013 いつの時代も戦闘に狂喜するのは男の性です


 ダンジョンに潜り始めてから、今日で一ヶ月が経過した。

 会社の退職手続きはつつがなく終了し、晴れて羊太郎は冒険者という名の無職となっていた。もっとも、失業給付の特例申請(自己都合等で退職した離職者は二~三ヶ月の給付制限期間が設けられているが、離職後に冒険者となる場合はこの待機期間が一ヶ月に短縮される。)も済ませてある。蓄えも多少はあるので、とりあえず当座の生活費には困らなさそうだ。


 ちなみに転職活動はあまり進展していない。束の間の自由時間を謳歌したかったからだ。

 さて、意味もなく一日ぼーっとしたり、ぶらぶらと街中を歩いてみたりするか──という羊太郎の希望は、突如として現れた呑んだくれのオッサンにあっさりと打ち砕かれた。


「おいおい、鬼程度に苦戦してんじゃないよ。せっかく取ってやった弟子が弱いと、オジサン悲しくなっちゃうぜ」

「弟子になるつもりは元からないっ!」


 剣を振るいながら、羊太郎は視線で抗議する。

 赤ら顔で酒瓶を傾けるオッサン──名をブラフマンと言うらしい──は、初めてダンジョンに潜った翌日に現れた。四十代半ばごろと見える容貌からは想像もつかない連撃を見舞われ、気絶した羊太郎が意識を取り戻したときにはゴブリンの群れに放り込まれていた。


 ゴブリンの相手に慣れたらコボルト、コボルトに慣れたら餓鬼と来て、いまは赤鬼と対峙させられている。スパルタ兵も逃げ出す鬼の訓練である。


 補足しておくと、ゴブリンはロールプレイングゲームでおなじみ、群れを成す矮躯のモンスターである。肌色は例にもれず緑色で、ヒト型ではあるものの人語は解さない。コボルトはゴブリンの頭を醜悪な犬に置き換えたような外見で、ゴブリンよりも素早く厄介なモンスターだ。


 餓鬼と赤鬼──他と合わせて鬼シリーズとも呼ばれる──は、アジアのダンジョンにしか出現しない。餓鬼はゴブリンとほとんど変わらない強さだが、常に餓えている性質を反映してか、強く冒険者に執着する。赤鬼は童話にイメージされる鬼のままの容貌であり、凄まじい膂力を武器に冒険者を襲うモンスターだ。


「なんで俺がこんな目に……」


 赤鬼から距離を取りつつ、羊太郎は自身の現状を嘆く。

 ぐちぐちと文句を言いつつも、苦難を乗り越える度に垣間見える自身の成長が面白くなってしまい、気づけば早一ヶ月が経過してしまったわけである。

 つまるところ、羊太郎が窮地にいるのは自業自得なのだ。


 思考を切り替え、羊太郎は状況を整理する。

 いま相対しているのは、ありがたいことに二体の赤鬼だ。赤鬼は膂力任せに暴れるばかりでちっとも連携しようとしないので、慣れてしまえばゴブリンやコボルトよりも戦いやすいモンスターである。


「グオォオオオッ!」


 二体の赤鬼がそろって距離を詰めてくる。

 羊太郎は呼気を吐き出し、新鮮な空気を深く肺に取り込む。


 心中で強く念じ、《贖罪の山羊スケープゴート》を発動。

 発動と同時、二体の赤鬼は足を止めて金棒を振り上げる。その敵意は、羊太郎ではなく仲間に向けられている。憎々しげに互いを睨み合い、手の金棒を振り下ろす。


 ──魔法について、いくつかわかったことがある。


 その一、《贖罪の山羊》は、自身に向けられた敵意を他へ一時的に移すスキルである。

 赤鬼たちは羊太郎を敵対者と認識していたが、《贖罪の山羊》が発動されたことにより、その敵意が他の対象へ移し替えられた。


 では、移す先の対象はどのように選定されるか。


 この場にいるのは羊太郎とブラフマン、そして二体の赤鬼である。しかし、ダンジョン内においては、モンスターは戦闘に参加する意思のない者を敵対しないというルールが適用される。これによりブラフマンは除外され、結果として二体の赤鬼は互いを敵視することとなったのだ。


 なお、対象の選定はいずれできるようになると羊太郎は考えている。ノアとのレッスン中には狙ったナイトスライムに敵意を移すことができたからだ。もちろん、あれが偶然だったと言われればそれまでだが。


 ともあれ、羊太郎の《贖罪の山羊》は効力を発揮し、赤鬼たちの攻撃が互いをクリーンヒットする。すると、赤鬼たちはようやく互いを誤認していたことを自覚する。


「やっぱりか」


 その二、効果は、物理的衝撃または時間経過により自動解除される。

 度重なる検証により、《贖罪の山羊》の効果は物理的衝撃で解除されることがわかっている。また、魔法が発動してから一定の時間が経過することでも効果は解除されてしまう。効果時間はモンスターにより異なり、羊太郎はこの原因がモンスターの持つ攻撃性の差異にあると推測している。


 赤鬼は攻撃性が高く、戦闘方法は力任せのゴリ押しタイプだ。そういった手合いは《贖罪の山羊》の効果を受けやすく、持続しやすいのだろう。

 もっとも、ダメージを受けるほどの物理的衝撃が加えられれば即座に解除されてしまう。

 その証拠に、赤鬼たちは先ほどよりも強い敵愾心をもって羊太郎を睥睨している。射殺すような視線に、全身が粟だつようにぶるりと震えた。


「倒れるまでぶん殴り合ってくれりゃ楽できるのに」


 その三、同一の対象に連続して効果を発揮することは困難である。

 解除後にすぐ魔法を発動したとしても、同一のモンスターが二回目も同じように効果を受けることは経験上なかった。ただし、時間経過とともに二回目でも魔法が通じやすくなることも判明した。

 以前、試しにモンスターに魔法を使い続けたことがあった。その結果わかったことは、ダメージを負った個体や攻撃動作中にある個体に二回目の魔法が利きやすい傾向にあった。


 このことから、羊太郎はある仮説を立てた。対象の精神状態が魔法の効きに影響を与えるのではないか、というものだ。個の意識があるかの疑問はさておき、被ダメージ時や攻撃動作の際にできる意識の間隙を縫い、羊太郎の魔法が意識を絡めとっているのではないだろうか。


 赤鬼の威圧を受け、羊太郎の口角が上がった。


「度し難いねえ……」


 ブラフマンの放言は羊太郎の耳に入っていない。頭にあるのは、赤鬼の首を地に落とすまでの手順ばかりだ。この一ヶ月で弟子の人となりを理解したブラフマンは、あきれながらも酒を飲むのは止めない。


 赤鬼の咆哮を皮切りに羊太郎が動き出す。検証の時間が始まった。

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