第6話 白猫の正体


(いやいやいやいや、王子様が猫って有り得ないわ。きっと空似よ、空似!)



 二年前でハインリヒの成人を祝う祭りで絵姿が出回った。その絵はではキリっと気の緩みを微塵も感じさせない精悍な表情だったと記憶している。

 しかし、いま目の前にいる青年はポカンと口を開けて呆けている。



(全然雰囲気が違うじゃない。そうよ、王子様とかあり得ないわ)



 見間違いだと自分を想い込ませて、ミランダは冷静になろうと青年の分析を始める。だが一瞬の間の分析でも別の疑念は膨れ上がる。

 使い魔や動物を人の姿に変えたら、必ず耳や尻尾などの動物の姿の名残がどこかに現れるはずだ。現にベルンには猫耳と尻尾がしっかり残っている。


 しかし青年には耳も爪も人間と同じ。チラリとタオル越しに腰の辺りを見るが尻尾が生えている様子もなく、人間そのものだ。どんどん思考の深みへといこうとした時に声が届く。



「――るか?」

「……」

「おい、聞いているか?」

「――ん?」



 ハッとして顔をあげると、今にも触れそうなほど近くに青年の顔があった。二人とも魔法陣の上にのったままで、距離の近さを失念していた。彼の澄み渡った翡翠の瞳はキラキラと輝き、眩さで目が潰れそうになる。



「――っ!」



 ミランダは仰け反り、お尻をついて勢いよく後ずさった。スカートが汚れてしまうことなど忘れて引き摺り、背が壁につくまで青年と距離をとる。そして慌てて目を隠すようにフードを深く被った。



「ゴシュジンサマ、コワガッテル! チカヅク、ダメ。」



 すかさずベルンが震えるミランダを守るように、青年との間に入ってくれる。ベルンの爪は鋭く伸びて、耳がピンと上を向いていた。凛々しく頼もしいベルンの姿を見て、ミランダはようやく声の出し方を思い出す。

 おずおずとフードの影から青年を再確認しながら、問う。



「えっと……まさかハインリヒ殿下とか言いませんよね?」

「いや、私はこの国の王子、ハインリヒで間違いない。猫の姿を解いてくれたのは君か?」

「解いた?」

「あぁ、俺は何者かによって送られた手紙に仕込まれた魔法によって、先程の猫の姿に変えられていたのだ」



 ミランダは瞠目した。魔女が対象者に触れずに姿を強制的に変えさせる魔法なんて、とんでもない実力のある魔女の仕業だ。

 この国の王子が呪いの被害にあったことや、容姿の麗しさなど忘れるほどに、魔法への興味が深まる。どうやって――と再び思考の沼に潜りそうになったとき、ハインリヒが引き戻す。



「助かった! 君のお陰だ」



 威嚇するベルンなどお構いなしに、ハインリヒがミランダへと近づく。国のトップを争うであろう美しい顔面の青年が、一般女性なら鼻血を垂らして失神しそうな微笑みを浮かべている。

 ただし唯一身に付けているのは腰に巻かれたバスタオルのみ。つまり全裸と同じ。露出狂の男が乙女を襲おうとしているようにも見える。


 しかもハインリヒは猫の姿とはいえ、スカートの中に何度も入った輩。人見知りのミランダには『美形は許す』は通用しなかった。



「きゃぁぁぁあ!裸ぁぁあ!」

「は?あ、いや、その、すまない!でも、これは、その――」

「ヘンタイ、セイバイ!」

「ま、待ってくれー!」



 ミランダは必死に目を隠し、ハインツは両手を重ね胸元を隠すが意味はなし。そこへベルンが飛びかかり、組み敷かれたハインツは成すすべもない。

 見た目はショタでも獣元来の力は強い。



「頼むから隠させてくれ。誤解だ! 彼女に何もしないから」

「ウソダ!ゴシュジンサマ、マモル!」



 ハインリヒはベルンの爪が鋭く、怪我を恐れ動けない。腰布一枚でショタに押し倒された王族はハインリヒが最初で最後だろう。

 ミランダが少し落ち着き、不敬になるからとベルンに引くことを指示するまでその光景は続いた。


 ◇◇◇


「申し訳ございません。本当にハインリヒ殿下なのでしょうか?」

「いや、君は全く悪くない。こちらこそ色々とすまない。それに信じられないかもしれないが、本物だ」

「そう……なんですね。あ、粗茶ですがどうぞ」

「ありがとう。いただく」



 売り場にある小さな接客テーブルセットに二人は座り、お茶を啜る。

 ミランダはフードを深く被ったまま、改めてハインリヒをチラリと見た。

 男物の服がないためには素肌にローブを着させている。サイズが合ってないはずなのに、完全に着こなしているように見えるほどの美青年だ。古びた茶器がアンティークにも見えてくる。

 こんなにも綺麗な人をミランダは見たことがなかった。



(王族は皆綺麗と聞くけれど本当だったんだ)



 思わず魅入っていると、ハインリヒと視線がぶつかる。ミランダは顔が熱くなるのを感じながら、急いでフードで顔を隠して視線を手元のお茶へと下げた。

 誰であろうとやはり初対面の人には緊張してしまう。身分が上の相手だと尚更だ。



「君の名前を聞いても良いだろうか?」

「茜の魔女のミランダと申します」

「君があの茜の魔女」

「私をご存知なのですか?」



 雲の上のような人が見習い魔女の存在を知っていることに驚いた。



「噂でな……そうだ、顔をもっとよく見せてくれないか?私を呪いから助けてくれた恩人の顔は覚えておきたい」



 ただでさえ人見知りで目を合わすのが苦手なのに、美形の王族相手では心臓に大打撃を受けそうだ。戸惑い、視線を泳がせた。



「嫌ならいいんだ。無理強いはしない」



 魔女はその貴重な力が国益に繋がるとして、たとえ平民であっても貴族の命を拒否できる権利を有しており、自由が保障されている。それを心得ているのか、ミランダの躊躇をハインリヒは拒絶と受け取ってすぐに身を引いた。



「あ、あの、そうじゃなくて……その」

「どうした?」

「えっと……私の顔は誤解を与えることが多いのです。口下手ですし」



 顔を晒すことが嫌というよりも、フードという視線を遮るものが無くなり、うまく話せなくなるのが嫌なのだ。強気に見える容姿のせいで、信じてくれる人は少なくて、いつも傷付いてきた。

 そんな子供じみた理由を伝えるのも恥ずかしくて、声が小さくなってしまった。



「誤解? 俺を嫌ってではなくて?」

「ハインリヒ殿下を嫌うなんて……どうしてでしょうか」

「俺は随分と君に失礼なことをしてきた。先ほどの痴態もあって、顔を見たくもないし、見せたくもないくらい嫌われたのかと思ったんだ」

「そんな」



 ハインリヒの声には罪悪感が含まれていた。白猫を人の姿にした時は確かにパニックにはなったが、彼が悪いわけではない。ミランダの心にも申し訳なさが広がる。

 大丈夫ですよと伝えたくて、ゆっくりと視線をあげて、ぎこちなく笑顔を作った。

 すると彼はミランダと再び視線がぶつかると少し驚いたように瞳を瞬き、安堵の表情を浮かべた。



「ミランダ殿は優しいだけでなく、やはり美しい人だな」

「――っ!」



 ミランダは言っている言葉を受け止めきれず、次は顔を全部隠すようにフードを深く被り直した。

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