第11話 ずぶぬれの猫王子

 

 翌朝の始まりは実に穏やかだった。ミランダは日の出と共に目を覚まし、隣で寝ているベルンをそのままに、ひとりで裏口にある小さな畑に出た。

 薬草やハーブに野菜、雑貨に使う花などがぎっしりと茂っている。裏口のそばにあるポンプ式の井戸で水を汲み上げ、畑にまけば、植物たちは朝日に照らされキラキラと輝いている。



「みんな元気に育ってね」



 そう願いながら世話をするためか、こんな小さな畑でも植物は立派に育っていた。

 ベリーを摘んで家の中に戻ると2匹の猫が階段からおりてきた。



「おはよう、ミランダ」

「お、おはようございます」

「みゃー」



 そこでやっと昨日からハインリヒが一緒だということを思い出した。



(ゆ、夢じゃなかった……落ち着いて。平常心よ)



 にっこりと微笑みを心がけたら、思ったより素直に顔が動いた。



「朝ごはんの用意をしますね」

「あぁ、猫の姿の時はベルンと同じで頼めるか?人間と同じだと塩辛いんだ」

「えぇ、もちろんです」



 やはり猫の姿が相手だと、人見知りが発動せずに自然と振る舞えるらしい。果たしてハインリヒとやっていけるのか――と不安だったが、何とかなりそうだと心持ちが軽くなった。

 朝ごはんを終えると、白猫ハインリヒの口元にはまたミルクがついていた。



「ふふ、拭いて差し上げますね」

「……世話をかける」



 あの氷の剣と呼ばれる貴公子という印象のギャップもあって、可愛さ倍増に見える。



「猫として身を隠すためにも、ベルンに猫の作法を学ばなければならないようだ」

「みゃ! みゃーみゃみゃ」

「そうか、あとから地域猫も紹介してくれるのか。確かに仲間は多いほうがいい。作法と併せてよろしく頼む」

「みゃあーん」



 ベルンもハインリヒを受け入れてくれているようで、胸をなでおろす。むしろベルンは使い魔の後輩ができたと嬉しそうだ。



「ではハインリヒ殿下、変身の呪いを受けたときの状況や物について教えてくれませんか?」

「そうだな。俺は現在、王族の公務の時以外は騎士団で活動している。王宮とは別に、仮眠や休憩所として騎士団の寮にも部屋があるのだか……そこに届いていた手紙に紛れ込んでいた」



 大抵の贈り物は部下によって検分されたのち、ハインリヒの手元に届けられるが、例外があった。それは国王や家族からの手紙と令嬢たちからのラブレターだ。

 騎士の仲間がひっそりと寮の手紙箱に入れていくのだが、令嬢からの個人的な手紙といったら内容はラブレターの場合が多い。勇気を出して恋情を綴ったものを、部下など他人の目に晒すのはどうなのか。その真摯すぎる性格から、ハインリヒは自分の目で確認し、今まで断りの手紙を送っていた。


 その隙を突かれたのだ。


 いかにも令嬢が好む可愛らしい花柄の封筒は、他の手紙と比べ分厚く膨らんでいた。その中には刺繍入りのハンカチが入っていた。見たこともない柄であるが、繊細で複雑な見事な縫い目だったという。その刺繍を指でなぞった瞬間に世界が暗転し、猫の姿になってしまったらしい。



「その日はたまたまキャットホールで読んでいたため、他の猫に紛れ込んで隠れることができた。手紙は必ず騎士の手で届けられ、宮廷魔女が作ったお守りのピアスもしていたから大丈夫だと油断していた……なんと情けないことか」

「呪いを生み出した魔女の実力は相当上ということですね。もし私室で呪いを受けて、犯人の関係者に捕まってしまったとしたら……危なかったですね」



 希少な魔女の中でも実力があるものしかなれないのが宮廷魔女だ。呪いを考案した魔女の知識は豊富で、力も強い熟練のなせる業だ。



「とにかく刺繍入りのハンカチが呪いの原因とみて間違いないでしょう」



 ハンカチに施された刺繍は魔法陣だったに違いない。紙に書かずに、面倒な刺繍にした意図があるはずだ。それは解呪のヒントになると思うが……



「うーん、少し考える時間をいただいても宜しいですか?」

「もちろん。その間はベルンに猫の行動の教えを乞うことにする。焦る必要はない」

「ありがとうございます」


 ハインリヒのことはベルンに任せ、ミランダはフンドシのスペアを作ることにした。昨日と違うのは刺繍入りというところだ。

 一針、一針丁寧に刺していく。できるだけ細かくなるように、細かい分だけ言葉を込められるので魔法は強くなっていく。



「ミランダ殿、フンドシになぜ刺繍を?」



 知らぬ間にハインリヒがテーブルの上に乗って、ミランダの手元をのぞいていた。



「これは厄除けの紋様です。少しでもハインリヒ殿下の身に危険がこないようにと思いまして」

「魔女お手製の下着とは聞いたことがない……この国で一番価値のある下着になるな。ありがとう」

「ふふふ、大袈裟ですよ。もう、誉めるのがお上手ですね」

「……」



 ミランダは面白くて、思わず笑みを溢す。ハインリヒがわずかに瞠目したことなど気付かず、針を進めていった。

 昼食も終え、夕方には彼女の全実力を込めた渾身の一着が完成した。丸一日を費やした力作だ。それをすぐにハインリヒに見せた。



「殿下、呪いのハンカチとフンドシの刺繍だと、どちらが細かいですか?」

「そうだな……ハンカチだな。あの小さな面積にもっと細く、みっちりと刺されていた」

「これよりも複雑なのですか。なるほど……」



 高級品に慣れた王子が感心するほどの刺繍を刺せるのは一部の人だろう。刺繍専門の職人か、細かい刺繍を習う令嬢くらいだ。しかも実力はミランダよりもずっと上。なおかつ魔女の力を持っていなくてはいけない。



「みゃーん」



 ミランダが「うーん」と唸っているとベルンがちょんちょんと靴の先を突いた。人型になりたい合図だ。

 しゃがみ込むと、ベルンは慣れたように体を伸ばして額をミランダの唇に押し当てた。ポンと煙とともに、人型に変化した。



「ハラペコ、ゴハン、ゴハン」

「そうよね。そろそろ作ろうかしら。ベルンは庭の畑からサラダ用の野菜をとってきてくれる?」

「ガッテン、ショウチ」



 裏口から出ていくベルンの背中を見送っていると、肩をトントンと叩かれた。



「私も人型に戻りたい。今から戻れば、寝る頃にはキスを返すことなく、勝手に猫になるだろう」

「そうですね。良い考えです」



 今夜は人型ハインリヒからキスされずに済むことに安堵しながら、言われたとおりしゃがんだ。

 ハインリヒも床に飛び降りると、ベルンと同じように、自ら額をミランダの唇に押し当てた。

 そして人型に戻ったハインリヒを間近で目にして、ミランダは慌ててフードを被った。



「ミランダ? 今日はもう裸ではないのだが……」

「も、申し訳ありません。慣れるようにしますから」



 遅れてやってくる現実感。猫相手だからと割り切っていたつもりだが、やはり目の前にいる美形に自分の唇が触れた事実は恥ずかしい。



「そうか、人見知りだったな。猫の姿のときは普通だったから忘れていた」

「はい。情けないです」

「急に変われという方が難しいだろう。落ち込む必要はない。しかし、ゆっくり慣れてくれると嬉しい」

「――っ、頑張ります」



 王族相手に失礼な態度だというのに怒ることも、馬鹿にすることもなく、ハインリヒは受け入れてくれた。じんわりと胸の奥が温かくなり、自然と体のこわばりも緩んだ。

 気を取り直して、料理を作り、三人で食卓を囲んだ。全員が人の姿なので、同じものを食べる。素人の料理にも関わらずハインリヒは穏やかな表情で食べ切った。



「さて、ミランダ殿、何かヒントは見つかっだろうか」



 食後のお茶を出し終えたところで、ハインリヒが口を開いた。



「はい。ハンカチに刺繍したのは異なる魔法を重ねたかったからです。また紙にインクで線を書いた魔法陣よりも、糸を何本も束ねて作った線の方が、魔女の力をたくさん込められます」



 ハインリヒが猫になる魔法と、呪いが解けないよう力を結びつける魔法のふたつだ。糸が絡むように、魔法も絡められ、呪いは複雑で強固なものにしているのだろう。



「私ひとりの力で確実に解呪することは難しいでしょう。無理やり解呪したら、ハインリヒ殿下に後遺症が残る、あるいは私が呪詛返しにあってしまいます」

「呪詛返しか……厄介だな」



 他人の強力な魔法を無理やり解くと、反動で呪われることがある。これは安易に魔法が他人によって解かれることなく、確実に目的を果たすための執念の表れだ。



「猫の魔法を発動した魔女を特定し、本人に解いてもらうのが一番安全です。またはその魔女の体の一部を媒介に解呪する方法を用いるか……」

「一部とはどれくらいのものをいう?」

「髪を一房、指を一本、小瓶ひとつ分の血などです。現実的には髪がよろしいかと」



 ハインリヒは腕を組んで、唸った。



「では先に犯人を見つけなければならないんだな?」

「はい。令嬢の中に隠れ魔女がいる可能性があります」



 魔女の力を持っていると知っていても、何か都合があって秘密にしたままの魔女のことだ。最近力に目覚めたのか、切り札として隠しておきたいのかは分からない。



「誰かが外の魔女に依頼した可能性はないのか?」

「協力した魔女はいるかもしれません。ですが、重要なのは実際に刺繍をした人です。話に聞くレベルの刺繍は普通の魔女には刺せないでしょうし、ラブレターとしてハインリヒ殿下の手元に届いた伝手を考えれば……」

「貴族か。しかも差出名を書かなくても同僚に届けてもらえるような、しっかりとした家柄か」



 ミランダは頷いた。



「交際の申し込みは丁重に断り、失礼をした記憶はないんだが……厄介な。なんの恨みがあって……」

 美しい額に手を当て、ハインリヒは深いため息をついた。

「あ……すまない。愚痴ってしまうとは」

「き、きっと呪いの影響です。私のことは気になさらないでください。いつでも聞きますし……こ、このようにキツイ見た目で人見知りなので、親しい友人もなくて漏らすような相手はいませんから」



 ハインリヒを元気づけるつもりで、ミランダは精一杯の笑顔を作った。

 しかし自覚できるほど、頬は緊張で引きつっていた。やはり人の前だと難しい。

 彼の口からは「はぁ〜」と深いため息が聞こえ、呆れられたかと思ったのたが……



「あなたは私をどうしたいのか」



 手を額から口元に移し覆ったハインリヒに悩ましげに呟かれてしまった。



「どう……って、最終的には呪いを解いてあげたいだけですが」

「うん、知っている」



 ならば何故聞いたのか、というツッコミはしなかった。



(きっと呪いの影響で情緒不安定なんだわ。お可哀想に……)



 庇護欲が掻き立てられ、俄然やる気が湧いてきた。しっかりと飼い主係を務め上げ、見習いであるけれど末席の魔女として呪いを解いてあげたい。ミランダは「頑張るぞっ」と小さく呟き、胸の前で両手に拳を作った。

 すると「もう駄目だ」とハインリヒは両手で顔を覆いはじめた。



(こんなにも追い詰められているだなんて。もっと話し合うべきなんでしょうけど、気分を切り替えた方が良いわね)



 そう判断したミランダはハインリヒにシャワーをすすめ、新しく作ったフンドシを手渡した。彼は「このフンドシで気分も締めるよ」と、まるで戦いに行くような面持ちで風呂場に向かっていった。


 しかし事件について思ったよりも長い時間話し込んでいたようで、シャワーの途中で魔法が解けてしまった。風呂場からは悲しい表情を浮かべたずぶ濡れの白猫が出てきた。新しいフンドシを締めることも叶わず、その日は気分も締まらずに一日を終えた。


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