閑話 一
閑話 一
粉雪が舞い落ちる。庭石にうっすらと積もっている。
不知火屯所内に併設された学問所にて、新卒および若年の者の手習いが
行われている。
文机が並び、十名強の学徒はみな指南役の声に聞き入る。
前に座るのは不知火副長、織田刑部。またその傍らに補佐として
灰音章雪が控えている。
「昨日の続き、弥者とその階級、戦闘時の見極めについてである。」
「一圓、今日は居眠りしてはならんぞ。今後のお前達と直接関る事
だからな。」
落ち着いた刑部の声に一圓が口をとがらせて不満げな表情をむける。
その背後の席、悪兵衛は正座し括目して刑部の言葉を一言も聞き漏らさないようにしている。
「弥者これすなわち姿隠したる仁王である。」
「狗族を統率しその膂力は人を遥かに超え、超自然の知識を操り、
高度な練兵を行う。わが国最大の脅威となる種族である。」
「そも彼らは自然信仰を旨とし、他の動植物との共存を望む思想を
持つ。が、我ら人間に対して本能的な敵意を表し度々大規模な戦争行為を行ってきた。」
「我々人間側が得た貴重な弥者の情報を本日の手習いとする。」
刑部の表情が幾分険しくなり、手元の書物に視線を落とす。
灰音があらかじめ用意された半紙を学徒に配る。
「配られた書に記してあるのは、弥者達の階級社会の構造だ。」
「奴らはすべてのものが軍属に似た指令体系を持っている。」
「若年の者が「彦・姫」、一般の戦闘員が「名」。下士官が「主」、
団長級が「上」と呼ばれる。」
「播磨少佐の報告にあった下束村全滅事件に直接関与していた
女性型弥者、筝による演奏と声による攻撃で侍に対する状況変異、仲間に超自然的な力を付与する飽和破常力を行使した。」
「ユウギリノヌシ。主の尊称で他二名の弥者から呼称されている。」
憎悪の眼差しで見つめ、口の端を釣り上げた女の顔を悪兵衛は
想起している。
「弥者が恐れられる最大の要因とは」
「若年「彦・姫」にはわずかに、一般の戦闘員「名」にはほぼすべて。
隊長級以上の弥者には必ず強力な超自然能力を操る力を持つ事だ。」
「飽和破常力」俗にいう破常力だな。その攻撃に直面した隊士もこの中に何名もいる。」
「いかな鍛えた日の本の兵士でも、その超常能力にはまず相手にならぬ」
熱心に手帳に書き込んでいた一真が顔をあげて刑部に問う。
「刑部殿達、参謀方でも交戦された事があると聞きました」
「ある。刀を交わした瞬間に刃先が私の腕を巻きまっすぐ目と脳を狙って突いてきた。」
平然と言い放つ刑部の言葉に学徒達は顔を見合わせ、その恐怖を想像する。
女生徒が凛とした声を放った。
「どのように撃退されたのですか…?」
「それもすべてこれから話す故、心して聞くように。」
「先ほど言っただろう。お前達と直接関るぞ、と」
灰音が苦笑しながら刑部に耳打ちする。
「刑部殿、あまり脅かしても」
「そうだな…」
「我々の常を破る、弥者の心の力。彼らの信仰する神の力。」
「自然の
「ある程度の体系化とその効果の予想を記されている書物を各自読み込むように。」
「弥者戦術年鑑十から十二、飽和破常力」を参照せよ。」
悪兵衛が手帳に年鑑名を書き写す。漢字が間違っている。
「弥者には頂点の者達が存在する。」
「…本閥の侍、人類の天敵ともいえる。」
「今から説明する旨、軍務秘匿故、口外はならぬ。しかと心得よ。」
「敵軍団の首魁連、最も位の高い「
「名称と能力を現時点でわかっているものを記したものを配布する。」
「書類は授業後、燃やす事。持ち出しは相成らぬ。また念押しだが隊士以外に口外することも罷りならん。」
書を配布しながら灰音は思う。これだけの情報を集める為にいくつの命を使ったのだろう。膨大な戦闘と死、かすかな事柄からようやく紡ぎだされた敵将軍の姿。だがその量は少なく、万全では無い。
「巨人。固体名はムツノナタノミコト。」
「頭部左右に大型の角を持ち、部隊を率いる事もあり戦士として立ちはだかる事もある。およそ七尺近い体躯で大型の鉈を扱う。」
「一時的に強烈な筋力の増加を行う破常力を用い、素手での攻撃で魁音撃を消失させる技を目撃されている。」
猫のような瞳の利発な表情をした女生徒が一圓に話しかける。
「七尺…二
「士道よりでかいな」
「笠間村で見た時はもっと大きく感じたな」
一真も小声で答える。燃えるようになびく頭髪に雄々しい二本の角、
爛々と輝く瞳。闘神の如き姿を思い出し、身震いした。
「その膂力は強大で、剣風で侍数人をなぎ払い、岩をも砕く。」
「また、破常力を使用するときその腕が発光・明滅し、直後発動、膂力・速度の飛躍的な向上を得、まず剣戟に於いて戦闘は不可能。」
「日の本兵士百名以上の殺害。本閥の侍も十二名が一対一での戦闘に
敗れている。」
「次に七つ星。固体名スバルノミコト。やや小柄だが運動能力と剣技に長け、前線での戦闘、暗殺行動を行う。装身具に七つの宝玉を身に着けているので現れたらすぐに確認可能。本閥の侍との決闘を好む。」
「一度に複数の小刀を念動で動かす破常力が確認されている。不確定だが自身の発音から、<ハナニチョウ>という名称らしい。」
「一度に複数刃を念動…」
一圓がその力を想像する。様子を見てとった灰音が言葉を発する。
「橘川兄弟の誘導型魁音撃に近いですが、常時目標を変える事が出来ます。またその数も複数です。」
説明を聞く悪兵衛が拳を強く握る。
悪兵衛の横に座る女性隊士が口を開いた。
「悪兵衛。思い出すか?」
「…む…」
背筋の伸びた、咲く花を思わせる少女だった。
白い肌に濡れたように光る髪、鋭いが優しい表情。花弁をかたどった髪飾りをつけている。純白のそれが少女自身を表しているようだった。
薄桃色の小袖と紺の帯が良く似合っている。
悪兵衛より入隊が一年先輩であり、同い年の侍、玉杉
「手痛い敗北であったな」
「うむ…決して忘れぬ。」
悪兵衛の苦渋の表情から桔梗は目を反らし、刑部の言葉を待つ。
「本閥の侍三十二名を殺害。うち不知火隊士五名も含む。」
「尊き子。その存在だけ情報を得た。固体名、能力は不明。」
「賢者。固体名不明だが、弥者達に通称アシタ様と呼ばれている。尊敬を集め人心を掌握しているらしい。能力は不明。」
「狼の弥者。固体名マカミノミコト。暗殺者もしくは闘技者。狼の面を身に着け直立する一対の角、膂力に優れた長身で判別可能。」
「巨人と同じく魁音撃を無効化する破常力を用いる。攻撃型ではなく、防御型で剣を中心に渦型の防御壁を形成、射刃他何種かの魁音撃を消失させた。」
「また剣技に優れ、七つ星が変則的な体術を用いる剣戟に対して、侍と同様の剣術を用いる。」
「本閥侍を一対一で破る事五度。こちらは全て、軍団最強級の侍であった。」
「破れた者の詳細は戦闘報告記録で確認せよ。…先の戦において、不知火の前頭目を斬ったのもこの弥者だ。」
「また、この者は…」
刑部が書類に目を落としながら沈鬱な表情になる。
灰音も目を閉じ眉を寄せている。
「いや、良い。続ける。」
桔梗が口を開く。
「刑部殿、この弥者は剣技において我等より上という事ですか。」
「…そうだ。残念だが。」
学徒達は姿勢を正し、神妙な面持ちで聞いている。学徒内の隊士はいずれ直面する脅威に思いを馳せるが、辛く苦しい結果しか予想できない。
「雷の弥者。固体名スメロキノミコト。」
「若く、最後に首魁連に加わった者らしい。解析不能の瞬間移動を行い、
剣技にたけ、個人戦闘に特化している模様。」
「不知火隊士を一名惨殺、一名に重症を負わせた。」
悪兵衛は目を伏せ、歯を食いしばっている。額が朱に染まり、溢れる激情を抑えられない。
桔梗は悪兵衛の手帳の漢字の間違いに×をつけ、正しい文字をかき込んでやる。
ふと、悪兵衛の表情のこわばりが消えた。灰音は静かに見守っている。
「黒髪。固体名をキリヒトノミコト。」
「参謀または軍師の立場の者のようだ。残忍で非道な作戦の立案をしていると思われる。」
「痩身に黒髪の長髪、ねじ曲がった角で判別可能。大きな戦の場でしかその姿を現さず、裏で手を引く者である。」
「不確定だが周囲を凍結させる能力、霧の発生を自由に行える能力を持つと思われ、大規模な作戦行動を不能にするなど、現在まで甚大な損害を日の本及び本閥に与えてきた。」
「人間に何の価値もないと考え、虐殺もいとわない。」
「侍との決闘にはまず応じないとされる。個人の戦闘力は不明だ。」
「最後に…獅子王。固体名オオジシノミコト。合議制の弥者達の中でも目下第一位の席に座る者であり…実質王と呼んでよい。」
「慎重であり、賢い。が表立って戦闘を行う事もあり、配下の尊敬を集める。
六尺程の頑健な体躯、獅子のような鬣、枝に分かれた長大な角で判別可能。」
「さらに…史上最強の飽和破常力、
「現在その防御方法は不明。獅子王が現れたら撤退するしかない。」
「閃爆の犠牲になった兵士は行方不明者も含め、……一万二千八百八十二名。」
「…内、錐立峠の戦いに於いて我が不知火隊士六十五名中、四十五名、随獣四十頭の死も含まれる。」
学徒達を絶望の沈黙が取り巻いている。重く苦しい静寂であった。
刑部、灰音とも沈鬱な表情で書類を整理している。
実質、本閥最強の軍団である不知火は、獅子王一人の力によって、壊滅に近い打撃を受けていた。
「…以上八名が現在判明している最高位、「尊」の名を持つ弥者だ。」
「能力が不明な者も恐らく絶大な破常力を持つであろう。」
「またその部下たちの能力も高く、本閥の侍を恐れぬ力を持つ者が多い。」
「日の本が非対称戦争で劣勢を強いられているのはこの者共によるところが大きい。我々不知火は、この弥者の最高位者を倒す事が最終目標である。」
刑部は静かに学徒達を見回す。皆その表情に恐怖を浮かべている。
「悪兵衛。実際に尊級の弥者と戦ったお主に問う。飽和破常力に立ち向かうには?」
「士魂であります」
悪兵衛が頬を紅潮させ、間髪入れずに答えた。
「うむ。立ち向かうには士魂とその顕現、魁撃しかない。」
「魁音兵装による我ら侍の魂の斬撃。これが人類に残された最後の望みなのだ。
「お前たちは戦士であり希望なのだ。自らを鍛え士魂を高めよ。」
「我らの戦いが日の本の命運を握っていると思え。」
「では大まかな破常力の体系とその対応についての話に移る。」
*
柔剣道場に悪兵衛は座し、木刀を磨いている。
暗い表情でうつむき、物思いにふける。道場にはすり足の音と撃剣の音、
気合声が飛び交う。玉杉桔梗が悪兵衛の隣に座り、白の帆布製の木剣袋から
刀を取り出す。桔梗に気づいた悪兵衛は一礼した。
「どうした?」
「うむ…」
剣を拭っていた手ぬぐいを掴んだまま中空を見つめる悪兵衛。
桔梗はその横顔を見つめる。
悪兵衛の腹が、大きな音を立てて鳴った。
「相変わらず、音が大きい」
笑顔を見せると桔梗は童顔であった。
「お恥ずかしい」
悪兵衛は頭をかいている。
「おにぎり、食べるか?」
「これはかたじけない」
悪兵衛の顔がぱっと明るくなり、いつもの愛嬌のある笑顔になる。
桔梗は風呂敷の中から、笹に包んだ握り飯をだした。いびつな丸い形で
海苔がところどころ破けている。
「具は母上のつけたお前の苦手な梅しかないがな。」
悪兵衛は喜んでかぶりつき、そのあまりの酸っぱさに顔をしかめた。
「…ちぇーーーーっス」
「なんだその声は」
桔梗の明るい笑い声が響いた。
*
刑部は自らの執務部屋で、灰音と共に作戦行動書を作成している。
筆を起き、灰音は向き直った。
「…弥者の将軍の情報を隊士に伝えてよかったのでしょうか…。」
「恐怖に萎縮してしまうのでは」
「我々は最前線で戦う。作戦の範疇に無い場面、隊士が将軍の強力な破常力に会った場合どうなる?」
一呼吸おいて灰音は答える。
「恐慌をきたすでしょうな…」
「章雪、お主が獅子王の閃爆と初めて対峙した時どうであった。」
「驚きと恐怖で何もできませんでした。皆、死んでいくのを見ていました」
「私もだ。恐怖を克服し、生きのびられる強さを隊士に伝えなければ。」
「克己心で超えられるものでしょうか。」
刑部も筆を起き、障子の向こう、舞い落ちる雪を思い目を細めた。
「我々は…個々人の度量と技量以上に克己と勇気が試される部隊だ。」
「いつも、備えていて欲しい。…これはお
「お頭…あの方はいつもそうして生き残ってこられたのでしょうね」
「うむ。」
書物をまとめ、筆箱を整理しながら灰音は考える。
「恐怖に打ち勝つには…無心または恐怖以上の感情の高まり、怒りしかない。」
「我々はあの若い隊士達に「勇気」を定義出来るのだろうか…。」
部屋の外、庭石はすっかり白い帽子を被り、見上げた空には重く暗い雲が
広がっている。粉雪が降り続いていた。
閑話 一 了
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