006 はじめてのせんとう
魔法スキルと魔術スキルの違い、と題された記事。タイトルのとおり、それぞれの相違点が解説図つきで記されている。日本語の怪しいスピリチュアル本を見るように目を細めながら、羊太郎は文章を読み上げていく。
「魔法スキルは、魔力量の一定割合を代価とする代わりに、魔力を消費せずに理外の力を行使できる。対して魔術スキルは、魔力を捧げる必要はないが、発動には魔力の消費が必要……ややこしい言い回しだな」
情報を整理していく。
代価の解釈は、魔力量の最大値減少と言い換えていいだろう。
たとえば魔力量の半分を代価とする魔法スキルを体得したとすると、元の魔力量のうち半分が魔法スキルによって食いつぶされてしまうがために、最大魔力量は実質的に半分になってしまうということだ。そして食いつぶされた魔力量は、生涯戻ることがない。
対して、魔術スキルは魔力を食いつぶすことはないが、発動には都度魔力を消費する。
「そう考えると、根本は体の仕組みと同じか」
羊太郎のつぶやきが空に溶ける。
突き詰めれば、魔法・魔術スキルと魔力との関係は人体の仕組みと同一である。
人間は食べることでエネルギーを取り入れるが、保有できる量には限度がある。また、生きていく上で必要な分が勝手に生命維持に使用されるから、その他の活動をするためには必然的に残存エネルギーのなかでやり繰りするしかない。
魔法とか魔術とか言うからには、もっと便利であってほしいと思う反面、現実なんてそんなものだろうという諦念にも似た達観がある。
「デメリットも多いが、使いこなせれば非常に強力である……」
魔法スキルにはデメリットを補って余りあるメリットが存在する。
記事の一節にあるとおり、魔法スキルは魔力を消費せずに理外の力を行使できるのだ。くわえて魔法スキルは魔術スキルよりも自身に最適化された能力であるから、必然的に魔術スキルよりも練度が高くなる。
自身に合ったスキルを使ってより強くなろう、と記事は締めくくられている。
「ま、いま悩んでても仕方ないか」
そう結論付けた羊太郎が皺の寄った眉間をほぐしていると、視界の奥に人影が揺らめいた。ポニーテールをぶんぶんと揺らしながら、革の装備に身を包んだ女がこちらへかけてくる。よく見ずともわかる。迷犬ハチガヤである。
モンスターを発見して、大急ぎで戻ってきたのだろうか。
「やばじろざぁああ────ん! だじゅげでぇえええ!!」
羊太郎は目を剥いてぎょっとする。蜂ヶ谷が情けない面でわんわんと泣いていることではなく、その後ろに引き連れたスライムの多さに驚愕したのだ。
丸っこい空色のモンスター、すなわちスライムの登場である。RPGの代名詞であるスライムは、ここ龍ヶ崎ダンジョンのメインモンスターである。
しかし、蜂ヶ谷が追いかけられているのは、異常な数のスライムである。
蜂ヶ谷を至近まで待ってから羊太郎も駆け出す。
「お前、何連れてきてんだよ! アホなのか!?」
「ざぎにいっでずらいむだおじで、かーどをみせびらかぞうとおぼったんでずぅ!」
「それだけでなぜこうなる!」
「すらいむいっぴきだおじだら、なんかいっぱいわいてきまじだ」
羊太郎はその現象に聞き覚えがある。
十中八九、ダンジョンに仕掛けられたトラップの仕業だろう。
「ごべんなざい」
蜂ヶ谷は涙と鼻水まみれでぐしゃぐしゃになりながらつぶやく。
「ああもう、このポンコツめ!」
蜂ヶ谷を罵倒しつつ、羊太郎は対応策を考える。
初心者向けである龍ヶ崎ダンジョンは、スライムを基としたモンスターのみがポップする特徴がある。現れるスライムは強酸性でもなければ金属製でもない。ただの水で作られているらしいので、冒険者にとっては良心的なモンスターだ。
スライムの倒し方はごく単純だ。モンスターは魔核を潰せば消滅するのだが、スライムは半透明であるために赤い魔核が透けている。これを潰せばいい。
「蜂ヶ谷! もう少し距離をとったら、反転して待ち構えるぞ!」
「えええ! むりでずよ!」
「この先は俺たちが転移した小部屋だ。そこで囲まれるくらいなら、通路のほうがまだ戦いやすい」
「なんでそんなにれいせいなんですかあ! れいけつかんってやつですかあ!」
蜂ヶ谷の戯言を聞き流し、羊太郎がブレーキを掛けて体勢を入れ替える。蜂ヶ谷も、腰の引けたみっともない姿ながらスライムたちに向き直る。
異常な数と言っても、通路がスライムで満ちているわけではない。
第一陣は二十匹ほど。散っているから、足の踏み場くらいはある。
「よかったな。お前の待ち望んだ大ピンチだぞ」
「まだチートもらってないのに!」
喚く蜂ヶ谷を横目に剣を抜く。
羊太郎は、先陣を切ってスライムの群れに飛び込んだ。
「やましろさんっ!?」
蜂ヶ谷の叫びを無視。初戦闘にもかかわらず、モンスターの群れに突撃した羊太郎の後ろ姿に目を丸くしているに違いない。
──いまの蜂ヶ谷に戦わせてもパニックになるだけだ。
混乱した蜂ヶ谷が使い物にならなくなることは想像に難くない。それならば、自身が突っ込んで蜂ヶ谷にヘイトを向かせないことを優先する。
羊太郎は通路端の孤立した個体に狙いを定めて両手で剣を横薙ぎに振るう。
粘液のボディに触れた瞬間、剣を握る感触に重みが加わる。しかし手を取られるほどではない。奥歯を噛みしめ、勢いをつけ足すように腰をひねる。途端にスライムは境界線が引かれるように裂かれ、体内の魔核を露出させた。
振りぬいた剣を左手に持ち替え、体重を乗せた右足で魔核を踏み抜く。
ガラス玉が割れるような破砕音。その行く末を見ることなく、羊太郎は振り向きざまに右腕で飛び跳ねたスライムを払いのける。
バスケットボール大の粘液が、水風船が割れるように弾けた。
──想像よりも重いな。
右の手の甲にジンジンと痛みが残っている。たとえスライムがただの水であったとしても、そのサイズから五キロほどの重さがあるはずだ。それが飛び込んでくるのだから、殴りつけた側も消耗するのは当然だ。武器で対処するのがもっとも効果的と思える。
一方で、剣を振るうにしても彼我の対格差が問題だ。
いちいち下に剣を振るうのは非効率である上に、他の個体に隙を晒すことにもなる。
ぱっと見で羊太郎に迫ろうとする個体は五匹。その他の個体は順番を待つように羊太郎たちを取り囲んでいる。この状況は、羊太郎にとってかなり都合がいい。
一匹のスライムが跳ねた。羊太郎はその場でステップを踏んで体勢を整えると、左下から右上に斬り上げるように動く。
そのとき、二の矢が放たれたかのように左側面のスライムが体当たりをしてくる。
羊太郎はそれを視界の端に捉えた。しかし、すでに体は攻撃に入っている。狙いの個体を裂くと同時、かろうじて左脇を締める。直後、衝撃が左体側を襲った。
分かっていても衝撃には抗えない。口から呼気が漏れ、遅れて疼痛がやってくる。
「いってぇな」
ゾクゾクと全身に震えが起こり、羊太郎の唇の端には笑みが滲む。
なぜ、と羊太郎は自身を俯瞰する。なぜいま自分は笑ったのだろうか。
「山城さんっ!」
寄せる思考の波は、しかし蜂ヶ谷の一声にかき消される。
「せ、拙者が助太刀いたす!」
目をやると、蜂ヶ谷が抜き身の剣を正面のスライムに振り下ろしたところだった。勢いをつけすぎた剣先がスライムを突き抜けて地面にあたる。
「あばばばば」
その揺り返しを受けるように蜂ヶ谷の体がぶるぶると震える。
笑いのこみ上げてくるままに、羊太郎はいまだ腰の引けている後輩を鼓舞する。
「足震えてんぞ。無双するんじゃなかったのか?」
「できらぁっ! バカにすんじゃないやい!」
気炎を吐き、蜂ヶ谷は次の獲物に襲い掛かる。先ほどまでの泣き虫はどこへやら、蜂ヶ谷は狂戦士のごとくスライムを狩っていく。
「……覚悟が決まるまでが長いんだよ」
蜂ヶ谷の気勢に負けるわけにはいかない。羊太郎は、直剣を構え直した。
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