朝霧



燃え盛る炎の中、悪兵衛は断崖の男を見上げていた。

背後には左肩から腹部まで切り裂かれ絶命した仲間。

それを支え、吹き出る血潮を抑えている隊士。

あたりは悲鳴と絶叫が渦巻いている。

自らの片腕は血にまみれ、ぬるり、と滑る掌はもう刀を持つ事が叶わない。

「スメロキ、貴様」

怒りと絶望、混乱で血の気を失った悪兵衛が、未だ戦意を失わず

絞り出すように言った。

炎に照らされた崖上の男は栗色の髪が炎のように揺らめく、

端正な顔立ちの青年だった。眉間を中心に朱色の入れ墨が広がっている。

悪兵衛にスメロキと呼ばれた男は、見下ろしながら無表情に答える。

「ヤマトビトは全て殺す。根絶やしにする。」

背後に立つ巨大な男に促され、悪兵衛を一瞥してスメロキは背を向けた。


*


「どうした?悪兵衛」

「お呼びだぞ」


日当たりのいい縁側で、悪兵衛は我に返った。

不知火屯所、赤く色づいた楓の葉を見つめ、「あの日」の業火を思い出し、

屈辱の記憶に意識が囚われていた。

悪兵衛に声をかけた二人は、一見して同一人物かと思えるほど、

似た容姿に体格であったが、その表情、立ち居振る舞いはまったくの別人、双子であった。


二人と連れ立ち、襖の前で膝をついた。

「播磨、橘川兄弟、入ります。」

八畳ほどの小ぎれいな部屋に文机、火鉢があり、灰音章雪が傍らに座している。

薄紫の羽織の中に黒の長着、洒脱な雰囲気。対して悪兵衛・橘川兄弟は

隊支給の丁服に小袴という質素な格好であった。

柔和な表情の灰音の横にのそのそと悪兵衛が座り、橘川兄弟が続く。

「章さんと我等で内偵業務かの。」

灰音の顔を見て、安心した表情の悪兵衛が気楽にいった。

活発で気の強そうな双子の一人が返す。

弓手ゆんで二名と頭目と参謀とはな。」

優しげで伏し目がちな双子のもう一人が言う。

「中規模戦闘前提だね。」

灰音章雪はかすかに微笑み、何も返さない。


ほどなく奥から男が現れた。

長身痩躯に総髪を綺麗に撫で上げ髷に結った男で、鋭いが思慮に満ちた

面長な顔貌をしている。

「刑部殿」

灰音が居住まいを正し一礼する、悪兵衛、兄弟も続く。

刑部が文机の前に座し、懐から書を取り出し広げた。

「播磨悪兵衛、橘川きっかわ一圓、橘川一真。内偵申しつける。」

「章雪。」

刑部に促され、灰音が三名に向き直る。     

「和州下束村付近の山奥にて、夜間、狗族と思われる光源が隠密により複数

発見されました。」

「定期的に観測され、その行動は一定の時刻に限定されているようです。」

「下束村にてあらたな狩人の助を求めています。これに乗り潜入、

調査してください。」

刑部が灰音の指示をまち、その後言った。

「播磨悪兵衛、橘川一圓、一真。敵侵攻調査、および敵を発見した場合

これを殲滅せよ。」

「作戦行動指示は追って沙汰いたす。以上だ。」

机上の書類を畳む刑部に悪兵衛達は一礼した。

「拝命いたします。」


刑部と橘川兄弟が退室した後も、何かを話したそうに残る悪兵衛。

灰音は微笑を浮かべながら背後の漆で塗られた菓子箱を取り出す。

「悪兵衛殿。どうかしましたか?」

「橘川兄弟だけなのか?章さんは同行せんのか。」

「はい。今回は作戦の立案も実行も戦端も貴方頼りです。」

笑いをこらえながら灰音は火鉢の上の鉄瓶から湯をすくい、茶をいれる。

「まいったな。長引いたら繋ぎを出すゆえ、指示を頼みたいのだが」

「しかと承りました。さ、茶を。」

「かたじけない。」

悪兵衛はまだ曇った表情を浮かべている。

「胡桃を糖蜜でかためたものです。」

灰音は直方体の黄金色の菓子を勧めた。悪兵衛は盛大な音をたてながら菓子を

咀嚼し、ようやく愛嬌のある笑顔を浮かべた。

「うまい。固くてうまい。」

「またおかしな感想を。」

灰音はたまらず吹き出した。


襖に人影が写り、一礼した。

「灰音様、技術研究部の松橋様と御津菱みつひしより竜井様がお見えです。」

小物に通すようにいいながら、灰音は目を伏せた。

「これは、まずいな。」


ほどなく二人の男が現れる。

一人は本閥の紋のはいった裃に袴姿の実直な雰囲気の男。髷をゆった頭髪がゆるやかな波を打っている。

いま一人は坊主頭の痩身馬面の男、厚い眼鏡をかけ、御津菱の紋の長着を身に着けている。

裃の男が一礼の後、灰音にいった。

「織田様と作議と伺いましたが」

「終わりました。…先日は士魂反復試作機の提供、かたじけなく思います。」

灰音、悪兵衛は改めて礼をした。

「無論作戦ですし、我々も協力はいたしますが…前回のような納期では

おおがかりなものは対応できかねます。やはり納期が。」

「あれだけでは…。たった二日ですよ?まず発注の予定を立ててですね」

坊主頭が遮った。

「松橋さん、現物は」

「あ、そうだ。試作機の返還がまだのようですが」

松橋の問いかけに灰音と悪兵衛が顔を見合わせてばつの悪い表情を見せた。


「実は」

「えー、民間人がお守りに欲しい、といいだしまして」

悪兵衛は吉房七重の笑顔を思い出しながら、恐縮しつつ言った。

松橋のいう試作機とは、七重に持たせた振鼓の事を指す。


「え!?悪兵衛君、あげちゃったの?いやいやいや、それはまずい。まずいよ。」

「あーそういう事をね、不知火の人はちょっと雑なんですよ。軍事機密でもあるわけですし。まずね、そういう事は…あ、竜井君、問題あるとしたら?」

あせった表情の松橋が竜井に問いかける。灰音に勧められた菓子を盛大な音をたてて竜井は咀嚼している。茶を一口のんで事もなげに言い放った。

「ま、大丈夫じゃないすか」

「ほんとに?」

「あれは照射された指向性のある士魂を反復して拡散するだけの構造ですから。」

「人体に害はないす」

普段は人を寄せ付けない雰囲気の竜井が悪兵衛を見て、にたりと笑う。眼鏡の奥の

瞳は優しい。

「まずいなぁ…なんて報告すれば…」

「御津菱あずかりにしとけばいいんじゃないすか」

幕府正規用達の軍需産業、御津菱造兵廠の魁音兵装主任研究員、それが竜井である。また、松橋は本閥技術研究部付きの技術将校であり、階級は中佐である。

二名は昼夜を問わず、対弥者、対狗族の武装の研究開発を指揮している。

武装に関して、御津菱研究部に於いて調査と言われれば、本閥も黙るしかない。


「ま、大丈夫すよ。それより松橋さん、例の…」

「あ、そうだね。灰音中佐、おりいってご相談がござる。」

「わかりました。悪兵衛殿。」

灰音に目礼し、改めて松橋と竜井に礼をする悪兵衛。

「失礼いたします。」


麗らかな秋の日を浴びながら、悪兵衛は退出した。

庭では橘川兄弟が短弓を用いて的当ての遊びをして騒いでいる。



朝霧





色づき始めた山道を、粗末な衣服の狩人姿の青年三人が歩いている。

悪兵衛は後ろに髪を結わえ、ざんばら髪に毛皮の上着に小袴、

橘川兄弟は短弓を背負い、木綿の長着に軽衫姿である。

側転から後方転回、後方宙返りで飛んだ一圓が着地する。

「潜入調査ってやつはさ、隠密の仕事だろ」

のんびりした表情の一真も話す。

「狗族を発見したり戦闘になった時の引継ぎはあるのかな」

谷を挟んで、鮮やかな紅葉をし始めた山を眺めながら悪兵衛が答えた。

「俺が行く以上、引継ぎはない。」

「狗族が多数でもか。」

「弥者がいても?」

悪兵衛は無言でうなずく。

年齢は悪兵衛より一つ年少の双子だが、同期入隊の仲間であり、死線を共に

してきた。気の置けない関係である。

「その為の佐官である俺の遠征だ。戦端を開き、吶喊する。」

穏やかな表情の悪兵衛だが、その瞳の輝きは強く、固い意志を感じさせた。

「敵が単体ならな。狗族が山ほど出てきたら面倒くせえ」

「その展開は勘弁して欲しいな…我等兄弟は弓兵だよ?少佐」

悪兵衛は遠征前の灰音章雪の言葉を思い出していた。

「今回の作戦報告書ですが…もしなんらかの戦闘になった場合、橘川兄弟の

破双はっそう」の使用記録、距離、速度、回数の見極めの報告を

お願いしたいのです。」

詳細に記すための書類を封書にして悪兵衛に託す灰音。

「承った。それは…松橋さんの相談と関係があるのか?」

「はい。新型の魁音兵装の開発の為に本閥で情報を収集しています。」

「新型魁音兵装…」

「破双」とは本閥の戦技であり、士魂を元にした特殊な移動手段である。

「四股」のように衝撃を表に発生させず、内に溜めて肉体ごと強制的に

移動させる技であり、助走なしに数十歩の距離を一瞬で詰める。

悪兵衛も使用するが弓兵である橘川兄弟の方がその扱いは得手であった。


*


秋の日が中天を超えるころ、目的地となる山村に到着した一行。

さびれた村で申し訳程度の関所、見張りもいない。「下束」と掘られた

古びた木製の道標が立っている。

廃屋も目立ち、小さな庭の畑仕事をしている者は老人ばかりであった。

すぐに年配の村人に案内され猟師の元締めのもとに招かれる。

深い皺の刻まれた日焼けした老爺とやさしげでふくよかな笑顔の

老婆の夫婦だった。

「では、獲物をまとめてこちらで引き渡し、そこで給金をいただく。」

老爺の説明を受けて悪兵衛が確認する。

猟師小屋の案内と食物をうけとる庄屋の場所を聞き、

生活基盤の説明を受ける。

老爺は実直だがやや話が長く、一圓があくびをかみ殺している。

老婆が柿を包み、三人を優しい瞳で見つめる。

「年はいくつなんだえ?」

「一七でござる」

「一六」

「一六」

「野菜もらっても料理できなかろう?ばばの家で食べていきなされ」

悪兵衛は丁重に断り、何度も引き留められたが元締めの家をでた。


「子供扱いしやがって」

「家のお田江を思い出したね」

唇を尖らせて老婆の文句をいう一圓。それをなだめる一真。

家で今も兄弟の帰りを待つ乳母を思い出していた。

何人かの老爺と老婆に声をかけられる。みな若い三人の身を案じ

やさしげに労った。

生活用品を用意した庄屋だけは、三人を値踏みするような目で見、

口うるさく村での注意を語った。背が海老のように丸まっている。

「この村には爺と婆しかいないのか。」

「さっき、子供は見たけど…大人は出稼ぎなのかな。」

「狩人の助なんているのか?」

双子の疑問を同時に悪兵衛も感じていた。


*


村はずれのこじんまりとした猟師小屋にたどりつく。

古いが掃除がされており、囲炉裏の灰も片付けられていた。

各々が荷物をおろし、簡素な所持品を整理する。

一真が柱に弓張り板を丸石で打ち付けている。

連続する音を背後に、悪兵衛はもらった柿にかぶりつきながら

縁側の雨戸をあける。

小さな庭は荒れてこぶりなブナが一本生えていた。

しゃがみこんでいた男児が立ち上がった。

質素な紺のかすりの着物、赤い頬に黒い瞳の幼児で、

かけつけたやや年長の娘が男児を抱いた。

「どこの子だ?」

柿を食べながらのんびりした口調で悪兵衛がきいた。

幼い二人は緊張とおどろきのあまり、口をきけない。

悪兵衛は帯に挟んでいた山刀を抜いた。娘の表情が強張る。

もうひとつの柿をよっつに切り、男児に渡す。娘に止められながら男児は受け取った。

悪兵衛はそのまま縁側に座り、柿を咀嚼する。表面が柔らかく、ぬるり、と内側がすべるほど熟れた柿であった。甘味も強い。

柿を持って立ち尽くす二人に、悪兵衛はあごで縁側を示す。

おずおずと近寄り、腰をかけて、やがて二人は柿をわけて食べだした。


「誰だ?そのガキども」

一圓が縁側にあらわれ、男児の傍らにしゃがみこむ。

「村の子だろう。庭におった」

口元を手ぬぐいで拭きながら悪兵衛は二人の名を聞いた。

しの、と、こたろう、という姉弟だった。

「ここで何してたんだ?」

一圓が軽く尋ねると、こたろうは手の平を差し出した。

ちいさなどんぐりがいくつか握られている。

「ごめんなさい、返します」

姉のしのがこたろうの手を差し出す。十歳にもみたない年齢に見えるが

弟を守ろうと必死の表情だった。

「みてろ」

一圓はいいながらつまんだどんぐりを、奥からあらわれた一真に

なげつける。

一真はこともなくそれを受けるが、一圓はつぎつぎに投げつけ、

取った一真は投げ返す。その速度を投げる度にあげていく。

やがて二人でお手玉をするようにドングリを投げ合い、

二人の距離も二歩程に近づくが、その速度は落ちない。

見事な技に、こたろうは目を輝かせている。しのも口を両手で覆い、かたずをのんで見つめる。

「いてーーーっ」

取り損ねたどんぐりが眉間にあたり、一圓がひっくり返った。

一瞬間をおいて、こたろうが明るい声で笑いだす。悪兵衛も笑った。

しのもつられて笑う。


「そうか、戦争があったんだね。」

優し気な一真の言葉に、しのも緊張を解いて話し始めた。

庭では悪兵衛がこたろうを肩車して歩き回り、

一圓がその足をくすぐり、笑い声が響いている。

訥々と語るしのの言葉で、村の傍で狗族と軍の戦闘が起き、

駆り出された村人が多く死傷した事を一真は知った。

しの、こたろう姉弟の親と年長の兄も命を落としたという。

全滅に近い被害をうけ、軍は敗走した。

その屍は今なお山野に放置されている。

「こたろう、楽しそう。」

しのは久しぶりに見た幼い弟の笑顔をうれしげに見つめている。


どんぐりを大量にもたせ、姉弟を村に送り届けた後、

三人は猟師小屋で顔を突き合わせ、報告のあった狗族によると思われる

光源の位置を確認した。





早朝の紫に近い青色の空を仰ぐ悪兵衛。

澄んだ空気を吸い込み、胸をおおきく揺らす。

三人は手甲と脚絆で固めた猟師姿。

目的地を目指し、深い山道に入り込んだ。

樹上に大き目な地梨を見つけた一圓は短弓に矢をつがえ、

無造作に射出する。

撃ち抜かれた地梨は中空に飛び上がる。間髪いれずに一真が

真下から射貫く。回転する地梨をまた一圓が撃った。

「穴だらけで食えんよ」

苦笑しながら悪兵衛はいった。

深い緑の中を進む。足元はわずかな獣みちが続き、

すでに村からは遠く離れた。樹木は生い茂り先に進めない場所は

悪兵衛が山刀を振るい、道を作っていく。

「射刃(しゃじん)は使えんのか」

深いイラクサの繁みを切り分ける悪兵衛に声をかける一圓。

分厚い山刀を手元でくるくる回しながら悪兵衛は答える。

「刀がたえられん。一度使えばこの刃は溶ける」

口を尖らせた一圓と苦笑する一真が後に続く。


見晴らしのいい峠に差し掛かり、水で喉を潤しながら現在地を確認する。

屯所での山中行軍の演習の思い出を話し、しばし笑いあう三人。

「おい…あの二人」

一圓は山間に見え隠れする人影を発見する。

悪兵衛の肉眼ではわからない。

「あれ…あの子達…ついてきたのか…」

一真にも見えている。猛禽に近い視力であった。

屈折した硝子を革で巻いた簡易な遠眼鏡で確認する悪兵衛。

幼い姉弟が悪兵衛達が歩いてきた道をおぼつかない足取りで歩んでいる。


「こたろうがあんちゃんと遊びたいって…」

しのがうつむいていった。こたろうは疲れてしゃがみこんでいる。

三人は顔を見合わせて、ため息をついた。

「どうする」

「任務どころじゃなくなるね。」

「日も落ちる。このまま二人だけで返すわけにいくまい。

今日は引き返すか。」

しばし思案する三人。やがて一真が顔をあげる。

「つなぎがくる。」

「あ、玄真殿か!」

「そうか。玄真殿に二人の護送の申し送りをすればよいか」


明るい表情で野営の準備を始める三人、幼い姉弟も手伝い、縄で編んだ

屋根に笹の葉を重ね、地面を下草で埋めた。

悪兵衛はこたろうをおぶって渓谷まで降り、清流の傍らでじっと川面を

みつめている。両手を重ね、前に突き出す姿で、片手に力を込めて引く。

水上に跳ねたヤマメが悪兵衛の右手に吸い付くように飛び込んできた。

こたろうは目を輝かせて喜んでいる。悪兵衛は笑いながら何度か

繰り返し、藁籠にヤマメをいれていく。

「網打ち(あみうち)」と呼ばれる本閥の戦技であったが、

こたろうは大人の猟師の技と思っている。


本来は士魂が伝導する兵装を手元に引き寄せる技術であり、

膂力の強い侍が得意とした。悪兵衛は引き寄せはもちろん、一度放った

石くれの軌道を変える事も出来る。

自然物、動物、植物、魚類にも影響するが、その根本の原理は本閥でも

解明されてはいなかった。


ツグミ、コジュケイを何羽もおとし、まとめて運ぶ橘川兄弟。

しのもにこにこと笑顔で野鳥の足を持っている。

元締めに納入する分とは別に、食事に使うものを分けたのち、火をおこす。

悪兵衛が器用に山刀でヤマメと野鳥の内臓をとりわけ

串にさしていく。峰の向こうに日が落ち、帳のように闇が落ちたが

悪兵衛達の一角は明るいかがり火がともり、笑い声が響いていた。


こたろうは、祖母がもたせた握り飯を悪兵衛に渡した。

野鳥の身をほぐし、小鍋でワラビとフキと共に味噌で似た汁物、

川魚の塩焼きで腹は満たされたようだ。

こまかく切り、醤油をまぶした海苔が和えられた小さな握り飯に、

それを作ってよこした祖母の愛情を感じ、目を細めて口にいれた。

今、姉弟は暖かい焚火に照らされ、身を寄せて眠り込んでいる。


夜半、深い闇の中より僧服に身を包んだ男が現れた。

頑健な肉体に菅笠、錫杖、背負った長櫃の姿で修行僧に見える。

傘をとり、綺麗にそり上げた頭に濃いあごひげを蓄え、優し気な笑顔を浮かべた。


「すっかり坊主だなあ」

「似合ってるね、玄真殿」

三人に迎え入れられた僧形の男は、不知火隊士の伊駒玄真であった。

「この子らが着いてきた村の子か」

にこやかに玄真がいう。

「もう知っているのか。」

「うむ。昼過ぎに隠密より報告を受けた。」

悪兵衛の状況予断、橘川兄弟の索敵能力にもその存在を気づかせない

隠密部隊の能力に、空恐ろしさを覚えた。

目をこするしのに、村に送ってくれる坊主が来たと伝えたが、

こたろうはすっかり眠り込んで起きない。

長櫃に毛布を敷いて二人をいれて負い、玄真は山を下りて行った。

三人は野営を解き、月明かりの中、山道を進み始める。





狗族の手がかりと思われる光源の出現地に急ぐ。

漆黒の山道をひた走る三人。

やがて道が途切れ、前方、左方は断崖、右手は谷の地形に突き当たる。

「一圓」

悪兵衛がいうと一圓は来た道を引き返し、鉤縄を用意して脚を踏みしめる。

谷に向かって走りはじめ、気合声と共に足元で強烈な擦過音を発生させた。

目で追えない程の加速で一圓の姿が消えたかに見えたが、

本人は中空に飛び上がり、すでに谷の中程まで到達している。

そこで一圓はもう一度、「空中で」足元を炸裂させた。

もう一度加速し飛び上がった一圓は谷を渡り切り、鉤縄を固定する。


「破双」であった。一真が逆側の縄を樹木に結び付け、悪兵衛に渡す。

本人は踵を返し、距離をとってから破双で谷を飛び越える。

戦闘中に破双を使用する悪兵衛ではあったが、

橘川兄弟のような距離と速度を稼ぐことはできない。

双子には弓兵として一日の長のある戦技であった。


一真が眼下でうごく小さな光源を発見した。

悪兵衛は遠眼鏡で確認する。青緑に輝くいくつかの光源が蠢きながら、

一方向を目指し移動している。やがてその先、村の方向より松明の明かりが近づくのが見えた。

三人は物言わず山肌をくだり、松明に近づく。

いつのまにか光源は消えている。

松明を掲げる人物をかろうじて確認できる程まで接近する。

猟師の元締めに紹介された庄屋だった。

背が海老のように丸まった庄屋の背後には恰幅の良い老人が佇んでいる。

蟹のような顔貌に見覚えはなかった。庄屋の物腰をみると、

どうも目上かつ地位の高い人物に思える。

「誰だ?あの爺」

「村では見なかったね」

「おそらく、名主だろう。村の長ではないのか」

結果的に悪兵衛の推量は的中する。


やがて、老人たちの前に暗闇のなかより三人の男女が現れる。

遠目に見てもわかる雅な紺の宮服に身を包み、

烏帽子をかぶった男性が二名、艶やかな紫の壺装束の女性が一人。

山中に突然現れた異様な風体であった。

顔の見えない女性はもとより、男性も仮面に容貌を隠している。

何事かを話しかわす三名と老人たち。庄屋が松明をかかげ、

背後の大八車を照らす。

うずたかく積まれた動物の死骸。猟師の獲得物であった。付き従っていた体格のよい小物が大八車を曳き、三名に引き渡す。

宮服の男が進みより、こぶりな銭箱を庄屋に渡した。

また会話を交わし、老人達はその場を逃げるように離れていった。

その場に三名は残り微動だにしていなかった。明かりが遠ざかり、あたりが漆黒に包まれる。


やがて、またあの青緑の光源が明滅し始めた。夜目の聞く悪兵衛でも

何が行われているのかわからない。

その時、雲で隠れていた月が現れた。


青白い月明かりに三名が照らされる。

その目前に大八車があり、達磨のような丸い影が死骸に取りついていた。

細く骨ばった長い腕で死骸をかき集め、胴体に開いた大きな亀裂のような

穴にほうり、咀嚼している。大きさは宮服の男と比較して人間の約二倍ほどの身長で、頭はなく、丸い胴に大きな口がつき、

血潮を吹きながら死体を貪り食べている。狗族、であった。

達磨型の狗族は三体、それぞれ一心不乱に死体を食し、飲み込んでいる。

ひくく唸り声をあげながら、骨を砕き、血をすする音がかすかにここまで聞こえている。


月が陰り、また暗闇に包まれ、青緑の光源が動く。どうやら達磨の狗族の

目ともいえる器官の発光であったようだった。

どれほどの時が流れたか、あたりは静かになり光源も消えた。

月明かりに大八車が照らされると、死骸は全て消失し、宮服の三名も忽然と姿を消している。

悪兵衛がゆっくりと立ち上がった。

「撤収する」





早暁の頃、悪兵衛達は猟師小屋に戻る。

不知火の輜重隊が到着し、かがり火が焚かれていた。

輜重隊の責任者、唐澤が三名を認め迎えにあがる。

「おかえりなさい、大変だったの?」

がっちりとした体格の四十男だが、ややくねくねと腰を振りながら

声をかける。

「山歩きは散々だわ。」

「唐澤さん、腹減ったよ。」

「唐澤殿、飯ある?」

見知った頼りになる包丁人でもある唐澤の姿に、三人から笑顔が漏れる。

「用意してるわよ。」

唐澤はにこやかに猟師小屋の囲炉裏で用意している鍋をみせながら、

悪兵衛に声を潜めた。

「悪兵衛くん、お偉いさんもうすぐ来るわよ。」

悪兵衛はうなずき、小躍りしている橘川兄弟と連れ立って小屋の表にでた。

「章さん、来てくれたか。たすかった」

灰音の柔和な笑顔を思い出し、胸をなでおろすような面持ちの悪兵衛。

兄弟は唐澤の料理に気もそぞろであった。


路の先、暗闇の中から馬蹄の音が響いてくる。

うっすらと「その生き物」の姿が発光し浮き上がる。体長は軍馬程だが

馬にも、犬にも、虎にもにた面立ちで、たなびく鬣に包まれている。

馬具の鎧に覆われた体表は黒く影を落としているが、

それ以外はかすかに発光し輝いている。

麒麟きりん」と呼ばれる本閥戦闘支援随行兵獣、通称「随獣」と

呼ばれる装備であった。

その鞍にまたがっていた人物が軽やかに降り、

悪兵衛達に歩み寄っていく。三名は直立で敬礼した。緊張がはしる。

敬礼を返した人物がかがり火に照らされる。

陣羽織に身を包み、漆黒の垂髪に白い肌、紅を乗せた薄い唇、

切れ長で強い光を放つ瞳の女であった。


「やすめ。大事になっとるようじゃのう」

「副長…風祭殿」

吶喊白兵衆参、不知火。副長を務める風祭あきら大佐であった。

上背があり、見下ろすように三名を眺める。

内から湧きいずる「力」を感じさせる侍であった。

悪兵衛より手短に作戦の経緯の報告を受ける。

幼い姉弟の件は不問であった。

「今後は?」

「名主と庄屋の帰りをまち、談合の内容と狗族との関係を尋問します。」

「罪状によっては本閥に送ります。」

明けつつあり、星々の光が消えていく空を眺めながら、風祭は言った。

「近年、保身のため狗族に与する国民が増えておる。」

「正体不明の者が弥者であった場合、由々しき事態故真偽によっては…」

「斬れ。」

動揺する三名の表情を読み、低く、鋭く声をあげた。

「復唱はどうした。」

「は。真偽を確認し、場合によっては村長以下、

弥者に与するものを斬ります。」

悪兵衛の表情が強張る。つづき、風祭が腰の純白の拵えの魁音刀に

手を置き、問う。

「戦闘の対応は?」

「本日、弥者と予想される者たちの出現地点に吶喊します。」

「首尾はどうなっておる」

「敵に推定弥者が三。中型狗族が複数現れると思われ、

頭目一、弓手二名の我等三名にて殲滅します。」

風祭が直立する三名の顔を一人ひとり眺めて言った。

「主ら、討たれたらば?」

「野山に骨を晒すのみ」

悪兵衛が強い光を目に宿しながら言い放つ。

風祭が不敵な微笑を浮かべる。


士魂ちからと剣」

鞘ごと魁音刀をかかげて、風祭は静かに言った。

士魂ちからと剣」

三名が答えた。


*


「鴨だ」

「あーいい匂いだな」

囲炉裏にくべられた鍋を橘川兄弟はのぞき込んだ。黒く濃い醤油の汁がふつふつと静かに煮え、薄桃色の鴨の身と焼き跡のついた葱が

浮き沈みしている。

「お蕎麦うってきたのよ。」

唐澤の明るい声が響く。三和土の釜で茹でた蕎麦を丼にいれ、

湯気をあげたそれに鴨の汁をたっぷりとまわしかける。

上官の風祭は先に帰投した。

ようやくその空気が薄れ緊張の糸がほどけている。

暖かい蕎麦をすすり、人心地つく三人。

「屯所を思い出す。」

「もう帰りたくなったね。」

好物の前に笑顔の悪兵衛が二人に言った。

「お前ら、前にこんな黒い汁で麺が食えるかと文句いってたではないか。」

「あの時は食ったの初めてだったゆえな」

「左様左様」

悪びれもせず、蕎麦をすする。唐澤は輜重隊の面々に指示を出しながら

忙しく立ち回っている。


丼を空にした三人が装備の目録を確認しながら語っている。

「副長が出張ってくるとはな」

「遠征の帰りだろう。わざわざ我々の報告を聞きにきたとは思えないね。」

「…」

「悪兵衛?どうした」

一真の問いにうつむいて思案していた悪兵衛が答える。

「うーん…章さんが、口を利いてくれたのかもしれんが…」

一圓が口をとがらせる。

「それで副長をよこしてどうする。我等が斬られるかと思ったぞ。」

「弥者より怖いよ。」

「いや、我らを心配しての事だと思う」

兄弟が口をそろえていった

「逆効果だわ。」

「ばか、聞かれたらどうする!?」

豪胆な悪兵衛が困り顔で表を気にした。


やがて、輜重隊も帰投準備に入る。

朝日を雨戸で遮り、備え付けの煎餅布団で三名は眠りに落ちた。





昼過ぎまで寝て、鍋に残ったかしわ汁に飯をいれ、卵をいれた雑炊を

三人はかき込んだ。髪結いの同行がなかったため、お互いに髷を結うのを

手伝う。悪兵衛は茶筅髷、橘川兄弟は総髪を高めに束ね、鉄環で留めている。

薄紫に黒の炎の紋の長着をまとい、真新しい草鞋に足を通した。

三人とも無刀で、昨晩の獲物をまとめて持ち、猟師小屋を後にする。


道すがら、土手下の河原でしのとこたろうの姉弟、その祖母らしき老婆が

洗濯をしている。しのは真面目に老婆の手伝いをしているが、こたろうは

川面に悪兵衛の「網打ち」をまねて、小さな腕を振り回している。

その姿に三人は目を細めた。


*


「なんと…本閥のお侍様でしたか」

青年たちが身分を打ち明け、元締めの老爺はたいそう驚き、

畏まって無礼を詫びた。老婆もまたひれ伏している。

悪兵衛は獲物を納品し、猟師小屋や生活用品の件の感謝を伝え、協力金として革袋をわたす。一分金が何枚か入っている。

三人が優に十日は宿泊できる料金だった。老爺はなかなか受け取らなかったが、

悪兵衛の意に負けた。

山中で見かけた、庄屋と共にいた男はやはり名主であった。

蟹のような容貌と聞いた元締めは手を打ち、悪兵衛達に伝えたのだった。

収穫した獲物は北の社に逗留している、身分の高い者と

取引しているという。

名主と庄屋は取引の為夜半に出かけ、次の日の夕方に村に戻る。

どうやら金子を握らされてその先の宿場町で酒色に耽り、

存分に遊んでくるようで、いつも酒の匂いをまき散らしながら屋敷に戻る。

元締めは額に深い皺をよせ、潜めた声で訥々と語った。

すでに日が傾きかけている。


老婆が三和土から声をかけた。どうやら名主達が戻ったようだ。

猟師小屋の反対側の村はずれに位置する名主の屋敷に、

庄屋と共にもどり、夕食の膳を振る舞っているという。

すっかり日も落ちた頃、村の中では豪奢な屋敷に三人は向かった。


小物の老人に身分と尋問の旨を伝え、土間からあがる。

小物は腰を抜かさんばかりに狼狽し、奥の部屋に伝えに行く。

その後に無言で続く三名。屋敷には似合わない高価な調度品等が散見され

下品な違和感を感じさせる。

奥の間に名主と庄屋、おそらく宿場町より連れてきた中年の女郎達が下品な笑い声を上げていた。突然の侍達の来訪に、庄屋は色を失くす。

名主は杯を置き、女たちに退出を命じた。


「下束村名主の、北山久右衛門と申します。」

上座を三名に譲り、慇懃に礼をする名主。

蟹のような顔に張り付けた笑みを浮かべている。

庄屋は頭を伏せ、大きく目を見開いている。

「本閥の播磨だ。ここな者は同じく本閥である。」

悪兵衛が見せたのは、本土決戦軍閥師団の菱紋が鮮やかに描かれた、

漆黒の漆の印籠だった。

これは佐官以上の身分の者しか持つことを許されない。

「まず、問う。お前は狗族と取引し、村の収穫物と金子を取引している。

これは間違いないか。」

「恐れながら…違います、お侍様。」

おおきな体格を下卑た笑いで揺らしながら北山は言った。

「お相手は…狗族を率いているお方で…狗族ではございませぬ」

「弥者か」

「それは、存じません。また村の物で私欲を満たすような行い、一切御座いません」

嫌悪感を露わにしていた一圓が口を開く。

「我々はお前が三名の物に、獲物を引き渡し、銭箱を受け取っている現場を目撃している。」

北山は目を伏せ、茶を手にして一口飲んだ。うす笑いを浮かべている。

「私はね、お若いお侍様。この村を守る義務があるんだ。そのための取引なのですよ。」

「狗族に与する事が村を守る?」

温厚な一真も苛立ちを隠せない。

「あのお方たちは狗族を率いているのです。対話、ですよ。大事なのは」

若い三人の侍を侮った態度であった。

庄屋もひきつった愛想笑いを浮かべている。

「お侍は戦ですべて型をつけようとしなさる。たとえ狗族といえど対話なのですよ。あの方達に協力する事で、侵攻を止めて頂く。ひいては村を守る事に繋がっているのです。戦争をする方にはこの尊さがわからない。」

「私はね」

「この世からいくさがなくなればいい、と思っているのですよ。対話もひとつ、融和もひとつ。その方法なのです。お互いを理解する事で、争いを防ぐことが出来るのでは。そうは思いませんか?お若いお侍様は。」

名主は芝居がかった動作で目をつぶり、滔々と語る。

黙り込んだ若者たちに、さらに追い打ちをかける。

「貴方たちはね、騙されているんですよ。」

「戦争をしたがっている上役や社会に。」

「お若い方はね、そういう自分たちが使い捨てにされている事、

理解しないといけません。」


目を伏せていた悪兵衛が顔をあげた。

「貴様、我々の戦いを愚弄するか」

髪は怒りで逆立ち、凄まじい怒りの光が瞳に宿っている。溶岩のような圧力が全身から吹き上がり、背後の橘川兄弟でさえ、気圧される力であった。

庄屋がへたり込み、名主が湯呑を畳に落とした。思わず悲鳴をあげる。

隣の部屋で座していた、体格のよい中年男が現れる。

大八車を曳いていた男だった。

「喜平、この男を」

北山は低く声をあげた悪兵衛にすっかり怯え、喜平と呼ばれた小物に暴力での排除を命令する。

自ら語っていた事との矛盾に本人は気づいていない。


喜平と呼ばれた男が太い腕を伸ばし、悪兵衛の襟首をつかもうとする。

そのかいなの下を搔い潜るように悪兵衛が拳を突き出した。

喜平は何が起きてるのかわからなかった。視界が流れ世界が円盤のように回転している。その身体は悪兵衛の拳を中心に高速で回転した。

床に頭部が激突する鈍い音が、二度、三度、響く。

そのまま倒れ伏し、口の端に白い泡が溜まっている。

悪兵衛は座したまま、ゆっくりを手を下す。

本閥の近接格闘戦技、「拳環」であった。

体内で練り込んだ士魂を、肩の中心から回転させつつ拳から放出、

打撃と共に標的の生物を回転の渦に巻き込み殺傷する。

「どうする?」

「本閥に送らないと」

橘川兄弟が立ち上がった。一真は嫌悪の表情を隠さない。

「取引相手が弥者かどうか確定していない。」

悪兵衛も立ち上がる。無手であろうとも、十分な程の殺傷能力を

持っている侍。名主も庄屋も骨身に染みて理解した。

目を見開き、脂汗を流しながら三人の動向を見守っている。

「使い道はあるだろう。こいつで推定弥者をおびき出す。」

事もなく冷静に悪兵衛は言う。北山は悲鳴をあげた。


屋敷の表から遠く半鐘の音が響いている。

三度打ち付けられる鐘の音が連続で鳴らされている。

火災の知らせであった。





表に三人は飛び出した。

小高い丘にある名主の屋敷からは村が一望できる。

火の海であった。燃え上がる家屋、夜空を染める程の明るさと火勢。

家々の間に点々と村人が横たわっているのも見て取れる。

地獄の様相であった。

悪兵衛は橘川兄弟にみぶりで指示し、無言で静かに歩き始める。

敵侵攻であった場合、武装しなければならない。

いち早く猟師小屋に戻る道を選ぶ。

路に倒れ伏している死体。村の老人達であった。火災により家から飛び出た者、逃げまどった者、消火を行おうとした者。

一様に大量の出血と共に死亡している。

猟師の元締めの老夫婦が重なるように倒れ伏している。

一圓は老婆を抱き起したが胸元を血に染めて絶命していた。

敵の侵攻に拠るものである事は明らかだった。


一真が燃え上がる家屋の前、倒れているしのを発見した。

抱き起し、煤にまみれた頬を拭ってやる。涙の痕が残っている。

事切れていた。

悪兵衛は住居に入る。業火に包まれ内部は崩壊しつつある。

「こたろう!」

倒れた梁に挟まれ、伏せている小さな身体を発見した。

次々に崩れ落ちる屋根材、大黒柱が猛烈な炎に包まれ進入が叶わない。

悪兵衛は歯噛みした。

こたろうの小さな腕は動かず、裾から髪に炎が燃え移っている。

すでに絶命している事は明らかだった。

「悪兵衛」

一圓が悪兵衛の腕を曳いて外に飛び出るのと、家屋が崩壊するのが同時で

あった。三人は立ち尽くしている。


「お前ら、本閥が」

「狗族や弥者を皆殺しにしておけば、こんな事にはならんかった」

半狂乱の北山が喚いた。庄屋は火の海を呆けた顔で見回している。

「ど、どう責任をとるんだ」

一圓が無言で北山の正面に立ち、胸元を掴んで這いつくばらせた。

小柄ながら鍛えに鍛えた万力のようなかいな力で、北山は身動きできない。涙と鼻水で濡らした蟹のような顔を醜く歪ませている。一圓は拳を握った。

「よせ、民間人だぞ。」

一真が一圓の背後に歩み寄る。一圓の拳は震え、全身から怒りの力が

吹き上がっている。一真はその拳に自分の手を重ねた。


「あにやん、俺も悲しいよ。」


幼少からの呼び名で一真は兄に言った。

重ねた手の甲に一圓の涙のしずくがおちた。

悪兵衛が北山を殴りとばした。盛大に豪奢な着物が破け、

割れた歯が血潮と共に大量に散った。

もんどりうって転がる北山。悪兵衛は向き直り、庄屋の腹をける。

北山に重なるように吹き飛ぶ。

「戻るぞ。装備を整える」

涙をぬぐった一圓が破れた着物の端を投げ捨てた。

「こいつらはどうする?」

「処断するのかい?」

二人が悪兵衛を見つめる。

「斬る価値もない。琿青が汚れるわ。」

頷いた二人と共に村はずれの猟師小屋に向かった。


*


傍らの琿青の拵えを見つめながら、悪兵衛は革鎧に腕を通した。

鬼門甲と呼ばれる不知火の正式装備である胴鎧は、防御は勿論の事、

士魂を表面に流動させ、体内に還元する構造を持つ。

だが非常に重量がある為胴回り部分のみを覆い袖から下は無い。

一真は弓張り板を用いて、長弓に弦を貼っている。

黄金に輝く金属部と櫨(はぜ)の樹と黒檀の複層構造で、

静かな唸り声を上げている。見事な大弓であった。

「厭月、鳴っているな」

一圓が声をかけ、一真がうなずいた。優し気な表情は一変している。

一圓は傍らに鞘に納められた一対の鎌を置き、その握りを確認している。

片側は白の絹糸、もう片方は朱の絹糸で飾りがつけられ、武器としては

小振りであった。左腕に鉄製の枷のような器具をはめ、革の束帯で

硬く固定している。手首の鉄環を引くと高い金属音と共に左右に弭(はず)が飛び出し、弦が張られた。小型の弩弓である。


悪兵衛は鬼門甲を身に着け、長着を羽織る。

まっすぐに前をみつめ口を開いた。

「下束村は何者かの襲撃により、ほぼ全滅した。」

「今この時より、報復作戦を発動する。状況を検分した上での報告をせよ。」

一真は厭月と呼ばれた大弓を弓張り板に立てかけ固定し、射籠手を身に着けながら囲炉裏の前に座った。

「…火矢による攻撃の痕跡がありません。また家屋の延焼の仕方が全体に同時期に始まっておりますが、足跡などから敵集団によるものではありません。」

その横に鬼門甲に袖を通し、束帯をしめて身体に密着させている一圓も座る。

「村人の殺傷痕より、大型の鉤爪、もしくはそれに準ずる刃物が使用されたと思われる。だが一定の切断面ではなく、擦過した際の広範囲の裂傷が見られた。」

二人は湧き上がる怒りを抑え、努めて冷静に報告する。

「では敵が弥者の場合、破常力として考えられるものは発火能力、

斬撃能力等である。」

言いながら悪兵衛は独りごちた。

「…章さんや行部殿がいれば、詳しく見極めることが出きるのだが…」

鎌型の魁音刀を腰にみにつけ、弩弓の矢羽を確認しながら一圓は

報告を続ける。

「大掛かりな侵攻をした場合、敵戦力の疲弊もあると考える。」

「報復は速やかに行うべきだ」

「自分もそう思います。」

橘川兄弟はまっすぐに悪兵衛を見つめている。

「…我々が内偵に入っているのを相手はまだ察知していない。」

「その間隙をぬう」

「よしんば、不知火の存在に気づき、村民を虐殺したのであれば

尚更報復あるのみ。」

「追討に入る。一真、あらましの報告書を作成してくれ。」

「御意」

静かな金属音を断続的にあげる琿青を、腰に差した。





村は乳白色の霧に包まれていた。薄く光る朝日がゆらめいている。

家屋からの煙が所々に上がっていた。

道標に、名主と庄屋の死体が百舌の速贄のように連なり刺さっている。

北山は恐怖におおきく目を見開いたまま腹部を貫かれ、庄屋はうつ伏せで表情は見えない。

「先を越されたか」

「我々の事は名主から漏れたね」

橘川兄弟は遺体を一瞥して歩を進める。

「悪兵衛、どうする?」

「敵と正対し生死を決する。望むところ。」

「村の北、社と呼ばれていた場所を目指す」

悪兵衛が決然と言い放った。


濃い霧の中、村の大通りの中央に三名の男女の影が浮かび上がった。

紺の宮服の男二人の間に紫の衣の女。すでに仮面も笠もなく、

素表を晒している。


「おぬしらが侍のようだねえ。」

女が高い声で歌うように言った。

囁き声だが脳髄に響くほどの音量の錯覚を覚える。

癖のある黒髪が背中まで伸び、青白い小顔のなかで

紅を引いた唇の端を釣り上げている。

笑顔だが罵り、蔑すむ表情であった。

「われ等を屠る為にきたのであろ?」

紺の宮服の長身の男が吐き捨てるように言う。

「八百万の力に背くワリビトが。」

「われ等が滅ぼす。」

同じ位の長身でがっしりとした体格のもう一人が言い放つ。

三名の言葉を悪兵衛が無表情で聞いた。

懐から布告書を取り出し宙に舞わせる。


「宣戦布告」

橘川兄弟が一歩下がり膝をついて弥者達を鋭く睨む。

一真が戦旗を掲げ、はためく白地に炎が燃え上がる。

「本土決戦軍閥師団」

「吶喊白兵集参、不知火。播磨悪兵衛少佐である。」

「同じく橘川一圓中尉。」

「橘川一真中尉。」

「我が国民の虐殺を確認した。」

「佐官判断によりこの時をもって、戦争行為を行うものとする。」

「報復する。死をもって償ってもらう。」

「あらためて告げる。いざ尋常に勝負」

「勝負」

三名の怒号が村に響き渡った。宮服の男たちは一歩さがり、

女からは笑顔が消えた。

「我が眷属にヤマトビトの血を捧げる。宣戦を受ける。」

女の声と共に男二人が叫ぶ。

「ワリビトを屠る。」

「ヤシャビトに栄を。」

「ヤシャショウライ」

弥者の叫びと共に肌蹴た身体がみるみる膨れ上がり、ごつごつとした

筋骨で覆われていく。長身の男は青みがかった肉体に、がっしりとした男は朱色に身体が染まっていく。

「ヤシャ ショウライ」

女も静かにいうと、黒髪の間から鋭く血管の走った角が現れる。

体つきは変わらず、紫色にてらてらと輝く爪が伸びる。

女は袂からこぶりな神楽鈴を取り出し、清涼な音を発した。

「マガツカミの力をシカバネを操るものを」

鈴をふりながら歌うように言葉を紡ぐ。高く低く抑揚をつけた声が響く。

破常力を警戒し、不知火の三名は身構える。

悪兵衛の腰の琿青は低い金属音を鳴らし始めた。


女の足元から紫色の影が中空に向かって伸びる。もやもやとしたそれはやがて細長い人のような形になった。が、頭部は無く、身体はつるりとした海洋哺乳類のような異様な質感である。首にあたる部分に黒々とした穴が開いている。


山中で死骸を貪り食っていた、達磨型の狗族が変形した姿だった。

女に促され、男二人が三体の狗族の穴をふさぐように、狐面をかぶせる。

金と黒の装飾のついた面の奥、青緑色の光点が光った。

面をつけた狗族はその長い四肢をゆらゆらと動かし、

舞のように動きながら女から離れた。

低い、小さな音を面から鳴らしながら舞う。

侍達に近づきながら奇妙な動作を見せる狗族。

悪兵衛が魁音刀に手をかける。

その時、霧の向こうに無数の人影が現れた。

面の狗族に誘われるように四方から人影が集まりつつある。

皆、遺骸であった。


物言わぬ死体がゆっくりと侍達に歩み寄ってくる。そのすがたは切り裂かれた胴巻姿、茶色の血痕がこびりついた長着、片腕を失くしほぼ白骨化した者もいた。

おそらく、先の戦で命を失った兵士達であろう。

背後から近づく者たちは、まだ血の色も新しい老人達の亡骸である。

黒こげになり炭化した体組織をぼろぼろまき散らしながら

歩みを止めない者もいる。

悪兵衛達を取り囲むその姿は百を数えた。

「死人を操る狗族なのか。」

「死体を食って力を蓄積していたのかな。」

双子は冷静に見回している。

悪兵衛は鼻を鳴らして嗤った。

「屍が侍に何するものか。蹴散らしてくれる。」

高く上げた悪兵衛の足が地面に激突、爆破音と共に屍が数体吹き飛んだ。

衝撃で四肢を失い道に転がって蠢く。強烈な四股である。

「射刃」

低く叫びつつ、琿青を引き抜く。炸薬音と共に青い火花がはじけ飛ぶ。

右に薙ぎ払った剣の五歩先まで衝撃が走り、屍四体を粉々にする。

射刃、とは射長魁刃と呼ばれる基本的な魁音撃であり、

士魂の発動を魁音刀に伝えて前方に撃ちだす。

悪兵衛のそれの威力は並みの射刃の倍はある。

魁音兵装による攻撃にはいくつかの基本の技があり、その習熟の上で本人しか使用できない強い魁音撃を編み出す。


一瞬で悪兵衛が十体以上の屍を粉砕すると同時に、背後から迫る影を一圓が片腕に装着した弩弓で射撃する。屍達の腕の関節部、腿、膝、くるぶしを狙撃し、命中した個所は爆ぜて消失した。

鉤牙とよばれる弦をかける部分が蝶番いの構造になっており、手前に引く金属製の引き手によって、高速で次弾を装填する。

歩きながら次々に一切の撃ち漏らしもなく屍の関節部を破壊する一圓。

一真は矢筒から美しい白の矢羽の矢を取り出し、ゆっくり厭月につがえる。

二度瞬きする間に蘇った屍が半数近く破壊された。

女の顔は驚愕と憎しみに眉を寄せ、開いた口の端に犬歯が見えている。

「何だ奴は。人か?」

男の弥者二人も恐怖の色を隠せない。

「ワリビトにしてビャッコの侍と思われます。」

「白い焔の連中か。小癪な。」

「ユウギリノヌシ、危険です。お下がりください。」

光の線が走り、死人使いの狗族が吹き飛び、廃屋に打ち付けられた。身体の中心には煙を上げる矢羽が刺さっている。人の二倍はある大きさの個体を矢の射撃のみで磔にする、一真の強力な射撃であった。

死人使いは甲高い悲鳴を発しながら矢の中心から溶け落ちるように崩壊していく。魁音撃による身体の消失である。

屠られた狗族を察知し、他の死人使いが一真に殺到する。明らかな殺意が吹き上がる。一真は次弾をつがえ、ゆっくり標的を見つめている。

「旭光」

悪兵衛が吠えた。破双で一瞬に間をつめ、一真の眼前で旭光を発動させる。

振り抜いた琿青の青い軌跡の先、地面に衝撃が炸裂し、

死の爆壁が打ち上げられた。

死人使いは旭光の直撃を受け、粉々の粒子になり溶けた。

霧を突き破り上空まで旭光の軌道上に穴をうがち、青空が見えている。

「鎌偉太刀」

一圓が短く叫び、腰の鎌を抜きながら最後の死人使いにとびかかる。

全身をねじり、鋭く回転させながら左右の鎌で切り付け、

左足の後ろ回し蹴り、右足の打ち下ろし蹴りを一呼吸で二度行った。

その間、すべて空中である。

高速で回転する独楽のような攻撃は鎌偉太刀かまいたちと呼ばれる

戦技であり、弓兵でありながら強烈な身体能力で近接攻撃もこなす

一圓が得意とする。

死人使いは一瞬で切り裂かれた布のようになりその場に崩れた。

斬撃と打撃の連続攻撃ですでに人型をしていない。煙を上げて黒い血だまりが広がる。


「もはや人の力ではない」

旭光を目の当たりにして、ユウギリノヌシと呼ばれた女が呻いた。

「死神です。」

「命に代えてもここで倒しまする。」

弥者の男二人の目に覚悟の光が宿っている。

「ゆけ。奴らの光を奪う」

ユウギリノヌシは背後から肩掛けのこぶりな筝を取り出す。

赤い漆の上に金の文様と散る花が描かれている

「ノ ロ ヒ フ タ」

ユウギリノヌシの呪詛と共に、戦場に似つかわしくない雅な弦の音が

流れた。

次いで、高い声が響く。唄、であった。その意味は聞き取れない。

異様な出来事に侍達の行動が一瞬止まった。戦闘に躊躇してしまった。

がくり、と悪兵衛が膝を着く。猛烈な倦怠感と頭痛、呼吸の苦しさが襲う。

同じく一圓と一真も苦悶の表情をうかべ、廃屋にもたれる。

「これは…破常力か」

「視界が…」

視界がぼやけ焦点が合わない。うっすらと男の弥者が歩み寄るのが見える。


「南無八幡!」

悪兵衛が叫んで立ちあがった。全身震えながら大きく両手を開く。

おおきな破裂音とともに手を合わせた。瞬間、鋭い圧が吹き出し、

一圓、一真の視界が晴れた。

悪兵衛は鼻腔と耳穴から鮮血を吹き出している。

悪兵衛の様子に気づいた一圓は冷や汗を流す。

「無茶な…破常力を「柏手」で破るとは」

「やめろ、悪兵衛!反魂がくるぞ」

一真も必死にさけんだ。

悪兵衛は無表情にまた手を開き、おおきく打ち付けた。


本閥戦技、柏手かしわで。武神の門を叩く契約の技と記される。

本来士魂を滾らせ、戦意の向上を高める用途で使用される。

が、異変をきたした士魂の状態で使用した場合、

その威力が術者自身の心身を蝕む。

悪兵衛は柏手二閃で橘川兄弟の不調を解いた。

目の焦点を失くし、血を吹きながら悪兵衛は両膝をつく。

間髪いれず跳ね起きた一圓が弩弓をユウギリノヌシに向かって

連続で射撃する。

六本の矢は、女の手前で重量をなくしたように回転し、

やがて地面に落ちた。

装填をおえた一圓の次弾も同じように手前で矢が徐々に速度を落とし、

同様に落下する。

「何だ?風か?」

地面から湧き上がるように旋風の土煙が舞い、

ユウギリノヌシを守っている。

青い肌の弥者が大きく手を振り、その旋風を制御していた。

「ツ ム ジ」

大きく腕を振り、新たな旋風を一圓、一真に向かって放出する。

破双で兄弟が左右に飛びすさる。二人のいた空間の廃屋は旋風に切り裂かれた。鋭い刃物を何本も擦過させたような跡が残る。

新たな旋風を矢継ぎ早に撃ちだす。

「コ ゲ ル キ」

赤い肌の弥者が両手を突き出すと、撃ちだされた旋風が燃え上がり、

炎の渦となって一真に迫る。

「旭光」

飛び込んだ悪兵衛が二度目の旭光を炸裂させる。

回転しながら打ち上がる衝撃の塊が炎の渦を一瞬で霧散させた。

「我らがツムジを一撃にて霞とするとは」

「恐ろしきワリビトの力」

絶対の攻撃能力を誇る二人の弥者も舌を巻いた。

大きく息をつきながら立ち上がる悪兵衛。腕が痙攣するように震え、

琿青が異様な低音を発している。ぐい、と唇まで垂れた鼻血を袖でぬぐい、

腰の束帯から小指程の筒を取り出した。筒の封を咥えてはずし、逆手にもった琿青の目釘に打ち込む。刃先から白煙が上がり、低い金属音が消えた。

魁音刀は膨大な士魂の流入が続くと、内部構造がその力に耐えきれず損壊してしまう。

旭光を発現させる為の悪兵衛の士魂に、琿青が悲鳴を上げたのだった。

「月旦抜き」と呼ばれる士魂放出材を目釘に打ち込むことによって一部、

刃の耐久度が戻る。


「殺傷力を持った旋風に着火する能力、これで村を一瞬で焼き払ったのか。」

態勢を整え、矢をつがえた一真がいった。

一圓は束帯を外し、弩弓を道端に落とした。両手の鎌を構え直す。

「悪兵衛は二発撃った。俺がやる。」

一圓の動きを見極め、旋風の弥者がユウギリノヌシの前に立ち、防御の風を張る。一真はそれより早く射撃した。

「凍呀」

湧き上がる空気の防御壁に一真の矢の軌道がはずされる。

が、横をすり抜けた矢の圧に旋風の弥者の左腕はしびれ、力が抜けて垂れ下がる。直撃を避けても相手の運動能力を吸い取り、一時的に動作不能においやる魁音撃である。

鵜眼鷹眼うのめたかのめ

一圓が叫び、全身を回転させながら鎌を投擲した。薄く光を発しながら回転する鎌は左右の上空に消えた。腕に負傷を追った旋風の弥者の身を案じ、炎の弥者がその身体を抱える。その時、投げ上げられた鎌が自らの意思でもあるかのようにユウギリノヌシに襲いかかった。

人では無い異常な機敏さで一本目を仰け反ってかわし、二本目をかがんでかわす。

全身の高速運動に髪と着物の袖がおくれて揺れる。

外れた鎌は地面に突き刺さらず、回転しながら左右に消え、一瞬のちにまたユウギリノヌシに迫った。

「これは」

「ハナニチョウか!?」

驚愕する弥者二人、飛来する白の握りの鎌をユウギリノヌシは箏爪で掠るように撃ち、軌道を変えた鎌は樹木に突き刺さる。が、避けきれなかった朱の二本目が筝の弦を二本斬り飛ばした。ユウギリノヌシは歪んだ表情で舌打ちをする。

鵜眼鷹眼うのめたかのめは一圓のみが使用する投擲技で、追尾誘導魁音斬と

記されている。目標を斬撃するまでその回転は止まらない。

網打ちで鎌を手元に引き寄せる一圓。怒りに眉は吊りあがっているが、不敵な笑みを浮かべている。


余りにも強力な侍の戦闘力にユウギリノヌシは瞠目していた。

(キリヒト様の言われたとおり…ビャッコの侍には一対一では勝負にならぬ)

「シラハ、アイワラ。」

ユウギリノヌシは部下に声をかけ、一歩引く。残った弦を弾きながら、低く唄う。単純だが力強い旋律を連続で奏で、歌声で弦の音を補佐する。

侍三人は身体の不調を誘発する破常力に備えた。

弥者三名の足元から紫の炎が吹き上がる。下半身が燃え上がったように

炎の中で揺らめいている。悪兵衛が声を上げた。

「まずい、破常力で逃走する!一圓!一真!」

言葉が終わる前に三名の姿が消える。瞬きの間に大通りの向こうに

駈ける弥者を認めた。悪兵衛の呼びかけに無言で一圓と一真は

破双で答える。

土煙をあげ、士魂が体内で炸裂する独特な音をその場に残しながら

飛ぶように双子は疾走する。

飽和破常力によって、恒常的に高速で駈け続ける弥者達と、

破双の爆発力で断続的に跳躍する双子の距離は徐々に離れる。

このままでは追いつけないと二人は同時に判断した。

地を削るように足を突っ張り、急停止する一真。右足首に装着した握り手の引き金を引く。乾いた破裂音が鳴り、火薬によって鉄製の杭が踵より撃ち出された。地に深々と刺さったそれは、一真の足元を強力に固定している。左脚も杭で打ち付け、厭月をゆっくりと構えた。

弓構えから打ち起こしの動作に入る。

一真の動作を見た一圓は、片膝をつき額に指を当て「真言」を唱えた。

阿環 址間 

刃羅 別那

低く早口で唱え、体内に士魂が充溢していくのを感じる。

釈教の発祥の国、婆羅真名国ばらまなの古語を元にした念語だが、士魂を用いる侍達は必ずその言葉で自らを高める。

「月追」

一真の言葉と共に大量の士魂の燃焼による圧が吹き出し、一真を中心にして一瞬の真空状態を生み出した。次いで矢の射撃による反動の衝撃が辺りを揺らす。

発射された矢は音を超える速度で山中を走る、木々を避け、地面すれすれを、上空を、光の軌道を残して飛翔する。

道を外れ沢までたどり着いた弥者達は、侍から遠く離れつつ

未だ疾走している。

飛来した一本の矢が、旋風の弥者の頭部を樹木に打ち付けた。

頭部からは煙があがり体組織が一瞬で崩壊し、頭部を失くした弥者が地面にずり落ちる。崩壊は首まで進み、絶命してもなお蝕み続けた。

「シラハ」

ユウギリノヌシの悲痛な声が緑の中で響く。すでに上半身を失くした同胞の元に炎の弥者が座り込んだ。


膝をつき、荒い息をつく一真。月追の一射で精魂尽き果てたが、

厭月を一圓に差し出す。

「一圓」

「おう!」

一圓は膝をついて大弓を横構えで矢をつがえる。身体の中心から熱く燃え上がる士魂が両腕、両足に浸透し、厭月が答えるように唸り始めた。

元締めの老爺、優しい老婆、しの、こたろうの顔が浮かび、歯を食いしばる。全身が力の漲りの塊となり、一圓は叫んだ。

「月追」


月追つくおいとは、射撃において最強の誘導能力を持つ

魁音撃である。

本閥全軍を通して使役できる侍は十名に満たない。

不知火隊内においても、橘川兄弟のみ使用が可能であった。

追尾誘導魁撃集弾と記されるそれは、目標の距離に関係なく集弾し、貫く。

だが強力故に術者には大量の士魂の消費を強い、

深刻な損傷を招く場合もあった。

ユウギリノヌシを庇った炎の弥者の背に矢が突き刺さり、胸部が爆発して

血潮と折れた胸骨が飛び出した。矢を中心に崩壊が始まる。

「ユウギリ ノ …」

伸ばした手を取ろうとする、が力なく腕は落ち、弥者は絶命した。

白の矢羽には揺れる炎の紋章が記されており、ユウギリノヌシはそれを

握りしめ、折った。

「この報い、必ず受けてもらう」

全身が紫の炎で包まれ、ユウギリノヌシは呪詛を残して消えた。


*


両足を固定したまま一真が手をついて荒い息をし続けている。

その後方に月追の射撃による衝撃で吹き飛ばされた一圓が転がっていた。

琿青を鞘に納め、悪兵衛がよろよろと歩き、二人を認める。

「仕留めたか。」

一圓は目を見開いて口を動かすがあまりの疲労と消耗に声が出ない。

「女 逃がし た」

必死に一言呟くと、一真は倒れ込んだ。

足元の杭が地面を掻き出して露出している。

遠く、かすかに太鼓の音が聞こえる。玄真の報告と、一真の知らせを受けた本隊が近づきつつあった。





不知火に随行してきた藩の兵士達が、全滅した村の後処理を行っている。

確認されつつあるが生存者は皆無であった。悪兵衛達も遺体の埋葬に協力し、村はずれに簡易な墓をたてた。

小さな墓標に丸石とどんぐりを供え、悪兵衛は手を合わせている。

灰音が静かにしゃがみこみ、同じく手を合わせた。

顔をあげた悪兵衛は灰音に気づき、瞳に涙が溢れだした。

「章さん。」

耐えきれず嗚咽を漏らす。

「幼子の姉弟ですね。」

灰音は厳粛な表情で悪兵衛を見つめる。

悪兵衛は涙を土に落としながら頷いた。

「我々は皆、八百万の子。…幼子は悪兵衛殿のまわりに、います。」

しゃっくりを上げる悪兵衛の肩に手を置き、灰音は見上げた。

「霧が晴れましたね。」


*


縁側に火鉢をおき、悪兵衛は報告書に目を通している。

橘川兄弟の破双の性能を灰音の示した項目に沿って評価したものだ。

「新型魁音兵装」を思いながら破双の能力とそれが結びつく想像が

できなかった。

「偃月に歪みがある。お主の一射でこれはひどい」

「ばかな!最初のお主の射抜きに問題があろ!」

騒ぎながら中庭に入ってくる橘川兄弟。悪兵衛は顔をしかめたが、

やがて笑った。

兄弟は競いながら的当てをはじめ、他の不知火隊士も見物に

集まりつつある。


「あれらは変わりませんな。」

灰音が傍らに座る。盆には湯気の立つ焙じ茶がふたつ。

「奴らはつくづく内偵に向かぬわ。とにかく騒がしい」

悪兵衛の言葉に灰音は微笑している。

「入隊当時、悪兵衛殿の部屋の壁を壊したことがありましたね。」

礼をいって茶をうけとりながら、思い出した悪兵衛はうんざりした表情。

「行部殿に人員替えを頼もうと思っておる。」

悪兵衛の言葉に灰音は笑った。


本閥と弥者の非対称戦争は、時に多大な一般人の死傷者の犠牲を出した。

幕僚は詳細な連絡系統を構築し、全国に隠密を配置した。また本閥四軍もそれぞれ調査員を各地に派遣し、異変あらば、不知火が内偵を行っている。

が、その被害は収まる事なく、未だ弥者の行動原理ですら

人類は解明していなかった。




朝霧 了

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