第5話 呪われた白猫

 

「もしかして、温室の白猫さん?」

「にゃ」



 問いかけにハッキリと返事をされ、ミランダはサァっと顔を青ざめさせた。

 周囲を見るが王宮関係者はいない。この白猫は勝手についてきてしまったらしい。狩りが下手な飼い猫は家の外では生き抜くのは難しい。ミランダが側にいて、王族所有の猫を放置して何かあっては大変だ。


 しかし返却するとき、短くない距離を付いてきたという説明を王宮関係者は信じてくれるだろうか。盗難扱いされても、無実の証拠はミランダには無いに等しい。あるとすれば本人の供述だけ。



「でも私は魔女だから、証言の誓いを立てれば信用してくれるわよね?」

 魔女の魔法は願いを言葉に、言葉を唄に、唄を具現化することだ。審議の判定ができる魔法を用いて誓いを立てれば、信用度は高い。

 言葉を詐称すると水晶であれば濁り、署名したのであれば紙が燃えたりする。



「ねぇ白猫さん、抱っこしてあげるから王宮に戻りましょう?」

「にゃ!」



 ミランダは白猫にゆっくり手を伸ばすが、白猫にかわされる。何度か挑戦するが捕まらない。

 しかしどこかへ逃げることはなく、ギリギリ手の届かないところへと戻ってくる。



「もしかして私のおうちに入りたいの?それなら、どうぞ」



 試しに案内してみると白猫はほっとしたような表情を見せ、ゆっくりと玄関をくぐった。ベルンのような使い魔でも無いのに、まるで言葉が通じている様子にミランダは薄紫の瞳を瞬かせた。



「誰かの使い魔なの?」



 玄関の扉を閉じて問うてみるが、白猫は応えず作業場を見渡している。



「仕方ないわね。今日は泊めてあげるね」



 ミランダはベルンを撫でてその場を任せ、ドレスを脱ぎに居住エリアの二階へとあがった。ドレスを脱いだら皺にならないようにハンガーにかける。ベルンに絞めてもらったコルセットを外せば、新鮮な空気が肺を満たした。



「はぁ、やっぱり貴族の世界は私には無理」


 緊張が解けたことで、ドッと疲れを感じた。綺麗な温室に、美味しいお茶にお菓子にたくさんの猫は魅力的ではあるが、他者の視線はコルセットのように息苦しい。

 目の前の黒いドレスが視線を集める原因のひとつと分かってはいるが、これしか無いから仕方ない。それに黒ドレスは魔女会議に初めて行くときに、師匠が仕立ててくれた一張羅。



『これは魔女の証で鎧だよ。アタイが魔法をたっぷりかけてあるから、ドレスに相応しく堂々としてな』



 この言葉のお陰でドレスを着ている間は、ローブのフードなしでも人前に出られる。でなければ猫に興味があっても、温室に足を踏み入れることはできなかっただろう。



(早く師匠みたいになりたいな。強くて格好いい魔女に)



 誰かに勇気を与えられる魔女を改めて決意して、着替えを済ました。

 一階の作業部屋に戻ると白猫は先ほどの位置から動くことなく、ミランダを見上げた。



「白猫さんお待たせ。さて、我が家に泊まるのなら体は綺麗にしてもらうからね」

 腕捲りをして洗い場のシンクにお湯を入れ始める。慎重に白猫に手を伸ばして、そっと白猫を抱き上げた。玄関での攻防が嘘のように大人しい。

「お湯は気持ちいいからね。怖くないからね」



 水が苦手な猫は多い。白猫が怖がらないように優しく声をかけながら、ゆっくりお湯に入れる。白猫は暴れることなく湯に浸かり、気持ち良さそうに目を細めた。

 白猫は大人しくミランダに身を委ね、あっという間に洗い終わった。多少は手を怪我することを覚悟していたので、ミランダもホッと安堵のため息を漏らした。そしてタオルで水気を拭いてブラッシングすると、次は感嘆のため息を漏らした。



「なんて綺麗な猫なの――あ、ベルンの次だからね! ベルンが一番だからね!」



 嫉妬のオーラを出すベルンに言い訳しながら白猫を見る。

 土埃などの汚れがとれた毛色は白というよりは銀のように輝き、翡翠色の瞳と相まって眩しい。そして満足そうな表情に変わった白猫の顔つきは凛々しく、整っていた。



「にぁお」

「あら、ありがとうって言ってるのかな? どういたしまして。次はご飯にしようね」



 作業場に併設されているキッチンでパンのミルク粥を作り、茹でた鶏肉をトッピングする。そして唄を口ずさんだ。身綺麗になったとはいえ、どこか疲れが見える白猫が元気になるようにと願いを込めたのだ。

 初めこそ白猫はご飯に戸惑っていたが、ベルンがガツガツと食べる様子を見て食べ始めた。その食べ方はベルンと違ってどこか優雅だ。



「王宮と違って安飯だからどうかと思ったけど、お口にあって良かった。でも高貴な食べ方だね。育ちの違いかな」



 感心しながらミランダは自分のご飯も仕上げて夕食を食べる。

 その間に食べ終わったベルンは前足で顔を撫でつつ、舌で前足を舐めている。食事を終えた猫の顔を洗う仕草は本当に可愛い。


 しかし白猫はそれを見ているだけで、お口のまわりはミルクで濡れている。ミランダはそんな姿も猫なら可愛く見えて、タオルで拭いてあげた。

 そして片付けたら売り場に薬や雑貨を補充すれば、今日は終わりだ。

 なにせ連日の王宮通いで疲れはいつもより溜まっている。シャワーを浴びたら、いつもより早いがミランダは二階へと上り寝る準備を整えた。



「さぁ白猫さんも廊下ではなくてお部屋にどうぞ」



 ミランダは白猫を部屋に招きいれようとするが、扉の前から動かない。

 二階には薬草の在庫がたくさんあるし、作業場も貴重な道具が置いてある。ミランダが寝ている間に、夜行性である猫の夜の大運動会が始まって荒らされてはたまらない。それに勝手に薬草を食べて中毒になってしまうのも心配だ。



「ほら、どうぞ?」



 手招きするが、白猫は肩をすくめてどこか気まずそうだ。

 白猫の体を洗ったとき、雄だったことを思い出してミランダはくすりと笑った。



「女の子の部屋に入るのが緊張するのかな?」

「にゃ!?」



 使い魔でもない猫に通じるわけないと冗談で言ったが、白猫は体をビクッと跳ねさせ狼狽えた。



「まぁ、変なところで紳士なのね。何日も私のスカートの中にいたのに。今更でしょ? どうぞ、入って」



 ようやく白猫は申し訳なさそうに部屋へと入った。本当に言葉が通じているような感覚だ。

 それに緊張せずに気安く話すのはベルン以外では本当に久々。なんだか新しい友達が出来たようで、胸がくすぐったい。明日には王宮に返すため、一方的でもこんな会話はまた暫くないだろう。



「白猫さん、最初は困ったけど我が家に来てくれてありがとう。さぁ、あなたも疲れたでしょう?どうぞ眠って」



 バスケットとタオルで即席のベッドを作り、白猫を入れてあげた。ゆっくりと額を撫でれば喉をゴロゴロと鳴らし、すぐに眠ってしまった。



「ふふふ、可愛い――でもベルンが一番だからね」



 先にミランダのベッドで待機していたベルンに言い訳をして、彼女もベッドに潜り込む。

 ミランダもまた疲れていた。すぐに眠りの世界へと旅立った。


 ◇◇◇


 翌朝ミランダが起きたときには既に猫の二匹は起きていた。ベルンは窓辺で毛繕いをし、白猫はバスケットからずっとこちらを見ていた。



「おはよう。すぐに朝御飯にしましょうね」



 着替えを済ますと昨日の残りを暖め直して、また二匹と一緒に朝食をとる。太陽は昇ったばかりで、窓からオレンジの温かな日差しが入ってきていた。



「さぁ白猫さん、王宮に帰りましょう。送るね」



 とても早い時間帯ではあるが、身の潔白を伝えるためには早い方が良い。そう思って手を伸ばすが、捕まらない。そしてベルンの後ろに回り込んでしまった。しかもベルンも避ける素振りはなく、白猫の味方らしい。



「ベルンまで……どうしたの?」

「みゃあ!」

「教えてくれる?」



 ミランダはベルンの額にキスをして、人の姿へと変える。白猫は大きな目を更に見開き、驚きの表情を浮かべている。猫が人間の姿になって驚いたのだろう。

 そしてベルンは幼い顔に眉間に皺をよせ、ミランダに抱きついた。



「コイツ、ニゲテキタ。タスケテダッテ。ボクモ、オネガイ」



 可愛らしい上目遣いにミランダの心はきゅんきゅんするが、懸命に隠す。主人の威厳として、ベルンに引かれるわけにはいかない。



「コホン。訳ありなのね。逃亡理由は分かる?」

「ワカラナイ。ムズカシイ。ゴメンナサイ」

「良いのよ。大丈夫。うーん。もしかして白猫さんは無理に使い魔の契約をさせられた猫……とか?」



 通常、使い魔の契約は双方の同意が必要だ。数日共に過ごして相性を確認し、合意して初めて契約が叶う仕組みになっている。そして魔女は自分を守ってくれる相棒を得て、使い魔は動物を越えた力を得る。


 しかし無理に契約すると中途半端な使い魔が生まれることがある。妙に人間の言葉が通じるところや、王宮から住宅まで付いてこれる集中力は普通の猫では有り得ない。



(もし本当に使い魔の強制契約をさせられていたら酷い。これは確認して助けてあげなきゃ)



 ミランダは作業場の棚から大きな紙を取り出し、床に広げた。大きなコンパスで複数の円を重ねて描き、隙間に呪文を書き加え魔法陣を作る。その上に石や薬草を載せ、最後にミランダは髪を一本抜いて同じように魔法陣に載せた。



「ねぇ白猫さん、無理には返さないよ。まずは私とお話ししましょう?」



 そっと白猫に手を伸ばすと、今度はきちんと捕まえられた。誉めるように毛並みを撫で、白猫にバスタオルを巻いた。



「ここでじっとしててね。魔法をかけてあげる」

「にゃあ?」



 不安そうな表情を浮かべる白猫に、ミランダは安心を与えるように微笑んだ。そして床に膝をついて白猫の視線に合わせる。



「理を越えよ。音を声に、声を言葉に、言葉を心に。お話できるようになぁーれ♪」



 そっと白猫の額にキスを落とすとベルンのときと同様に白猫の姿は煙に包まれる。

 ミランダはベルンのように猫を人の姿に変えて、話を聞き出そうと思ったのだ。白猫は自分の使い魔ではないため、儀式を用いても成功する自信はなかったが上手くいきそうだ。


 煙が少しずつ消え、人の姿が見えてくる。ベルンよりも、ミランダよりもシルエットは大きい。次第に完全に煙が消え、姿がハッキリと見えてくる。そして目の前に現れた青年の姿を見てミランダは絶句した。


 王家の血筋でも一部の者にしか現れないという青みがかった銀髪が真っ先に視界に入る。体は若さゆえの線の細さを残しつつも引き締まった肉体は、明らかに素人が鍛えただけでは得られない体躯をしている。



 普通の猫ではない。人だとしても普通の人ではない。



 伏せられていた瞼が開かれると、そこに森が広がったように輝く翡翠の瞳がミランダを捕らえた。

 ひゅっと喉が鳴る。なぜなら魔法陣の上に現れたのは、バスタオル一枚を腰に巻いた状態の第三王子ハインリヒ・オルレリアなのだから。


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