第16話 猫の大捜査線
数日後、ミランダは早朝から火力全開でふたつの大鍋に湯を沸かし、丸鶏十羽を茹でていた。
作業場には湯気が立ち込め、さすがのミランダも暑くて自分まで茹で上がりそうだ。いつも緩く二つ結びにしている髪はポニーテールでまとめ、ローブの代わりにエプロンをつけている。
「残り湯はスープにしたら美味しそうね」
火が通ったタイミングで、網を使って丸鶏をお湯から引き上げていった。
ちょうど全部出し終わったとき、裏口の鈴が鳴らされた。開ければ白猫ハインリヒが帰ってきたところだった。
「おかえりなさいませ」
「うむ……」
笑顔で出迎えるも、彼はミランダを見つめたまま固まってしまった。
「どうかされましたか?」
「……いや、いつもと格好が違うんだな。印象が違って少し驚いた」
「大鍋の湯気とかまどの火のせいで暑くって」
「なるほど……私も手伝おう」
ミランダがしゃがむと、ハインリヒはいつものように額を唇に押し付け、人型に戻った。彼の耳先がほんの少し赤くなっていることなど気付かず、ミランダは素早く身を離して肉と骨を分ける準備を始めた。
ハインリヒの手伝いもあって、鶏肉はすぐにすべてほぐすことができた。遠征の訓練で自ら料理をしたこともあるらしく、包丁さばきに迷いがなかった。鶏肉は大きなバットに敷き詰め、粗熱をとれば準備完了だ。
「そろそろベルン
「儀式……っ!」
初日にしてから今日まで儀式をしていなかったため、すっかり忘れていた。思い出して、一気に恥ずかしさがこみ上げる。頭に手を伸ばすもローブを着ておらず、被るフードがないことに焦った。
「ミランダ、ローブで額を隠されてはできないぞ?」
「はうっ!」
もっともなことを言われ、諦めて手をおろした。
(大丈夫……目を瞑ってしまえば、やたらと綺麗な顔を直視せずに乗り越えられる)
ミランダは腹を括って、赤く染まった顔を上げた。「さ、どうぞ!ご遠慮なく!」と言って目と唇をきゅっと固く閉じた。
「……っ、失礼する」
妙な間のあと、額に触れるだけの口付けがされた。そっと目を開ければ、無事に白猫に戻っているハインリヒがいた。
緊張が一気に解け、ほっと胸をなでおろした。すると裏口の外から猫の鳴き声が聞こえてきた。
「よし、来たようだ。ミランダ頼む」
「承知しました!」
ミランダが裏口を開けると、小さな庭には多くの猫が集結していた。およそ四十匹。畑の薬草が潰されないよう、ベルンが隙間に並ぶように整列させている。
「〜〜っ!」
まさに猫パラダイス。こんなにも猫が集まっている光景は、キャットホール以上かもしれない。ミランダは感動で身を震わせる。
そんな猫集団の前にハインリヒはピンと尻尾を立てて、前に出た。
「地域猫の諸君、よく集まってくれた! まずは礼を言う」
「にゃー!」
ハインリヒの言葉に応えるように、猫が鳴いた。人間の言葉でも通じてるあたり、不思議な光景だ。
「これからふたりのレディについて調査し、報告して欲しい。対象はキャメリア嬢とマリアローズ嬢だ」
「にゃご、にゃーご」
「あぁ、媚は売っても、売らなくても自由だ。基本的には屋敷周辺で過ごし、観察するだけでかまわない。尾行ができれば褒美を与えよう」
「にゃごにゃー♡」
「いい返事だ!ではグループ分けを発表する」
指示をしつつ、地域猫たちからの質問に堂々と答えていく。その姿は教官と訓練兵のようだ。ベルンとともに地域猫と交流していたのは知っていた。しかし一体どのようにして掌握したのか。
(これがハインツ様のカリスマ性……すごいわ。猫にまで有効とは)
可愛い猫の姿というのに、高潔な風格に感動を覚える。改めてハインリヒはこの国の王子で有望な騎士なのだと思い知った。
「まずは皆の協力に先立って、感謝の食事を用意した――ミランダ、例のあれを」
「かしこまりました!」
ミランダは鶏肉が入ったバットを家の外に運んだ。すぐに飛びつきそうだった猫はベルンに諌められ、大人しく待っている。ベルンの立ち位置もなかなかのものだ。
全部運び出してから、ミランダはハッと思いついた。
「皆様、お待ちください。光よ集え、温かさよ届け、闇を払え、食べたら元気になぁ~れ♪」
山積みの鶏肉に魔法をかけた。猫たちは「おぉ!」と言っているかのように、声をそろえた。可愛すぎて、ミランダの胸は高鳴りっぱなしだ。
「おまたせしました」
「ありがとう、ミランダ。みな、待たせた!貴重な茜の魔女のお手製の鶏肉だ!食べてくれ」
合図が出されると、猫が鶏肉に押し寄せた。小さな口でハムハムと食べる猫たちを前に、ミランダは顔の緩みも止まらない。
そんな鶏肉もあっという間になくなり、猫の集会は解散となった。
◇◇◇
数日後には興味深い情報が地域猫から寄せられていた。
キャメリアが王宮周辺の猫を集めているという話だ。その中でも白猫や淡い色の猫のみ屋敷に連れ帰りご飯を与え、ピアスをつけてから解放しているのだという。ピアスは同じ猫を捕まえる二度手間を防ぐためだと思われる。解放された猫に屋敷やキャメリアのことを詳しく聞こうと思ったが、ご飯に夢中であまり覚えていないそうだ。
「キャメリア様はハインツ様を探しているのでしょうか。どなたかから内密に依頼されたということは……」
「父上が貴族令嬢を疑っているというのに、ドーレス卿は信用を損ねるリスクを負ってまでキャメリア嬢に頼むだろうか。調査は跡取りの息子にやらせ、キャメリア嬢は事件から遠ざけるはずだ」
キャメリアは怪しいが、犯人だと決めつけるほどの内容ではない。もっと調べる必要がありそうだ。
ミランダがどうやって調べようかと考えていると、ハインリヒは次の情報を話す。
「他にはマリアローズ嬢が近郊の魔女を何度か訪れているという目撃証言がある。目的は不明だ」
「犯人だとしたら、協力者とは別に新たに魔女を探すのは不自然ですよね。犯人ではない……?」
「協力者だった魔女と何かしらの問題が発生し、頼れなくなった可能性もあると思うが」
怪しさだけが残り、キャメリアとマリアローズへの疑いは深まるばかりだ。逆に犯人はこのふたりのどちらがである線が濃厚になってきた。
「マリアローズ様が訪れた魔女の場所や名前は分かるでしょうか?」
「魔女にマリアローズ嬢が訪れた理由を聞くのか?」
「いいえ、聞いても魔女は教えてくれないでしょう。ですが、その魔女の得意分野が分かれば目的も分かるかもしれません。解呪なのか、占いなのか、薬なのか……何かヒントが隠されていると思うんです」
ちなみにミランダは栄養ドリンクなど薬を作る魔法が得意だ。
「分かった。猫の仲間たちに探ってもらおう」
「お願いします」
こうして分かったのは、マリアローズは占いをメインとする魔女を訪ねていたということだった。なんの占いを希望したかまでは分からない。
「マリアローズ嬢も俺を探しているのだろうか。それとも別の悩みがあって占ってもらっているのか」
ハインリヒの言うとおり、占いの内容によって見方は大きく変わる。使用人は入り口に立たせ、魔女の家にはマリアローズのみが入っている。外部から聞くのは難しい。なら確認する方法は本人に聞くのが一番で――ミランダはとある作戦が思い浮かんだ。しかしそれは難ありで……。
ちらりと真剣な表情で考え込むハインリヒ(猫)の横顔を見て、頭を悩ませた。
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