020 松戸ダンジョン攻略(その3)
洞窟型のダンジョンは複層構造になっており、次の階層へ進むには階段を見つける必要がある。しかしながら、第四層まで潜った経験のある羊太郎たちは、迷うことなく下層へと歩を進めていた。
第四層からは赤鬼と餓鬼に加え、青鬼が出現する。
痩身の青鬼からは、屈強な赤鬼と比べていかにも貧弱そうな印象を受ける。しかしながら、松戸ダンジョンにおいてはこいつが一番厄介なモンスターなのだ。
「蜂ヶ谷、お前は青鬼を追いかけろ! 俺が残りを相手する!」
「了解です! 絶対に逃がしませんっ」
蜂ヶ谷に檄を飛ばし、羊太郎は剣で餓鬼を斬り捨てる。
羊太郎の目前には三体の餓鬼と二体の赤鬼が立ちふさがる。《贖罪の山羊》を発動させて同士討ちを誘発し、その混乱に乗じた蜂ヶ谷が空を蹴って鬼どもの頭上を越していく。
蜂ヶ谷を先行させたのは、言わずもがな青鬼を狩るためである。
このモンスターが厄介な理由は二つある。
一つは、奴が支援スキルを有していることである。青鬼は仲間に能力向上のスキルを使用するのだが、そのスキルを掛けられた鬼の能力は約1.1倍になると言われている。
もう一つが、増援を呼び寄せることだ。モンスターパーティのうち、一体でもモンスターが減った場合、青鬼は増援を呼ぶために場を離脱する。これを止めることができなければ、延々と倒したそばから鬼が補充されていく永久機関の完成である。
羊太郎たちがこれまで第四層までしか潜らなかったのも、コイツに毎度のごとく仲間を呼ばれてループに突入していたことが理由だ。
そのループも、最初こそいい経験値稼ぎと思っていたものの、長く続けば嫌気が差した。そしてブラフマンとの度重なる特訓により、羊太郎は一対多の戦闘を、蜂ヶ谷は追跡能力を体得したのだ。
言うなれば、今日が役割分担の実践編である。
後輩の背中を見届ける羊太郎に、正気を取り戻した鬼たちが威嚇の咆哮を轟かせる。耳障りなそれが、どうにも羊太郎の癇に障った。
「俺がどんだけ鬼の巣窟に放り込まれてきたと……? どんだけ理不尽な目に遭わされたと思ってんだよ。なあ? それもこれもテメエらが面倒くせえ性質してるからだよなあ?」
蜂ヶ谷の前だから隠していたが、羊太郎のストレスは限界を迎えようとしていた。
餓鬼にかじりつかれ、赤鬼の金棒に打ち据えられ──思い出すだけで腸が煮えくり返る。この松戸ダンジョンに潜り始めてから、羊太郎は鬼を見るだけで苛立ちを感じるようになってしまった。
最近は浅層で体を鈍らせない程度の戦闘をするくらいだったからよかったが、今日はこの第四層まで潜る過程で幾度となく嫌いな顔を見てきている。
溜まりに溜まったストレスは暴発寸前だ。
羊太郎は腰のホルダーから小瓶を取り出すと、中の青い薬液を一息で飲み干す。魔力の消耗を見越したマジックポーションの服用である。誰の目にも本気度がうかがえる。
しかし、赤鬼たちは自身が敵愾心を向けられていることに露ほども気づいていない。
その様子が殊更羊太郎を苛立たせる。こっちはいつもヘイト管理に気を払わなければならないというのに、当のお前らときたら突っ込むだけで芸がない。作業ゲーしにきてんじゃねんだよとは偽らざる本音である。
「俺も蜂ヶ谷みたいな魔法だったらなァ~」
空を翔けながら首を刎ねるのはさぞかし気持ちのいいことだろう。
「っとと、狂犬に毒されちまった。いかんいかん」
ぼやきながらも、羊太郎は口許を歪めて笑う。
多対一の状況をどう切り抜けるか、想像するだけで変な笑いがこみ上げてくるのだ。ギリギリに追いやられてこそ、自分の能力で窮地を脱するのが楽しくなってしまう。
この高揚感が羊太郎をダンジョンに誘う要因である。
理性が危険を訴えても、昂った感情はもはや羊太郎の制御を離れてしまう。ブラフマンに度し難いと指摘された悪癖である。いずれ破滅を招きかねないからこそ、早めに冒険者を引退して転職せねば、と思うのだが……なかなか上手くはいかない。
そんな現状を憂いつつ、羊太郎は眼前の鬼どもに挑みかかった。
◇◇◇
蜂ヶ谷楓佳は、駆け出しの新人冒険者である。
もっとも、冒険者となって一ヶ月程度でC級になってしまったので、新人とは名ばかりと言われている。しかし楓佳にとっては、周囲の称賛が重荷に変わりつつあった。
なにせ楓佳が冒険者となったのは、会社で懇意にしてくれた先輩に恩を返すためである。もともと要領がよくない楓佳は、入社してからも営業成績を伸ばせず、オフィスではもっぱらお茶汲みばかりだった。
そんな楓佳に根気強く付き合ってくれたのが、教育係の山城羊太郎だった。
羊太郎との出会いは最悪と言っていいだろう。少なくとも、彼にはそう思われているはずだ。初日にふざけたことを抜かしたのだから仕方がない。
少し言い訳をすると、当時の楓佳は男性とのやり取りに辟易していたのだ。昔から異性のアプローチ多く受けていた楓佳は、なんと入社式後の課長との面談においてもあからさまな誘いを受けていた。愛想笑いでお茶を濁したが、内心は「社会人になっても変わらないのか」と複雑な思いだった。
そんな諦念を抱きながら諸先輩方に挨拶を済ませたのち、教育係の羊太郎に外へ連れ出された。どこへ行くかと思えば、会社から少し離れたコンビニだった。
呆ける楓佳を車内に置いて、羊太郎は缶コーヒーとココアを買って戻ると、
『肩の力は抜いときな。君も楽だし、何より俺が気楽だ』
と、ココアを差し出してきたのである。
これは口説かれているのか? 徐々に心を溶かして美味しく飲み干してやろうという作戦なのか、と楓佳は混乱した末に『こんなにかわいい私ですが、誰にも靡かないのでご注意くださいね』と自分でも恥ずかしいセリフを吐いたのだ。
楓佳は自分の容姿が整っているのを自覚している。スキンケアや食事管理、自分に合うメイクや服装などを研究した、いわば努力の結晶だからだ。では何が恥ずかしいのかと言うと、そこらの軽い男連中と羊太郎との違いにも気づけずに自意識過剰な発言をしてしまった事実が堪らなかった。
今にして思えば、羊太郎も初めての後輩に緊張していたに違いない。
羊太郎は缶コーヒーを好かない。むしろココアが好きな男だ。自分で飲もうと買っておいて、年下の女子である楓佳に缶コーヒーを渡すのが格好悪く感じたのだろう。
そんな羊太郎だからこそ、楓佳は彼に付き合ってダンジョンに潜ることを決めた。
「待てーっ!」
そして楓佳はいま、青鬼を追いかけていた。
一人で行動するのは怖いが、あのまま羊太郎と二人で戦闘していてもジリ貧だった。仮に青鬼がいなければ、十分もかからずに殲滅できただろう。青鬼はそれほど厄介な能力の持ち主なのである。
しかし、青鬼は単体だと餓鬼に毛が生えた程度の強さでしかない。韋駄天の逃げ足が特徴的なくらいで、取り立てて脅威となりうる攻撃もない。
敵の背を追いかけながら、楓佳はあることに気がついた。
「あれ……確かこの先ってボスフロアへの階段だよね」
楓佳の口角がニヤリと吊り上がる。
モンスターは、階層間の移動ができない。つまり、このままいけば青鬼は袋小路状態だ。逃げ場を奪ってしまえば、あとは首を刎ねるだけである。
「もう逃がさないぞ──って、あぶない!」
青鬼の背中越しに五階層への階段が見えた──ちょうどそのとき、楓佳は階段を上がってくる人影を視界に認めた。
この距離では《バインド》を飛ばしても間に合わない。
どうか避けてくれと願う楓佳の眼前で、追いかけていた青鬼の体が縦に両断された。
「突然なんでしょう? 一仕事終えたところなのにねェ……」
現れた男の風貌には見覚えがあった。
白髪交じりの髪を後ろに撫でつけた、狐目が特徴的な男である。詐欺師然とした雰囲気を纏わせる彼は、羊太郎と蜂ヶ谷が受けた講習の講師だった。
菱川雄吾。いつだったか、羊太郎がアイツには気をつけろと忠告してきた男である。
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