第30話 騒ぎ

「……リーナ、寝不足?」



 朝日が昇り、強い日差しが降り注いで目を細めている中、教会のシスターで現付き人のエレン・バーネットが心配そうに俺を見詰めていた。

 夜中にババアの来襲に加えてロイドへ報告、ババアの言葉に惑わされてうんうん唸って寝つけなくなり、睡眠薬も効かず睡眠不足である。



 依然として包帯は取れず、軋む体を引きずりながら《銀亭》に向かう。

 幼馴染の聖堂騎士団騎士、アルバート・シェルフェもまたエレンと同様に不安げな表情で横目にそっとうかがっていた。



 アルは邪教徒との邂逅が原因と考えているのだろう。

 エレンに至っては、夜中の出来事を話していない。

 あまり心配をかけたくはないからな。



 未だケガが治らないのにギルド《天の杯》に向かっているのは、単に暇つぶしである。

 この街、マイルズはあくまで女神アイラスからの神託で教会から派遣されているだけで、俺たち三人には縁もゆかりもない土地だ。



 最初は観光するだけで楽しかったが、もう見るべき場所がなくなってしまえば、あとは飲んだくれるか書物を読むか。

 王都みたいに、常に新しいものが流入し、新鮮さを楽しめるなら観光で何日も暇を潰せたかもしれない。



 だから、《天の杯》で酒でも飲み、だべるだけで一日を過ごす。

 そんな生活も悪くない、むしろ望むところと言いたいが、一人、柳眉を逆立てる者がいた。



「まさか、また一日中酒場で飲み食いするわけではないだろうな?」



 教会関係者である俺たちとは違い、ラーナ大教会枢機卿ユリウス・テラーの推薦で仲間入りしたフィリス王国騎士、クーデリア・フォン・プリムヴェールが《天の杯》の入口に立っている。

 始めは俺に対して依頼者である貴族の娘(もちろん偽物だが)ということで、敬語だったが、今では砕けた口調になっていた。



「見てください、クーデリア。どう見ても、戦える状態ではありません。ですよね、アル?」

「グッ、イタタタタッ! じ、持病の腹痛が!」



「お前、昨日は腰痛と言っていたな。一昨日は確か、頭痛だったか。いくつ持病を抱えているのだ? 明日は心臓か?」

「……アルはもう、余命が残り少ない。好きに生きてもいいと思う。というわけで、今日も酒場」



 三者三様の茶番に、クーデリアは呆れ果てて声も出ない様子。



「どちらにしても、私はあと六、七日は傷を癒さなければなりません。護衛であるあなたは、私を置いて依頼を受けるわけにはいきませんよね?」

「そ、それは、そうだが……」



 クーデリアとしては、少しでも多く依頼を受けたいという気持ちと、護衛対象である俺を護らなければならない葛藤がある。

 後者は、護衛という仕事上、当たり前の話だ。



 しかし、前者は彼女の家に起因がある。

 プリムヴェール家は現在没落しかけており、多数から借金をしていて財政は火の車。

 騎士の給金だけでは難しいらしく、依頼で得る報酬は喉から手が出るほど欲している。



 魔人を倒した一件で得た報酬はかなりの額だったが、すべて借金返済に回したらしく、彼女の生活環境は俺が出した金で飲み食いをして、一等宿に宿泊している。

 ……考えたら、もしかしてクーデリアはヒモなのでは?

 口には出さないでおこう、これは彼女の名誉に関わる。



「しっかりと英気を養うために、じゃんじゃん飲みましょう!」

「また、そんな無駄遣いを。いいですか、お金というのは──」

「始まった。魔人と戦って以来、何か関係変わったよな、あいつら。どう思うよ、エレン」

「……むぅ」



 アルが何か言ったのか、エレンに装備で覆われていない部分を的確に蹴られて悶絶していた。

 何をやっているのかと扉を開けた時、



「ッ!」



 アルとクーデリアが俊敏な動きで俺の前に立ち、《天の杯》の奥から飛んできた何かから守った。

 俺も気づいていたが、ケガで咄嗟の動きは難しかったため助かった。

 床に落ちて、ガチャリと割れる。



 飛んできたのは皿だった。

 二人の間から《天の杯》を見ると、何やらひと悶着あった感じ。

 俺たちの登場に、おそらく騒ぎの元であろうパーティーの内の一人が謝ってきた。



「す、すみません!」



 これでもかと大きく背を折る姿に見覚えがあった。



「まるで、クーデリアが見せた謝罪みたいですね」

「わ、忘れてくれ」



 年齢は俺と同じぐらいか。

 側頭部で亜麻色の髪を一つに纏めて垂らした、いわゆるサイドテールが印象的な少女だった。

 優しい顔立ちが今にも泣きそうな表情で歪んてしまい、守ってあげたいと庇護欲が駆られる。



 何よりも目を引くのは、豊かな双丘が服を押し上げて溢れんばかりに自己主張していた。

 俺も男だ、思わずおぉと唸りそうになる。



「…………」

「イタッ!」



 俺の後ろにいたエレンが、脛を蹴ってきた。

 また骨が剥離しかけるからやめてほしい。



「どういう状況になったら、皿が飛んでくるのですか?」



 誰に問うたわけでもないが、《天の杯》の酒場で飲んだくれているギルド員が一斉にとある場所に視線を送った。

 送られた主は、バツが悪そうに顔を伏せている。



 入って早々、俺たちに謝罪した少女の隣にいる少年だった。

 彼の近くには倒れたテーブルにイス、料理が散乱している。

 状況証拠から見れば、少年が勢いよく倒して皿が入口まで飛んできたということか。



 少年は受付があるカウンターにいる。

 入口とは反対の位置にあるのに、よくここまで飛ばしたな。

 補助魔法でも使ったのか?

 そんな感想を抱いている時、



「と、とにかく、俺は早く迷宮に行きたいんだ! 許可を出せよ!」

「できません、規則ですので。あなた方はまだ試験が完了していません」

「──クソッ!」



 いくら武器を持っているギルド員が脅しても、受付を担当する人間は規則を盾に動かない。

 少年よりもっと強面で実力のあるギルド員と毎日接客しているのだから、少年が机を倒した『パフォーマンス』を披露したところで意に介さない。



 むしろ、ギルドにとって要注意人物と認識されて自分の立場を悪化させるだけだ。

 自らの旗色が悪くなったことに気づいたか、少年はカウンターから踵を返す。



「あっ! 待ってよ、スーちゃん!」



 スーちゃんと呼ばれた少年は、怒りに任せてズカズカと入口に近づく。

 俺たちの横を通り過ぎようとしたところで、アルが少年の肩を掴んだ。



「待てよ、スーちゃんよぉ? お前、言わなきゃいけないことあんだろ、あぁん?」



 何だ、そのチンピラみたいな因縁のつけ方は。

 少年が言い返そうとしたが、アルの装備を見て目を見開いている。

 街にいる時は、めんどくさがってあまり装備を『展開』しないアルだが、俺を守るために兜以外の装備を『展開』していた。



 魔植人エントルとの戦いで壊れかけてガラクタ同然になった鎧とは違い、アルの装備はもっと上等な物になっている。

 間違いなく、マイルズでも一、二を争うであろう一級品だ。



 少年の心は、実力差がわかる程度には冷静だったようで、しかしそれでも拗ねたように唇を尖らせた。



「ま、マリサが謝ったんだ、もういいだろう」

「連れが謝ったから何だ、やったのはお前だろ? 関係ねぇだろぉ? 違うかぁ? おぉん?」



 歴戦の戦士からの圧力に屈しそうになる少年、マリサという少女は止めたくてもアルが怖いのかオロオロするばかりである。

 ……はあ、仕方ない。



「アル、その辺で。私は気にしていませんから」

「……けどよ」

「私の護衛が失礼しました」



 本来、謝るべき立場にある少年だったが、俺が謝ったことでいたたまれなくなったのか、ソワソワし出した。

 根っから、悪い奴というわけでもなさそうだな。



 若気の至りというヤツか、その場から帰した二人は一方が振り返らず、もう一方が五秒ごとに振り返っては頭を下げる徹底ぶり。



「お前も丸くなったな。昔だったら、ああいうクソガキはボコボコにしてたろ」

「あなたと一緒にしないでください」



 静寂だった酒場には元の喧騒が戻り、散らかった床も店員がキレイにした。



「何だったのでしょうね、彼らは」

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