002 嫌いな人間ってひと目でわかるもんだよな


 茨城県南部に位置する龍ヶ崎ダンジョンセンターは、関東一円でも屈指の敷地面積を誇る商業施設だ。公益財団法人であるダンジョン統括機構によって運営されるダンジョンセンターは、ダンジョンへの出入管理のほか、武具の管理やドロップアイテムの鑑定・換金なども手掛けており、冒険者の総合窓口としての機能を果たしている。

 龍ヶ崎ダンジョンは低難易度でケガの危険がないこともあり、ダンジョン体験ツアーなどの観光プランが用意されている。いまやダンジョンセンターは一大観光施設なのだ。


「噂には聞いていたけど、これはすごいな……」


 施設全体を視界に収め、羊太郎は驚嘆に目を丸くした。

 龍ヶ崎ダンジョンセンターは、光沢を抑えたモノトーンカラーで造られている。黒色を基調とした外壁には、「Ryugasaki Dungeon Center」と錫色の館銘が打たれていた。

 入口正面の駐車場には、数多くの自動車が駐車列をなしている。少し離れた大型バス専用の駐車場からは、プラカードを持ったガイドが乗客たちを誘導してきた。ほかにも手荷物を提げた人々が、続々とダンジョンセンターに吸い込まれていく。


「人が多いですね。正直、びっくりです。山城さん風に言えば、仰天です」

「やかましい。つか、仕事は大丈夫なのかよ?」


 羊太郎は胡乱な目を向ける。この後輩は、急遽職場に休む旨の連絡を入れ、あろうことかダンジョン講習にまで付き合うと言い出したのだ。


「大丈夫ですよ。そのうち辞めますから」


 蜂ヶ谷はスマホ片手に軽い調子だ。


「おー。蜂ヶ谷も冒険者やるか?」

「それもありかな~って感じです。とりあえず退職は確定ですね」

「樫田のやつ、焦るだろうな。いい気味だ」


 脳裏にいやらしい顔の上司が浮かぶ。羊太郎は不快感からチッと舌打ちした。

 二人が総合窓口に向かうと、にこやかな受付嬢が応対した。


「龍ヶ崎ダンジョンセンターへお越しいただき、ありがとうございます。本日はどういったご用件でしょうか?」

「十四時から初心者講習の予約をしている山城と申します」

「同じく、初心者講習を受講する蜂ヶ谷です」


 羊太郎がスマホの画面を提示し、蜂ヶ谷がこれに続く。受付嬢は、二人の間で視線をさまよわせたのち、何かを察したように柔らかな笑みをたたえた。

 一緒にダンジョンに潜る仲睦まじいカップルと思われたのだろう。

 いちいち否定するのも面倒だ。羊太郎も蜂ヶ谷も関係性を疑われることに慣れていた。


「確認いたしました。それでは、右手奥にございます講習室にてお待ちください」


 場を後にすると、二人はそのまま講習室に進む。


「わっ。広いですね」

「受講者も多いな。なんというか、学生時代を思い出す」


 講習室は、大学の講堂を想起させる造りをしていた。二ヶ所の出入口のほど近くに教壇が配置され、そこを起点として扇状に席が用意されている。全体の六割ほどが埋まっていて、そのほとんどが年若い学生であるようだ。

 羊太郎と蜂ヶ谷は、場に似つかないスーツ姿である。

 羞恥を感じつつ、階段を上って中央列の真ん中あたりに陣取った。机上に置かれた教本を開き、パラパラとめくっていく。


「うへえ。こういう暗記メインの勉強は嫌いです」

「だろうな。これだけだと、大学よりも教習所に近いか?」

「蘇る仮免不合格地獄……くぅっ」

「運転へたくそだったな。助手席には絶対乗りたくない」

「こっちから願い下げですよ。絶対小うるさいですもん」


 そうこうしているうちに、早くも講師らしき初老の男性が入室した。

 扉が閉められ、講習室全体の光量も下げられる。どうやら本当に講義のような形式をとるらしい。スクリーンには、「ダンジョン初心者講習」と題したスライドが映されている。


「こんにちは。講師の菱川です。今日は初心者講習ですから、基礎の基礎をお話します。私が話す内容には、みなさんがすでに得ている知識もあるでしょう。退屈かもしれませんが、一時間ほどお付き合いください」


 聴衆の拍手をもって、初心者講習が開始した。

 菱川はどうやら現役の冒険者らしく、これまでに経験したダンジョンでの苦労話や好奇心を揺さぶる冒険譚を情感豊かに語った。


 ──冒険者より営業マンのほうが向いているだろうに。


 羊太郎は内心でつぶやく。掴みは上々だろう。その証拠に、隣の蜂ヶ谷は菱川のトークにすっかり夢中だ。一言一句逃すまいと、目を輝かせて聞き入っている。

 他方、羊太郎は平静を保っていた。

 菱川のトークスキルは卓越している。だからこそ、その内容を信じきれない。

 語る内容のほとんどは実際の出来事を基にしているはずだ。でなければ、ここまで感情を乗せて、しかもそれを他人に伝播させるほどの芸当はできない。もしここまでの内容がすべて嘘だとすれば、映画業界も見逃さない千両役者である。

 もっとも、菱川がどれだけ聴衆の感情を煽ろうとも羊太郎には関係がない。

 羊太郎からすれば、あくまでダンジョン潜りは転職までのつなぎであり、また自分の興味を満たすための行為に過ぎない。したがって、深入りするつもりはない。


「さて、それではまずダンジョンの映像を見ていきましょう!」


 菱川が宣言すると、講習室がにわかに騒めく。スクリーンに映像が映し出されると、聴衆のボルテージが上がるのが肌で感じられた。

 暗闇のなかに、青い炎を灯したランタンがいくつも浮かび上がる。月明かりにも似た光を受けて現れたのは、牛の頭部を持つ大男──すなわち、ミノタウロスだ。四メートルを超える巨躯で暴れまわる厄介なモンスターと聞いている。

 ミノタウロスはこちらを見咎めると、洞窟内に響き渡る大音声で咆哮した。


『ブォオオオオオッ!』


 スクリーンから飛び出してきそうな迫力だ。これが4DXの映画なら、いまごろ羊太郎たちの席はジェットコースターのごとく暴れ出したことだろう。


「ひっ」


 蜂ヶ谷の喉から小さな悲鳴が漏れる。羊太郎はそんな彼女の腕をペンでたたいた。


「ただの映像だぞ。そこまでビビるなよ」


 溜息をつく羊太郎を蜂ヶ谷が涙目で睨みつける。


「知ってますよ! でも、いつも見てるときより怖く感じたんですっ」

「はいはい。わかったよ」


 小声で叫ぶ蜂ヶ谷だが、羊太郎は頬杖をついたままうなずいて同意を示す。あしらわれた蜂ヶ谷は、眉根を寄せて羊太郎の足を蹴り始めた。


「このっ! このぉっ!」


 悔しそうにしながらも、声のボリュームは抑えている。

 その器用さに感心しつつも、羊太郎は蜂ヶ谷の攻撃を無視することにした。

 映像には臨場感があった。しかし、仰け反るほどだっただろうか。

 すでにミノタウロスは停止している。歯を剥いて両刃斧を振りかざすその姿は、羊太郎の目にも凄まじい。ただし、実際に対峙しているわけでもない羊太郎には、恐怖心を煽る造形をしているなと感想を抱く程度で済んでいた。

 ここまでのオーバーリアクションは蜂ヶ谷くらいだろう。

 そう結論付けて周囲を見渡すと、羊太郎は自身の認識が誤っていたことを自覚する。

 前方の席に座る女性は、内に湧いた怖気を吐き出すように肩を大きく上下させている。後方に陣取った大学生らしき男性は、すっかり青ざめた顔をこわばらせていた。他の受講者に目を向けるが、各々が心的ストレスに抗っている様がうかがえた。


 どうやら、平気だったのは羊太郎ひとりだけらしい。

 酷薄な雰囲気を作り上げた張本人はと言えば、にんまりと唇の端を吊り上げていた。


「性格わるっ」


 他人に聞かれぬように羊太郎はつぶやく。

 菱川は恐怖に染まった面々を前にして、気軽そうな明るい声音で呼びかける。


「みなさん、恐ろしい映像はここまでですよ! いやあ、怖がらせてしまったのなら申し訳ない。職務上、こうした恐ろしいモンスターがいるということを改めて伝えなければならないのでね!」


 嘘つけよ、と羊太郎は内心で毒づく。

 菱川は両の手のひらを合わせて謝罪するが、弓なりの双眸には明らかに嘉悦の光を宿している。そんな人間が頭を下げたところで、姑息なポーズでしかない。羊太郎はこの瞬間、菱川を嫌いな人種と認定する。

 嫌悪の視線に気づいてか、菱川の眼球は羊太郎を捉えていた。

 羊太郎がゴキブリを見るかのような表情になる。しかし、菱川はことさら嬉しそうに口角を吊り上げ、気味の悪い粘着質な笑みを含んだ。羊太郎は思わず視線を切る。

 羊太郎との応酬を終え、菱川は満足げな様子で講習室の光量を一段階上げた。


「さて、それでは講習に入るとしましょうか」


 菱川が仕切りなおすように柏手を打つ。

 その音は、どんよりと重い空気のなかを波紋が広がるように伝播していく。すると、受講者たちのこわばりが一斉に氷解していくのが感じられた。


「ダンジョンには、モンスターが現れます。モンスターは我々を攻撃してきますが、幸いなことに命を取られることはありません。これはみなさんご存知のとおり、ダンジョンはある女性の管理下にあることによっています」


 モンスターは、冒険者に襲い掛かるが、命を奪うことはしない。

 黎明期にはダンジョンの七不思議として語られたこの不文律は、いまや世界の常識として定着した。ほかにも、モンスターは魔石を核とする魔法生物であること、それらを討伐することで人々は強さを手に入れられることなど、まるでロールプレイングゲームのような、現実では有り得ないシステムがこの世界に受け入れられている。

 ダンジョンフィーバーを巻き起こした仕掛け人の存在を忘れてはならない。


『老若男女一切衆生森羅万象皆等しく集まれ~! みんなのダンジョン管理人、ノアちゃん様の登場だぞっ☆』


 異界に繋がる数々の扉を伴って現れた、ノア=アークスという名の不可思議な女だ。

 ノアは、世界のシステムを変容させたと言っていい。大量の資源を得られるダンジョンは、地球上のあらゆる国家を動かし、世界市場の需要を満たすことに成功した。

 結果として、彼女は地球の支配者のごとき権力を得ている。

 過去に一度、彼女の機嫌を損ねた大国があった。不遜にも、ダンジョンは太古から我が国に存在するのだから、その資源はすべて我が国のものであり、どこの馬の骨とも知れぬ女に指図される謂れはないと公式に宣言したのである。

 声明から一時間足らずで、大国にあったすべてのダンジョンゲートが姿を消した。

 その様子はストリーミングサイトで配信され、大国の指導者は国民から強く非難され、世界中から愚物と冷嘲された。

 世界中の国家が、一人の女に逆らえなくなった瞬間だった。

 他国がダンジョンからの利益を享受するなかで、自国だけ利益を大幅に削るリスクを背負うようなバカはどの国にもいない。

 世界にとって幸いだったのは、ノア=アークスが暴君でなかったことだろう。

 ある意味では暴君であるかもしれないが、物語に謳われるような邪知暴虐の王ではないことは確かである。


「さて、それではみなさんお待ちかねのスキルについてお話しましょう」


 受講者がもっとも心待ちにしていた情報だった。

 羊太郎も例外ではない。素知らぬ顔で教壇を見つめる羊太郎の脇腹に小さな衝撃があった。ほくそ笑む蜂ヶ谷は、どうやら羊太郎の微細な変化を嗅ぎ取られていたらしい。


「山城さん、興味津々ですね~!」

「お前だって同じだろうが。目ぇ輝かせちゃってさ。喫茶店でのいかにも無関心ですって表情はどうした?」


 羊太郎が冷笑で返すと、蜂ヶ谷は下唇を噛んで睨んでくる。


「乙女の表情を盗み見るとは……。法廷で会いたいってコト?」

「その言い方はやめろ。つかな、お前の場合は全身から期待が透けて見えんだよ。さっきから一挙手一投足が「次はまだかな、次はまだかな」ってうるさいくらいだ」


 さながら犬と猿のごとく、羊太郎と蜂ヶ谷がいがみ合う。

 講習室の各所でざわざわとが談笑の声が上がり始めると、再びの柏手が時を切り裂いた。


「はいはい、みなさんご静粛にお願いしますよ~」


 すっかりと黙りかえるなかで、なおも威嚇する蜂ヶ谷をテキトーにいなす。

 教壇に立つ菱川が、あきれたように肩をすくめながら「再開しますか」とつぶやきを漏らした。

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