梗の脇をくすぐる。声をあげて笑いながら桃の頬をつねる。
「ちがう、ちがうって。今日お湯熱くない?」
「桔梗だけ顔が赤いのう。」
「もう、
湯殿にかしましい声が溢れる。
桔梗は湯船の檜の縁に腕とあごをのせ、火照った顔で目をつぶる。
「悪兵衛も私の事考えるのかな。」
*
悪兵衛の豪快な投げが、仁悟朗の身体を湯船に叩き落した。
「あくのやま、あくのやま。ただ今の決まり手は上手投げです。」
行事役の十字朗が手ぬぐいを悪兵衛に向ける。
一瞬の間をおいて、仁悟朗が飛び出してきた。
「あつーーーー!」
「熱い!はよ水かけろ。水。」
真っ赤になって転げまわる仁悟朗。湯殿の隊士は皆大声で笑っている。
灰音章雪だけは端の方で迷惑そうな表情で洗髪をしている。
「仁悟が熱湯相撲で、投げ込まれても我慢といったではないか。」
「いや、予想の三倍熱かった。」
笑ってせき込む美浪の背に仁悟朗が手桶で湯をかけ、飛び上がる。
「あつ!入れないよ。水で埋めないと」
騒がしい湯殿の外、露天で橘川兄弟が湯につかっている。
「うるせえなあ。」
「仁悟朗が埋めてない風呂に落ちた声だね。」
食堂にて、悪兵衛と灰音は席を並べている。
柔和な笑顔の灰音と鼻を広げて匂いを嗅ぐ悪兵衛。
「今日は楽しみだったのです。」
「という事は、粕汁だな。」
悪兵衛が汁椀の蓋をあけると湯気とともに酒粕の甘く優しい香りが
立ち上る。白濁した汁に具がたっぷりと入っている。
「幼少から口にしていました。」
「俺は屯所にきて初めて食べた。最初甘酒に具が入ってるのかと思ったが」
「よい香りだな。章さんに教えられて好物になった。」
灰音はゆっくりと粕汁を楽しむ。
「故郷では帆立や鱈がはいってました。屯所のものは鴨肉ですね」
「章さんの故郷の粕汁も食べてみたいなあ。」
「いつか…。そうですね。」
戦が終わり、静かな湾を望む自宅に悪兵衛を招きいれ、粕汁を
振るまう空想で灰音は目を閉じ微笑んだ。
「報告書をいただきました。死闘でしたね。」
「幼獣に助けられたのが癪だが。バルザックと桃は頼りになる。」
詳しく話す悪兵衛の斜向かえ、仁悟朗と士道が隣り合って食事をとっている。
士道は飯椀を持ったまま、仁悟朗の挙動をじっとみつめる。
粕汁を丼にいれた白飯にそのままかけ、れんげでかき込む仁悟朗。
満足そうな笑顔を見せている。士道は後藤の婆さまに丼を頼む。
横目でそれをみていた灰音は顔をしかめた。
「仁悟郎には粕汁の良さはあまりわかってもらえないようです。」
「ありゃ猪に近いからの。」
師団でもあり生活協同体でもある不知火の隊士は
厳しい軍の戒律に縛られない特性が存在する。
それは余りにも強力な攻撃方法、「魁音撃」を個々が使役し、
戦争の趨勢にも関わる為であり、魁音撃の種、性能により役目が決められ
階級が決定している事に由来する。
若年ながら悪兵衛が少佐とされるのは、使役する旭光に拠る所が
大きい。それ故に隊士内では階級による命令系統の絶対はほぼ存在
していない。
そこに、軍でありながら一つの家族のような関係性が結ばれつつあるのも
事実であった。
閑話 四 了
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