014 考えるのって、疲れるな……。


 赤鬼は馬鹿力に任せて暴れるパワータイプだ。

 そうした手合いとの戦闘では、自身が冷静さを失わないことが肝要である。真っ向から立ち合っていいのは、同じパワータイプだけ。羊太郎が同じことをしても、丸太のような巨腕に散らされるだけである。


 だからこそ、戦況をコントロールする。


 羊太郎は魔術スキル《ファイア》を発動し、手前の赤鬼Ⅰへ火球を放つ。やや遅れてから、別種の魔術スキルを発動。魔力の蔓が羊太郎の足元から伸びていく。


 魔術スキル《バインド》。魔力の蔓で敵を拘束する汎用性の高いスキルだ。


 もっとも、赤鬼ほどの膂力があれば拘束を振りほどくことは容易である。それでも、一時的に敵を拘束できる効果は、戦況をコントロールする上で非常に大きな役割を担う。

 赤鬼Ⅰが顔面に飛来した火球を殴る。爆ぜた火の粉が降りかかるが、ダメージはロクに入らない。そもそも《ファイア》は威力の低い魔術なのだ。羊太郎もダメージは期待していない。あくまで牽制と目晦ましのためである。


 羊太郎の本命は《バインド》による行動阻害だ。

 意識の反れた赤鬼Ⅰの左足へ魔力の蔓が巻き付いていく。


「よし」


 企みが成功したことにほくそ笑む。ここまでは狙いどおりだ。

 赤鬼の体長は三メートルを超える。平時より狭くなった通路で、暴れまわる赤鬼を二体同時に捌くのは不可能である。もっとも、都合よく壁を作れるはずもない。

 だからこそ、二体を時間で分断する必要があった。


「ウオォオオオッ」


 転倒する仲間の横を抜け、赤鬼Ⅱがこちらへ接近する。

 羊太郎は握力を込めて得物の感触を確かめる。特に何の効果もない直剣は、セレクトショップで安売りされていたセール品だ。ゴムが巻き付けられた柄がよく手に馴染む。


 赤鬼が至近に接し、存在感が大きさを増す。眉を吊り上げ牙を剥き出しにした憤怒の表情は、まさしく鬼の形相と呼ぶにふさわしい。


 赤鬼の金棒が空気を圧して肉薄する。

 上段から迫る攻撃を、羊太郎は半身を捻って躱す。すれ違いざまに刃を引き、赤い肌になおも紅い一文字を書いてやる。

 血飛沫にも似た黒い魔力を浴びながら、羊太郎は赤鬼の右上腕までを切りつける。


 綺麗なカウンターだ。ベテランの冒険者でも回避と反撃を同時に行う者はほとんどいない。もっとも、羊太郎の場合は何度も殴られながら赤鬼の攻撃パターンを覚えたからできる芸当である。誇らしさはチリほどもない。


 一方で、切られた赤鬼Ⅱは痛みに憤激して咆える。攻撃後の崩れた姿勢から無理やり羊太郎に殴りかかった。


 当然回避するが、反撃が不発に終わった赤鬼には殊更刺激となる。

 そこへ《バインド》から抜け出した赤鬼Ⅰがタイミングよく駆けつけた。むろん、羊太郎はこれを視界に捉えている。蜂ヶ谷ならパニックで喚くところだ。


 しかし、この状況こそ求めていたものだ。


「《贖罪の山羊》」


 魔法が発動する。

 羊太郎に向けられた二つの敵意。そのうち一つの対象がすり替わった。


 魔法の効果は顕著に現れた。赤鬼Ⅱの形相がぐるりと後方に向く。赤鬼Ⅱが左腕を振りかぶり、到着した仲間の顔面を打ち抜いた。

 ドゴッ、とくぐもった音が鳴り、赤鬼Ⅰが後ろにひっくり返る。


 二体の重量級の交錯は、自動車同士の交通事故と変わらない衝撃だろう。殴った側の赤鬼Ⅱは左手指が潰れ、左腕全体に力が入らない様子である。


「ハハッ」


 羊太郎は跳躍すると、自失状態にある赤鬼Ⅱの首筋めがけて斬撃を放つ。

 刃が皮と肉を裂き、頸動脈と思しき管を断つ。まるで肉と牛蒡を並べて切ったような感触は、何度経験しても慣れないものだ。

 このまま首を飛ばせれば。淡い期待を理性が否定する。


 ──さすがにムリか。


 魔術で身体強化していても、樹幹ほどの太さを一息で断つことはできない。剣を引き斬って傷口を深くさせ、羊太郎は赤鬼の眼前を脱する。


「落ち着け……」


 逸る心を抑えながら、羊太郎は今一度状況を確認する。

 致命傷を負った上に左腕の自由を失った赤鬼Ⅱ。目立った外傷はないが、いまだ立ち上がることのできない赤鬼Ⅰ。こちらの優位は明らかで、状況は羊太郎の勝勢に傾いている。


 羊太郎の胸中にぞくぞくとした快感が起こった。戦況をコントロールできている事実が、この上なく感情を昂らせる。鼓動のテンポが上がり、全身が酸素を求めるように熱を持つ。

 しかし羊太郎は、全身の熱を冷ますように呼気を吐く。


「……落ち着け」


 今の優位は一時的なものだ。一瞬の油断で形勢は逆転するだろう。

 昂った感情はこの上ないエネルギーだ。有効活用しない手はない。しかしエネルギーとは、コントロールできてこそ最大の効力を発揮するのだ。暴走したエネルギーは、時として自らに熱病をもたらし、死に至らしめる呪いとなり得る。


『野生の世界は感情じゃ生きていけねえ。牙もねえ子羊が怒ったところで、狼に敵うはずがねえんだ』


 羊太郎の脳裏にブラフマンとの一幕が蘇る。

 赤鬼との初戦闘でぼろ雑巾にされた羊太郎を眺めながら、ブラフマンはゲラゲラと抱腹絶倒していた。


『だから、冷静になって策を練るのさ。子羊にゃ狼を食い殺すことはできねえが、誘導して崖に落としてやることはできるだろう?』


 説教中も酒瓶を傾けていたことが印象に残っている。

 思い出すうちに、すっかり頭の熱が冷めた。もっとも、体は煮えたように熱が残ったままだ。理性と感情の歯車が噛み合った感覚がした。


 羊太郎は短く息を吸う。

 次に狙うべきは赤鬼Ⅰだ。障害物である赤鬼Ⅱを《バインド》で縛り、口中めがけて《ファイア》を発動させる。体表には効かずとも、口内ならば火傷は必至である。

 身体強化の魔術を足に集中させ、火球を食べる暴食漢の脇を駆け抜ける。


 そうして辿り着いた先には、ようやく上半身を起こした怠け者がいる。おそらくは脳震盪の症状を引き起こしていたのだろう。いわゆるスタン状態にあったのだ。


 揺れる視線のピントが羊太郎に合った。

 営業スマイルを浮かべれば双眸に憤怒が宿る。


 金棒を支えに立ち上がった赤鬼Ⅰの腹を切りつける。鬼瓦のごとく浮き出た腹筋も刃物の前には形無しだ。二撃目を食らわせると、金棒でお返しが来る。


 横っ飛びで回避し、金棒と地面を《バインド》で縫い留める。

 再度ファイアを目晦ましに使い、生じた隙に腹部を刺突する。開いた傷口を抉った剣を捻ると、ワイン樽に穴をあけたように黒い魔力の飛沫が噴出した。

 身体ごと懐に潜りこみ、さらに剣を奥深くまで突き刺す。


「────!」


 赤鬼が声にならない悲鳴を上げる。羊太郎は間隙をついて詠唱する。


「《贖罪の山羊》」


 赤鬼の目がぐるんと回る。

 身悶える赤鬼の体躯からゆっくりと力が失われていく。次第に体が流砂のごとく崩壊し、後に残ったのはこぶし大の赤い石ころだけになった。


 緊張を維持したまま羊太郎が振り向く。


 赤鬼Ⅱの倒れていた場所には赤い石ころと人間でも扱えそうなサイズの金棒が転がっていた。戦闘を繰り広げる傍らで静かに息絶えたらしかった。


「三回目……効いたのか効いてないのかわからなかった」


 赤鬼Ⅰにとっては二回目。赤鬼Ⅱにとっては三回目の魔法だった。

 知らずのうちに最期を迎えていたので、効力を発揮したかどうかがわからない。本来ならもっと時間を掛けて検証するべきなのだが、そうすると羊太郎が不利になってボコボコにされてしまう。地力がもっと育ってから検証することにしよう。

 羊太郎は自身の実力不足に嘆息する。


「ま、いいか。三回目はあまり期待できないし」


 三回目の魔法は、ゴブリンやコボルトで検証したときは条件次第で効果が現れた。『ほとんど死にかけの状態』に限り三回目が効いたのだ。おそらく赤鬼でも同じ結果だろう。


 羊太郎は戦闘を振り返ってみる。

 効果の発動を左右するのは、対象の精神状態でほぼ確定と見ていい。今回の戦闘でも、激怒状態にあった赤鬼Ⅱの攻撃動作中に《贖罪の山羊》が効いたが、もう一方の赤鬼Ⅰには効いていないようだった。

 これまでも、対象が羊太郎に集中しているときは魔法の効果が現れにくかった。やはり、二回目以降は意識の間隙を縫わなければならないのだろう。


 言ってしまえば、猫だましと一緒だ。

 来るとわかって備えられてしまえば、効力は発揮されないのだろう。そうなると、魔法の使用タイミングは熟慮しなければならない。慣れた相手ならばいいが、初見のモンスターには注意が必要だ。


 ──考えるのって、疲れるな。


 ともあれ、赤鬼二体に無傷での勝利した上に、珍しく魔石以外のアイテムもドロップした。戦果としては上々だろう。


 肝心の師匠はと言えば、酒瓶を抱えていびきを掻いていた。

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