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 少女はアオジの古い知り合いの娘で、親が遠方へ配達に行っている間に預かっている、ということになった。名はカナリア――本人に本当の名前を聞いても言いたがらなかったので、ツバメがアオジの鳥類図鑑の中から選んだ名だ。

 家で大人しくしているよう言ったが、カナリアは俺の仕事に付いてきた。何度言っても言うことをきかず、家に置いておくよりむしろ危険は少ないということになり、なし崩し的に同行させることになった。華奢な少女が一人増えたぐらいでは、コクピットが狭くなることも、ユニットの重量が増えることもなかった。仕事の役にも立たなかったが。

 彼女は、目に映るもの全てに興味を示す。空を飛ぶ鳥はもちろん、流れる雲や都市の廃墟、人々の暮らす村や砂嵐など、俺たちにとっては何でもない(時として迷惑でさえある)ものを、宝石でも見るような眼で見つめている。

「まるで初めて地球に来たみたいだな」あまりに何もかもに対し感動的な眼差しを向けているので、俺は茶化す気持ちを込めて言った。この時の彼女は、岩の隙間から生えた雑草を愛おしげに眺めていた。「〈楽園〉の中には何もないのか?」

 すると、カナリアは少しのあいだ考え込み、

「なくはない。けど、ここのように色々はない」

 人工的に作られたシェルターの中だ。植物も気候も、何から何まで統制されているのだろう。

「人間も?」

「人間も」彼女は頷いた。

 俺は煙草に火をつけ、どこまでも広がる赤茶けた大地を眺めながら煙を吸い込んだ。

 ここは〈楽園〉よりも魅力的な場所なのだろうか。

 そんなこと、今まで考えもしなかった。〈楽園〉はその名の通り幸福な場所で、そこに暮らす連中は間違いなく俺たちよりも幸福な生活を送っているはずだった。俺だけじゃなく、この荒野に生きる誰もがそう信じている。

「あそこには〈ほんとう〉がない」とカナリアは言っていた。「鳥が、自由に飛ぶことができない」とも。

 彼女の言葉は、わからないようでいてわかる気がする。どうして理解できるように思えるのかは説明できない。ただ、そういう気がする、ということだけだ。あるいは、彼女を初めとした〈楽園〉の住人と、俺たちのように外で暮らす人間のあいだでも、根っこにある、何が好きで何が嫌いかといった感情のようなものには、実は通じるものがあるのかもしれない。

 いや。

 そんなものは幻想だ。外に生きる人間同士だって、未だ日常的に殺し合いをしていたりするのだ。同じ何かを抱えているなどとは到底思えない。仮にそういうものが根っこにあったとしても、今の人間はそれが埋まっていることをすっかり忘れているだろうし、それを掘り起こす術も持っていない。地上を全て荒野に変えてしまったような生き物だ。それぐらいの愚かしさは当然だろう。

 視界の隅で、光が瞬いた。目を向けると、〈かれら〉の円盤が、日差しを受けて浮かんでいるのが見えた。

 最終的に地上がここまで荒れ果てた原因については、二つの意見がある。一つは、人間たちの抵抗する心を挫くために〈かれら〉がしたというもの。もう一つは、人間同士の争いの結果、だ。どちらを信じるかは、人によってまちまちだ。

 ほとんど信仰のようなものだとも言える。大昔のことで、記録も残っていないか、残っていても歪曲された形跡があるので、本当のところはもはや誰にもわからない。ちなみに俺はどちらかというと後者を支持しているが、実際のところはどちらでも構わない。どちらにしたって、慢性的に水に飢え、定期的に大きな砂嵐がやってきて、物取りが跋扈し、人買いが行われていることに変わりはない。おまけに、眠っている人間を異星人の元へ届けなくてもいけない。このどうしようもない現実をどうにかできるというのなら、俺はどんなに荒唐無稽な理由だろうと信じることができそうだ。

 小さな空咳が聞こえた。カナリアが、白い手を口元に当てていた。

「大丈夫か?」言いながら、ツバメの言葉が頭をよぎる。〈楽園〉の住人は、外では長く生きられない。

「喉が乾いただけ。空気が乾燥している」

 カナリアは帽子を目深に被り、肌の露出も最小限に抑えられている。荒野の人間とは明らかに異なる容姿を隠す目的もあるが、それ以上に、彼女を日差しから守る意図の方が強かった。照りつける日差しは、俺たちでこそ日焼けで済むが、明らかに肌の色の違う彼女にとっては、毒であることは間違いなさそうだった。

 おまけにこの空気だ。大昔の人間たちがシェルターに逃げ込むほどの毒で満たされている。俺たちには耐性があるといっても、平均寿命は昔のそれと比べて半減したといわれている。耐性を持たないカナリアにとっては――考えるまでもない。

「無理はするなよ」俺は彼女に言った。

「大丈夫」彼女は頷いた。

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