エピローグ:今死ぬなんてもったいない
私は幸子に、一つ嘘をついた。
高校は留年したわけではない。一年遅れで入学したのだ。
私も一年前、死のうとした。幸子と同じ、あの場所で。
幸子と同じく、私も不登校だった。中学二年の頃、私は突然、過呼吸を引き起こした。原因は恐らくストレスだろうと言われた。ちょうど、初めて女の子を好きになった時期だった。それで色々と考えこんで、それがストレスとなって溜まっていたのだと思う。それ以降、私は度々、学校で過呼吸を引き起こすようになった。最初こそみんな心配してくれていたが、だんだんとウザがられるようになっていった。『またなの?』『わざとらしい』『かまってほしいだけでしょ』『無理して学校来るなよ』『迷惑』
心無い声が刺さり、それがまたストレスとなり、過呼吸を引き起こして、また心ない言葉をかけられる。そんな負のサイクルを繰り返し、やがて私は、学校に行けなくなった。高校受験をする余裕なんてなくて、そのまま卒業してニートになった。自暴自棄になり堕落した私を、父は厳しく叱った。私は反抗して、衝動のままに家を飛び出した。そして、死ぬために踏み切り内に入ろうとしたところを一人の男性に止められた。
彼は少年のような声で私にこう言った。『まだ若いのに、今死ぬなんてもったいない。急がなくたって死は必ずいつか向こうからやってくるんだから』と。
私は言い返した。
『いつか死ぬなら、死ぬ日を自分で決めたって良いでしょう。邪魔しないでください』と。
すると彼はおかしそうに笑った。そしてこう続けた。
『たしかにそれも一理ある。けど、やっぱり勿体無いし、どうせなら捨てる命なら、僕に少しだけ使わせてくれないか』と。
そして私は、彼に連れられて一件のバーへ向かった。
「君、いくつ?」
「……15です」
「高校生?」
「……不登校で、受験出来なくて……ニートです」
「ふぅん。中学は卒業してるんだね。ならちょうどいい。少し、アルバイトをしてみないか?」
「……アルバイト?まさか、このバーでですか?」
「そう」
「私、未成年なんですけど……」
「心配するな。未成年でも22時を超えなければ雇える。酒は作らせない。仕事内容はグラスを拭いたり、掃除をしたり、仕込みをしたり……まぁ、雑用だな。時給は……そうだな……千二百円かな。仕事は一日四時間程度。なかなか好条件だろ?シフトはそっちで決めてもらって構わない。入りたい日だけ入れば良い」
「……親の許可なくても、働けますか?」
「出来れば許可とって欲しいんだが。仲悪いのか?」
「……いえ。今日、たまたま喧嘩しただけで、決して不仲なわけではないです」
「なら話しておいで。名刺渡しておく。許可が取れたら連絡くれ。電話でも良いし、LINKでも良いから」
そうして私は親の許可を得て、彼の経営するバーで一日四時間、水木休みで週五日だけ働くことになった。
後から知ったが彼——
バーに来るお客さんは、ほとんどが常連で、その常連のほとんどがセクシャルマイノリティだった。
「あら海ちゃん。なに?この子。新人さん?」
「バイト」
犬猫カフェを経営している、トランス女性の
トランスジェンダーを含むセクシャルマイノリティのことは習ってはいたが、遠い存在だと思っていた。
「ちなみに僕はビアンだよ」
「ビアン?」
「レズビアンのこと。女性が恋愛対象の女性のこと」
「レズはよく聞きますけど、ビアンって略す人珍しいですね」
「レズは差別用語だから。まぁ、気にせず使う当事者も多いけどね。僕はあんまり使いたくない」
「初めて知りました……海さんも戸籍は男性なんですか?」
「いいや。戸籍は女性。性別適合手術が必要なほど自分の身体に違和感を覚えたことはないよ。君は同性愛者について勘違いしてるみたいだな。いいか?トランスジェンダーと同性愛者は別物だ。覚えておけ」
「……はい」
バーに来るお客さん達の話を聞いて、ようやく、私も自分がバイセクシャルであることに気づけた。
ちなみに、海さんはレズビアンだと言っていたが、結婚して二人の子供が居るらしい。『恋愛対象は女性だけど、夫は例外』だと語っていた。
そして、海さんも昔、自殺を考えたことがあったらしく、その時に彼女を助けた人が、なんと、私の伯父だった。『いつか死ぬなら、死ぬ日を自分で決めたって良いでしょう。邪魔しないでください』私がそう言った時に彼女がおかしそうに笑っていたのは、彼女も全く同じことを伯父に言ったからだったそうだ。そして、当時の彼女は、あの日の私達と全く同じやりとりをして、伯父の経営するバーで働き始めたらしい。
「なぁ、喜子。高校行きたいか?」
「……別に良いと言えば、嘘になります。けど……」
「一年遅れでも高校は入学出来るよ」
「えっ……」
「今はまだ5月だ。君は要領が良いから、要点だけを押さえて勉強すれば全然間に合う。うちのも受験生だから付きっきりではやれないが、喜子が頑張るなら、定休日の水曜日だけは勉強見てやるし、仕事を休んでも構わないよ」
「海さん……」
「どうする?」
「……受験、頑張ってみたいです」
「そうか。なら、僕も出来る限りのことはしよう」
翌日から私は、受験に向けて勉強を始めた。水曜日はバーで海さんが、木曜日は愛美さんのカフェが定休日らしく、愛美さんが勉強を教えてくれた。店の常連のお客さん達に応援されながら、約一年間、休まずに毎日猛勉強した。
蒼明高校が記念受験だったというのは本当だ。海さんに「受けてみるだけ受けてみたら?」と言われて、受験した。受かった時は親も驚いていた。自分でも驚いた。
そうして私は、一年遅れて県内一の名門校に入学したのだった。
そして5月に入ったある日、たまたま屋上に上がったら、幸子を見つけた。
死にたいと願う彼女が、あの日の私に重なって、どうしても放っておけなかった。だから、デートに誘った。生きる理由を与えるために。
一目惚れも、付き合ってほしいと言ったのも決して嘘ではないが、セックスしたいというのは半分冗談だ。気を引くためとはいえ、少々冗談が過ぎたかもしれないと反省している。あれではセクハラだと訴えられても仕方ない。
幸子にはばれていないと願いたいが、あの時私は気が動転していた。どうしても、引き止めたかった。例えそれがエゴだとしても。どうでも良いと突き放したのも全て嘘だ。あえて突き放していたのは賭けだった。彼女は本当は生きたいのだと、信じていたから賭けに出た。
震える手で「おはよう」と送信をする。すると既読がついて「おはよう」と返ってきたことにほっとする。「学校行ってくるね」「行ってらっしゃい」たったそれだけの他愛もないやりとりが、泣きそうなほど嬉しかった。生きていてよかった。生きていてくれて良かった。心からそう思った。
「好きだよ」そう送って、家を出る。電車に乗ってから再び確認すると「私はそう簡単に落ちませんよ」と返ってきていた。思わず笑ってしまう。
最初はただ、あの日の自分に重ねて、死んでほしくなかった。それだけだった。けれど、昨日彼女と一日デートをして、心に触れて、愛が芽生えた。
「土曜日、楽しみにしているよ。それまで死なないでね」と送る。すると「もう死ねません。あなたのせいで死ぬのが惜しくなった」と返ってきた。思わずフリーズしてしまう。
「そうか。私のせいか……」
顔が熱くなるのを感じて、もう一度「愛している」と送る。「私は愛してません」と返ってきてしまった。
「ふふ。……手強いな」
今日は火曜日。次のデートまでは今日を合わせてあと四日。さて、彼女が私の恋人になるまで、後何日かかるだろうか。彼女とのこれからが楽しみだ。
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