第7話 猫王子との契約

 

 今までにないくらい顔が熱くて仕方ない。魔女という職業柄、秘薬を手に入れようと媚を売られて、お世辞で褒められたことはあった。

 でもこんなにも目を合わせて本音に聞こえたのは初めてで、ミランダは逆上のぼせそうだ。次こそ言葉が出なくなってしまった。



「すまない。思わず……」



 優秀だと言われている王子といえど、今回の事態には取り乱しているらしい。幻覚で美人に見えてしまうのも仕方ないだろう。人生の中で自分が猫に変えられてしまうなんて、誰も予想なんてできない。



「そ、そうだ。この猫になる呪いは完全に解けたのだろうか?」



 ハインリヒが話を切り替えてくれたことに安堵したと共に、次の話の重さにミランダの口の滑りは悪いのには変わらない。



「いいえ。これは普通の猫を一時的に人間の姿にできる魔法をかけただけです。あと少ししたら再び猫の姿に戻ると思います」

「やはりか。何となく体で感じていたが間違いではなかったか。では次は完全に人の姿に戻る魔法をかけて欲しい。いや、猫になる魔法を解いて欲しいというべきか」



 その要望にミランダは首を横に振った。



「何故だ?」

「普通の変化の魔法ならば、時間の経過とともに本来への姿へと勝手に戻るのですが……戻らないとなると、とても厄介です」

「どういうことだ?」

「姿を変える魔法というのは、魔女が自分の力――人間の力を動物に与えることでできます。その力はずっと留まることなく抜ければ元の姿になるのですが、猫の姿のままということは呪いを留めるための別の魔法が重ね掛けされているのです」



 今は人の姿になる魔法を一時的に上書きしているだけで、ミランダの力を消費してしまえば猫の姿に戻ってしまう。本来の人の姿に戻るためには、その重ね掛けされた魔法を解く必要がある。

 しかし解呪に関しては本で読んだことはあっても、実践したことはない。



「申し訳ございません…………私のような見習いには、その場しのぎの魔法しかかけられません」

「なるほどな。しかしミランダ殿が謝る必要はない。ちなみに私はあとどれくらい人間の姿でいられる?」

「…………おそらく、あと10分ほどかと」

「変化してから約一時間弱か。短いな」



 顔を見なくてもハインリヒの声からは悔しさを感じた。

 王族の一員として国を導き、守るために努力してきた人に対してなんて仕打ちだ。

 異質の力を持っていても魔女は大切にされている。それは師匠を始め、歴代の魔女たちが善き魔女として人々を助けてきたからだ。悪用するなど同じ魔女として看過できない。


 ミランダが密かに憤っている間、ハインリヒは腕を組んで瞼を閉じていた。考え事のためにトントン動いていた人差し指が止まると、再び強い眼差しでミランダを見据えた。



「人間に戻れなくとも、人間でいられる時間を伸ばすことは可能か?」

「そうですね……理論だけなら」

「言うだけ言ってくれないか」

「普通の動物を変身させるよりも、使い魔のベルンの方が長く人型でいられます。もしかしたら契約すると長くなるかもしれません」



 ベルンは長くて三~四時間ほど人型でいられる。契約によって結びつきが強くなり、与えられる人間の力が多くなるためだと思われる。

 だからハインリヒも契約すれば――と言いそうになり、急いで飲み込む。契約はすなわち、ハインリヒを使い魔にするということだ。王族を使い魔にするなど不敬でしかない。


 実際はどうなるか気になる。未知の魔法に新しい方法を試したい興味は尽きないが、この案件はいけない。



「すみません! これは動物に対しての可能性で、人間である殿下に対して想像しすぎました。お忘れくださいませ」



 頭を急いで下げた。頭の先では「ふむ」とどこか納得した声がしたあと、ミランダの隣に立った。

「素直に言ってくれてありがとう。そこでミランダ、頼みがある。君を誰よりも信用できる魔女だと判断した上での頼みだ」

「わ、私を信用ですか?」



 初対面なのに、どこに信用できる要素があったのか。ふと見上げれば覚悟を決めたような、真剣な眼差しでミランダを見下ろすハインリヒがいた。威圧感はなく、ただただ真っ直ぐな視線。



「な、何でしょうか?」



 個人指名の依頼をもらえるのは魔女にとって誇りだ。本来なら嬉しいことのはずだが、危ない予感がしてならない。魔女の勘はよく当たると言われるため、自分で自分の予感に恐れを抱いた。

 するとハインリヒは床に片膝をついて、ミランダの片手を両手で包み込んだ。



「私と使い魔の契約を結んで欲しい。そして暫く私を猫として飼って欲しい」

「――え?」



 言っている意味が分からず、ミランダはそのまま固まった。



「どうか私を飼ってくれないか?」



 聞き間違いではなかったらしい。

 ハインリヒの瞳は揺らぐことなくミランダを見据え、逸らすことができない。握られた手には力が込められ、捕まってしまったような錯覚を起こした。



(な、なぜハインリヒ殿下を私が飼わなければならないの? し、師匠! 助けてください)



 ミランダは頭の中と、目をぐるぐる回しながら呆気にとられた。



「ほ、ほほほほほん、本気ですか?」



 ハインリヒは真剣な表情のまま頷き、話を進める。



「犯人は私に届く物に呪いを仕込めるほど近い人間だ。犯人がいる可能性が高い王宮や仲間の騎士、宮廷魔女は警戒しなければならない。だがあなたは普段は王宮とは無関係で、この耳にも届く善き魔女。理想だ」

「そんな ……」

「協力して欲しい!頼れるのは君だけなんだ」

「で、できません!」



 ハインリヒの手を振りほどき、椅子から立ち上がる。不敬と言われるかもしれないが、ミランダは混乱して考えが及ばない。身を小さくするように深く頭を下げる。



「私には荷が重すぎます!ど、どんな粗相をしてしまうか分かりません。殿下に相応しい大きな部屋も、立派な家具も、食事も用意できません」

「昨夜と同じ対応でかまわないんだ――そうだ!無事に解決したら対価を用意しよう。宝石や珍しい薬草など魔女の薬やお守りに必要な材料はどうだ?それとも、それを買うお金を用意しようか?貴重な魔法書なんかは」

「――!?」



 ミランダの体がビクリと跳ねて、反応した。

 新しい魔法が学びたいミランダにとっては『魔法書』は甘美な響きだった。魔女は弟子以外に魔法を教えることは少なく、魔法書も弟子に受け継がせる。

 時々風変わりな魔女が本を売りに出すが、とても値段が高くて見習いのミランダには手が出せる代物ではなかった。



「魔法書をお持ちなのでしょうか」



 それが読めるかもしれない――あまりにも魅力的なワードに誘惑されたミランダは思わず食らいついてしまった。

 それを見逃すハインリヒではない。



「そうだ。いくつか本棚に魔法書があったはず。私が人間に戻れば貸し出すことも……いや、無理強いは良くないな。ここは他の魔女に」

「お待ち下さい!」

「おや、私を飼う気になったかい?」



 ミランダはクラクラする頭を必死に動かして考える。読みたくてたまらない魔法書を逃がしたくない。

 でもただでさえ人見知りの自分が、初対面の王子を飼うなんて考えられない。思考の天秤は何度も揺れるが、決断するには至らない。



「この呪いの解呪の手助けもしてくれるなら、陛下が認めた王族同伴でしか入れない特別書庫の出入りの許可も考えよう。貴重な古代の魔女が書いたものや、宮廷魔女が残した魔法書がたくさんあるんだ。好きなときに私を呼び出して、入れるようにしても良いと思っているのだが?」

「――っ」



 カランと天秤のバランスが崩れる音がした。



「わ、私……ハインリヒ殿下を飼います。解呪も協力します」



 ミランダの声は小さく震えていた。大きな事件に巻き込まれるのは怖い。しかし『興味追求』という魔女の性には逆らえなかった。



「決まりだ。ミランダには私の飼い主係を依頼する。対価は魔法書とこの特別書庫の鍵代わりとなる私だ」



 ハインリヒが立ち上がり、ミランダに手を出した。彼女は後悔と期待を胸に織り交ぜながら、手を重ねた。



「宜しくお願い致します」



 その瞬間ポンと煙が立ち込め、ミランダの手にはモフモフの小さな猫の手が残った。


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