第14話 神技マッサージ
クラウスは、ハインリヒから国王への手紙を受け取り、すぐに立ち去っていった。
手紙には、無事だが呪いは解けていないこと。信頼できる者のところにいるが、その者の安全のためにクラウス以外には場所は明かせないこと。何か犯人について手がかりがあれば、クラウスを通じて教えて欲しいこと――を書いたようだ。筆跡をみれば本人の証明となる。
翌日の午後、ミランダは実家から取り寄せた貴族名鑑を広げていた。一般的には売られておらず、年に一度、国から爵位を拝命している家のみに配られる物だ。実家が貴族で運が良かった。
他には無地のカードに、絵画セットがカウンターの裏の机に載せられている。
「何をしているんだ?」
ハインリヒはカウンターに登り、ミランダの顔の横から手元を覗き込んだ。横を向けば触れてしまいそうな距離だが、猫の姿だとあまり緊張はしない。
むしろ「なんて綺麗な毛並みなの」と感心しながら答えた。
「確率を上げるために、占いで使うカードに家紋を描いているのです。まじないを込めた紙、絵の具、筆を使い、さらに魔女が自ら描くことによってカードに強力な力が宿るんです。これで犯人に近づけると良いんですが」
ミランダは意識をカードに戻して筆を動かし、少しして止めた。
「ハインツ様、どうかしましたか?」
気づいてしまうほど、熱心な視線を向けられていた。
「いや……ミランダは立派な魔女だなと見惚れていた」
「み、見惚れ……て、たって……それに私はまだ見習いです」
「いや……気を散らせてしまったな。すまない、離れよう」
ハインリヒはカウンターから降りて、応接テーブルに移動した。しかし、視線は向けたままだ。
熟れた果実のような赤い髪、背筋が伸びた姿勢、華奢で筆を持つ白い指先、自信を得て凛とした表情――神聖な行いとも感じる作業姿は、高貴な魔女の姿だ。
ミランダにはその自覚がなく、ハインリヒに見られて、ただ恥ずかしいだけだ。
「あの……距離の問題ではなくて、見られることが恥ずかしいのですが」
「ベルンも見ているぞ?」
「え?」
ハインリヒの目線の先には棚の空きスペースからガン見するベルンがいた。
「……本当ですね。差別は駄目ですね」
人型で見つめられないだけマシだろうと、顔に集まっている熱に気づかないふりをした。
「さぁ、集中、集中!」
貴族の家は一代限りの爵位持ちを入れたら相当数ある。ミランダは筆を握り直した。
◇◇◇
絵の具を乾かしている途中で接客や少なくなった薬の調合などを行い、貴族の家紋カードが出来上がったのは一週間後のことだった。
ミランダが仕事をしている間、ハインリヒは地域猫との交流を深めにベルンとでかけたり、店内をウロウロしていることが多かった。常連には新しい使い魔と説明しているため、「ハインちゃん」と呼ばれるたびに気高く「にゃあ」と返していた。今もお客に背中を撫でられ、喉をゴロゴロさせている。
ベルンの猫教育の賜物だ。常連は白猫が第三王子ハインリヒということなど、想像すらしていないだろう。
しかしミランダは、そんな彼の姿を見て胸の奥に違和感を抱いた。
「茜の魔女さんもスッカリ店主ね〜またお薬買いにきますね。ハインちゃんもまたね」
「はい。お大事にしてください」
「にゃ」
女性客がお店を出た瞬間、ミランダは床でおすまししているハインリヒに駆け寄って、しゃがんだ。
「大丈夫ですか? 人間の部分が消えてませんか? 猫すぎやしませんか? 素直に撫でられるなんて……」
「なんだ? 客に妬いたか?」
「……」
猫とは思えない不敵な笑みを向けられ、ミランダは首をひねった。想定外のことを聞かれたが、「嫉妬」という言葉がストンと胸に落ちた。
「そうかもしれません」
「ミランダ……本当に妬いてくれたのか?」
何故だが彼は嬉しそうだ。だから言ってしまおう。
「はい! 私だってモフモフしたいです!まだ私は撫で回していないのに、先にお客様にそれを許すなんて……仮にも私が飼い主ですのに」
悔しすぎて床に膝を付き、両手の拳を震わせた。
温室で出会ったときからずっと撫でたかったのに、今日までろくに触った記憶はない。相手がハインリヒと分かってからは失礼だからと諦めていたというのに、彼はお客にそれを許した。
「ミ、ミランダ……」
ハインリヒは狼狽していた。お客は彼が王子だとは知らないし、彼もバレないために演技しているだけだ。困らせてはいけない。
ミランダは気分を切り替えようと、立ち上がった。
「すみません。ベルンでモフモフ成分補給してきます」
そういうと、ベルンが待ってましたとばかりにカウンターの上に乗って、寝転がり始めた。
すると慌てたのはハインリヒだった。
「ま、待て……せ、背中が痒いんだが……」
「ノミですか? いま除虫薬を」
「いや、そうじゃくて……ノミなんていないが、背中に手が届かなくて……だな」
歯切れ悪く、ハインリヒが目を泳がせた。
「もしかして……」
「自由に撫でろ。あなたにはその権利がある。頑張ってくれている褒美だと思え」
「ほ、本当によろしいのですか? モフモフの褒美を与えたから、あとで魔法書は無しとかは……」
「安心しろ。魔法書の約束は守る」
ハインリヒは店の端に移動し、その場で体を伏せた。ミランダは目をキラキラと輝かせ、そっと背に手を添えた。
(わぁー! ビロードのような滑らかな触り心地だわ。触り心地も高貴だなんて、さすが王族)
夢中で撫でているとすぐにハインリヒからはゴロゴロと音が鳴りだした。
「ミランダ……っ、なんだそのテクニックは」
「気持ちいいですか? 毎晩ベルンの寝かしつけで撫でておりますから、猫の好きなところは熟知しているつもりです」
「くっ、ゴロゴロが止まらん。猫の本能と習性に抗えない」
悔しげに言っているものの、彼は体をくねらせあらゆる角度でナデナデを堪能しようとしている。
数分後には仰向けの状態――いわゆる『へそ天』の体勢になり、諦めの境地へと至っていた。
ミランダはハインリヒが来てから一番穏やかな時間を感じていた。だからタイミングを逃して気になっていたことも、今なら聞けそうだ。
「ハインツ様がクラウスさんの上司だったなんて驚きました。つまり私のことを以前からご存知だったのですね」
「一応王子である俺の口に入るものだからな。すまないが、素性は調査していた」
ミランダが本来は子爵令嬢だというのも、彼は知っていたのだろう。
「では何故、今日まで上司だったことを隠していたのですか?」
「そうだな……クラウスからあなたは上司に対して、特別な紳士の客と思っている……と聞いていた。そのイメージを壊したくはなかった」
「私のためですか?」
「んー、半分はそうであって、半分は私のプライドの問題だ。せっかく格好良いイメージを持ってもらっていたのに、初対面から俺はやらかしているからな。せめて上司の良いイメージだけは守りたかった」
ハインリヒはへそ天で語った。説得力はなく、格好いいイメージから可愛いイメージへと移行しつつある。
「そうだったのですね」
ミランダは悶える心を隠しながら、「良い子、良い子」と撫でる手は休めない。すると彼はうっとりと目を細めていき……寝てしまった。
「……完全に猫だわ」
改めて呪いの強さを実感し、やりすぎた――とちょっぴり反省する。しかしモフモフ成分はたっぷり補給でき、心は潤った。
ジトッとした嫉妬の目線を送ってくるベルンには「寝る前にたっぷりお詫びをするわ」と伝え、早めに閉店の準備を始めた。
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