3−4
コゲラとのやり取りで取り戻しつつあった余裕が、家に近づくにつれ見る見る萎んでいくのがわかった。
これから待ち受けるのはある意味で、〈かれら〉以上の難関だった。
「絶対にダメ」
頭を鉄骨で殴られた――ような衝撃を味わった。
「一体なに考えてるの? 〈かれら〉を怒らせたいの?」
「事故なんだよ、これは。わざとじゃない」久しぶりに見るツバメの本気の怒りに気圧されながらも、俺は事の顛末を正直かつ詳細に話した。俺には何の落ち度もないことをいくらか強めにして。
「コンテナの封印はどうしたの?」台所の暗がりでもわかる蒼い顔で、ツバメが言った。
「補修材を駆使して直した」
「リストは? 荷物の個数が違うじゃない」
「配送情報を書き換えた」
ツバメは両手で顔を覆った。
「父さんが生きてたら何て言うか……」
「親父の教えに背いたのは本当に悪かったと思ってる。けど、あの子は人間なんだぜ? 起きて、動いて、喋ってる。それをモノとして箱に詰めて、わけのわからない異星人に渡せるか?」
「それは、そうだけど」ツバメは居間の方へ目を向けた。
引き戸の隙間から見える橙色の光りの中では、レインコート姿の〈元・荷物〉である金髪少女が、物珍しげに辺りを見回している。
「あの子、〈楽園〉の住人なんだよね?」
「まあ、そうだろうな」
「聞いたことがあるんだけど」と、ツバメはさらに声のトーンを落とした。「〈楽園〉の人間は、外の汚れた空気ではそう長くは生きられないんだって。持って半年、短いと数週間で病気になって死ぬって」
俺だってその話を知らないわけではない。外に生きる人間は汚染された空気に耐性を持っているが、〈楽園〉の浄化された空気で育った人間にはそれがない。彼らが頑なに俺たちクーリーをシェルター内に入れたがらない理由はそこにある。彼らからしたら、俺たちが生きる場所は、息もできないような不浄の地なのだ。
「〈かれら〉の元に行った方が、苦しまずに最期を迎えることができるかもしれないのに」ツバメは言った。
「そうは限らないだろ。少なくとも、彼女はそうじゃないと判断したんだ」
「もし発覚したら、村が焼かれるかもしれない」
「そうなる前に何とかするよ」
「何とかって?」
「まあ、色々……」つい、目を逸らしてしまう。
ツバメは大きく溜息をついた。
「親父が俺を拾ってきたのと同じだと思ってさ。そこも師匠譲りってことで」
「父さんを便利に使わないで」
彼女は俺に恨めしげな眼を向けてから、居間へ入っていった。俺も続く。小さな卓袱台を三人で囲む形となった。
「話は聞いたわ」ツバメが少女に言った。「あなたは〈楽園〉の中から来た」
「らくえん……?」少女がわからないといった様子で繰り返す。
「お前の元いた場所だよ」俺は助け船を差し向ける。「でっかい硝子で覆われた場所」
少女は納得したように頷いた。
「あなたは本当なら、ここにはいるはずじゃない。それはわかる?」
少女はツバメの言葉をゆっくり咀嚼するように間を置き、また頷いた。
「それでも、ここにいたい?」
少女は動かない。碧色の眼差しで、ツバメを見つめているだけだ。
居間に沈黙が降りてきた。
電圧の安定しない電灯が、二度ほど瞬いた。
「わたしは」と、少女が口を開いた。「〈ほんとう〉のある世界で生きていきたい」
「〈ほんとう〉?」俺は訊ねる。
少女は説明しようとして言葉を探すが、上手くいかないようだった。彼女の話し方から察するに、的確に説明する語彙を持っていないのだろう。
「〈ほんとう〉は〈ほんとう〉」それが、出てきた精一杯の答えだった。
「ここの生活は、あなたが思っているほどいいものじゃない」ツバメが静かに言った。「空気は悪いし、災いも多い。暴力に巻き込まれることだって少なくない。元いた場所で、送るべきだった人生を送る方が、よほど幸せになれると思うけど」
ツバメは何も意地悪でそう言っているのではない。俺も同感だ。実際のところ、この荒野ではいつ命を落としてもおかしくはない。嵐や地震はしょっちゅうだし、野盗の類いが何年かに一度は必ず村を襲いに来る。〈楽園〉がどんな場所なのかは具体的には知らないが、少なくともここよりはマシな場所ではないかと思えてならない。そんな場所からわざわざ出てくるのは酔狂の極みではないか。
〈楽園〉にいる連中というのは、やはり俺たちとは根本的に違うのだろう。硝子の中と外では、考え方も価値観も、全て異なっている。肌や目の色にしたってそうだ。同じなのは、鼻の穴が二つ空いていることぐらいだ。
ぐうぅ、と唸りのような音がした。
腹の虫のようだが俺ではない。ツバメでもなさそうだ。俺たちの視線は自然と、少女の方へ集まった。
彼女は肩を竦めて俯いた。初めてその顔に感情らしいものが浮かんでいるのを俺は見た。
横でツバメが小さく息をつくのが聞こえた。
「ご飯にしようか」彼女の声は、普段の柔らかさを取り戻していた。
頭上で電灯が、再び瞬いた。
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