第3話 再会日和
最寄り駅に着いたのは発車の五分前だった。 通勤ラッシュの時間帯には被っていないのだが、一高の生徒と見られる学生達でホームにはちらほら列が出来ていた。
坂の多いこの街の主な交通手段として重宝されているのはバスであるが、中心地や都心まで出る時にはこの私鉄が使われる。一高は坂の頂上付近にあるため、坂の下部にあるアパートから通うなら電車の方が早いのである。なんと言っても坂道は舗装が行き届いておらず、バス内はガタガタ鳴って酷いものである。その為、同じような都合の生徒達がこのホームに集まってきているという訳である。恐らく。
『まもなく列車が到着致します』
駅構内にチャイムの音が反響する。
人の少ない一号車の扉にもたれ掛かり、外の景色を見ていると「宗太郎?」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。肌が焼け、背の高い少年がたっていた。それは日吉海斗だった。
「えっ!? 日吉か?」車内で大声を出してしまった。少したじろいだ俺に日吉は肩を叩いてきた。
「久しぶり」
「おぉ……」
「海斗くん! 久しぶり~」
「お姉さんまでどうしたんすか」
「姉さんは大学だよ」
「へぇ、というかお前一高?」
「おん」
「マジかよ! 良かったぁー!俺知り合いがいないから心配してたんだよ」
「お、おう」
久方ぶりの再会で上手く言葉が出ない。
それからは日吉と氷花が何やら話しているのを聞いていると高校の最寄り駅に着いた。電車の中はいつの間にか一高の生徒ばかりになっていた。
「じゃあ行ってくるわ」
「帰り遅くなるかも」と氷花が言ったが、いつものことなので頷くだけで電車を降りた。
電車を降りた刹那、春風が吹き込んでくる。そして日吉が「眩しぃー」と言い顔を歪ませた。
定期券を改札口にするりと通し、俺と日吉は駅を出た。そこから学校までは一本道で繋がっており、迷うことは全く無さそうである。それでも一人で行くのはやはり抵抗がある。日吉がいて気持ちは楽だ。
「宗太郎もう怪我大丈夫なのか?」
「あぁ。もう痛みはないよ」
「そっかそっか。俺ほんとに心配してた」
「ありがと……。というか、なんでこの高校に? まさか家からじゃないよな?」
俺の実家からここまで通うにはおよそ二時間半。通学時間的に無理がある。
「テニスの推薦だよ」
日吉は不服そうに頬を膨らました。そういえばそうだ。一校はスポーツにも力を入れているらしい。日吉のキリッとした顔がムカついたので「お前テニス上手いっけ?」と茶化すと俺の髪をくしゃくしゃとしてきた。上背がある日吉に為す術なく、「やめてくれ」と言うもののなかなかやめてくれない。しつこい男は嫌われるぞ。
「でもどこから通っているんだ?」
「おばあちゃんの家」
「近いのか?」
「ワリとな」
やっと俺の頭から手を離し、くしゃっと笑った。俺は髪を軽くいじりながら、じろりと日吉を睨んだ。それを見た日吉はしまいには笑い出した。歯並びの良い白い歯が顔を覗かせた。
話すことがなくなって俺は気まずさから、頻りに髪の毛を手でいじったりした。
日吉こと日吉海斗とは中学一年生の頃にクラスが一緒になった。名前順で日吉と藤ヶ峰が近かったので、最初の席順で前後になった。小学校は違ったため、日吉とは初対面だった。
「よろしく!俺は日吉」
日吉が初めて話しかけてきたとき、なんだこの爽やかな男はと思った。少し大きい制服を着こなし、日焼けした肌と白い歯が目立つ、絵になる男。俺は小学生の頃、ほとんど外に出なかったため、肌はほとんど焼けていなかった。そのため俺と日吉は周囲から見たらかなりギャップがあったらしい。
日吉とはその後も席替えで何度も隣になるなど、偶然にも接点が多かった。日吉は学校にある部活には入っておらず、外部のテニススクールに通っていた。実力はかなりのものらしく、朝礼などで頻繁に表彰を受けていた。俺も時折ピアノコンクールのことで表彰を受けていたので、同じタイミングで表彰された際は、壇上で目配せをしてきたりした。そのことで担任の先生に叱られたこともあった。ふざけんな。
俺も日吉も部活に入っていないことや、ピアノとテニスで目立っていたこともあり、クラスメイトから一目置かれた存在であった。一目置かれた存在であるということは、それと同時に近寄りがたい存在であるのだろう。クラスメイトから煙たがられていたとでも言おうか。俺は特別に仲が良くなる人は日吉以外にいなかった。
日吉も意外にもそうであった。運動神経抜群な日吉は、それ故に他のスポーツをやっている奴や、運動が苦手な奴からしたら鼻につくらしく、仲のいい人と絡んでいる様子はあまり見られなかった。人当たりがよく、見た目も好青年な日吉がある日「友達出来ねえ」と漏らしたとき、俺は不思議でしょうがなかった。嫉妬ややっかみが原因だと思う。しかし当の本人はそんなことに気付く様子はなかった。
そんな訳で、俺と日吉は仲良くなった。余りにも一緒にいることが多かったので、クラスメイトの女子から「二人って付き合っているの?」なんてことを問われたことがある。そんな訳あるかい。
俺と日吉は本当に縁が深いようで、一年生だけではなく、二年、三年でも同じクラスになった。しかし、二年の夏休み頃から俺たちは少しずつ距離を置くようになった。日吉はテニスの大会などで忙しくなり、一方の俺もピアノの練習に行き詰まっていた。俺たちはそれらの影響で心身共に疲弊していた。そしてお互いを気遣うように、話しかけたりすることが少なくなっていったのだろう。
そして、三年の春。俺は事故に遭ったわけである。日吉とコンタクトをとることが少なくなった。日吉は何度も連絡をしてきてくれたのだが、俺は学校に通わなくなったせいで直接会うことはなかった。そのため、日吉の進学先さえも認知していなかった。
中学時代の親友の行く学校も知らないとは、俺は薄情者だと思われるかもしれないが、事故の後は閉鎖的になっていたのだろう。会うことを恐れていた。
「……宗太郎の方は何で一高に来たんだ?どう考えても遠いだろ」
日吉が一拍置いてから口を開いた。
「あぁ……。なんていうかその……。あれだよ」
「どれだよ」
「まぁちょっとな」
「なんだよ、おい。煮え切らないな。煮卵かよ」
「……ははは」
……え?どういう意味なのそれ。
上手いこと言ってやったみたいな面をこちらに向けてくる。煮え切らない煮卵って半熟卵のことだろうか。因みに俺はゆで卵は、黄身がぱさぱさで口の中にこびり付くほど茹でてほしい。これを氷花に言ったところ「だから友達出来ないんだよ」と言われた。支離滅裂である。
一高に来た理由は主に二つある。一つは特別措置を受けたといえ、俺の内申点は高いとは言えなかった。そのため内申点が加味されてしまう地元の一般的な公立高校を受験するのは厳しかった。
二つ目の理由はできるだけ知り合いの少ない学校に行きたかったからだ。近所の高校に行くということは、中学時代の同級生とまた顔を合わせることになる。事故に遭ったらしいという噂は既に地域では噂になっていたし、三年生の一年間登校拒否になっていた俺にとって、それは苦痛である。
俺が通っていた中学の生徒が一高に通うことは基本的にはあまりない。一高は私立高校なので通おうと思えば、学区のブロック分け制度などに干渉されることなく、誰でも通うことができる。しかし、普通科の高校は中学の近辺に三校あり、偏差値も分かれているため、皆そこにそれぞれ通うわけである。加えて、一高への通学時間も長い。電車を二度乗り継ぎ、二時間半。余程の電車好きでもないと、毎日二時間も電車に揺られるのは嫌なはずだ。
幸運にも俺は、姉の氷花が住んでいるアパートから通わせてもらうことができた。
氷花は一高の近くにある大学に通っている。一人暮らしがしたいという氷花の要望に父さんが仕方なく応えたらしい。氷花の通う大学は難関大学ではないのだが、勉強が苦手な氷花にとっては高い目標だった。しかし、彼女は一人暮らしがしたいという一心だけで大学に一発合格。家族全員が唖然とした。そのため父さんも渋々、一人暮らしを認めたらしい。
……いや、一人暮らしがしたいなら地方行けよ。なんで家から二時間ちょっとのところに住んでんだよ。ツッコみたい気持ちは山々だが、居候の身であるので口をつぐんでいる。
氷花は散々一人暮らしがしたいと言っていたのに、俺がアパートに同居したいという旨の話をしたときあっさりと快諾した。なにやら一人暮らしは寂しいし、家事をするのが面倒くさいらしい。拍子抜けする俺を氷花は不思議そうに見ていたことを覚えている。そんなわけ三月中旬から俺は氷花の住むアパートに越してきたのだ。
正直なところ、俺が一高に通うことにした要因は後者である。内申点なんてなんとでもなった。だが日吉の前でそんなことを言えるわけがない。心配をしてくれていた友人を平気で無下にすることはできない。
「宗太郎、言いたくないなら別にいいさ」
思案していた俺は現実に引き戻される。日吉が相変わらず爽やかな笑みを浮かべていた。
「お前、そういうとこあるよな。考え出すと一分ぐらい黙りだす」
「え?」
「ははは~、気付いてないのか?もう一分ぐらい顎に手を当てて考え込んでたけど」
「まじで?」
確かに周りの景色がさっきと違っていた。一本道の先の校舎がもうあと少し先に見える。
「昭和の文豪みたいだった。いや、ガリレオみたいだった」
「かなりどっちでもいい」
「実にぃ面白い」
日吉はねっとりとした声でそう言った。俺は失笑する。それに釣られて日吉もわざとらしく笑う。穏やかというか奇妙に生温い空気が流れる。
「あのさ、宗太郎」
日吉は声のトーンを変え、俺の方を見る。
「色々考えていることはあると思うけどさ、俺は何も気にしてないよ」
「……おう」
日吉は俺の考えを見透かしたようだった。
「三年の春から会えなかったから、俺ずっとクラスでぼっちだったけどさ」
「わ、悪いな」
「悪くないよ。俺だって宗太郎の立場なら途方に暮れていたと思うし、学校なんて行かなくなると思うよ」
慎重に言葉を選んでいるのだろうか。日吉はいつもよりもゆったりとした口調で話す。「それにさ」と日吉は続ける。
「俺も少し気まずかったんだ。俺本当に人付き合いが苦手だし、コミュ障だし、宗太郎になんていう風に声を掛ければ良いか分からなかった。電話さえも掛けられなかった」
「そんなこと……」
「だけどやっぱり高校一緒になって俺は嬉しいよ。これからは、その、なんだ。これまでのことは気にせずに仲良くしようぜ」
「日吉……」
日吉は全く飾ることなくそう言った。日吉は小恥ずかしいことも平気で言うことができる男である。全く恥ずかしくないですと言わんばかりの爽やかな顔。俺の方が恥ずかしくなってしまう。
「だから宗太郎も悩んでることとかあったら相談してほしい」
「日吉くん……」
「は?なんで君付けだし」
「そんなに私のことを思ってくれているなんて……。私と付き合って下さい」
俺は上ずった声で茶化すように言った。
「ふざけんなよおい、ワリとガチで話したのに」
「あははは、かっこよかったよ」
「あー、心配して損したわ」
日吉はそう言いながらも少し晴れやかな表情になった。
俺も心の中に溜まっていたものが、すっと溶けていくような気がした。
「日吉、ありがとな」
目を合わせないまま俺は呟いた。
例えばこの空の色を僕は君にどうやって伝えればいい 手塚 豪 @tezuka-go
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