第2話:私の選択(前編)

 私は結局、その日は死ねずに、翌日を迎えた。起きたのは六時。約束の時間までは後三時間。


「おはよう。幸子」


「……おはよう」


 あいさつだけをかわして、それ以上の会話はなく食事を終え、部屋に引きこもる。

 意味もなくスマホをいじっているうちに、約束の九時が近づいてくる。


『あくまでも、これはお願いだ。聞くか聞かないかは君の好きにするといい』


 彼女の言葉が蘇る。同時に


『こんな勘違い女と付き合えないって。マジで。ストレスで死ぬわ』


『顔は好きだとか言ってたじゃん』


『顔な』


 私を侮辱する下品な笑い声が蘇る。

 喜子も結局、彼と同じだ。好きなのは、私の顔だけ。デートに誘ったのは、私を落とすため。私の性格なんてどうでも良いと、そう、はっきりと言っていた。なのに、どうして私はあの言葉に安心したのだろう。最低なことを言われたのに、どうして不快に思わなかったのだろう。傷付かなかったのだろう。

 それはきっと、彼女の雰囲気があまりにも優しかったからだろう。とにかく、不思議な人だった。彼女の本心を探りたい。彼女のことを知りたい。一瞬で、そう思わされてしまった。

 八時五十五分にセットしたアラームが部屋に響く。止めて、私は部屋を出た。


「幸子?どこか行くの?」


「散歩」


「そう。気をつけるのよ」


「うん」


 親と素っ気ないやり取りをして、着替えて、約束通り屋上へ行くと、彼女は居た。ばっちり化粧もして、髪もセットして、気合十分だった。

 対して、私はすっぴんで、服装も靴も適当だった。適当に選んだTシャツとジーパン。それからキャップ。そして、櫛で解いただけの伸ばしっぱなしの髪。自分で切ったガタガタの前髪。

 引きこもりとはいえ、時々散歩をすることはあった。しかし、自分の服装に気を使うことなんてなく、デート用の服なんて持ち合わせていなかった。元々、おしゃれに興味がなかったわけではない。むしろ好きだった。ファッション誌で、常にトレンドをチェックしていた。しかし、引きこもるようになってからはどうでも良くなっていた。


「来てくれたんだね。幸子」


 私を見ると、彼女はパッと顔を輝かせて、嬉しそうに笑った。昨日はちゃんと見ていなかったが、改めて見ると整った顔をしている。背も高くて、スタイルが良い。白いスキニーパンツが、脚の長さを際立たせている。ヒールのない靴を履いているというのに、私より頭ひとつ分背が高い。男装しているわけではないけれど、男装の麗人という言葉がよく似合いそうな人だ。声も低めで力強くて、カッコいい。女性からモテるというのも頷けてしまう。


「可愛いね」


「……お世辞はいりません」


「お世辞じゃないよ。可愛い。ふふ。さ、行こうか」


 そう言って彼女はスッと手を差し出した。取りかけて、ハッとして、払いのけて自分の手をポケットにしまう。


「おや。何故?」


「なんか、下心が見えたので」


「やだなぁ。下心なんてカケラしかないよ?」


「カケラでもあるにはかわりないでしょう」


「米粒くらいのカケラだよ?」


「絶対もっとデカイだろ。少なくとも拳くらいはあるだろ」


「信用無いなぁ」


「初対面の女にセ……スしたいなんて言うやつを信用しろなんて無理な話です」


「けど、君は来てくれたじゃないか。それって、私を信用してくれたからじゃないのかい?」


「違う。あなたの言うことも一理あると思ったから、一日くらいなら良いと思って」


「ふふ。家に連れ込んで酷いことするかもしれないよ?」


「犯罪者にはなりたくないんでしょう?」


「ふふ。ほら、やっぱり私のこと信用してくれてるじゃないか」


「……はぁ。もう死のうかな」


「好きにするといい」


「……私のことが好きなのに、止めないんだ」


「言っただろう。私は君の顔に惚れた。中身はどうでも良いし、君がいなくなったところで、代わりを探すだけだ。一目惚れはしたが、まだ愛してはいないんだよ」


「ほんと最低……」


「ふふふ。どうする?帰るか?それとも死ぬか?私的には、前者はともかく、後者はおすすめしないよ。私のおすすめの選択肢は三つ目。[目の前にいる怪しげな女とデートをする]だ」


 ニコニコしながら彼女は言う。本当に不思議な人だ。話していると調子が狂ってしまう。


「はぁ……デートって、どこ行くんですか?」


「お。三つ目の選択肢を選ぶのかい?」


「元からそのつもりで来たんで」


「ふふふ。ありがとう。嬉しいよ」


「はいはい。で?行き先は?」


「女同士のデートと言えば決まっているだろう。水族館だ」


「……初耳なんだけど」


「水族館デート回がいる百合は名作っていう法則があるんだよ。知らない?」


「ユリって何。花?」


「女性同士の深い関係を表すジャンルのことだよ。恋愛だけに限らず、友愛も含まれる。百合作品において、水族館デートは定番なんだ」


「……ふーん」


「……せっかくのデートなんだから手を繋がないか?」


「……さっき拒否しましたよね」


「なかなかに身持ちが硬いな。ふふ。落としがいがある」


「絶対落ちないから」


「いつまでそう言ってられるか見ものだな。ふふ」


 こうして、私はこの優しそうだけど怪しげな女と水族館へ向かったのだった。

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