第12話 夜の訪問者

 

 ミランダとハインリヒが使い魔契約を結んでから数日、事態の進展はなく、日常を送っていた。

 立太子の式典も近いこともあって王宮全体で警戒の陣が敷かれているため、国王にも伝えに行くことができていない。無名の魔女が国王に会いたいと口にすれば、不審者扱いされ、捕まってしまう。


 一方でハインリヒが人の姿でいけば目立ち、狙われかねない。また猫が王宮内を走り回るのも不自然。直接国王に会える伝手もないため、独自で動くしかなかった。


 ミランダは解呪について調べてみたが、自分の知識以上の成果は得られていない。変身の魔法について詳しい魔女を探そうと思ったが、呪いを作った魔女に行きつくリスクもあり下手に動けなかった。

 ハインリヒはずっとベルンと外に出かけていた。猫の情報網を使い、魔女と繋がりのある貴族を探していた。しかし魔女は基本的に郊外に住み、そこへ貴族が足を運ぶのが通例。屋敷を出入りする魔女の目撃情報は得られていなかった。



「おかえりなさいませ、ハ、ハインツ……様」

「ただいま、ミランダ。やはり呼び捨ては難しいか」

「はい。お客様がいるときは頑張りますので、二人のときは様付をお許しください」

「かまわない。協力してくれて助かる」



 閉店後、情報収集から帰ってきたハインリヒをミランダは名前を噛みながら出迎えた。

 事件解決の進展は無かったが、二人の呼び方は進展していた。

 万が一猫のハインリヒの姿が見られてしまい、お客に名前を聞かれたときに「ハインリヒ殿下」と呼ぶのはまずい――と指摘されたからだ。名前だけでなくもっと会話も気軽な言葉で、とも言われたが、まだ慣れるのには時間がかかりそうだ。


 ちなみにハインリヒはミランダの前以外では人の言葉は話さず、真面目に「にゃあにゃあ」鳴くようにしている。密かに萌えているのは、彼には秘密だ。

 ミランダは玄関でしゃがむと、ハインリヒは彼女の膝に前足を載せて額を出した。ミランダはその額にキスをすると、急いで後ろに下がった。



「……ミランダ、まだ慣れないのか?」

「ハ、ハインツ様の顔を間近で見ることに慣れるほうが難しいですよ」



 人の姿に戻ったハインリヒが寂しそうな表情を浮かべるが、ミランダとて慣れられるものなら慣れたい。

 しかし美しすぎる顔――実は自分の好みである顔を至近距離で見ることに慣れるには、まだ時間がかかる。



「それより、なにか収穫はございましたか?」

「ここらへんの地域猫を統括する裏路地のボスと親しくなった。ミランダの茹でた鶏ささみが食べたいと言っていたんだが、頼めるか?」

「まぁ、それは今度差し入れしないといけませんね」



 ミランダが素直に頷くと、ハインリヒはポンと彼女の頭に手を乗せ、ひと撫でした。彼の安心したような微笑みに、慈しむような眼差しを受け、せっかく距離をとったのに顔が熱くなった。



「……ハ、ハハ、ハハハハインツ様?」

「なんだ? 笑ってるのか?」

「て、て、手が」

「……あ、すまない。思わず手が出た」



 本当に無意識だったようで、彼は自分の手のひらを見て驚いていた。まだ呪いによる意識の低下が残っているようだ。「からかわないで」と怒ってはいけない。



「少し作業が残っているので、夕飯まで休んでいてください」



 気持ちを落ち着かせるためにもミランダは作業場に戻り、目の前の薬草が入った鍋に意識を集中させた。



「光よ集え、温かさよ届け、闇を払え、飲んだら元気になぁ~れ♪」



 栄養ドリンクを仕上げ、全て瓶に詰めていく。カウンターに運び、残っていた古いものと交換した。

 クラウスが来なくなってから、どうしても数本残ってしまう。クラウスも心配だし、栄養ドリンクを愛用していた上司のことも気がかりだ。



(なんでこんなにも気になるんだろう……)



 病気が治ったり、試験など目的が達成したら来なくなるお客はこれまでも多数いた。もしかしたら上司が激務から解放され、栄養ドリンクが不要になっただけかもしれない。それは本来は喜ばしいことなのだが、心は浮かない。

 魔女の勘はよく当たる。だからこそ、妙な胸騒ぎを無視できずにいた。



「ミランダ? ぼーっとしてどうしたんだ?」

「あ、ごめんなさい。常連さんのことを思い出して……この栄養ドリンクを買ってくれていたお客様が最近パッタリ来なくなって……もう要らなくなっちゃたのかなと、少し寂しくなって」



 瓶のラベルの指先でなぞった。



「大丈夫だ。きっとまた来る」

「ありがとうございます。少し元気が出ました」

「お世辞じゃない。ミランダの魔法は一流だ……実はそれを飲んだことがある。とても効いた」

「まぁ! そうだったんですね。ふふふ、とても元気が出ました」



 お世辞でもハインリヒが真剣に言うものだから、ミランダは嬉しくて笑みがこぼれてしまった。王族だからと威張ったり、ミランダを見下すことなく接してくれている。人見知りの彼女でも、他人で更に異性と共同生活ができているのは、彼の気配りによるところも大きい。ここ数日は自然と笑える回数が増えてきた。

 もちろん一番の功労者はハインリヒではなくて……



「みゃーん」



 ベルンがミランダの足に擦寄り、甘えるような声を出す。



「あらおなか空いたのね。作りましょうね」



 そう言いながら顔を出すと、ベルンの額がコツンとミランダの唇に当てられた。人型に変身したベルンはハインリヒに飛びついた。ハインリヒは難なく受け止め、抱き上げている。



「ハインツ、ゴハンマエ、イッショニ、フロイクゾ」

「今日もかい? ベルンは猫なのに水が平気なんだな」

「アラッテモラウノ、キモチイイ。ダメナラ、ボク、ミランダニ、オネガイスル」

「うん、俺と入ろうか」



 ベルンが率先してハインリヒと関わり、空気を和ませてくれている。ここ数日は仲良く裸の付き合いをして、すっかり年の離れた兄弟のように過ごしていた。

 ミランダはベルンを洗うときは必ず猫型であるし、かつ自分まで脱いで洗ったこともないが、にっこりとふたりを風呂場へと見送った。



(ベルンのお兄ちゃんだと思ったら、前より人型のハインツ様を前にしても緊張しなくなったわ。あぁ、ベルン……やはりあなた最高よ)



 褒美に明日は裏路地のボスのもあわせて、ベルンの好きな鶏肉を多めに買おうと決め、ご飯を作り始めた。

 ハインリヒは本当に王族なのかと思うほど、庶民の生活に適応していた。ご飯に文句を言うことなく平らげ、洗濯も自分で行う。王族といえど騎士たるもの、自分で何でもできないといけないらしい。また猫の姿のときはベルンの相手もよくしてくれる。さすが王族は猫好きと公言するだけあった。



「そういえば、寂しくないわ」



 お皿を三人分だして、ふと思った。師匠が失踪してから、いつも何かしらの不安がつきまとい、心細く過ごしていたはずなのに今はどうか。



「ふふふ、不思議な方だわ」



 そろそろふたりが風呂から上がってくるだろうと、かまどから鍋をおろした。

 するとドンドンと強く裏口の扉が叩かれた。



「誰かしら……」



 ローブを羽織ってフードをかぶる。そしてドアノブに手をかけて……止めた。



「どなたですか? 名乗らない場合、開けられません」

「……俺です。クラウスです。開けてくれませんか?」

「クラウスさん!?」



 名前を聞いてミランダは急いで扉を開けた。すると外には顔色の悪い、やつれたクラウスが立っていた。

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