桐一葉


高く白い日差しを避けるように屯所の廊下を悪兵衛は歩む。

内偵の通達後、改めて呼び出される事に違和感を感じている。

が、それもすぐに合点がいった。作議の間より大声が漏れているのだ。


「悪兵衛はわかる。が、美浪が選ばれるのはわからぬ。」

東京あずまみやこで数多の道場に挑戦とあらば、拙者が是非

拝命したい。」

大声をあげる深町仁悟朗、その隣には畦倉士道。

対するは織田刑部で、苦笑しつつ仁悟朗の弁を頷きながら

聞いている。

「士道も仁悟朗と同様の訴えなのか?」

「はい。」

無口になり、性根を据えた士道は大声をあげる仁悟朗よりたちが悪い。

てこでも動かない様相であった。

作議の間に入った悪兵衛は困り顔で二人をみつつ、膝をおろす。

奥の間より、灰音章雪が現れた。いくつかの書簡を手にしている。


「悪兵衛には重複するが、本件は日の本の首都、東京にて、剣術道場を

中心に反幕府勢力が形成されるつつあるという情報を得、特別に不知火が

内偵に出張るというものである。」

「我らが侍を出すという事は、わかるな?」

「弥者、狗族が関わっているという事であります。」

「そうだ。だがまだ調査段階であり、慎重に内偵捜査を行わねばならん。」

仁悟朗と士道は仏頂面で刑部の言葉を聞いている。

「章雪。」

「は。こちらに隠密及び東京の奉行所より市井を調査した書簡があります。」

「不知火の隊士に関してです。」

灰音の思わぬ言葉に仁悟朗、士道、悪兵衛は注目する。

「野火の使い手、名は深町何がし。およそ五尺八寸、頑健な肉体に獰猛な顔つき、たてがみのような荒い茶筅髷。」

「明星の使い手、名は畦倉何がし。六尺越えの大男。峻険な風貌で、

海草のような総髪。」

刑部が苦笑しつつ二人を眺める。

「お前たちは、名も顔も売ったのう。」

思わぬ話しに二人とも言葉が詰まる。刑部の表情を見て、悪兵衛が

笑いをこらえている。

「旭光の使い手、名を播磨悪兵衛。若い男。」

「悪兵衛殿の情報は宣戦布告時に知れた名前のみですね。」

「よいか。つまり素性が割れているお前達に対し、悪兵衛は名前のみ

で身体的特徴や風貌は知られていないのだ。」

「先ほどもいった通り、今回は慎重に内偵を行わねばならぬ。」

刑部の言葉に二人はぐうの音も出ない。

「美浪の特殊な才については、お前たちもよく知っておろう。」

「あと一名選別予定ではあるが、章雪が選抜しているところだ。」

「刑部殿、適任を見つけましてござる。」

悪兵衛は灰音の表情を見て、隊士も驚く策を用意してきたのだなと

確信した。



桐一葉





日の本の首都、東京。その中心近くの番町と呼ばれる一角に、

小舘こだて流道場とその館主である大宮清秋の居がある。

内偵活動を行う不知火隊士は、身分を隠しその一角に間借りしていた。


「織部石秀斎でござる。」

頭をあげたのは付け髭を揺らす織田刑部である。

茶の帷子に濃紺の小袖、軽衫袴といかにも剣術の師匠といった

いで立ち。その背後に若者が二人控えている。

「これなるは、高弟の中山、南。」

「中山安久兵衛でござる。」

「南彦衛でござる。」

悪兵衛と美浪であった。

「大宮でござる。我が道場に逗留して頂き光栄に存ずる。ぜひ大いに

練磨して頂きたい。」

白髪に長い顎鬚の大宮清秋は隠居して永く、三名もの食客の訪れに

相好を崩している。


あてがわれた居間にて、刑部が書類に目を通している。

対面して悪兵衛と美浪が出された茶に手をつける。

「刑部殿が内偵とは。」

未だ驚きを隠せない美浪に対して、悪兵衛は気楽な表情で湯気を立てる

茶をすする。

「我等の立てた内偵行動に、適任がいなかったのだ。隊士で老いた剣術師範

を出来る者がいるか?」

「それで灰音殿が刑部殿を指名されたのですね。」

「うむ。元々この実施要項の草案は章雪がたてたものだしな。」

悪兵衛は皿の上の大きな豆が入った大福を手に取り、むにむにと

咀嚼している。

「お、これは。豆は塩味で大福は甘い。」

「おい、気が緩んでるぞ。」

美浪が笑いながら大福を手に取った。

「当たり前だ。刑部殿がいてもらえれば。あとは自らの仕事をするのみ。」

悪兵衛は呑気な表情で二個めの大福に手をつける。

「これ、悪兵衛。逗留中も手習いはするからな。天源先生にたっぷり宿題を

頂いてきたぞ。」

悪兵衛は大福を咥えたまま、後ろに転がり呻いている。


荷物の整理が終わり三人は連れ立って道場の裏手にある

八幡神社を詣でた。この番町は日の本軍の宿舎が多数あり、それと共に

五十を超える剣術道場があった。軍都といってよい。

道ゆく者も二刀を差し、肩で風を切るように歩いている。


織田刑部は隠居した剣術師範というには若いが、その思慮深い眼差し、

落ち着いた風貌、威厳は師といって違和感がない。

悪兵衛は紺の蚊がすりの七分丈の袖から太い腕を伸ばし、

腰の安物の刀に手をのせて歩く姿は、まずその弟子に見える。

異質なのは美浪結宇大尉であった。

年は悪兵衛の四つ上の二十一、黒々とした髪は高結びの髷で結わえられ、

白い細面に切れ長の瞳が大きい。やや中性的ともいえるが、その体躯は

細いながらも強靭さを感じさせるきびきびとした動作で洗練されている。

町行く女性は老いも若きも、一様に美浪に見惚れる。


三名は参拝後、名うての道場をいくつか見て回る。

剣戟の音や怒号が響く大道場には見物人がたかり、子供から大人まで

その激しい応酬や技に声を上げて応援している。

この町の人々の楽しみでもあるようだった。

悪兵衛は道場内を見、また周りの人々を観察する。刑部は美浪にそっと

耳打ちをした。頷いた美浪は見物している若い女性二人組に声をかける。

目当ての剣士を見に来ているのであろう、その手合いは多かった。

町娘らしい二人は美浪に声を掛けられ、最初こそ驚くものの、

やがて頬を染めて笑顔で話し始める。そうなると話はとまらず、美浪は

二人を伴い、向かえの茶屋に入っていった。

「さすがだ。」

「我々には出来ぬ芸当だな?悪兵衛。」

刑部と悪兵衛は次の道場を目指して歩きながら、にやにやと笑っている。





日中に脚を棒にして人気の剣術道場を見て回った。

どの道場も意気軒高、見物人も多く異変があったならば、すぐに隠密が関知する

ところであろう。

汗と埃まみれの身体を風呂で洗い流し、館主大宮とともに

心づくしの夕餉を振る舞われた。

歯ごたえのある軍鶏と牛蒡、白菜を濃い醤油の割り下で煮込まれた鍋に、

玄米、べったら漬けが出され、悪兵衛は鍋が煮えるまでに漬物で飯を二杯

平らげた。

刑部と大宮がにごり酒で剣術談義を始めると、美浪に促され、

鍋に名残惜しそうに退出する。

二人に宛がわれた東の間には書見台に文机、学問所師範である天源先生より

出された大量の学習用の書簡が用意されている。

美浪はその日の報告を作成、悪兵衛は苦虫をかみつぶした表情で

手習いを始める。

「美浪、この書き順は」

「こう、だ。」

悪兵衛は美浪に入隊当時から自室で学問を見てもらっている。

勉学の進め方も二人には手慣れた雰囲気が漂っていた。

「どうだ。学びが習慣になっただろう。机に一度はつかぬと落ち着かん。」

「うーん、まだその境地には」

悪兵衛の率直な物言いに美浪は苦笑した。

「癖になると後は早いんだ。黙ってても習慣で書に向かい、筆をとる。」

「やはり、美浪は幼少の頃からそうしていたのか?」

「うん、そうだな。」

美浪は筆を置き、自らと学問について反芻する。

「寺子屋と共に、私塾に通っていた。入塾の試験が厳しくてな。」

「漢学、国学、蘭学、天文学と書道か。必死で手習いをしていた。」

「だが、知識としては身に着けるがどうしても身が入らなくてな。」

美浪から珍しい談話が出て、悪兵衛も筆を置く。

「塾長の教えは形ばかりで実が無いように感じていた。勉学の為に勉学をしている

ような。今から思えばそれにも意味があったのだが。」

「入隊後、今のお前と同じように天源先生と共に刑部殿に師事した。」

「俺は驚いたよ。刑部殿の教えは深い知識はもとより、たたかいの中で培った

知性が息づいている。生きた教えだ。いくさの先にある日の本を見据えておられる。

俺は刑部殿に…」


悪兵衛が座ったままいびきをかいている。

美浪は笑いながら文机を片付けた。


*


翌朝、三名は刑部の居室となる奥の間で、朝食の玄米粥をとりながら

今後の話をする。通常の内偵では合議になるが、今回ばかりは刑部の言葉に

耳を傾け、指示を仰ぐ。

「では美浪は剣術道場付近での飲食店にて聞き込みと見物人にあたりを

つけ、道場の評判、門人の素行等の調査。」

「悪兵衛は私と共に順に道場へ向かう。よいな。」

二人はしっかりと頭を下げる。灰音の人員配置を思い、舌を巻く。

確かにこれ以上ない程の適任といえた。


大宮清秋に送り出され、刑部と悪兵衛は新進気鋭との評判も高い

神明流光陽館の門を叩いた。

気合声と剣戟が威勢よく、新しい門構えの道場の看板は

くっきりとした文字で天下無双と綴られている。

門弟に話を通し道場の奥、師範代と思われる中年の男と相対する。

「ほう、西国の。」

「左様。これは些末ながらご教授代でござる。」

刑部は紙で包んだ一分金を差し出す。約四万円分である。

道場にて手合わせを頼み、謝礼金を払う。これが一般的な道場での礼儀であった。


二人は道場に案内された。道場生達が一旦練習を止める。

師範代の金澤宗右衛門より刑部と悪兵衛の紹介があり、立ち合いが告げられる。

筋骨たくましい大柄な金澤はその様相に似つかわない甲高い声色であった。

道場生達はじろじろと質素ないで立ちの刑部と悪兵衛を見、小声で

話しをしている。

金澤は立ち合いに一人の道場生を指名し、その男はゆっくりと立ち上がった。

悪兵衛より頭一つ高い筋骨逞しい青年で、その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。

「あれなるは目下道場生一枚目の高田平助でござる。」

高田は悪兵衛を一瞥し、金澤に一礼する。

金澤と刑部は見所に座し、蹲踞の姿勢の二人を見つめる。


立ち合いを申し込まれた道場は、まず若手の実力者を対戦相手として選出、

対する剣客側は高弟がたつ。

その勝負如何によって、剣客側は立ち去るか、道場に留まるかが決まる。

高名な剣術者であれば食客として迎える方が道場に箔が着く。

そうなれば道場生も増えるという算段である。

が、名もない辺境の一独立流派をうたう刑部と悪兵衛に対する視線は冷たく、

悪兵衛の敗北により、問答無用で道場から追い出す雰囲気が漂っている。

名を上げるために、無茶な挑戦を行う食い詰め浪人は多かった。

黒の粗末な道着姿に襷をかけ、安物の木刀を持った悪兵衛に侮蔑の視線が

投げかけられる。そんな状況の中で、若いながら泰然としている悪兵衛を

警戒しなかったのが、金澤、高田の落ち度であった。


金澤の声と共に立ち合いは始まった。

正眼に構えた両名は静かな佇まいであったが、高田は無用意にするすると

近づき、大きく上段から剣を打ち下ろす。悪兵衛はそれを受ける。

大げさな気合声をあげて何度も打ち下ろす高田。無表情に機械的に受ける

悪兵衛。道場生は力量の違いを感じて苦笑を漏らす者もいる。

つばぜり合いになり、高田は力任せに悪兵衛の足を払った。悪兵衛は

もんどりうって倒れたが、そのまま転がり高田の追い打ちを防ぐ。

まて、の声と共に高田は引き、また剣を構え直した。

悪兵衛はのろのろと起き上がり、刑部を見、かすかに頷いた。


またも力任せに打ち下ろす高田の剣を悪兵衛が払った。

剣の流れの速度に大きく態勢を崩される。高田が驚きの表情を浮かべるのと

悪兵衛の足裏が脇腹に接触するのが同時であった。

破裂音と共に高田は吹き飛ばされ、道場の板戸を破って中庭まで

転げ落ちた。

軽い蹴破である。道場生達には悪兵衛が蹴り飛ばしたように見えた。

本気であれば士魂を持たない者はその一撃で内臓を破壊される。

それ程に、本閥の侍と一般の武道家の戦力には開きがあった。

悪兵衛は転がったまま起き上がれない高田に一礼し、刑部と金澤に

向き直り、一礼して下がった。

金澤の額には脂汗が浮いている。





その日、刑部と悪兵衛は三軒の道場を巡り、道場生もしくは師範を

打ちのめした。いずれも神明流と同等の中堅どころの道場であり、

荒らしたとて、それ程噂にならない道場を刑部は選出した。

じわじわと剣名が広がる事を目的としている。


隠密より不知火に報告があったのは、幕閣の人間が襲撃され、

その中に弥者がいた、という事件であった。

反幕閣勢力がこの地で形成されつつあり、その構成員は浪人、道場生、

武家の子息という事が判明している。

剣術道場の腕自慢が突如行方不明になり、武闘派の勢力に加入している。

刑部、悪兵衛は内部から探る為あえて道場破りを敢行していた。


夕刻、小料理屋で合流した三名は報告と食事を共にする。

「襲撃された幕閣の者とは?」

「高家衆の方だそうだ。和平派だな。武闘団は、幕閣内での和平派への

天誅を謳っている。そのような事を口走ったそうだ。」

「弥者、狗族との戦争反対派の要職の方を襲っていると?」

「そうだ。」

刑部は酒で口を湿らせている。悪兵衛は鯖の押し寿司を口いっぱいに

詰め込み、喉を詰まらせて蛤の汁をすする。美浪は報告を終えるまで

食事には手をつけていない。

「では、戦争を止めようとしている人々を襲った者の中に弥者がいた、と。」

「その矛盾を調べねばならぬ。」

美浪は丸一日、聞き込みで得た失踪した人々の書付を広げ、現在わかっている

消息とその人となりを報告した。

「失踪した道場生は、やはり腕利きの者ばかりでした。中には師範代まで

おります。夜ごと酒場で幕政に異議を唱える威勢のいい連中だったようです。」

一通りの報告が終わり、美浪が箸をとる。

「美浪、今日一日で道場周りの飯屋を周って、その度に食事を

とったんだろう?」

「ああ。何も食わずに話だけ聞くのはおかしかろう?」

「何件いったんだ?」

「九軒だな。」

悪兵衛との会話を意にも介さず、鯖寿司に手を付ける美浪。

ほっそりとした体型ながら底なしの腹を持っているのは隊でも

有名であった。刑部は微笑しながら酒を飲みほす。

「よし。では今より頼むぞ。」

「は。」

美浪は熱い茶で寿司を喉に流し込むと剣を持って立ち上がった。

いまより酒場を巡り、夜半まで聞き込みを行う。食事と共に酒も美浪は

うわばみであった。

「よく食う悪兵衛も美浪には叶うまい。」

「はい、奴は腹に穴があいていて、どこかに食い物を捨てていると噂が。」

悪兵衛の言葉に刑部は笑っている。


*


仕事明けの藩士と浪人、武士でにぎわう居酒屋を美浪は巡る。

目星をつけた威勢のいい者達に酒を奢り、藩政、幕閣への不満を聞き出す。

様々な意見具申に尤もらしく頷き、聞き入る振りをする。

涼し気でありながら、微笑みは暖かい美浪に、屈強な男もつい心を許してしまう。


夜半、飲み客から噂を聞いた反幕閣の武士がよく集まる酒場を尋ねる。

立飲みと小上がりの小体な店で、粗末ななりの武士が多い。

酒を頼み、それとなく客の人相を確かめる。酔って声高になにか叫んでいる

小上がりの三名をじっと見つめる。

そこにとっくりと猪口を持った女が隣にたった。

「どうぞ、おひとつ。」

勝山髷に着流し姿、化粧が崩れた遊女風の女であった。

「かたじけない。」

美浪はにこりと笑って一息に飲み込んだ。

「あら、おつよい」

女は甲高く笑う。美浪は奥の小上がりの三名を見つめながら適当に

相槌をうつ。だが、その視線が女の指先で止まった。

女は卓に溢した酒を指でなぞり、不知火の紋章を描いた。

またその隣に三日月の文様を示す。

(隠密か)

美浪の表情が一瞬引き締まるが、目を落とし、また柔和な表情に戻る。

「美浪結宇と申します。」

「存じておりますのよ。かおり、です」

香と名乗った女は濃い紅を引いた唇を開き、酒を流し込む。

「よくぞ、一日でこちらをあてましたねえ。」

「棒振り同士は心を許すのが早いんですよ。」

「まこと、女の身ではなかなかお侍と仲良くなれなくて。」

調査に女を使うのは隠密の常とう手段ではあったが、今回はそれが裏目に

出ているという事だった。情報の交換の為、香はあえて美浪に接触してきた

のである。

「我々一門の事をご存じで?」

「ええ。今後皆様にそれぞれ。」

目立たぬ様、不知火の侍達それぞれに接触を図るつもりである。

恐らく香のように町人に成りすまし、情報交換や手助けを行うという

目論見であろう。悪兵衛が勘違いせねばいいが、と美浪は考えた。

「強いお武家さまがこちらに集まると聞きまして。強い人好きなの。」

「うん。お強い方には出会えましたか?」

「それが、なかなか。でもね、知り合った方、書付にまとめますので

明日にでもお渡しできる?」

「それは嬉しい。修行中の身でありますので助かります。」

情報を与える故、これ以上ここでの聞き込みは危険だから手を引けという

意図を感じた。すぐに酒場を引き払う。

後ろ手に、下卑た声と香の甲高い笑い声を聞きながら闇夜を歩み始める。


「月光も出張ってきているのか。弥者絡みは確定しているという事だ。」

美浪は改めて表情を引き締めた。





刑部と悪兵衛は、午前中に京でも五本の指に入る道場の一つ、

心揮流水明館の門を叩いた。

腕利きの道場生三名を悪兵衛が一人で打ち倒し、刑部は館主に歓待される事に

なった。酒と昼食を振る舞われたが、悪兵衛は刑部に耳打ちされ、

修行の名目の元に辞退した。

刑部が一人残り、残り全ての道場生が襲撃したとしても後れをとるとは

思えない。


「道場生が出奔?」

「お恥ずかしながら。」

「それはまた」

水明館館主、尾形清永は四十前の落ち着いた穏やかな男であり、

同年代の刑部との話しも合い、心許した様子である。

「当流でも逃げ出す者は毎年おります。残ったのが中山でありまして。」

「それがどうも稽古ではなく、よからぬ同輩に誘われ、お上に異を唱える

徒党に加わった模様で。」

「ご心痛いかばかりか。」

「師範代を務めておりました。本来ならば中山殿とお手合わせ願える所で

あったものを。我が指導の至らなさ、慙愧に耐えませぬ。」

尾形は眉間に深い皺を刻み、酒を舐めた。


*

中山安久兵衛と名乗った悪兵衛は、午後に向かう予定であった道場を目指し、

都の目貫通りを歩む。人の数と活気に圧倒されている。

埃にまみれた黒の道場着に、すり減った草履で闊歩する様は浪人の様で

あったが、まっすぐ前を見つめ、背筋正しく歩む姿にみすぼらしさは無かった。


「悪兵衛。」

呼び止められ振り向くと、ぼて振りの町人姿の少年が立っていた。

「朧丸。」

悪兵衛は破顔した。

二人は連れ立って歩きはじめる。

「脚はもういいのか?」

「うむ。もう元通りだ。」

朧丸は軽く脚を振る。悪兵衛は膝横への蹴りの記憶が蘇る。

「よし。どこでやる?その河原におりるか。木刀をよこせ。」

白い歯を見せて、肩をまわす悪兵衛の言葉に朧丸は笑い出した。

「ばか。勝負ではない。業務連絡だ。」

「なんだ、そうか。」

拍子抜けした表情の悪兵衛の腹が大きな音を立てて鳴った。

「昼飯を食いながらだ。腹が減った。」

「侍は腹の虫もおさえられんのか」

「腹が減っては戦にならん」

「呑気なやつだ。」


二人は活気のある立ち食いの蕎麦屋に入る。みやこの労働者で溢れかえり、

店の外にも人は溢れている。人々は大きな音を立てて蕎麦をすすっている。

「読み物で見たんだが、特殊な携行食があるんだろう?」

「ああ、茎縄の事か。」

「それだ。普段は縄にしているとか。」

「芋の茎を干して編んで、味噌につけたもんだ。」

「どんな味なんだ?」

「まずい。塩辛くて硬い。口に含み続ける。」

「ううむ、食ってみたい。」

朧丸はその味を思い出してうんざりしている。他愛もない会話をしている

二人の前に、井戸水で冷やした大盛りのざる蕎麦が出された。

濃い目の鰹の風味の漬け汁にひたし、一気にすする。

新蕎麦の香りが鼻に抜ける。

「うまい。冷たくてうまい。」

悪兵衛の変てこな感想に無表情な朧丸も苦笑する。

「蓮根。」

店の主人が串に刺した天ぷらを二人の前に出す。手元の塩につけ、食べる。

「薩摩芋。」

「芝えび。」

次々に供される天ぷらを悪兵衛はぱくぱくと食べる。朧丸は、主人に

もういい、と頼む。止めなければ好きなだけ揚げてくれる。

大盛りのざる蕎麦に天ぷらを十串食べ、満足した。

悪兵衛の食いぶりに気を良くした主人は二人のざるを下げながら

小声で耳打ちする。

「新しいタネで揚げてみたんだけどよ、試しに食わねえか。」

「ほう、面白い。朧丸、いいな?」

「あと一串ならな。」

「よしきた」

赤ら顔の主人は手並みも良く、長方形の天ぷらをあげ、二人に供する。

「塩を上からふりねえ。」

悪兵衛がかぶりつくと、中から半ばとけた乳臭い脂が吹き出す。

目を白黒させて吸い付く。朧丸も同様に驚いている。

「ぼうとろだ。牛の乳の脂を揚げてみたんだ。どうでえ?」


二人は炎天下の中、蕎麦屋をでた。互いの顔色の悪さを確認する。

腹の底に、最後に食べたぼうとろの天ぷらが重い。

気分も悪くなってきた。

「どうする?勝負するか?」

力なく悪兵衛が尋ねる。

「勝負はしてもいいが、今日はしなくてもいい。」

「じゃあ今日はやめておくか。」

「うむ。やめておく。」

青い顔の朧丸は忌々しげに言った。





夜、逗留する小館流の屋敷の一角にて不知火の侍達は情報の交換を行っている。

「隠密の接触があった。京の大手の道場にはそれぞれ潜入し内情を探っている。」

「今後、動きがあった場合道場生を通じてこちらに伝手つてを送る。」

湯気をあげる焙じ茶を刑部は一口飲んだ。

「では水明館にて?」

「うむ。書生の宮本何がしが隠密だ。」

悪兵衛は眼鏡をかけた穏健な男を思い出す。二人を案内し、館主尾形にも

重用されているように見えた。隠密の組織力に舌を巻く。

「こちらがくのいちの陰足より預かった、失踪者の名簿です。」

美浪が書付を広げる。大小様々な道場より、出奔した者の名と日付が

記されている。いつ頃から武闘団への加入が始まっているのかは

定かではないが、記録を始めた二年程前からだと、ここのところ半年の

間に増加の傾向にある。

「悪兵衛が接触した者は。」

「情報をもたらされました。ここ数日我らを観察し、尾行している者達が

います。神明流光陽館の道場生です。」

「ほう、気づかなんだ。そうか、逆恨みしたな。」

「はい、我らの口より道場の悪評が上がる事をよしとせず、襲撃計画を

立てていると。」

「よし、では奴らの襲撃計画と決行日を予想せよ。」


悪兵衛と美浪はしばし考え、悪兵衛が口を開く。

「神明流を打倒して本日で二日。師範が出稽古より戻るのが週末との

話しでしたので、おそらく人を集め三日から四日後、路上で襲撃を企てているの

ではないでしょうか。」

続いて美浪も自らの考えを話す。

「悪兵衛の実力を一枚目をぶつけてよくわかっているはず。師範の戻りを待ち、

改めて歓待すると見せかけて道場で毒を盛るか、不意打ちで襲撃を。同じく

三日か四日後と。」

刑部はうなずきながら、湯呑を膳に置いた。

「神明流の目的は、流れの武芸者の我々に敗れ、評判を落とされるのを

恐れての事だ。武芸で上に立つ事ではない。」

「また、本日我々は名高い心揮流の門を叩き、これを破った。詮索していた

神明流はこれをも知る。」

「襲撃は今夜、もしくは明日だ。」

刑部の言葉に二人は表情を引き締める。

「美浪、大宮殿の警護にあたれ。」

言葉を聞くなり美浪は木刀を持って退出した。

悪兵衛は行李より襷をだし、静かにかける。

刑部は文机に向かい、報告をしたためる。静かな時間が流れた。


やがて、屋敷の表門から怒号が聞こえる。

殺到する足音が聞こえ、奥の間と中庭を結ぶ襖が乱暴に開かれた。

松明を掲げた覆面の者達が刑部と悪兵衛の姿を認める。その数六名。

冷たい音をあげてそれぞれが白刃を抜いた。

足元を固めた草履が土で畳を汚す。

刑部が手元をみつめ、書をしたためながら静かに言った。

「一人残せ。色々聞かねばならぬ。」

「御意。」

悪兵衛はゆっくりと立ち上がる。

覆面の男は刀を振り上げたと同時に、部屋奥から飛び出した悪兵衛の

突きによって吹き飛ばされ、悶絶する。喉をつかれ口から血を吹き出す。

覆面の男達から気合声と怒号が飛び出し、悪兵衛に打ちかかる。

破双で飛び出した悪兵衛は塀を背にして白刃を木刀で受け、返す刀で男の

腕を撃つ、剣の振りの速度が根本的に違っている。男達は悪兵衛の木刀に反応する

事が出来ない。

両腕を折られた男は悲鳴をあげてのたうち回っている。

「師範だ。師範をやれ」

覆面達の最奥の男がかなきり声をあげた。他の者達は踵を返し、母屋に向かう。

悪兵衛は静かに息をつき、変形上段に構えた。

「射刃」

声と共に魁音撃を繰り出す。激しい振動と破裂音と共に木刀が粉々に砕けた。

衝撃の塊がうねりながら走り、背を向けた覆面達に炸裂する。

三名が全身を貫く破壊の力に一瞬で貫かれ、意識を失って倒れた。

悪兵衛は縁台にあがり、刑部を背にするように立つ。

襲撃者の残りは指示を出していた男が一人。動揺と恐怖が見て取れる。

刀を持つ手が震えている。

男は懐から火筒を取り出した。管打ち式の短銃と呼ばれるもので、

複数の弾丸を装填している。

男は刀を放り出し両手で短銃を握り、悪兵衛とその同一直線状にいる

刑部を狙った。

悪兵衛は無造作に部屋に戻り、木刀の小刀を持ち現れる。

刑部は書類の作成を続けている。

「悪兵衛、ここに署名せよ。」

まとめた報告書の連名欄を指定する。

「は。」

悪兵衛は刑部の隣に座り、筆をとる。

短銃を構えた男は侍の不可解な行動に驚愕しながら、一歩、また一歩を距離を詰め

二人の殺傷を確かなものにする。

乾いた音が鳴った。銃口から火柱が上がる。

刑部は少し顔をあげる。悪兵衛は机に頭をさげた。

その間の空間の先、柱に弾がくいこむ。

覆面の男は大きく息をつき、震える手を止めようとする。

もう一度狙いを定め引き金を引いた。

悪兵衛は顔を上げ、刑部は微動だにしない。

悪兵衛の額のあった場所を弾丸が通り抜け、壁に当たって爆ぜた。

「よし。」

刑部は書付をもう一度点検する。悪兵衛は立ち上がり、

短銃を構えている男に無造作に近づいていく。

「殺してはならんぞ。」

刑部の静かな声が響く。


襲撃者の首領は神明流の師範代、金澤宗右衛門であった。

泣く泣く、師範の居ぬ間に後れをとり、立ち合いに応じず

餞別として賄賂を贈り、刑部に拒絶された事、諸々の事実が外に漏れたとき

自らの立場を危惧し、襲撃計画を立てた事を告げた。

年老いた大宮清秋を与し易しと見て、差し向けられた二名も美浪に手もなく

打ち倒されている。

師範が戻り次第、事実をすべて話すように刑部にくぎを刺される。

「さもなくば、我ら今一度神明流光陽館の門を叩く所存。」

刑部の言葉に心底恐怖し、金澤は怪我人を引き連れ、這う這うの体で

逃げ帰った。

優男の美浪の洗練された撃剣を目の当たりにした大宮清秋は、

いまだ興奮さめやらず、槍を持ち出してきた所を優しく留められている。





翌日より、再び刑部と悪兵衛は道場を巡った。

美浪はさらなる情報収集と共に、出奔した武芸者の身辺調査を行う。

隠密の女から指示のあった雑貨屋に向った。

小物を扱う大店でかんざしや半襟を選ぶ年若い女性達で溢れている。

美浪は店に入り見回した後に奥にたたずむ町娘に向かった。

「やあ、香さん。」

平々凡々とした若い娘は驚きの表情を美浪に向けている。

うらぶれた遊女姿であった隠密部隊月光の工作員、香である。

「美浪さん、よくわかりましたね。」

「それはわかるよ。香さんは香さんだ。」

にっこりと微笑んだ美浪の優しい表情を睨み、小声で告げる。

「なにか、技を?」

自らの扮装技術を疑わない香は食い下がる。が、美浪は知らぬ顔で

小物を手に取って眺める。

美浪結宇は、「浮環ふかん」と呼ばれる常時発動型の魁音撃を飛ばしていた。

これはわずかな士魂の消費により、自らの付近にいる者の士魂の有無、

破常力の有無、大まかな戦闘力を推し量る事が出来る戦技である。

特殊な能力ゆえ不知火でも美浪しか使役する事は出来ない。

別人にしか思えない香を同定したのもこの力であった。


「武芸者とその許嫁?」

「ええ、妻も共にという話もあるんです。」

「行方知らずになったんですか?」

香が丹念に出奔した者を身辺を調査した所、何人かが

その近しい者と共に行方知らずになった事を伝えた。

二人は小物を選ぶ男女の関係の体をとりながら小声で話す。

傍から見れば内緒話で睦み合っている様であった。

「その方達に共通点は?」

「身分も、立場も、ばらばらです。熱心に道場に通っていたのは

みな同じですし。独り者ではなかった、くらいです。」

「その後の足取りは?」

「わかりません。」

二人はその後いくつか言葉を交わした後、美浪が飾り櫛を

香に買ってやり、男女の仲を装いながら店を出た後、別れた。

同様に若い男女が店の中で談笑しながら小物を選んでいるのを

一瞥し、美浪は繁華街に向かう。


*


内偵調査で三日費やしたが、それ以上の情報は得られなかった。

それでも精力的に侍達は動いている。

その日の朝餉で悪兵衛は恐る恐る刑部に尋ねた。

「刑部殿、食事に手を付けぬのはお身体の具合が?」

すでに刑部が食を断って四日経っている。やや頬がこけ顔色が悪い。

「そうではない。今夜「理間りけん」を行う。」

「それは」

悪兵衛と美浪は顔を見合わせ箸をおいて姿勢を正した。

「夜まで武道場にて黙想し今夜半に決行する。お前達には見せるのは

初めてだが、完全に無防備な状態になる故、理間顕現中の守護を頼む。」

「は。」

二人は深く頭を下げた。緊張で表情が硬い。


情報収集の任を得た二人は歓楽街に続く裏通りを歩く。

人影はまばらでぽつぽつと開かれている飯屋への出入り位であった。

焼いた魚の匂いに悪兵衛は鼻を鳴らしている。

「理間の警護か。責任重大だ。」

美浪がつぶやいた。

「どのような状態になられるのだ?」

「聞いた話だが、顕現中は前後不覚に陥り、仮死状態に近いらしい。」

「解除されるまで昏睡が続く。」

「その間に襲われたらひとたまりもないという事か。」

「うむ。それゆえ刑部殿は努めて遠征しないようにされているが、

理間の発動自体が不確定ではな。この度のように、発動間際で自覚症状が

現れるというが。」


織田刑部の行う「理間」とは、時空超越遠隔透視である。


本土決戦軍閥師団、四軍中ただ一人しか使えない魁音撃がいくつか存在する。

「魁音唯技」と呼ばれるその技は特殊な能力を持つ事で知られ、

刑部の理間もその一つである。

四か月に一度程無意識に発動し、その予兆は顕現前の数日にしか感知できない。

自ら、不知火、本閥、日の本に迫る危機を時間と空間を超えて

鮮明に視る事が出来る。

戦争自体の趨勢を握る能力である為、不知火隊内でのみ知られ、

絶対の秘匿とされていた。


「おい、中山。」

髪を結わえ、粗末な道着を身に着けた朧丸が立っている。

みるからに若いながらも食い詰め浪人姿である。

「悪兵衛。」

美浪が小刀の柄に手をかけて髪の毛一本分程、抜いた。」

「大丈夫だ。陰足だ。」

悪兵衛は美浪の肩に手をかける。

「あれは相当だぞ。仕合うのはかまわんが、負傷するなよ?」

美浪に笑いかけて朧丸と連れ立って歩き出す。


「お前たちを襲った金澤一派が道場を放逐された。」

「神明流光陽館の道場主、鴨川弦斎が戻った。かなり

厳格な人物のようだ。」

「そうか。ここ最近の行方不明者の足取りはわかったか?」

「そんな事より、金澤の報復を警戒せんでよいのか。」

「奴は二度と現れぬだろう。武士が刀を捨てて火筒を用いる等

言語道断。もう奴に魂はない。」

堀に沿ってしだれ柳が連なっている。

中天の白い陽をその木陰で避けながら二人は小声で語る。

朧丸はしばし考え込んだ。

「どうした?」

「これはお前の隊規から見て答えずともよいのだが」

「美浪という侍。奴は何か暗示や催眠を用いるのか?」

「いや、特殊な魁音は使役するが、そんな能力はない。」

「そうか。」

「なんだ。何が気にかかる。」

「どうも、手下の者が美浪と接触後、精神状態がおかしい。」

「どういうことだ。」

「惚れておるようだ。」

「ああ、それはよくある事だ。」

陽気に笑う悪兵衛を朧丸は恨めしそうに横目で見た。

「笑いごとではない。任務に関わる。」

また、隠密の目から見てもここ数日の刑部の憔悴を不審に思い、

問われた悪兵衛も詳しく話すわけにもいかず、言葉を濁した。





行燈の灯った寝室で、織田刑部は魁音刀、国造くにつくりを抜いた。

小さく白い火花が奔る。重い刀身が刑部の士魂に反応している。

現在不知火の標準装備となっている馳駆紫の一世代前の魁音刀であり、

その取り回し、重量の悪さから不知火で使用しているのは刑部だけである。

枕元にそれを置き、横になった。

理間の発動特有の全身の硬直と落下間に襲われ、意識を失う。


眼前に光景が広がっていく。

青い山々に星、月。吹き抜ける風。

刑部は稜線を目で追う。そのふもとに無数の篝火が焚かれ、

移動する松明が見える。

いくさ。いつだ。」

月の位置を確かめようとし、刑部は星空を見て息を飲んだ。

「いや、ここは何処だ?」

見慣れた星々は消失したように見える。

ようやく見つけた鼓星は、完全に逆さの配列になっていた。

光景が山の麓まで一瞬で移動し、松明を持った鎧武者達の中に

入っていく。篝火に照らされたのは重装備の本閥の侍達であった。

前方に戦端が開かれ、遠く怒号が響き、陣太鼓が打たれている。

山岳の稜線や背後の平原、植物、月の位置を詳しく観察しても

頭の中に入っている軍略図に当てはまらない。

「日の本ではないのか。」

刑部の額に脂汗が流れた。目をつぶり意識を集中する。

視点が上空に上がっていく。俯瞰で大地を見下ろしている。

先遣隊が激しく攻防を繰り返す中で明滅する白い光、青い光、赤い光。

魁音撃が何度も炸裂している。

間違いなく本閥と弥者の全面戦争であった。


眼下に広がる戦場を見つめながら、その映像を挟んだ先に、

一人の男が腕を組み同じように見下ろしている。

「ヤマトビト、このうつつが見えているのか。」

深く、低い声が響いた。男の影は見えるがその様相はわからない。

「何者だ。」

刑部の誰何に答えず、男はじっと戦場を観察している。

やがて、戦場に白い光が出現し球状に広がっていく。

その眩しさに手をかざし、目を凝らすと戦端で広がった白い光は

両軍の兵士を巻き込みながらひと際大きくなった後、消失した。

その跡には巨大な円形の焼け野原が広がり彼方此方で野火があがる。

「これは…閃爆か!」

刑部は恐怖の記憶と共に我知らず叫んだ。

「閃爆、と呼ばれているのだな。」

「お主、弥者か。」

一瞬の白い光に浮かびあがった男には長大な角が生えていた。

「これは我らの王の怒り。神の力。ホムラノシシクである。」

視点が下がっていくと、閃爆の中心は巨大な噴火口に様な孔が開き、

焦土と化した大地に生物は残っていない。

中心から外れると燃え落ちた炭が放射状に連なっている。

すべて兵士の遺骸であった。

刑部は目をつぶり、大きく息をついてから正面の男に向き直った。

「この戦場は、お前達の本拠地だな?」

正面の男もじっと刑部を観察しているようである。

言葉には答えず、低く、笑った。

「ヤマトビト。」

「いや、人間と云おうか。私と同じ力を行使する者がいるとは。」

光景が徐々に闇に包まれ落下感が襲う。自らを時間と空間に繋ぐ糸がほぐれ、

消失した肉体が再生していく。刑部は理間の途切れを感じた。


目を開けると、すでに障子が朝焼けで紅に染まっている。

からすの声がけたたましい。

ゆっくりと起き上がり、全身の冷たい汗に気づいた。

「理間で知り得た情報は」

「一つ、全面戦争が行われるのは日の本ではない。」

「一つ、その際、閃爆が行使される。」

「一つ、私と同等の能力を持つ者が弥者にいる。」


寝室の前でまんじりともせず、夜を明かした悪兵衛と美浪は

刑部の息遣いを感じ、胸をなでおろした。


山菜と油揚げを煮込んだ雑炊をゆっくりと刑部は咀嚼している。

顔色が元に戻りつつある。

悪兵衛と美浪は朝餉を共にしながら、刑部の言葉を今か今かと

待つ。

「刑部殿、理間の顕現内容は秘匿されると伺いましたが」

「本件に関しての映像は。」

「残念だが、直接は無かった。」

空になった椀に白湯を注ぎ、目をつぶって飲み込む。

「これは口伝にてお頭に報告する取り決めになっておる故、

書を作成する事もない。飯を終えたら少し寝るぞ。」

悪兵衛と美浪はほっとした表情で雑炊をかき込み、意識を

擦り減らした一晩分の眠気が襲ってきている。


*


午後の遅い時刻、神明流光陽館の道場主、鴨川弦斎が

訪ねてきた。手には詫びの風呂敷包みを持っている。

五十がらみで揉み上げが白く、厳しい視線の峻厳な容貌の

男であった。

まず、師範代の非礼を深々と詫び、包みを差し出す。

中身は、迷惑代としての金子である。刑部は無言で受け取った。

放逐された者、懲罰を受けた者の話をしばしした後、手打ちと

いう事で冷たい酒が振る舞われた。


武道家同士の凝り固まった空気が弛緩された頃、鴨川は

刑部にひとりごちるように言った。

「最近のお上の所業は首を捻る事ばかりで。」

刑部は静かに酒を舐めながら聞いている。

「道場生の名簿と出自を詳しく記した物を提出し、お上の決めた

規範によって道場の規模で人数を調整せよとのお達し。」

「軍縮を目論んでの事でありましょうな。」

「太平の世とはいいながら、弥者、狗族の討伐は戦と同義であります。」

「強い侍を送り出すは我が使命と思えばこそ。」

鴨川の厳しい表情の中に強い怒りが見て取れる。

「織部殿はどのようにお考えか。」

「剣を軽んじ、金と保身の為に軍を縮する輩は、これを国賊と考える。」

「天誅を下すべきでしょうな。」

刑部は殊更に国粋主義を装ってみせる。美浪はその物言いに気づき、

眉を寄せる。刑部の真意をわかりかねていた。

悪兵衛は呑気にだされた牛蒡を揚げた菓子を食べている。

しばし話した後、鴨川は刑部に折いった話しがある為、人払いを頼んだ。

奥の間に二人を残し、東の間にて悪兵衛と美浪は刑部を待った。

一刻程話し込み、鴨川弦斎は退去していった。


「手がかりを得た。鴨川は武闘団と関わりがある。」

刑部は二人に事も無く言い、酒を飲みほした。





刑部と美浪は鴨川弦斎の紹介により、一人の男と会っている。

川沿いの小料理屋の一室で、しばし剣術談義を行っている。

悪兵衛は刑部の命により、一人街中に出ていた。

刑部達にほど近い川沿いの道で悪兵衛は立ち止まる。

「朧丸。いるか。」

「どうした?悪兵衛。」

土塀の上に、若衆姿の朧丸が現れた。

「刑部殿と美浪が今、そこのさと屋という小料理屋で人と会っている。」

「手下の者はついているか?」

「いや、出払っている。情報収集中だ。」

「刑部殿と会っている者を尾行し、調べてくれ。武闘団の繋ぎの者に

違いない。」

「わかった。」

それきり、朧丸の気配は消えた。

悪兵衛は辺りに気を配りながら一旦小舘流道場に戻った。


その日の夜半、刑部と美浪は帰宅した。

悪兵衛は二人の無事に胸をなで下ろしたが、刑部の眼差し、美浪の

緊張に大きな進展があった事を察知した。


「結果から言おう。武闘団を指揮しているのは弥者だ。」

「鴨川の紹介の男は大名の中間でな。我らを信用し船で移動した。」

「案内されたのは皇族の屋敷だった。」

「そこでやんごとなき方と会ったのだが。美浪。」

「間違いありません。四名とも弥者です。」

「一人は僧侶に見える。大柄な男であった。いま一人は痩身の浪人風、

残り二名は御簾で姿かたちはわからなかったが、男女のようであった。」

弥者が四名。悪兵衛の瞳に炎が映り、刀掛の琿青がかすかに震えだす。

「表面上では世を憂い、内密に国賊の天誅を下す正義の武闘団という

触れ込みであった。志を同じくする者であれば支援するという申し出だ。」

「その場での返答は避け、戻った。」

あざみ党と申しておりましたね。」

「触れて刺を差す薊、か。」


「不知火、織田刑部殿。」

庭先より声がする。刑部に促され、悪兵衛が中庭に面した障子を開けた。

黒衣姿の三名が膝をついている。

「隠密諜報部隊、月光。卍組頭領、朧丸。」

「同じく卍組、渦目うずめ。」

にう組、香車。」

「本日、播磨悪兵衛殿の指示により薊党本部五条邸を調査。

報告に上がりました。」

朧丸に従う渦目は水明館の書生、宮本。香車は美浪と接触していた女、

香である。刑部達は縁側で座り込む。

「五条邸、では我らが謁見していたのは皇族の五条様という事か。」

「いえ、あの館には五条様の縁にある方が逗留しているとの事。」

「さる大名の京屋敷の奥に五条邸はあり、通常では潜入難く、本日織田殿を

尾行し初めて水路での侵入経路を発見しました。」

「薊党の武士達は手前の大名屋敷の中間部屋に詰めており、時間を定めて

五条邸を見回っております。」

「薊党の武士の数はわかっておるのか。」

「およそ二十。しかし大名抱えの中間が五十程おります。」

刑部は話を聞きながら手元の書付に大体の屋敷の図を描いている。

「こんなものか。」

のぞき込んだ朧丸は息を飲むが冷静に答える。

「はい、おおよその間取りは合っています。」

「悪兵衛。頭目はどう指示する。」

「は。薊党、中間とも我ら三名の吶喊で殲滅できますが、その間に

弥者の逃走を許します。なんとか本丸を討てれば。」

「よし。では月光に屋敷の構造の調査を依頼する。」

刑部の言葉を聞き、隠密三名は庭の影に同化するように姿を消した。

「刑部殿、突入は。」

「まだだ。弥者の目論見がわからぬ。屯所に報告しその返りを待つ。」



*



五条邸、謁見の間には一段高い御座に御簾がさがり、その奥に

座している二人の人物がおぼろげに見える。

中央に小柄な直衣姿の男性の影、その横に豪奢な紫の桂姿の女性がいる。

謁見代の手前に守るように痩身の浪人姿の男、筋骨逞しい僧形の男が座している。

男達の視線の先に、道着姿の青年が立ち尽くし、震える手で刀の柄に手をかけ、

荒い息を吐いている。その前方に猿轡をした町娘と初老の町人が

柱に縛り付けられている。

僧形の男が口を開いた。

「古賀善右衛門。そなたはその若さで町道場の師範代まで

上り詰め、東京の剣術道場でも五本の指に入ると言われている。」

「身寄りの無いお前を引き取り、生活を助け、立派な武道家にしたのは

誰だ?」

震える青年は脂汗を流しながら口を開いた。

「そこにいる、加賀美屋正平殿でござる。」

「そうだ。そしてその娘、美里とお前は婚姻の約束をしている。」

御簾の奥から、旋律が流れ出す。女がつま弾く筝の音色だった。

悲し気な韻律が謁見の間を満たしていく。

「加賀美屋は一代で財を成した。表向きは貿易だが。」

「その男は何をしていた?」

「加賀美屋は」

古賀善右衛門と呼ばれた青年は俯き、涙を流した。

「藩と結託し、狗族に滅ぼされた人々の財産を収奪しておりました。」

「お前の両親はどうなった。」

「番役として襲撃してきた狗族と戦いましたが」

「その数に圧倒され、撤退いたしました。士道不覚悟として

切腹、家は断絶しました」

善右衛門は泣き崩れた。御簾の奥の筝の音色が高まる。

「裏で糸を引いていた加賀美屋正平は国賊である。またその娘美里も、

武士であるそなたを同族に勾引かす人非人である。」

筝の音色はさらに高まり、蝋燭の炎が振動で揺れる。

顔をあげた善右衛門の瞳は赤茶色に染まり、口中から煙が吐かれる。

「斬れ、古賀善右衛門。」

逞しい男は静かに言い放った。善右衛門は雷に打たれたように

痙攣しながら立ち上がり、刀を抜いた。

髷の紐がぶつりと切れ、総髪が逆立つ。おのれ、おのれと呪詛を

口にしながら一歩一歩、加賀美屋正平と美里に近づいていく。


得意の下段に構え、加賀美屋の前に立ったとき、善右衛門は

正平殿、父上、と言葉を発し、刀を立て、自分の喉を貫いた。

加賀美屋正平と美里の眼前で善右衛門は自ら命を絶った。

その背後に痩身の浪人姿の男が歩み寄る。

うつ伏せで倒れた善右衛門の背を、音もなく抜いた刀で斬りつけた。

遺体は切り口から衣服が濡れるように黒く変色し、やがて全身が

炭のように黒く染まり、自重に耐えきれぬように崩れ、黒色の砂の

山になった。

御簾の奥の筝の音が止まった。

浪人姿の男の額の横から角が生えている。口元から犬歯が覗き、

その瞳は赤茶色に燃える。

加賀美屋とその娘に事もなげに刀を差し込むと、猿轡の中で

二人は絶叫を上げたが程なく炭の人型となり、砂山は崩れた。

「あやまちか。」

逞しい男が口惜しそうに呟く。

「刀使いで鍛えた技ではない、その心のありようが肝要のようじゃ。」

御簾の奥でユウギリノヌシが笑いを含んだ声で言った。





五条邸での邂逅の後五日後、身の回りの荷物に見せかけた輜重隊の

物資と、屯所よりの通達が届いた。

「弥者の殲滅を何よりも優先すべし、とある。」

隊長、伊庭の言葉を一言一句刑部は伝えた。

「しかし、未だ弥者の目的はわかってはおりませぬ。殲滅しては。」

美浪が膝を叩く。悪兵衛はじっと刑部を見つめている。

ここの所、道場破りは控え日々剣術の稽古と手習いに費やしていた。

体内には十分な士魂が練り込まれ、弥者を思えば自然に拳を握る。

「これはお頭の意思ではあるまい。弥者発見の報を受け、不知火、及び

幕僚としては一刻も早く討たねばならぬ事情が生じたのだ。」

「それは」

「美浪、考えてみよ。」

「…狙われているのは穏健派、和平派の者だからですか。」

「そうだ。原因解明の為、手を出さずにいて新たな犠牲が出た場合、

不知火の幕閣に対する謀反として捉えかねられない。」

「悪兵衛は何とする。」

「弥者を発見し、犠牲が出ている以上、殲滅は一義と考えます。」

刑部は厳しい表情を崩した。

「それでよい。月光の者を呼べ。」


程なく、朧丸と香車が現れた。渦目は五条邸に詰めている。

刑部の居室で朧丸の持ち寄った邸の図面を眺める。

詳細な間取りと見回りの時間、間隔を隠密たちは掴んでいた。

そこで突入の時間の目星をつける。が、屋敷から邸への見回りが

「右回り」か「左回り」かで経路を確立できない問題が生じた。

それだけは乱数的に決められているようである。

「この中央の物見櫓は?」

「屋敷と邸の渡り廊下、内部を確認するのには絶好ですが」

「内密に事を進める為、連絡の手段がございません。不自然な動物の

鳴声では察知される可能性もあり、我らの通唇術もこの距離ではしかと

伝達できかねます。」

「通唇術とは?」

「香車。」

朧丸に促され香車が障子をあけ、中庭に降りる。明かりのない庭の

暗闇におぼろげに香車の唇が光って浮かび上がった。

蓄光性の塗料を唇に塗り、何言かうごめく。

「しのびとは これすなわち こころに やいばおきもの」

朧丸がその唇の動きを読んだ。香車が戻る。

「何と申した。」

「忍びとは之即ち心に刃置き者、でございます。」

「確実ですが、物見櫓から邸までの距離が離れると判別は不可能です。」


「よし、邸内に潜入後、物見櫓を美浪と隠密の二名で占拠、私と悪兵衛は

奥の間に侵入、隠密二名で渡り廊下で新たに現れるであろう敵勢を足止め。

決行は明日の夜、子の刻とする。」

朧丸が顔を上げる。

「織田殿、見回りの見極めと連絡は。」

「美浪、よいな。」

「は。」

侍達の絶対の態度に、それ以上の具申は控える。

副長とはいえ、参謀方とも呼ばれる役職の刑部と、頭目の悪兵衛、

二名で未知の力を持つ弥者四名と相手に戦おうとしている。

無論、自らの生死を厭わない。改めて本閥、不知火の侍とはそんな

諸人であったかと朧丸は思う。


*


翌日、指定の時間に船頭衣装の渦目が提灯を持ち、現れる。

侍達は黒の引き回しの道中着に身を包み、傘の姿で

用意された屋形船に乗り込む。

刑部は檳榔子黒(びんろうじぐろ)に紫の炎の紋の戦陣羽織に鬼門甲、

悪兵衛と美浪は同じく青黒の炎之長着に鬼門甲、鉢金の潜入姿。

朧丸と香車は漆黒の忍び装束である。

大名屋敷の裏手の堀に面した勝手口より四名は侵入し、渦目は

逃走の為の船を確保するべく、その場を離れた。

植え込みの陰に刑部と悪兵衛は身を隠し、美浪は香車の案内の元、

物見櫓を目指す。朧丸は屋根に飛び上がり、渡り廊下に足止めの為の

罠を仕掛けに闇に消えた。

櫓の元には中間が二名、酩酊しつつ雑談している。

大名屋敷の中間部屋では毎夜賭場が開かれ、薊党に参加している

剣客達もそれぞれ賭博を行っていた。

「殺しますか?」

香車が美浪の背後で囁いた。美浪は唇に指をあて、

そのまま廊下を歩み、近寄っていく。

気づいた中間は見慣れぬ侍に一瞬注目した。

美浪は一気に一人に近づき、手のひらを中間の額に当てた。

直後、男は膝から崩れ落ちて意識を失う。間髪をいれずに

もう一人の腕を掴み、その鳩尾に手のひらをあてる。すぐに男は

白目をむいてうつ伏せに倒れた。

芯中ほんあて」と呼ばれる本閥戦技である。人体の急所に一時的に

大量の士魂を送り、神経を麻痺させる。美浪は敵意なく近づき、容易に人中に

当てる名手であった。

「半刻程で目を覚ます。一度効かせると身体が慣れて二度目は通じないんだ。」

中間二名を軒下に隠し、物見櫓にあがる。

確かにここならば屋敷が一望でき、見回りの経路も掴める。

美浪は静かに魁音刀、葦草あしを抜いた。白い細い火花が飛び散り

美浪と香車の顔を照らす。脇差に近い短刀である。

「香さん、いや香車殿か。いまより魁音撃を射出する。その間、俺は

完全に無防備になる。護衛を頼みます。」

あらかじめ刑部に次第を聞いてはいたが、半信半疑で香車は頷いた。

宗波そうは

美浪の気合声と共に、あたりの空気が凝縮し一度美浪に吸い込まれ、

直後に噴出するような感覚に襲われる。

(刑部殿、櫓を確保致しました。)

(よし、では突入する。各々に伝達を頼む。)

美浪と刑部の声のような波が、身体に染入るようにぶつかってくる。

香車はその明晰な声音に驚愕した。決して声が届く距離ではない。

「宗波」とは、魁音撃を任意の者に打ち込む攻撃力の無い波形である。

声の震えに似せたそれは、複数の遠距離の人間に思考を伝える。

波のように香車を打った魁音は、声では無く、士魂によって改変された

特殊な衝撃であった。

不知火隊内で宗波を使役出来るのは、美浪しかいない。


「何だ。」

「波か?」

大柄な僧服の弥者と浪人姿の弥者が目を合わせた。

「ヤシャヂカラを感じる。」

「ユウギリノヌシ、これは。」

「アメノミカドの刻ではない。」

御簾の奥、座したままで男が口を開く。

「行け、ソトナノヒコ。」

無感情な声が響いた。

浪人姿の弥者は深く男に礼をして立ち上がった。





(見回りは右回り、南側の廊下を進んでおります。)

(侵入する。)

美浪の伝達により刑部と悪兵衛は明かりの無い無人の廊下を

進む。朧丸が南の廊下の先、中間部屋との渡り廊下に

仕掛けをしているのが見える。

宗波を使役している最中の美浪は、薄目を開け、眉間より小さな

白い焔が燃え上がり、声の波と揺らぎが同調しているように見える。

香車は美浪の横顔を見つめながら、本閥の侍の異能の力に

端倪すべからざる思いであった。

すべてが打ち合わせ通りに進んでいると思いきや、

五条邸の奥の間が開き、浪人姿の者が現れる。

(弥者が一名、渡り廊下に向かっております。)

(朧丸は見回りの中間を足留め、渡り廊下にて妨害工作。美浪は香車と

弥者を討て。これにて伝送を終わる。)

刑部の確固たる思考の波が伝えた。美浪は剣を振り、宗波を切る。

櫓を降りた二人は廊下を進み、弥者へと向かっている。

「香さん、俺の戦闘で弥者の破常力を見極めてください。」

「俺が死んだら、それを刑部殿と悪兵衛に伝えてください。」

にっこりと微笑んだ美浪の瞳を、香車は見つめ、うなずいた。


豪奢な金の襖絵が続く廊下の先、行燈に照らされた浪人姿の男が

佇む。ゆっくり手元の刀を抜いた。

「何者だ。」

膝たちになり、吹き矢を構えた香車を美浪は手で制した。

「吶喊白兵衆参、不知火。美浪結宇大尉である。」

「弥者と見受ける。ここはお前たちのいてよい場所ではない。」

魁音刀、馳駆紫を引き抜くと白い火花が舞い、床におちて爆ぜた。

「ビャッコのワリビトか。一人で現れるとは。ヤシャショウライ」

浪人は呪詛を放つとこめかみより長大な角が現れる。肉体の変化は

ないが暗い廊下の先に赤茶色の瞳が肉食動物の瞳孔のように光る。

「ム モ レ ギ 」

弥者は言葉を発しながら斬りかかる。美浪は事もなくその袈裟切りの

死角に身体を反らせて避け、右薙ぎを身体を回転させてかわす。

魁音刀はまだ地を向いている。

弥者は歯をむき出して突きにくるが美浪はややゆっくりした動作で

刃を立て、金属音を立ててその軌道を反らす。よろよろと弥者は

進み、美浪と位置を入れ替えた。

このやりとりで、美浪は相手の力量を図っている。

道場剣法にやや実践の経験がある程度、必死に一本をとろうとする

浅ましさすら感じる。ならば、相手のその意思を逆手にとるまで。

上段で斬り付ける弥者の剣を受け、やや引き気味にはねのけると

そこに嵩に懸かるように二撃、三撃目を打ち込んでくる。

香車は劣勢に立たされている(ように見える)美浪を必死の形相で

みつめている。

定璧ていへき

美浪は静かにいって剣を振り一歩下がる。八双に構え、突っ込んだ弥者の

腰部から腹まで衝撃が襲った。魁音撃が炸裂している。

「定壁」とは、基本の魁音撃の一つで、射出した衝撃の塊、通称爆壁を

その場に一秒から二秒留まらせる技である。

通常より強力な魁音撃の習得の為の前段階として学ぶ技ではあったが、

美浪の冷静な判断により弥者は出現した爆壁の中心に自ら入ってしまった。

分断された弥者の上半身がごとり、と音を立てて床に落ちる。

うつ伏せのまま、腕をもがいているが、やがて動きは止まった。

美浪は香車にうなずき、魁音刀を鞘に納めた。その瞬間、弥者は腕だけで

跳ね起き、髪留めを投げ打った。

香車は身を挺して美浪の背後に立つ。その肩口に小さな髪留めが刺さった。

「ヤシャビト 栄 あれ」

弥者は満足そうな笑みを浮かべて再び伏した。魁音撃の侵蝕が首まで

進み、白煙を上げている。

肩口に刺さった髪留めを香車は引き抜くと、その小さな傷は桶に落とした

墨汁のように広がっていく。

「香さん」

美浪がその肩を支えた瞬間、香車の白目まで黒く染まり、やがて人型の

炭の塔になった香車は崩れ落ちた。

「一太刀でも当てれば、対象を砂にして滅する破常力であったか。」

美浪は手から流れ落ちる黒い砂を握りしめる。

ほのかに、香の温もりが残っていた。


*


刑部は奥の間の板戸をあける。

美しい襖絵に囲まれた広々とした部屋に御座。それに御簾がさがり

四方に大小様々な形の燭台が置かれている。

無数の蝋燭の灯に照らされた間は異質な別の空間のようであった。

数珠を下げた大柄な僧服の男がゆっくりと立ち上がる。

御簾の奥には女性らしい影と中央に座し、微動だにしない男。

「ヤシャショウライ」

女と僧形の男が同時に呟いた。

僧服の前を肌蹴け、赤銅色の肌が露わになり全身に渦のような入れ墨が

浮き上がり、頭頂より短い角が二本伸びる。御簾の奥の女の影にも長大な

角が浮かび上がり、立ち上がって手元に筝を構える。


「宣戦布告」

「本土決戦軍閥師団、吶喊白兵衆参。不知火。」

「織田刑部准将である。」

「同じく、播磨悪兵衛少佐。」

悪兵衛が戦旗を畳に突き立てる。白い焔が吹き上がる。

「幕閣の要人暗殺を認め、ここに報復する。」

「いざ尋常に勝負」

「勝負」


二人の大音声が響き渡り、左右の襖が次々と破裂するように破け

調度品の玻璃が割れた。

御簾の奥の女が筝を一音奏でた瞬間、悪兵衛が合掌する。

「阿環 址間」 

「刃羅 別那」

刑部は悪兵衛が真言を唱えながら言霊で放出しているのを感じる。

それは「士魂を高めながら消費し続ける」行為であり、通常意味が無い。

が、すぐに自らも悪兵衛と合わせて真言を唱える。

「聡羅刃 波螺邪弥」 

「苦羅斗羅 阿環邪」

「刃羅 別那」

「刃羅 別那」

侍達の全身が震えるような言霊を受け、僧形の男は二歩、後ずさって

膝をついた。女は筝を奏でながら声を発するが、侍の真言に途中で

かき消されてしまう。

悪兵衛は額に汗を浮かべながら真言を唱える。

御簾の奥の女の姿を見、立ち上がり筝を構えた瞬間にユウギリノヌシで

ある事を看破していた。

下束村全滅事件で、破常力による状態異常の攻撃を受けていてから

その反撃を模索していた。それがこの、「真言を言霊として飛ばし、破常力

を相殺、もしくは圧倒し消滅させる」戦技であった。

刑部は一瞬でそれを洞察し、悪兵衛と共に真言を放ち始めたのだ。

ユウギリノヌシは筝を奏で発しても、次々と消滅させられてしまう自らの力に

恐慌をきたし始める。が、拮抗しているこの状態は自らの力全てを使役しても

背後の男が居るという自信が支えている。

襖の奥の廊下より美浪が現れ、悪兵衛と刑部の背後に立ち、真言を唱え始めた。

「刃羅 別那」

「刃羅 別那」

「明、生、流、巌、心」

三人の言霊が一つになり、ユウギリノヌシを圧倒した。

喉奥から血の塊が噴き上がり噴水のように吐血する。美しい装飾の筝に

鮮血が降りかかる。ユウギリのヌシは喉を抑え、御簾の左からよろよろと

現れ、奥の壁に触れる。音もなく壁は開き、暗黒の入り口が生じる。

「悪兵衛、あれはユウギリノヌシだな。」

「は。間違いありません。」

「悪兵衛、美浪、追って斬れ。」

刑部から短い指令が下る。国造が振動し、それを抑えるように刑部が抜く。

白い火花が冷静な表情を照らす。

士魂ちからと剣。」

士魂ちからと剣」

三名は言葉を交わし、悪兵衛と美浪は破双で扉の奥に消える。


二本角の僧形の弥者はゆっくりと立ち上がった。

「我はソウケンノヌシ。ヤマトビトの宣戦を受ける。」

「我が眷属と主に誓い、ワリビトを討つ。」

ソウケンノヌシと名乗った弥者は無手のまま、刑部に相対する。

その瞳は赤く濁りながら、武道の達人特有の強い光を発している。

刑部は魁音刀を下段に構え、じっとソウケンノヌシを見つめる。

御簾の奥の男は微動だにしない。

「タ タ ラ タ マ」

「射刃」

二人は言葉を同時に発した。刑部は斬り上げる。薄く鋭い魁音撃が

畳を切り裂きソウケンノヌシに肉迫し、その胸元に接触した瞬間に

ソウケンノヌシを中心に衝撃の球体が発生し、射刃の破壊の力は

霧散した。

ソウケンノヌシは両手を十字に組み、その中心には薄く黄色に光る

渦が発生している。やがて腕に吸い込まれるように消えた。

刑部は再び射刃を打ち込み、破双でその場を下がる。

二撃目をわけもなく破常力で受けたソウケンの腕が、さらに刑部が

射出した射刃に切り裂かれ、首が飛んだ。

魁音撃すら無効化する防壁の破常力と踏んだ刑部は、その効力が

一定時間で消滅する瞬間がある事を看破し、その刹那に合わせて

射刃を二撃打ち込んだのであった。

白煙を上げながらソウケンノヌシの首の無い身体は倒れた。


刑部は、部屋に突入した時から、本当の敵の存在を感じている。

理間に見られる特有の予知のような能力かもしれない。

三名の不知火隊士を全滅させる事はあってはならないと考え、

ユウギリノヌシ討伐を若い悪兵衛と美浪に任せた。

それ程、御簾の奥に座している男は脅威であった。



十一



御簾が真一文字に断ち切られ、下に落ちた。

斬った刃は奇妙な形をした短刀で、空中で回転し続けている。

座ったままの男は仮面でその表情は見えない。

金属の骨格のような衣でよろい、黒灰の帯には桜の文様が散っている。

その胸元、肩口、仮面の額に翡翠と思われる美しい青緑の宝玉が光る。

「七つ星。」

刑部は眉を吊り上げ、表情が引き締まる。

「ヤツヒロノイクサガミ、スバルノミコト。」

「八百万とシナツヒコの護り受け、ヤマトビトを討つ。」

弥者の最高位の者とされる一人、スバルノミコトは

片手を上げると空中で回転していた短刀がその手元に戻る。

スバルノミコトがゆっくりと立ち上がると、その腰元に装着された

短刀が左右に三本ずつ飛び上がり、空中で回転を始める。

蝋燭の炎が揺れ、スバルノミコトの影をゆらゆらと揺らしている。


「お前たちは何故、戦に否定的であった和平派の重鎮を暗殺した?」

刑部は下段に構えながらゆっくりと下がる。

スバルノミコトは答えず、御台から降り刑部と相対する。

「戦争を止めてはならない理由があるのか。」

「ハ ナ ニ チ ョ ウ」

スバルノミコトの呪詛が響くと同時に三本の短刀が回転しながら

刑部を襲った。圧のある風が刑部を直撃し、破双で飛びすさる。

その着地点を狙いさらに三本が真上から襲った。

刑部は破双の発動中にさらに破双を行い、左側の障子を突き破り、

中庭に飛び出した。

奥の間の燭台の灯は全て消え、暗黒の中からスバルノミコトは

ゆっくりと姿を現し、その左右に刀が回転し続けている。

刑部は本閥戦技の複数の発動により、体内の士魂の枯渇を感じている。

(残弾、一か。)

一人ごちて刑部はにやりと、笑った。


隠し廊下の先、雨戸を破って悪兵衛は中庭に飛び出した。

刑部のいる庭と母屋を挟んで東西逆に位置する。

庭の奥にユウギリノヌシが佇み、憎しみに溢れた視線を投げかけている。

口から鮮血を溢れさせながら、筝をかき鳴らす。

馳駆紫を抜いた美浪は素早く辺りを確認しながら声をあげる。

「悪兵衛、奴は」

「歌えまい。ならば自己強化の破常力を使役するはずだ。」

悪兵衛は無造作に歩みながら琿青を抜いた。

青白い火花が散り、悪兵衛の瞳に映る。全身から吹き上がる士魂と憎しみ

に魁音刀が答え、高い金属音を発している。

ユウギリヌシの筝の音が高まり、上半身が紫の炎に包まれた。その瞬間

悪兵衛が破双で突入する。

「旭光」

怒号と共に大地が衝撃でえぐれ、破壊の爆壁が形成され打ち上がる。

攻撃の範囲はユウギリノヌシには一歩届いていない。紫の炎の中で女は唇の端を

釣り上げて笑った。

瞬間、その両手の先は喪失し、手首を巻き込み身体が溶けていく。

ユウギリノヌシは恐怖の表情で声も無く絶叫を発した。

旭光の爆壁は発現したと同時に高速で回転している。

例え直撃でなくとも、接触に近い距離であれば目標物を巻き込みながら

破壊する能力を持つ。

対弥者討伐に於いて、絶対的な攻撃的優位性を持つと言われる所以であった。

ユウギリノヌシは肘まで魁音撃に侵蝕され、膝を落とす。

目の前で両腕が喪失し、割れて崩れる感覚を覚え、唐突に「ワリヂカラ」と

評される侍の異能力を実感した。

侵蝕されつつあるユウギリノヌシの腕が飛来した刃に切り落とされた。

空中の短刀が回転しながらスバルノミコトの手元に戻る。

それを自らの角に装着し、ユウギリノヌシの身体を抱いた。

「貴様」

「七つ星か。」

悪兵衛と美浪は驚愕の表情で刀を構え直した。

屋敷の奥から刑部が現れる。

「織田刑部、我が問いに答えたならば、お前の問いに答えよう。」

スバルは意識を失っているユウギリノヌシを担いだ。

「ビャッコを束ねている者なのか?」

「いいや、参謀だ。」

刑部はにやりと笑いながら中庭の白砂を鳴らして降り立つ。

「そうか。我々が討った者は和平派でも戦争派でも関係ない。」

スバルは言いながらふわりと空中に浮きあがった。

そのまま塀の先に消え、後には旋風が残った。

悪兵衛は膝をつき、怒りに燃え上がった眼でスバルノミコトの

消えた先を見つめている。

「念動で飛翔する事すら出来るのか。」

美浪は呆気にとられた表情をしている。

刑部は魁音刀を鞘に納めた。


屋敷の向こう、中間部屋の方向に火の手があがり、騒ぎの声が

響いてくる。朧丸による妨害工作である。

「撤収する。中間者と道場生を斬りたくはなかろう。」

刑部の穏やかな声で、悪兵衛はようやく立ち上がった。



十一


火の手があがった大名屋敷を後目に、渦目の用意した船で

五条邸を離れる。

朧丸は香車の死亡を美浪から聞く。無表情に頷いた後、侍達と

隠密は別れた。


翌日、不知火一行は世話になった大宮清秋に身分を隠したまま

別れを告げ、小館流道場を発った。

刑部はその足で奉行所に向かい、身分を明かして大名屋敷の火災と

共に弥者討伐の内実を伝える後処理を行う。

美浪は本人たっての希望で刑部の事務作業の補佐に付き従う事になった。

悪兵衛は旅姿の武芸者のいで立ちで、東京を一人離れる。

その背の刀袋には何より頼りになる琿青が負われている。


二刻程歩き、街道筋の茶屋で腰をおろすと、同じような旅姿の

若者が隣にかけた。

「お主の上役は三日は帰れぬのう。」

朧丸は出された茶に口をつける。

「香車殿の弔いは。」

悪兵衛が眉を寄せて聞いた。

「ない。隠密の死はそんなものだ。」

「そうか。」

茶くみ女が悪兵衛に炊きこんだ茶飯を持ってくる。

もち米に勝栗、粟、大豆、小豆を炊きこんだ物でほんのりと甘い香りがする。

悪兵衛は女に礼を言ってかき込んだ。

「うまい。うす味でうまい。」

「少し食わせろ。」

「だめだ。自分で頼むがよかろう。陰足は茎を食え。」

悪兵衛のひどい物言いに朧丸はすこし笑った。


盆に桐の葉が一枚、落ちた。

「あの者は、俺の五つ上で幼少より共に育ち、世話になった。」

朧丸はぽつり、ぽつりと香車の事を語った。

「姉のように側にいた。生まれついての忍び故、その生涯を閉じる事に

なったが。」

「美浪という侍と会い、初めて見せる表情をしていた。」

「しあわせだったのであろう。」

悪兵衛は朧丸の横顔を見つめている。

「朧丸、お主は俺と年はちがわねど、一党の長なのか?」

部隊の内情を問う悪兵衛の表情を見、一瞬考えたがため息交じりに

朧丸は答えた。

「いや、長の一子という立場だ。」

「そうか。では将来、一族隠密を束ねていかねばならんのだな?」

悪兵衛の問いに答えず、空になった椀を盆に置く。

「兄がいる。」

「長を兄が継いだら」

「俺は、隠密も侍もない世界が見たい。」

朧丸のつぶやきを聞き、悪兵衛は街道筋の先の水平線を見つめる。

「戦が終わったらば、か。」

「今の俺には不知火でやらねばならぬ事がある。」

「斬らねばならぬ者がいる。」

しばし若い二人は黙り込む。

非対称戦争に参加する、あまりにも、あまりにも厳しい重責が

あった。

やがて二人は立ち上がり、それぞれ別の筋に歩を向ける。

街道に涼しい風が吹き渡り、旋風が土を巻き上げていた。




桐一葉 了




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