第3話:私の選択(後編)

「入場料は私が払おう」


「結構です。自分で払います」


 受け付けでチケットを購入しようと並ぶと、彼女は列から外れた。


「並ばないんですか?」


「私は年パス持ってるから」


「……通うほど好きなんだ……」


 受け付けでチケットを購入して、彼女と合流する。手を握らせないように、彼女側にある左手はポケットに仕舞い込む。


「手は出した方がいい。転んだら危ないよ」


「そう言って。どうせ手を握ろうとす——」


 狙ったようなタイミングで小石に躓いてしまう。すると彼女は咄嗟に腕を伸ばして私を支えてくれた。


「ほら。言わんこっちゃない」


「……ありがとうございます」


 恥ずかしくなり、素直にポケットから手を出して彼女の隣を歩く。平日だけあって、水族館の中は空いている。この水族館に来たことはあるが、こんなに人の居ない時間に来たのは初めてだ。


「幸子。見て。小さいイルカが居るよ」


「……本当だ」


 巨大な水槽に、イルカが数匹。喜子さんが指差す先には、小さなイルカがいた。自分より一回り以上大きなイルカに、必死について泳いでいる。あの大きなイルカは親だろうか。

 思わず、ほっこりしてしまう。

 ふと視線を感じて隣を見ると、彼女は水槽ではなく私をじっと見つめていた。


「な、何ですか」


「いや。やっぱり可愛いなと思って」


「……イルカがですか」


「いいや?君が」


「……顔だけでしょ。どうせ」


「うーん。まだ君のことはよくわからないが、性格も可愛いと思うよ。なんだかんだで私のこと好きなところとか」


「はぁ?何自惚れてんの?私、あなたのことなんて好きじゃありません」


「えっ!」


 大袈裟に、わざとらしく驚く仕草をする彼女。


「えっ!じゃないよ!好きになるわけないでしょう!初対面であんなこと言う人!」


「あんなこととは」


「私とセ……したい……って」


「セ?なに?」


「……」


「何?言ってごらん」


 ニヤニヤする彼女。やっぱり最低だ。この人。


「帰ります」


「おっと……少々冗談が過ぎたみたいだな。すまない」


「……次セクハラしたら帰りますから」


「ふふ。あっさり許してくれるんだ。やっぱり君、私に惚れてるんじゃないか?」


 そう言って彼女はくすくすと笑った。揶揄われているのに嫌な気はしなくて、それがなんだか悔しくて仕方なかった。本当に、なんなんだろうこの人は。調子が狂う。


「君は自分のことをクズだと言ったが、今のところ一切クズ要素が見当たらないな。むしろ、私みたいな変質者について来ちゃうくらい純粋で心配になる」


「変質者の自覚はあるんですね」


「まぁね。あぁ、そうそう。昨日は中身はどうでも良いと言ったが、撤回しよう。少し君に興味が出てきた。よければ教えてくれないか。何故君は自分が嫌いなんだい?」


「……言わなくて良いことを言って人を傷つけて、それで嫌われていることに気付かない痛い奴だからです」


「……ふむ。そうなのか」


「……私を肯定するのは両親だけです。けど、両親は私を否定しない。私の信者だから。……そのせいで、私は自分が正しいと過信してしまった」


「ふむふむ」


「……私なんて、死んだ方が良いんです。生きてたって意味無い」


「私は生きていてほしいよ」


「……顔が好みだからですか」


「それもあるが……話すうちに君の中身にも興味が湧いてきたからかな。君のことを知りたくなった。全てを知るには今日一日じゃ足りないだろう。だから生きてほしい」


「……なんですかそれ。口説いてんの?」


「ふふ。最初から口説く目的で君をデートに誘ったんだよ?今更何を言う」


「……」


「まぁ、無理強いするつもりはないよ。死にたい人に対して、生きろなんて、私はエゴだと思っているから。だから生きろとは言わないが……生きてほしい人間がここに居ることだけは頭に入れておいてくれたまえ」


 そう言って彼女は優しく微笑む。第一印象は最悪だったはずなのに、私の顔しか興味ないと、代わりは探せば良いと悪びれることなく言う人なのに——どうしてそんなにも、優しい顔をするのだろう。胸が詰まり、涙が溢れた。すると彼女はそっとハンカチを差し出してきた。本当に、わけがわからない人だ。


「……あなたって本当、わけわからない人ですね」


「わからないなら聞きたまえ。なんでも答えるよ」


「……じゃあ、身長は?」


「170」


「うわっ、デカっ……」


「私の知り合いの女性の娘は180超えているそうだ」


「え……と、歳はいくつですか?」


「私より一個下。学年的には私と同じだな」


「……嘘ですよね?」


「知人も高身長だよ。娘よりは低いが私より高い。175って言ってたかな。君の身長は?」


「……158です」


「ふむ。私と12㎝差か……ちょうどキスをしやす「しませんから」その気にな「りません」……むぅ」


「手強いなぁ」と彼女は楽しそうに笑う。本当に楽しそうだ。私みたいなのとデートをして、何がそんなに楽しいのだろう。


「ふふ。他に質問は?スリーサイズでもなんでも答えるよ」


「……喜子さんは、なんで水族館が好きなんですか?」


「おや。スリーサイズは聞かないのか?」


「いや、興味無いし」


「身長ときたから身体的な質問が続くと思ったんだが」


「いいから早く答えてください」


「上から——「スリーサイズはいいから!」


ごめんごめんと笑う彼女。ほんとに、もう。調子が狂って仕方ない。


「昔から、海洋生物が好きなんだ。特に好きなのはクラゲ。それから、深海魚」


「……クラゲは私も好きだけど、深海魚って気持ち悪——」


 言いかけて、慌てて口をつぐむ。すると彼女は「まぁ、確かに気持ち悪いのも多いよね」と、苦笑いした。


「……ごめんなさい。好きなものを気持ち悪いなんて言って」


「ん?気にしなくて良いよ。私が気持ち悪いって言われてるわけじゃないし、不気味なものが多いのも確かだ。けど、可愛いものもいるんだよ。例えばブロブフィッシュ。和名はニュウドウカジカ」


 渡された彼女のスマホに写っていたのは、イメージしていた可愛いとは程遠いブサイクな魚だった。しかし、確かになんだか愛嬌はある。


「可愛い……というか……ブサかわ……?」


「そう。ブサかわ」


「確かに可愛く……なくはないかも……」


「おぉ!分かってくれるか!いやぁ、友人は誰一人としてこいつの可愛さを分かってくれなくてね。あ、でもこの姿は水圧のせいで潰れちゃったからで、本来の姿はね——」


 ペラペラと早口で語り始める彼女。よっぽど好きらしい。歳の割には落ち着いていて大人びていると思っていたが、目を輝かせながら無邪気に語るその姿は子供っぽい。こんな顔もするんだなぁと、思わず見つめてしまうと、目が合い、微笑まれた。


「ん?何?私に見惚れ「てない」えー?」


 くすくすと、おかしそうに彼女は笑う。その悪戯っぽいけど優しい笑顔を見ると、なんだか変な気持ちになる。これはなんなのだろう。本当に、わけがわからない。自分がわからない。

 あれほど長かった時間が、彼女と居るとあっという間に過ぎていって、気付けばもう、夕方になっていた。


「最後にショップを見に行こう」


「……うん」


 。その言葉を聞いた瞬間、胸がちくりと傷んだ。気づかないふりをして、彼女の後を追う。


「あ、見てよほら。ニュウドウカジカのぬいぐるみ。私これ、全サイズ持ってるんだ」


「……本当に好きなんですね」


「ふふ。好きだよ。ぬいぐるみは家に置いていて、このストラップ付きのマスコットは通学カバンにつけてるんだ」


「……へぇ」


 学校での彼女はどんな感じなのだろう。やはり友達は多いのだろうか。

 モテると言っていたが、恋愛経験はあるのだろうか。これだけ口説き慣れていて、無いはずがない。

 心がモヤモヤする。


『恋は突然始まるものだよ』


 何故かこのタイミングで、昨日の喜子さんの言葉が蘇った。いやいや、それはちょっと、認めたくはない。認めたくはないが、私は今、この時間が終わることを恐れている。だって、今日が終わったら私は——。


『生きろとは言わないが……生きてほしい人間がここに居ることだけは頭に入れておいてくれたまえ』


 生きてほしい。そんなこと言ってくれる人なんて居ないと思っていた。昨日会ったばかりの人に言われるなんて思いもしなかった。しかも、身体目当てだと悪びれることなく堂々と言い放った最低な人に。そんな人に生きてほしいと言われて、嬉しかったなんて……本当に、わけがわからない。この人も、私自身も、わけが分からなくて、涙が止まらない。


「一旦外に出ようか」


 グッズ売り場で突然泣き出した私を、彼女は冷静に外に連れ出して、近くのベンチに座らせた。そしてハンカチだけ渡して、お茶を買いに走って行った。

 彼女に会うまで、死に対する恐怖は無くなっていた。なのに、昨日、彼女と少し話をしてから、死に対する恐怖が戻ってきてしまった。死にたくて仕方なかったのに、希望なんて何もなかったのに、彼女のせいで、希望を持ってしまった。

 こんな私でも生きていて良いのかもしれないと思ってしまった。


「幸子。はい、お茶。涙の分だけ補給したまえ」


「……ありがとうございます」


 お茶をちびちびと流し込む。昼食もそうだったけど、何かを美味しいと感じたのは久しぶりだ。ずっと、何を食べても味がしなかった。ただ、飢えを凌ぐためだけに食事をしていた。生きていればお腹が空くから、仕方なく食事をしていた。


「……今日はどうだった?楽しかったか?私と別れるのが名残惜しいと感じてたりはしないか?」


 彼女は優しい声で問う。今日、このまま別れれば、彼女とはもう二度と会えない。だって私は、明日死ぬから。マンションの屋上から飛び降りて、死ぬから。


「幸子」


 泣き噦る私の前に、彼女はスッとスマホを差し出した。そこに表示されていたのは、QRコード。


「今日話してみて、私はますます君が好きになったよ。顔だけじゃなくて、中身もね。君とのデート、楽しかった。だから一つお願いなんだが、週末、また会ってくれないだろうか」


「……一日だけとか言ったくせに」


「ふふ。これは私のわがままだ。聞く聞かないは君が選びたまえ。さぁ、どうする?明日死ぬか、もう少しだけ生きてみるか。私のおすすめは後者だ。そちらを選べば、もれなくおまけがついてくるよ」


「なんですか。おまけって」


「私と恋人になれる権利」


「……要らないです」


「ええ!?なんで!?」


「いや……だって……初対面の女に対して抱かせて欲しいとか言う変態ですし」


「では、友達になれる権利ならどうだ?これなら欲しくなるんじゃないか?」


「……はぁ……」


 差し出されたスマホに、自分のスマホをかざしてQRコードを読み込む。両親しかいなかった友達欄に、古市喜子という名前の怪しげな女が追加された。


「ふふ。登録してくれたということは、生きる選択をしたってことだね?」


「……ずるいですね。喜子さんは」


「お?なんだ?もしかして私に惚れ「てません」ふふ……そうか。私はもうとっくに、君に惚れているんだがね」


「身体目当てのくせに」


「確かに最初はそうだった。けど、中身を知って、ますます好きになった。君は自分をクズだと言ったが、私はそうではないと思う」


「……何も知らないくせに」


「うむ。私は知らないよ。君の過去なんて。私が惚れたのは、今の君だ。だから過去なんてどうでも良い。人は誰しも、過ちを犯す。だけど、それに気付いて悔いることが出来る人間は、クズではないと私は思うよ。人を傷つけて痛みを感じるのは、優しい証拠じゃないか?クズならきっと、痛みなんて感じない」


「っ……なんであなたはそんなに……」


「ふふ。もしかして私に惚れ「ません!」おっと、手強いなぁ……ふふ」


 くすくすと、彼女は優しく笑う。そして、こう続けた。


「私は君が好きだ。もっと君を知りたい。そしていずれは恋人になりたい。愛し合いたい。けどこれは、私のわがままだ。だから、聞く聞かないは君が決めると良い」


「……あなたのおすすめは?」


「私のおすすめは聞くまでもないだろう。自分で選択したまえ。心配しなくとも私はどこにもいかないよ。君に夢中になっている限りはね」


「他に好きな人が出来たらそっち行くってことですか」


「ふふ。嫌なら繋ぎ止めておけば良い」


「恋人になれと」


「何度も言うが、それは君が決めたまえ。私はなりたいがね。しかし、恋人になるならないは私の意思だけで決められることではないからね。さぁ、幸子はどうしたい?」


「……決められませんよ。一日デートしただけじゃ」


「ふむ。ではどうする?」


「……保留です。だから……答えが出るまでは私を好きでいてください」


「ほう?この私をキープするというのか」


「い、嫌な言い方しないでください!」


「ふふ。すまない。分かった。じゃあ、今は友達以上恋人未満ってことだな。恋人になりたいと思ってもらえるようにこれから頑張るよ」


「……せいぜい頑張ってください」


「あぁ。全力で頑張らせてもらおう。必ず、君を私に惚れさせてみせる。覚悟しておいてくれよ。幸子」


 こうして私は、この怪しげな女と友達になった。あれほど強かった自殺願望は、気付けばもうすっかり消えていた。

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