閑話 三

閑話 三


白く輝く陽が緑を照らしている。

吹き抜ける風が暑気を払った。

不知火屯所内、武道場にて修練が今日も行われている。

隊士が座し、その前に副長、風祭玲が立ち、

打撃の型の説明とその実地を行う。またその後に立ち合いが

組まれる。


風祭と比較し、倍はあろうかという筋骨逞しい深町仁悟朗が

相対し、ゆっくりと回転しつつ位置取りをしながら相手の動向を伺う。

風祭が教授しているのは「貞拳」と呼ばれる不知火正式採用の

格技であり、拳撃、蹴り等を主とした武道であった。


悪兵衛は腹部から胸に包帯を巻き、訓練を見学している。

その表情は明るく、にやにやと笑っている。

仁悟朗が風祭に蹴り飛ばされ、悪兵衛のたもとまで

転がってきた。恨めしそうに悪兵衛を一瞥しながらつぶやく。

「地獄だ。」

仁悟朗が下がり、巨漢の畦倉士道が風祭と相対している。

ややゆったりと間をとり、仁悟朗より落ち着いて見える。

直後、士道も殴りとばされ、悪兵衛に支えられる。

鼻血を吹き出しながら士道も呟いた。

「地獄だ。」


*


皆が恐れおののく風祭の訓練が終わり、ようやく夕食の時間になった。

悪兵衛は食堂の前で灰音と鉢合わせする。

「お晩方。」

「悪兵衛殿。今から食事ですね?」

どやどやと仁悟朗と士道が食堂に入っていく。

「わたしはこれから入浴ですので…なるべくゆっくりと。」

「うむ。食事をゆっくりと。」

「頼みましたぞ。」

「あいわかった。」

騒々しい隊士の面倒を悪兵衛に頼み、灰音は去った。

後藤の婆さまから丼を受け取り、膳を並べる。

焚いた飯にたっぷりと光沢のあるあんがかかっており、豚肉、玉ねぎ、筍、

人参等、具沢山であった。付け合わせのきゅうりの酢の物に、しめじと葱の

味噌汁が湯気を上げている。

「あんかけ丼か」

「丼はいいな。夢がある」


三人は手を合わせ、れんげで飯をすくい、ふうふうと冷ましながら頬張る。

「うまい。」

「さわやか。」

士道は何も言わず、満足そうに頷く。


その後に食堂に現れた穏やかな表情の美浪結宇みなみゆう大尉が

丼を受け取る。明晰な知能と特殊な魁音撃の使い手で隊でも一目

置かれる優秀な侍である。

「婆さま…、これ、酢が入ってる?」

あんかけ丼を一口食べるなり美浪は声をあげた。

「おう、りんご酢とハチミツをいれてみたわい」

「すっぱい…。どこでそんなの聞いてきたんだか。」

「ぶはっすっぺえ!」

その背後で伊駒玄真少佐も声を上げた。

悪兵衛ら三名は意に介さず、食事を続けている。

「うまい。すっぱくてうまい。」

「うーん、さわやか。」

「婆さま御代わり。」

いまいましく三名を見ながら美浪はひとりごちた。

「こいつら味をわかってるのか?」


*


柵明荘には共同の浴場が設えてあり、五名程が同時に浸かれる

湯船の浴場と、併設した露天風呂があり庭を望む。

橘川兄弟が露天の湯につかっている。

「悪兵衛は?」

「副長の所に何か聞きにいくって」

「うへぇ、こわ!」


同じ頃、悪兵衛は風祭副長の自室にいた。

行燈の灯の元、風祭は書物に目を通している。

浴衣に洗い髪のままで普段とは違う雰囲気だが、その瞳の光は鋭く

悪兵衛は恐縮している。

「隠密の格技?」

「は。先だっての内偵にて、月光、卍組の者に手合わせを願われ」

「手ひどくやられました。」

風祭が向き直る。

「それは…面白い。どのような技にやられた?」

「足技でした。本閥格技とはまったく違う物でした。」

悪兵衛は小袴をまくり上げ、変色した膝周りを見せた。

「副長がご存知なら伺いたく…」

「我々侍の格技は根本的に刀を失った場合を想定した立ち回りである。」

「隠密は逃走やけん制の為の技術の発達があり、それによった格闘術なのであろう。対侍の戦技なのかもしれぬ。」

対戦時の様子を聞きながら、風祭は悪兵衛の膝を調べる。長く細い指が

絡むように触れ、悪兵衛は鳥肌を立てた。

「刀で仕合うのとは異質でした。」

「そうであろうな」


風祭は覚書を取り出し、読み進めた後、口を開く。

「隠密諜報部隊「月光」には三つの組が存在し、それぞれ能力を特化した集団であるという。その卍組の物は情報収集の他に、格闘戦に習熟した者達なのだろう。月光は戦闘に置いて、常に表にでる侍に隔靴掻痒の感があるという噂も聞く。…よい経験をしたな。悪兵衛。」

「は。」


副長の自室を後にした悪兵衛は丸い月を見上げ思う。

「朧丸、次は圧倒して勝つぞ。」

その言葉とは裏腹に満足げな微笑が浮かんでいる。


*


不知火隊士には戦闘の他に学徒には学業の義務、屯所周りの

雑務、随獣の世話が課せられている。

麒麟と呼ばれる戦闘補助の為の獣は、先の戦でその大半が命を

失い、現在は数えるほどしかいない。

が、幼獣はかなりの数を飼育しその世話も隊士が受け持っていた。


その日、悪兵衛と士道は随獣舎と呼ばれる飼育小屋とその周りの

掃除を行っていた。

熊手を用い、枯葉や幼獣の排泄物をまとめる。

士道の周りには幼獣が群がっている。

犬の仔によく似ているがやや毛足が長く獅子のような

面立ちをしている幼獣は、雄を幼麒、牝を幼麟と呼んだ。


随獣舎の外縁は塀になっているが、そこに大きな黒猫が居、

幼獣を見下ろしている。やがて飛び降り近づいていくが

幼獣達はみな蜘蛛の子を散らすように逃げる。

「これ、那智。あまり怖がらせるな。」

士道が黒猫を抱え、塀の勝手口に連行していった。

悪兵衛は穏やかな表情で掃除をすすめ、幼獣の相手をしてやっている。


「士道、成獣を任務に随行させた事はあるのか?」

「ある。命を助けられた。」

「士魂をわけ与えるという能力によってか?」

「うむ。いまここにいるのはその麒麟達の子供らだ。」

「随獣は誇り高く貴い生物だ。我ら侍に力を貸してくれる。」

「…命を失おうとも。」

「なぜだ?」

「わからん。そういう生き物であるとしか。」

「我らを救ったものどもの仔だ。何より大切なものだ。」


「だが幼獣は猫を怖がってなぁ。那智がおもしろがるんだ。」

士道の困り顔に悪兵衛はおもわず吹き出した。


見慣れない幼獣が庭の端で置石に乗り、外を見つめている。

物悲しく遠吠えをしている。

薄紫の毛並み、他の幼獣よりもすこし細身で脚と尾が長い。

悪兵衛の元に随獣役の美作みまさかほなみ曹長が歩み寄る。

彼女は不知火ではなく技研所属扱いで、随獣を研究しその飼育の

指導を行う。色白で控えめな笑顔の優しい女性である。

「播磨様、あれはここに来てもう十日なのですが…。」

「いまだ、随獣役にも懐かず、遊び相手もいないのです。」

「独立心がとても強い個体で…」


悪兵衛は美作の言葉にうなずきながら、掃除を進める。

薄紫の幼獣にしずかに近づく。幼獣は悪兵衛を見つめている。

しばらくそうしてから悪兵衛は声をかけた。

「他のものと遊ばんのか。」

幼獣はしばらく様子を伺っていたが、置石から降りて悪兵衛の周りを

遠巻きに歩き、匂いを嗅いでいる。

悪兵衛は落ち葉をあつめている。幼獣は恐る恐る近づき、悪兵衛の

足元の匂いを嗅ぎ続けている。

初夏の夕暮れの中、幼獣達と遊んでいる士道の大きな影が伸びてくる。


「俺は悪兵衛だ。お前はなんという。」

「リンドウ号というのか。」

侍はごく弱い士魂で随獣と意思の疎通を図る事が出来る。

悪兵衛を見つめるリンドウ号に何度か優しく話しかけた。


*


不知火隊士は持ち回りで随獣舎の清掃や世話を行っている。

悪兵衛の当番の時は必ずリンドウ号が恐々近づく事が増えていった。

そのうち悪兵衛の袴のすそに噛みつき、引っ張る、両脚を膝に乗せる等

リンドウ号は心を許すようになった。

「今はだめだ。まだ掃除がある。」

「だめだというに。頑固なものだな。」

悪兵衛の熊手を噛んで引っ張るリンドウ号を抱き上げて、置石に座らせる。

「そこで待て。」

リンドウ号は舌をだして、悪兵衛の一挙手一投足を見つめている。

美作が悪兵衛に声をかけた。

「随獣と心を通わせるお侍の皆さまなら、リンドウ号も心を開くと思っていたのですが…。ようやく播磨様に。よかった。」

リンドウ号の足元に黒に腹が白の模様の幼獣が近づき、吠えている。

「あ、ほら。最近タケルとトモエとも遊ぶようになったんです。」

真っ白の雪のような幼獣が近づき、尾を振っている。

「播磨様、よろしければですが」

「当番でなくとも、随獣舎にお顔を見せてはいただけませんか。」

「リンドウが心待ちにしているようで。遠吠えをするのです。」

「承った。」

リンドウは石を降りて、タケルと小枝の引っ張り合いをしている。

「私はてっきりみんな大好きな畦倉様ならと思っていたんですが。」

士道は手桶から水を撒いている。幼獣が喜んで飛びついている。

「とても怖い方と言われていますけど、本当はお優しい畦倉さまを幼獣はわかっているんです。」

「左様ですか。」

うっとりした笑顔で士道を見つめる美作を眺めて、悪兵衛はにやにやと

笑っている。


ある程度育った幼獣は屯所の一区画で放し飼いにされる。

リンドウは悪兵衛の手習い所の帰りをいつも随獣舎の門の前で待ち、

悪兵衛の姿をみつけるとぐるぐると回り、土煙をあげて喜ぶ。

柵明荘の自室まであがりこみ、悪兵衛が書物を見る間も

傍らで遊ぶ。

林檎が好物で、きってやるとしゃりしゃりと音を立てて食べた。


*


「悪兵衛に随獣がついたの?すごい」

間宮桃乃介が手を叩いて喜んでいる。授業の終わった手習い所の一角で、

悪兵衛と桃、桔梗が帰り支度をしながら談笑している。

「幼獣の頃から随伴侍を選ぶって聞いた事あるけど。」

「選ばれたかどうか知らぬが、拙者の帰りを待ち、寮の部屋まで上がり込んでくる。美作さんに連れられて帰っている。」

桔梗と桃は声をあげて笑う。

「見せなよ。桔梗、悪兵衛の部屋いってみようよ。」

「え?あ、うーーん。部屋に?」

「…悪兵衛はいいの?」

「構わんよ。」

赤くなりもじもじとしている桔梗を眺めて、桃はにやにやと

笑っている。


桔梗と桃と連れ立ち、随獣舎に立ち寄ると、いつものように

リンドウがぐるぐると回転している。

やや女性隊士を警戒しているリンドウをつれ、柵明荘へ

帰り着いた。

書見台に文机、衣装箱の簡素な悪兵衛の部屋で三人は

遊ぶリンドウを見ている。縄の切れ端を噛んで振り回し、

悪兵衛の元に見せにくる。

「おやぶん!」

「悪兵衛、そなたおやぶんと呼ばれてるのか」

リンドウの幼い物言いに女子二人は転がるように笑っている。

桃が触ろうとするとリンドウはすぐに悪兵衛の背後に逃げ込む。

「リンドウ、不知火隊士だぞ。敬意を払いなさい。」

「お前が悪兵衛を護るのか。もう安泰じゃん」

「こやつは警戒心が強くていかん。」

リンドウの頭をなでて緊張を解く。女子二人が小さな毬や組紐を持ち寄り、

興味を示した幼獣は恐る恐る遊び始めた。


「悪兵衛、薪割りだ。」

「無造作に戸を玄真が開け、華やいだ部屋の空気に一歩下がる。

悪兵衛が上着を持って廊下に出てくる。

「おい、悪兵衛、どうした女子隊員など」

「俺の部屋にいついてる随獣を見に来たのだ。」

「ははぁ。随獣を仕込めば女子を呼び込めると。園枝どのも来るかな。」

「玄真殿、園枝殿は医療班でござるよ。なにか怪我をせねば。」


中庭に面する縁台でリンドウは桔梗の膝に脚をのせ、桃が振る組紐を

とらえようと何度も噛みついている。

切株に大きな薪を乗せ、悪兵衛と士道が鉈で薪割りをしている。

そこに黒の毛並みのタケルと白いトモエが現れ、リンドウを誘い

遊び始めた。タケルはすぐに歯をむいてリンドウとじゃれ合う。

おっとりとしたトモエは縁台の桔梗と桃にまず挨拶にきて、撫でられながら

お座りをして、騒ぐ二匹を見ている。

乾いた音を立てて黙々と薪を割る二人。


「士道、薪を細く割って。リンドウとタケルと遊ぶから。」

桃の声に士道は何も言わず、薪をさらに細かく割る。

「だめだめ、もっと細いの。まだ子どもなんだから」

さらに飛ぶ声に無言で従い、割った薪を見せる。

「もうちょっと小さく。あと角を丸くして。」

鉈を起用に使い、角を落とす。桃はうきうきしながら待っている。

何度か桃のいう事を聞き、渡した薪は幼獣二匹が噛んで引っ張り合いを

している。


手ぬぐいで汗を拭いた悪兵衛が大きく伸びをした。

「士道、国許で気に入らない侍大将を蹴り飛ばしたらしいな。」

士道は答えず、無言で薪割りを続ける。

「斬り合いになりそうな処で訓練無しで魁音が発動したと聞いた。」

手を止めた士道は目を細め過去をさかのぼり、当時の記憶が蘇る。

「お前のように刀が溶けたな。」


「お主は誰の言う事も聞かぬ一本気な所があると行部殿もお話されていた。」

「侍でありながら、独立した戦士であると。」

士道は無言で鉈を振り上げる。


「だが、今は桃の手下だな。」

「やかましい。」

士道は表情をくしゃくしゃと崩した。

悪兵衛は大声で笑っている。




閑話 三 了

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