第40話 温泉にて

 マイルズから乗合馬車で東へ一日半移動すると、テセリオという街がある。

 フィリス王国初代国王が統治するまで、この地は荒れに荒れていた。

 理由は、迷宮という世界に今なお存在する悪しき遺物のせいである。



 テセリオの迷宮は、今では迷宮探索の実地試験場兼初心者用の迷宮となっているが、昔は凶暴なモンスターがひしめき合い、迷宮から溢れ出ては人間の生活圏を侵していた。

 多くの人材とお金をつぎ込み、モンスターを徐々に駆逐していき人間が住める環境に変化させていく。



 テセリオの地域をここまでして手に入れたかったのは、ひとえに迷宮を管理下に置き、世界から全ての迷宮を消すための足掛かりとするためだ。

 ──現在、研究は全くと言っていいほど進んでいないが。



「ふぅ」



 深夜。

 俺は肩までどっぷりと温泉につかっていた。

 マリサが『お肌がツルツルになります!』と興奮していたので、試しに肌に指を這わせる。



 あまり大して変わっていないような?

 周囲に人はおらず、俺だけが湯を堪能していた。

 ここは女湯で俺が男とバレるわけにはいかないから、入口の清掃中の立て札と教会関係者の警備で誰も入れないようにしている。



 俺だけが独占しているのは気が引けるものの、こればっかりは他の客には我慢してもらうしかない。



「スタークにマリサ。初心者用の迷宮だから、俺たちは死にはしないだろうが……大丈夫か?」



 誰に聞かれるわけでもないので口調が戻り、急な参戦となった二人の少年少女について考える。

 スタークは剣を使い、マリサは弓を用いる。

 前衛三人、後衛二人と形だけは一時的に組んだシンシーたちと同じだ。



 実力は正直、天と地ほどの差がある。

 パーティーのバランスを考えると、悪いとは言えない。

 彼らの実力でどれくらい俺たちについてこられるか。



 不安要素はあるが、アルが自分で補うと言っているから信じよう。

 俺としては、今回の試験は不合格になっても構わないと思っている。

 元より、俺がギルド員をしているのは神託によるもの。

 ギルド員さえやっていれば、試験の合否は二の次だ。



「とはいっても、試験は合格したいよな。小銭を稼いで自由にできるお金を増やしてぇ」



 お金を稼いであれを買おうこれを買おうと想像していた時、出入り口から声が聞こえたような気がした。

 しかし、監視がいるはずだから、脱衣所には誰も入れない……はず。



 気のせいか。

 湯に肩までつかり、ふぅっと息を吐く。



「────なんですよ」

「ん?」



 今度はハッキリと聞こえた。

 監視の人間は許可なく脱衣所に誰かを入れない。

 同じ関係者のアルやエレンでも、同様に俺の指示を聞くようになっている。

 もしかして、何か問題が起きたのか?



「そうなのか」

「はい、是非来てください! …………クーデリアさん!」

「ぶっ⁉ はぁっ⁉」



 慌てて立ち上がりそうになるのをグッと堪え、扉の先の音を拾うべく耳を傾けた。

 気のせいであってほしいが、きっと気のせいではないだろう。



「ここの温泉は体の芯から心まで温まる。何度でも入浴したくなるな」

「私はこれで四回目ですよ」

「多すぎると言いたいところだが、気持ちはわかるぞ」

「………………何回も入る意味あるのかよ」



 思わず突っ込んでしまい、どう動くべきか頭を抱えた。

 湯けむりで視界が悪いとはいえ、近くまで来たら姿が見えてしまう。

 俺とバレるだけならまだ誤魔化せる。



 男だとバレたら…………。

 温泉の奥には人一人隠れられるほどの大きさの岩があり、隠れるとすればそこしかない。

 ガラリと後ろで扉が開く音が聞こえた。

 ──迷っている時間はない!



「頼むから、岩の近くには来るなよ……」



 ピチャピチャと水を踏む音が複数耳に入った。

 情報は、知る人間が多くいるほど拡散されやすくなる。

 あの教皇なら、暗殺も視野に入れるだろうから、俺の性別について知られるわけにはいかない。



 手元にあるのは、大事な部分を隠せるタオルが一枚。

 胸元までギリ届く程度か。

 ……心許ねぇ。



 話し声から、入ってきたのはエレン、クーデリア、マリサにあと一人。

 声は聞き覚えがあるような気がする。

 ここからでは聞き取りづらいせいか、いまいち思い出せない。



「気持ちいですね、エレンさん」

「……うん」

「リーナも来れば良かったのだがな」

「……アルと話があるって言ってたから仕方ない」



 そうだ、エレンに伝えたあと、時間を見計らって俺も入浴したいと思って来たのに。



「あのお二人、仲が良いですよね。……もしかして!」

「……ないない」

「リーナの理想の男性像を知らないから何とも言えないが、アルバートではないだろう」



「……理想は私」

「私は男性の理想像について話しているのだが?」

「アルバートさんはたくましいですけど……」

「……あれはたくましいを通り越したゴリラ」



 哀れ、アル。

 聞いていれば、今日は枕を涙で濡らしていただろう。

 自分のいない間にボロクソな評価を受ける幼馴染に合掌し、脱出手段を考える。



 温泉は男女を柵だけで分けているように見せて、魔法的な防御もきちんとしていた。

 今の俺ではとても突破できないし、仮にできたとしても警報が鳴り響き、彼女たちにバレてしまう。



「ナディアちゃんは好きな子はいるのかな?」

「見た目は童のようでも、お前さんたちよりも年上なのじゃぞ」

「……は?」



 誰かわからなかったもう一人。

 マリサが発した名前に特徴的な話し方が加わって、何者かわかってしまい声が漏れてしまった。



「むっ」

「どうしました、クーデリアさん?」

「今、声が聞こえたような気がしたのだがな。聞こえなかったか?」



「私は何も」

「……聞こえなかった」

「ワシも聞こえなかったのう。ホホホッ!」



 最後、妙に上擦った声。

 この場面を作り上げたバカが誰なのかわかった。

 ふざけやがって、あのババア!



 どういうつもりだ。

 そもそも、何であいつらとババアが一緒なんだ?



「うーん? 私の気のせいか」

「そうじゃ、そうじゃ。ングング、ブハーッ!」

「……その容姿でお酒を飲んでると、犯罪臭がする」

「ワシの容姿なぞ、飾りじゃぞ。あと、ワシの国で酒は赤子から飲める。……それよりも、恋バナじゃ恋バナじゃ。若人の恋バナは肌によく効く」



 恋バナにそんな効能があってたまるか。

 それに、テメェは恋バナする年じゃねぇだろ。



 俺が取るべき行動は最早、彼女たちがいなくなるまで耐え忍ぶしかない。

 持ってくれ、俺の体。



「エレンちゃんは教会出身なんですよね。出会いとかあるんですか?」

「……ある」



 あるのかっ⁉

 岩から身を乗り出しそうになり、エレンの発言を聞き逃さないよう耳を傾ける。

 い、一体誰だ?



 ラーナ大教会に所属する人間は、腹の底はともかく、皆、敬虔な(?)信者である。

 収入も申し分なく、結婚となれば条件としてはいい。



「そうなんですか‼ どんな方ですか?」

「……私がいたラーナ大教会で男の人は、ほとんどが騎士。あとは、司教以上の人。私はそういうの得意じゃないから避けてるけど、他の修道女は隠れて色々やってる」



「い、いいのか。教会の人間がそんなこと言って」

「修道女と騎士の恋物語……言いですねぇ」

「いつの時代になっても、ヤッてることは変わらないのう」



 騎士と修道女は恋人関係が多く、司教以上は愛人関係が多い。

 世界最大の宗教だろうと、爛れているところは爛れているのである。

 エレンの話ではなく、周囲の修道女の話だったためか安心した。



「クーデリアさんはフィリス王国の騎士ですよね。そういう話はありますか?」

「ない。……と言いたいところだが、あるにはある。王宮勤めだと、メイドと仲良くしているところを見たことがあるな」



「クーデリアさん、とってもキレイだから色々話が来たりしてるんじゃないんですか?」

「いや、私は騎士よりも何故かメイドから色々とな。どうしてだろうか? ああ、そういえば──」



 な、なげぇ…………!

 話がこれでもかと飛び交い、話題も二転三転、四転五転し続けており終わりが一向に見えない。

 長く湯に入っているせいで、視界がぐわんぐわんと揺れているように感じる。



 明らかに脱水症の兆候だ。

 こんなところで気を失って水死体で発見されれば、いい笑い者である。



「それにしても、クーデリアさんの大きいですね」



 纏まらなかった思考が一瞬で冴え渡り、全神経を耳に集中させる。



「私はもう少し小さくてもよかったのだがな。剣を振るには向いていない。それに、私よりもマリサのほうが大きいだろう」

「……マリサ、脱いだらもっと大きい。ズルい、わけて」

「ちょっと、揉まないでください。キャッ!」



 …………マジか。

 初めて会った時から大きいと思っていたが、キャストオフ状態だともっとすごいと?

 くそ、これほど自分の体が恨めしいと思うことがあろうとは……!

 女であればこれでもかと堪能できたであろう光景を想像し、奥歯を嚙み締める。



「……私は、小さい」

「ええ? そんなことないですよ」



 いやいやマリサ、エレンは胸なしだ。

 それはもう、真っ平らだ。



「……むぅ」

「どうした、エレン?」

「……今、誰か私の胸を貶めた。…………ような気がする」



 お前の感覚はどうなってるんだよ。

 と、突っ込みたい衝動をグッと押さえ込む。



「全く、若い連中はどうして胸ばかり見るのじゃ。女子は尻じゃ、尻」



 黙ってろエロ親父、さっさと出やがれ。



「そろそろ上がりましょうか」



 マリサから神の御言葉が零れ落ち、失いかけていた生気が戻ってくるのを感じる。

 頼む、そのまま上がってくれ!



「そんなに入っておらんじゃろ。ワシはもう少し入っておるぞ」



 いや、帰れや。



「それじゃあね、ナディアちゃん」

「……バイバイ」

「ワシを童のように扱うなと言っておるのに」



 複数の足音が遠ざかっていく。

 会話の様子からして、おそらくババア以外が出て行ったのだろう。

 十分ほどたっぷりと待ち、ゆっくりと岩の陰から出た。



「ふーむ。女子としてお主を見ると……自信を失いそうになるのう」



 舐めるような視線が全身を這うのを感じ取り、隠すのも馬鹿らしく、大きく溜息を吐いた。



「一体、何しに来たんだ」

「決まっておろう。湯治じゃよ」



 さも当然だと言わんばかりに湯に浸かり、酒をビンごと勢いよく呷っている。



「湯治だけなのか?」

「ずいぶんと疑うな。そんなにおかしいかのう?」

「散々俺に思わせぶりなことを言っておいて、ただ湯治に来ましたなんて通じるかよ」

「それもそうか。じゃが、ワシのことは気にせず迷宮探索を楽しむといい」



 できるわけがない……が、完全に温泉と酒を楽しんでいる姿を見て、警戒するこっちが馬鹿らしく感じた。



「俺は出るぞ」

「お構いなくなのじゃ。見張りをしていた連中は眠らせただけだから、心配する必要はないぞ」

「心配するだろ。あいつら、見張りの役目を全うできなかったんだから、クビになるぞ」



 見張りのレベルが低いのか、ババアのレベルが高すぎるのか。

 ……後者だろうな。

 今後、こういう時はアルに頼むとしよう。



「ところで、聞きたいことがある」

「何じゃ。未来を知りたかったら、駄賃は貰うぞ?」

「そんなものはどうでもいい」

「む?」



 俺は努めて真剣な表情で、ババアに問うた。



「クーデリアとナディアのおっぱいはどうだった?」

「…………ワシが言うのもなんじゃが、お前さんが聖女で良いのかのう」



 うるせぇ。

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