004 後輩の教育ほど自分の身になることはないよね
手早く荷物をまとめると、羊太郎と蜂ヶ谷は冒険者向けの窓口へと足を向ける。
龍ヶ崎ダンジョンセンターでは、初心者講習さえ受ければすぐにでもダンジョンへと潜ることができる。羊太郎は、更衣室でレンタル品の装備に着替え、ダンジョンゲート付近で後輩を待つ。
女子の着替えは長い。覚悟を決めていたが、予想に反して蜂ヶ谷はすぐに現れた。
「なかなか様になってるじゃないですか!」
「お前こそ。もっと頼りない感じになると思ったんだけどな」
「やるときはやる子ですからね!」
言って、大きく鼻から息を吐く。自慢げだが、あいにくと羊太郎は信じていない。
蜂ヶ谷がやる気を出した日には、大半が散々な結果に終わることばかりだったからだ。
「そもそも、どうしてモチベ上がってんだ? お前、ダンジョン嫌いなんじゃないの?」
「へ? 別に嫌いじゃないですよ。ダンジョンに潜れるような時間がある人たちが羨ましくて仕方なかったんです!」
「ダンジョン管理人が出てきたとき、かなり不機嫌そうだったけど?」
「だって、私たちの仕事を増やした張本人ですもん。でも山城さんのおかげで辞める決心がついたので、もう彼女は全然平気ですよ!」
羊太郎は絶句する。こいつは、なんという女だろうか。
「…………。お前って、素直だよな」
称賛の言葉を、諦念とともに吐き出す。当の蜂ヶ谷は照れくさそうに頬に手を添えた。これぞ皮肉すら通用しないイマドキ女子の本領発揮である。
「見上げたメンタルだよ。お前みたいな人間が増えれば、日本から心療内科がごっそり減るだろうな」
バカにつける薬はないとも言う。
内心で冗談を吐きつつ、二人そろってダンジョンへの入場手続きを済ませに窓口へ立つ。
「二名様ですね。武器はどうされますか?」
「あー……すみません、まだ決めてなかった。一番人気があるのってどれですか?」
「みなさま最初は直剣を選ばれますね。ダンジョンに慣れてからは、気になったものを試される傾向にあるようです」
「それなら二人とも直剣でお願いします。蜂ヶ谷、いいか?」
蜂ヶ谷が某洋菓子店のマスコットよろしく首を縦に振った。
「では、退場手続きをされる際にお返しください。使い方については、スマートフォンアプリの『Dungeon Instructions』をご覧くださいね」
説明とともに受付嬢から刃渡り七十センチほどの直剣を受け取る。
鈍色の西洋剣だ。初心者にいきなり武器を渡すのはいかがなものか。とは言え、冒険者の数が右肩上がりに増え続けている現在では、ダンジョン内で指導を行う人材が不足しているらしい。
自動車教習所の教官に元警察官が多いように、ダンジョンでも元冒険者がいれば都合がいいのだろうが、いかんせんダンジョンは出現してまだ一年しか経っていない。これで元冒険者が指導しますと喧伝したところで、受講者からは早々にリタイアした弱者と侮られてしまいそうだ。
くわえて、ダンジョンにかかわる情報は、受付嬢の言った公式アプリ『Dungons Instruction』にすべて明記されている。ダンジョンに入るための方法のほか、武器の使い方からスキルの豆知識など、かゆいところまで手が届く仕様である。
初心者向けダンジョンなら大怪我を負うことなく訓練できるので、専門の指導者がいなくともアプリや動画サイトで学んで冒険者が勝手に育っているのが現状なのだ。
「ご準備はいいですか?」
羊太郎は持ち前の営業スマイルを浮かべて応える。気分によってスマイル度が乱高下すると蜂ヶ谷からお墨付きをもらった必殺技である。たいていの場合、羊太郎が勝手に傷ついて終わりだ。
羊太郎たちは、ダンジョンゲートの前に立つ。
「ずいぶん質素な造りですね。石造りて」
「絢爛な扉だったら、初心者が気軽に開けられないからだろ」
「たしかに。でもでも、入る直前にいきなり扉が変わることもあるかもしれませんよ? ほら、ソシャゲのガチャで言う確定演出みたいな?」
「余計なフラグ立てんなよな」
笑いながら蜂ヶ谷の肩を小突く。
お返しにと脇腹に肘鉄がめり込んできた。加減を覚えろ。
羊太郎と蜂ヶ谷のやり取りを見守る受付嬢のこめかみに青筋が立つ。綺麗な笑顔に凄みが混じってきたようで、羊太郎は焦りを覚え始める。
「こういうときに何か起こるのがWeb小説のテンプレなんですよ! この扉をくぐったが最後、私たちは最難関ダンジョンに転移させられて、けれど与えられたチートスキルで強敵を倒し──ちょっ、まだ話の途中なんですけ────」
蜂ヶ谷の腕を引きつつ、石の扉をもう片方の手でぐっと押す。
冷たい重厚さを感じさせる扉が、しかし向こう側から引っ張られているかのようにして開いていく。コールタールみたいな色の闇が、羊太郎と蜂ヶ谷をずるりと飲み込んだ。
前後不覚の一瞬が過ぎ、次に目蓋を上げたとき、羊太郎たちはゴツゴツとした岩肌に覆われた空間に立っていた。
「ど──って、入っちゃった! 入っちゃいましたよ山城さん!」
「もう吐き出されてるから安心しろよ。つか、あんだけワクワクしといてなんで目つぶってんだよ。初めてジェットコースター乗った子どもか」
「ジェットコースタ―は景色を楽しむものなんて、都合のいい嘘ですよ」
「腹立つからキメ顔すんな」
前髪をアップした額にデコピンを決める。
蜂ヶ谷に十のダメージ!
蜂ヶ谷は両手でおでこを抑えながら、こちらの様子をチラチラとうかがっている。
羊太郎は無視を決め込んだ!
「さて、一応現在地を調べますかね」
羊太郎はポケットからスマホを取り出し、『Dungeons Instructions』を起動する。ノアのデフォルメキャラが表示され、続いてアプリ内のホーム画面に遷移する。
「龍ヶ崎ダンジョン一階層──よかったな。お前の立てたフラグは無事に回避できたぞ」
「私の現代ダンジョンチーレム無双が崩れたーっ!」
頭を抱えて蜂ヶ谷が頽れる。先ほどから羊太郎に冷めた目を向けられていることに、この娘は気づいているのだろうか。
「じゃ、帰りましょっか?」
「潔すぎるだろ。努力で成し遂げるつもりナシかよ」
「わかってないなあ! 死なないという安心を得ながら無双するのがいいんですよ!」
蜂ヶ谷が片眉を吊り上げてせせら笑う。羊太郎は無言でアイアンクローを食らわせた。
「痛っ! 痛い! 痛いんですけど! 何考えてんだこの先輩!? こんなかわいい後輩のしたり顔は許すのが普通では!? 常識を思い出せ!」
「ああ、おかげさまでちゃんと思い出したぞ」
羊太郎の脳裏によみがえるのは、初めてできた後輩の入社当時の姿である。
気慣れぬスーツに身を包み、緊張した面持ちで課内の挨拶を済ませた蜂ヶ谷は、教育係に就いた羊太郎に対してこう言ったのだ。
『こんなにかわいい私ですが、誰にもなびかないのでご注意くださいね』
こいつ、こういうやつだったな。
クソ生意気な後輩の教育という大任は、羊太郎に苦労と刺激とわずかばかりの癒しを与えたのだ。こいつの性根が腐ってなかったからよかった。そして羊太郎が蜂ヶ谷を教育できたのは、三人兄妹の長男であるからに違いなかった。
「早く解放してくださいよぉおお──」
龍ヶ崎ダンジョンの一階層に、蜂ヶ谷の絶叫だけが響いている。
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