第21話 撃退

 

 不審者はハインリヒの突然の登場にたじろいた。それは突然猫が人になったからなのか。それとも彼から発せられる殺気のせいなのか。



「お、ハインリヒ殿下……?」

「そのお姿は……」

「ほう、俺だと知っていてまだ引かないのか」



 ハインリヒはミランダの身をベルンに任せ、跳躍するかのように不審者との距離を縮めた。あっという間に彼の蹴りが不審者の懐に入った。

 不審者の体は後ろに飛んだ。しかし伸びて気絶することなく身を転がして、すぐに距離をとった。



「ぐっ、撤退だ」



 勝ち目がないと判断した不審者は、あっという間に立ち去った。

 なんとかなったと、ミランダは腰を抜かして地べたに座り込んだ。すぐにハインリヒが駆け寄って、彼女を抱きしめた。



「ハ……ハインツ様?」

「良かった……いや、あなたをこんな姿にするなんて許せない」

「いえ、これは自分で」

「逃げるためなのだろう?こんなにも追い詰められて……ベルンから聞いたとき、生きた心地がしなかった。あなたに何かあったら俺は……っ」



 なんて大袈裟な――とは言えなかった。

 抱きしめる腕の力は強く、僅かに震えている。自分のためにこんなにも心を痛めてくれているのだと分かる。



「――っ」



 それを知った途端、胸の奥からフツフツと熱い感情がこみ上げてくる。

 それは嬉しさだった。



「すまない。思わず……」



 ハインリヒは慌てたように、ミランダから体を離した。二人の間に風が通り、温もりが恋しい。

 どうしてこんな気持ちに――と確かめるようにハインリヒを見上げると、心臓が飛び跳ねた。



「ミランダ?どこか痛むのか?」

「あ、えっと……その……いえ。そうじゃなくて、ありがとうございます」



 直視できずに、ハッとして俯いた。顔に熱がどんどん集まっていく。胸の奥からはキュンキュンと変な音が聞こえてくるし、見られるようになったはずのハインリヒの顔がまた見られなくなっている。さすがにこの気持ちが何か知っている。


 これは『恋』だ。


 ミランダは戸惑い、もじもじとしてしまう。



「うむ、少しじっとしていてくれ」

「え?」



 肩にふわりと布がかけられた。ハインリヒが着ていたジャケットだ。そしてすぐに体が浮いた。



「腰が抜けているんだろう? 運ぼう」

「〜〜っ」



 ミランダはハクハクと口を動かす。事件のこととか、自分の気持ちだとか、横抱きされていることとかで頭がパンクしそうだ。

 そんな状況で口下手な彼女が言葉を発せるはずもない。そばで彼を感じられることが尊くて、帰路につくまで口を閉じた。




 ドレスのスカートと投げ捨てたバスケットはベルンが回収してくれた。ドレスにもたいした汚れもなく、ホッとする。すると少しだけ頭が冷えてくる。



「あ、魔女判定!」



 バスケットに入れていた羊皮紙を確認し、薬草の汁に漬け込む。力が抜ける前に判定しなければいけなかったのだ。

 覗き込んでくるハインリヒの視線にドキドキしてしまうが、なんとか羊皮紙に意識を向ける。



「これはキャメリア様とマリアローズ様が描いたものです。薬草の汁で濡れているので普通は燃えません。ですが魔女の力が宿っていたら、燃えます」

「どちらが……魔女か……」



 彼の喉からゴクリと聞こえた。魔女の力の反応が出た方が、ほぼ犯人とみて間違いない。

 ミランダはキャメリアの羊皮紙をピンセットでつまみ、ろうそくの火で炙った。



「燃えませんね。つぎ、マリアローズ様のです。きっと彼女が……」



 同じようにピンセットでつまみ、そっとろうそくの火の上に運んだ。



「……こっちも燃えない? 両方とも魔女ではないの?」



 ピンセットから羊皮紙が滑り落ち、下にあったろうそくの上に被さり火が消えた。



「どうして……どこから間違えたの?」



 薬草の汁を間違えたのかと、慌てて自分で羊皮紙にベルンの絵を描いて判定する。するとよく燃えた。



「そんな……っ」



 占いは可能性であって絶対ではない。そう分かっていたはずなのに、いざ予想と違うと頭を殴られたように目眩がした。先程まで抱いていた甘酸っぱい気持ちなど吹き飛び、苦味だけが広がっていく。浮かれた罰なのかと思うほどだ。



「ミランダ、ひとりで考えるな。サロンでどんなことがあったのか、まず話してくれないか」

「あ……はい。そうですね」

「ほら、こっちに座って」



 促されるままにイスに座った。何から話せばいいのか、考えがまとまらない。膝の上で指を組み、解いては、また組む。



「まずは飲みなさい」



 何度繰り返していたのだろうか、コトリと音を立てて白い湯気の立つカップが置かれた。そしてひと匙のはちみつが落とされ、混ぜられた。



「これは」

「恐怖やパニックになったときは、温かいハニーミルクが良い。温かさが固くなった筋肉をほぐし、糖分は頭を動かす。そして旨い」

「旨い……ですか」



 カップを手で包みこめば、自分の指の冷たさに気がつく。舌でハニーミルクを撫でれば、じんわりと甘さが広がり、ほうっと吐息とともに肩の力が抜けた。

 目の前ではハインリヒも飲んでいる。行き詰まった状況にも関わらず、穏やかな表情だ。



(あぁ……好きだわ。この方は焦らすことなく、いつも私の言葉を待ってくれている。私を信じてくれている。なのに私は私を疑うの? 彼の言葉を疑うの?)



 消えかけていた自信が息を吹き返す。すると自然と口からサロンの出来事が語られていく。



「キャメリア嬢ではなく、マリアローズ嬢が俺を探しているのか。だからマリアローズ嬢が魔女の力を持っていたら犯人決定かと思いきや、持っていなかったと」

「はい。占いの結果が間違ってないのだとしたら、読み間違えているのだと思います。それがどこからなのか……ハインツ様が呪いを受けたときから洗い出し、整理しましょう」



 思考が落ち着くと、答えが見通せなくても焦りが生まれない。きっとミランダひとりだとしたら、こうはならなかった。ハインリヒの存在の大きさを一層強く感じる。



(偉大な方だわ。この方のお力になれたのなら、この恋が終わっても素敵な思い出になるのでしょうね)



 これまでの「全部断ってきた」「その気はない」というハインリヒの発言を聞くと、誰かと付き合ったり、結婚願望はなさそうだ。だから自分にも可能性が芽生えることは無い。

 開き直って、憧れ混じりの片思いも楽しめそうだ。



(恋の力ってすごいのね。好きな人のためなら、何でも頑張れちゃう……あ、もしかして!)



 事件の詳細や時系列、占いの結果や考察を一覧にすると、見えてくる。



「やっぱり私、まだまだ未熟です。こんな単純なことに気が付かなかったなんて、情けないです」



 言葉とは裏腹に、ミランダの薄紫の瞳は輝いていた。新しい発見との出会いに、事件解決の糸口が見つかった嬉しさの方が上だ。



「どういうことだ?」

「この事件……刺繍されたハンカチの実物があれば、刺繍した人の居場所や関係する立場って、きちんとした魔女であれば占いで簡単に分かってしまうんです」

「そうだな……いや、待て。なんだ……実物があれば、今までの私達の大捜査ストーリーは無駄が多いと?」

「否定はできません!」



 ハインリヒは眉間にシワを寄せ、悲壮感あふれる表情を浮かべた。今にもなんだか泣いてしまいそうだ。


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