4−1
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〈ほんとう〉のある世界、とわたしは呟く。
「〈ほんとう〉のある世界」と、岩の上の黒い鳥は繰り返す。
それは、何? わたしは問う。ここではないの?
「君はすでに気づいているはずだけど」
わたしは記憶を探る。思い当たる点は一つしかない。
あの夢だ。湖で、一人で月を見上げている、あの夢。
わたしは黒い鳥に問う。あの夢について知っているのか、と。
「君が知っているよりほんの少し詳しくはね」と、彼は言う。「けど残念ながら、僕の口からは何も言うことができないんだ」
どうして?
「そういう決まりだから。決まりを破るのは、君のためにも僕のためにもならない」
ではどうしてわたしの前に現れたの?
「僕には何も教えることはできないけど、君が自分で気づくための手助けはできるからさ」
手助け。
「全ては君自身の問題だよ」黒い鳥は言う。「君自身の頭で考え、君自身の力で答えを導き出す。そうすれば、必ず道は開かれる。僕はそれをほんのちょっと手伝うだけさ」
開かれるのがどんな道かも教えてはくれないの?
「そうだね」それから彼は少しのあいだ考え込み、「〈ほんとう〉のある世界に続いている、というのが精一杯の答えかな」
あなたは幻なの?
「君の考え方次第さ。君が僕を幻だと思うのなら、それで何の問題もない。今まで通りの生活に戻って、〈送り〉の時を待てばいい。けれど、僕を幻ではない何かだと感じるのであれば、君は別の世界への一歩を踏み出すことになる――そうだね、まずはここがスタートラインといったところかな」
喋る鳥なんて聞いたことがない。その言葉を信じろと?
「安心して。君がおかしくなったわけではないよ。おかしいというのなら、元々この場所がおかしいのだから」すると彼はクツクツと笑う。「これでは実際、誘っているようだね。僕は君をこの楽園から誘いだそうとしている。差し詰め、悪い〈蛇〉といったところかな」
〈蛇〉。
「言葉を扱う創作をしている君ならわかるよね?」
わかる。
聖書の一幕。〈最初の人類〉として楽園に生まれた男女が悪い蛇に唆され、禁忌とされていた果実を食べる。その途端、二人は自分たちが裸であることを恥と感じる。怒った神は、男を楽園から追放する。
わたしは――
わたしは今、禁忌の果実を食べようとしている。
「あるいは」と、〈蛇〉と名乗った黒い鳥が言う。「既に一口食べてしまったのかもしれない」
風が吹き抜ける。足下で、周囲で、さわさわと草木がざわめく。
「おっと。今日はこの辺で終わりにしておいた方がよさそうだ」
ここへ来れば、あなたに会える?
「君一人では、ここへは来られないよ。森に入ることすらできないだろう?」
でも、ここまで来た。
「僕が案内してきたからさ。そうでなければ、君は今頃、森に取り込まれている」
森に、取り込まれる。
「〈なかったこと〉にされるということさ。森はそのために張られた罠なんだ」
罠。
誰がそんなことを?
「それは追々、自分の力で気づいていくといいよ」
また、風が吹く。今度のはさっきより強い。
「さあ、この場所も絶対に安全とはいえない。盲点ではあるけれど、彼らの手の内まっただ中でもあるからね。早く出た方がいい」
彼ら?
それは――
視界の端が暗くなる。
闇は見る見る浸食し、わたしの意識を染め尽くす。
誰のこと?――
わたしは、真っ暗闇に包まれる。
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