第20話 迫る魔の手
マリアローズの顔は一気に赤く染まった。
「成人男性よ……下手だと占えないのかしら?」
「い、いいえ! どれだけ深く想像して描いたかが重要ですので、大丈夫です」
ミランダは慌てて樫の木の皿に入れ、先ほどと同じように占った。銀の棒は砂に混ざり流れ、沈むことなく止まった。
そこは灰猫の隠れ家があるエリアだ。ドクンと強く心臓が脈を打った。静かに息を呑み、羊皮紙を皿のそこから取り出した。
「関連を調べるために、別な占いもさせてくださいね」
こうしてカード占いに出てきたのは剣とマントのカードだった。この下手くそな絵に描かれていたのは高確率でハインリヒだ。
思わず反応に困り、黙りこくってしまった。
「茜の魔女様、どこにいるのか教えてくれないかしら?」
「あ、えっと……これは騎士様でしょうか?ここより南のエリアで、そう遠くではありません。王都におります」
嘘ではないが、詳しくは言えなかった。怒られるだろうか……失望しただろうか、とマリアローズの顔色を伺った。
「ありがとう! こんなにも近くにいただなんて思ってもみなかったわ。偶然会える距離にいるじゃないの」
まさかの大喜びだった。
ミランダは声が震えないように口を開く。
「……他の魔女には占ってもらったことはなかったのですか?」
「他の魔女にはまた別の――」
「マリアローズ様、それ以上は秘密にしておいた方が――」
キャメリアが口を挟むと、マリアローズはハッとして口元で指先を揃えた。
「私ったら嬉しくてつい、ふふふ」
マリアローズは上機嫌でティーセットのあるテーブルに戻り、スイーツを食べ始めた。
あ然としていると、キャメリアがそっとミランダに囁く。
「茜の魔女様の占いに感銘しましたわ。今度雑貨なども見てみたいのですが、お店の場所はどちらですの?」
「高位のご令嬢が足を運ぶような場所ではありませんから、姉を通してご希望のお手紙をください。お屋敷にお届けします」
「そう……分かったわ」
キャメリアは揺らぐことのない微笑みを保ったまま、マリアローズの隣へと戻っていった。
「キャメリア様、マリアローズ様、他に占いたいことはございませんか? なければ本日はここで失礼しようと思うのですが」
ふたりは「もう帰るの?」と不思議そうな顔を向けるが、ミランダの精神が限界だ。止められなかったので、頭を下げて退室した。
ドロシーの部屋に行けば、彼女は童話を読んでいるところだった。
「もう終わったのね。ふふふ、これ懐かしいでしょう」
彼女の柔らかい笑みに、強張っていた肩の力がどっと抜けた。ミランダは駆け寄って本を覗き込んだ。
「本当に懐かしい。一緒によく読んだわよね」
魔女が関わっている童話はとても多い。善き魔女から悪い魔女まで、その力に興味が尽きなかった。中でも王子様のキスが呪いを解く物語は胸を踊らせた。
魔女でもないのに、呪いを解き、愛を結ぶなんて素敵だと、幼心に憧れたものだ。今ドロシーが手にしているのも、そんな本だ。
「この本のようにベルンちゃんが姿を変えたときは驚いたわ。キスってすごいのね」
「私も。ベルンと王子様ごっこで遊びでキスしたら、人の姿になって驚いたわ。知らない間に使い魔になっていたし」
「みゃーん」
そう言って、バスケットから顔を出しているベルンを撫でる。
キスでないと変身の魔法がつかえなくなってしまったのは、おそらく童話の影響だ。
「今日はありがとう。今度は本を借りに遊びにくるね」
「あら、もう帰るの?」
「はい。考えたいことがたくさんあって」
別れの挨拶を済ませ、姉が用意した馬車で市場まで送ってもらう。貴族の馬車は目立つ。市場からは徒歩で帰ることにした。
(占いの流れだとマリアローズ様が犯人だわ。羊皮紙に魔女の力の残存が残っていたら、きっと呪いの刺繍をしたのはマリアローズ様で決まり……でも理由は何?)
マリアローズは下手な絵を見られただけで素直な反応をした。呪いをかけるような人には見えなかった。もちろん、キャメリアの怪しいと思っていた白猫集めについては誤解で……今日の出来事を反芻しながら、市場を抜けていく。
すると抱いているバスケットの中で、ベルンが暴れ始めた。驚いて開ければ、ベルンが後ろを睨み、毛を逆立てていた。
「見張られているのね?」
「みゃ」
「ベルン、いつでもバスケットから出て逃げられる準備していてね」
すでに人通りからは遠い。戻ろうとしたら尾行している人に近づくことになる。ミランダは振り向かずにまた歩きだし、路地に入った瞬間バスケットを捨てて走り出した。
ベルンは飛び出してミランダを先導する。
(どうして追われてるの?このタイミングはもしかして――)
乱れた呼吸でベルンに先に行くよう指示を出す。
「先に戻ってハインツ様に危険と警戒を知らせなさい」
「みゃ、みゃー?」
「ここは慣れた住宅街よ。逃げ切ってやるんだから」
「みゃ!」
少し躊躇したのち、ベルンは頭突きをするような形で儀式を行い、人の姿になった。そして普通の人や猫が登れない塀を飛び越え、姿を消した。
(よし、逃げ足なら自信あるのよ)
何度か魔女の力を求める怪しい人から逃げてきたことがある。しかし一度も捕まったことはない。今回も――そう気合を入れ直した途端、目の前から怪しい男が向かってきた。
(挟み撃ち!?)
明らかに計画的な犯行。動揺したミランダは一瞬走る速度を緩めてしまう。前からも後ろからも距離を詰められてしまった。両方とも口元はマスクで隠され、ジリっと足元の砂を鳴らし間合いを図ってくる。
この時間はまだ働きに出てる人が多い。家の中には女子供ばかりで、声を出して助けを求めれば弱者が巻き込まれる。
逆に誰もいないからこそ、できることもあって――
「せっかくのドレスだけど……」
ミランダはその場で背中の紐をほどくと、黒いドレスのスカートだけがストンと足元に落ちた。着ているのは真っ黒なパニエとシュミーズだ。貴族令嬢にとって下着同然だけれど、今は恥じらっている状況ではない。
尾行していたふたりは、明らかに動揺した。マスクより上の見えるところは真っ赤だ。
(ちょっと
その隙をついて、ミランダは太もものベルトに隠し持っていた小瓶を叩きつけ、煙を発生させた。
「なんだ! 目くらましか?」
ミランダは前方からきた尾行の脇をすり抜け、走り出す。ヒールではなく、ブーツで良かったと心底思った。
追いつかれそうになるたびに小瓶を割って目をくらますが、なかなか撒けない。
(追尾に慣れている?訓練されているような人だわ……今までこんなことなかったのに)
どんどん焦りが生まれてくる。煙の小瓶も残りは二本……そして一本になってしまった。
あえて狭い袋小路に逃げ込み、ナイフを構えた。
「何用ですか?」
薄紫の瞳で睨みつける。
しかし相手は強面のミランダに睨まれても怯まない。答えず、半歩だけ間合いを詰めてくる。やはり一般人ではないようだ。
ミランダのナイフを持つ手が震え始める。虚勢を張るのもそろそろ限界だ。護身用のナイフも、この不審者相手ではおもちゃ同然に感じる。
「血の呪いでも受けますか?」
ナイフを相手ではなく自分の腕に当てる。相手はビクリと足を止めたが、当のミランダには覚悟はない。
「震えてるな……嘘か」
すぐにバレ、また距離が縮められた。不審者の手が伸びてくる。
(もう……捕まっちゃう。こ、怖い!)
体を強張らせ、瞼を固く閉じた。だが手はミランダに届くことはなかった。
「むっ!」
代わりに唇にモフモフが触れた。
「なんだ!また煙か?」
不審者の焦る声に、ゆっくりと目を開くとベルンの背中があった。
「ベルン……!」
「ゴシュジンサマ、オマタセ」
格好良すぎるベルンの登場に涙が出そうになる。だけれどベルンは先ほど変身は終えていて、キスする必要はない。つまり先ほど唇に当たったモフモフは、別の猫のもので――気づけば、ミランダの体は後ろから抱きしめられていた。
「どうして……」
「もう大丈夫。俺が守るよ」
「ハインツ様っ」
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