聖女、迷宮に向かう
第29話 疑念
『まずは、お前にケガがないようで何よりだ。まさか、配下がこうもあっさりとやられるとはな』
同日深夜。
『識の聖女』が帰ったあと、俺はすぐに《銀亭》に戻り、アルを叩き起こして、ロイドと水晶を通して通信をおこなっていた。
クーデリアはまたも騎士団に呼び出されていたため、この建物にはいない。
『邪教徒はお前に接触して、何を得たかったのだろうな』
「……どうでしょうね」
『識の聖女』に関して、俺はロイドどころか仲間であるアルたちにも邪教徒として伝えていた。
理由は、『識の聖女』との会話にある。
「聖痕ではなく、刺青という線が残っていますね」
「疑り深いのう。なら、直に触れてみよ。同じ聖女同士、聖痕とわかるじゃろう」
聖痕は、この世に生まれた時から持っている者や、俺のようにある日突然いきなり浮かび上がる者がいる。
見た目は、刺青と変わりない。
ただし、彼女の言う通り、聖痕を持つ者同士であれば、魔力とは違う異質な力を感じ取ることができる。
ローブを手で裂いて自ら晒した太ももは、シミ一つない白魚のように透き通った肌だ。
ついさっきまで、老婆だったとは思えない。
魔法によるものか、あるいは別の力か。
聖痕に触れ、自身の聖痕と同じものを感じ取る。
間違いない、これは聖痕……つまり、彼女は『識の聖女』かはさておき、聖女であることがわかった。
同じ時代に、聖痕を持つ者が多数存在することは間々ある。
俺と先代聖女がそうだった。
「どうじゃ、女子の肌は? 中々なものじゃろう?」
「オッサンみたいなことを言わないでください。確かに、本物のようですね」
太ももから手を離し、元いた場所へ戻る。
「うむ。理解したのなら良いぞ。ワシのことは、ナディアちゃんでも、ナーちゃんでも好きに呼ぶことを許可しよう」
「では、ババアで」
「殴るぞッ!」
好きに呼べと言ったじゃないか……。
人間にとって、うん百歳はどう繕うとババアだろう。
とはいえ、見た目は完全に幼女で、ババアには見えない。
「それで、本当に何が目的なんですか?」
「目的は今のアイラス教を滅ぼすことじゃな」
聞きたかったのは、俺に接触した目的である。
これから散歩に出かけるとでも言うような軽いノリで、とんでもないことを口にした。
「滅ぼす? 穏やかじゃないですね。聖女でありながら、邪教徒みたいなことを言うのですか」
「邪教徒とは人聞きの悪いことを。悪魔信者ではないぞ。ワシらは、アイラス教を信奉しておる。ただ、ちょっーと教派が違うだけじゃよ」
「何故、私に接触したのですか? メリットがあるように思えません」
「お前さんはワシらと一緒で、今のアイラス教を快く思っておらんじゃろ」
「勝手に私の心情を想像しないでください。どんなに良い組織に所属していても、文句はあるものです」
「先代を殺されたのに、か?」
「……何を、言っているのですか?」
聞き捨てならないことがババアの口から出てきて、彼女の言葉が心に深く突き刺さる。
適当に流してこの場を切り抜ける方法だけを考えればいい、そう思っても、目の前の人物の次の言葉を待っていた。
「先代が死んだ理由は知っておるのか?」
「……《聖伐》で、戦ったモンスターと相打ちになったと」
「現教皇から聞かされたのじゃろう」
言葉を遮られ、全てを知っているかのように振る舞われる。
彼女が『識の聖女』ならば、過去視、未来視も思うまま。
あらゆる出来事を知っていてもおかしくはない。
「教皇猊下が嘘をついているとでも言いたいのですか?」
「嘘はついておらん。『死んだ事実』だけ伝えて、背景は何も語らない。結果だけ言えば、噓も何もないからの。《聖伐》でわざと騎士の動員数を減らし、意図的に先代に負担を大きくしたのじゃ」
目を閉じて、当時の情景を思い返す。
ロイドから死んだという事実を聞かせれ、立ち尽くす俺とアル、泣き崩れるエレンが真っ先に浮かんだ。
ロイドは言った、俺が新たな聖女だと……。
彼女が望んでいる、それが──彼女の遺言だと。
「殺されたというのが事実だとすれば、何故そのようなことを。先代は……『剣の聖女』を殺す必要はないはず」
「あったのじゃよ。『剣の聖女』は、お主を聖女にさせたくはなかった。自身の手で聖女の運命を断ち切るために、のう」
俺を聖女にしたくなかった?
そんなこと、『剣の聖女』は何一つ言わなかった。
彼女はそういう人間だ、常に笑顔を絶やさず、つらいことも悲しいことも隠し事も何もかも全て心の奥底に沈める人だった。
「というわけで、今日はこれでお開きじゃ」
「は?」
気になることを言うだけ言って、そのまま帰ろうとするババア。
「ちょ、ちょっと待ってください! 魔人については? 私を聖女にさせないためとはどういう意味ですか! それに、聖女の運命って……!」
「それも全て、お前さんが『聖痕解放』ができるようになってからじゃな。今のお主に話したところで、無意味に死なすだけじゃ。ワシが姿を現したのは、お前さんは一人ではない、仲間がいるということを伝えるためじゃ」
ローブを翻し、俺に背を向ける。
このババア、マジで帰る気だ。
力づくで聞き出すことは……無理だ。
建物の影にはババアの仲間がいるし、何より背を向けているはずのババアにスキが見当たらない。
《英霊召喚の儀》も、今の体ではとても耐えられない。
──まさか、俺が無力な時を狙って?
「ワシのことは好きに話すとよい。『識の聖女』だということも、今のアイラス教を滅ぼそうとしていることも。邪教徒だったと言って、誤魔化すこともな。ではのー」
ババアの姿が忽然と消えた。
遅れて、影から殺気を飛ばしていた連中の気配もなくなる。
地面に膝をつき、肩で大きく息をする。
これほど自分の体が緊張していることに気づかなかった。
倒れている隠密部隊の脈を確認する。
……息はある、ババアは気絶するだけに留めたようだ。
三百年以上前の聖女と名乗る人物の出現に、突然語られた先代の死亡原因。
混乱しそうになる頭を落ち着かせるため、一つずつ起きた出来事を細分化する。
俺がすべきことは──。
「そういえばアルは、邪教徒に接触されている間、寝てたみたいですね」
「……面目ねぇな。お前に責められても仕方ねぇと思っている。敵の気配なんてまるで気づかなかった」
『お前の感覚を誤認させるほどの手練れがいたということだろう。お前たちを教会に帰還させるわけにもいかん。今は護衛の数を増やすとしよう』
「帰還させるわけにもいかない、ということは、まだ神託は達せられていないのですか」
『うむ』
女神アイラスから下る神託は、教皇猊下が睡眠中に夢を通すことが多い。
神託が達せられれば、終わりも告げられる。
魔人を倒せば教会に帰れると楽観視していたが、どうやら甘い考えだったようだ。
「報告はこれで終わりです」
『わかった。完治するまでくれぐれも安静にせよ。お前は無茶をするからな』
心配そうな口調で言って、向こうから通信を切った。
あの顔には、演技なんて入っていないように思える。
魑魅魍魎の教会内部で教皇の立場に立ち続けている男の腹芸を見極められるほど、俺の観察眼が優れているとは言い難いが。
「本当に、何もなかったんだよな」
アルが確認するように聞いてくる。
俺が何かを隠していることがわかったのか、幼馴染で長い時間を共にしていたからだろうか。
努めて冷静に声音を変えず返した。
「何も。お茶会に誘うようなノリでしたよ」
「ケッ。邪教徒は相変わらずわけわかんねぇな」
悪いな、アル。
何もわからない状態で、『剣の聖女』について……お前の姉の死について教えられない。
全てわかった時は、きっと……。
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