第16話 薬を盛ろう
シンシーが早馬を受け取りに行き、アルとファルトは鎧に付与魔法を施すため、ファルトの知り合いの元へ向かった。
俺たちはというと、携帯食料やランプの油など、必要なものを購入している。
道具屋にはギルドから連絡がいっていたので、お金を支払うだけで終わった。
クーデリアは荷物を厩舎に届けるたね、一時的に俺たちから離れる。
俺は、エレンと一緒に《銀亭》の部屋にいた。
別に、サボっているわけではない。
エレンに睡眠薬を盛り、《銀亭》に置いていく計画を実行に移すためだ。
睡眠薬を盛るのは、やりすぎなように思えるかもしれない。
だがこうでもしないと、エレンは意地でも俺から手を離さない。
教会でも、俺が危険な戦いに赴く時は、手を握って行かせまいとしていた。
以前、俺が何も告げなかった際、俺の料理に赤い粉末が大量に入れられてしまった。
「エレン、もう放してほしいのだけど」
「…………」
何も言わず、ギュッと身を寄せる。
用意していた紅茶が、すっかり冷めてしまった。
目の前のテーブルに紅茶道具一式があるせいで、薬を盛る隙がない。
俺は身を捩り、紅茶を入れ直してエレンにそっと渡す。
外で何か大きな音が鳴り、エレンの意識が外に向くのを感じて、とっさに睡眠薬を入れた。
無味無臭のこの薬は、教会ご禁制のもので、調合は教会の開発部がおこなっている。
俺もたまに使用する優れモノで、飲めば耳元で騒がれようと起きることはない。
ティーカップを手に持つエレンはふぅと息を吐き、
「……必ず、帰ってきてくれる? そんな保証、できないでしょ。だから、行かないで」
不安げに瞳が揺れている。
俺は、絶対という言葉をあまり使わない。
適当に相手の話に合わせたり、冗談交じりに言うことはある。
だが、本気で言ったことはない。
その言葉を使って、帰ってこなかった者がいたから──。
「……私、もっと強かったらいいのに……」
俺は何も答えず、入れ直した紅茶を飲んでソーサーに戻す。
エレンはまだ、口にしていない。
飲まないままティーカップを戻すのを見て、早く飲めよと急かしそうになるのをグッとこらえる。
「大丈夫よ、私はちゃんと帰ってくるから。また冷めてしまうから、飲んで?」
そういえば、エレンがこうしてやけに俺にくっつくようになったのは、いつからだったか。
子供のころは、アルと俺が先頭を歩き、エレンが後ろをついてくるのが当たり前だった。
エレンは『俺の』ティーカップを手に取り、喉を潤した。
……俺は、反応しないように必死に顔を繕う。
「それは、私のよ? あなたのは、こっち」
指で差しても何のその、エレンは完全に無視してティーカップを手放さない。
「……間接キス。リーナは私のを飲んで」
エレンは、勝ち誇った笑みを浮かべる。
この手(睡眠薬)を使うのは初めてのはずなのに……どこでバレたんだ?
「そっちじゃないわ。返しなさい」
ティーカップの中身をこぼさずにエレンの手首を掴み、一瞬の緩みを見逃さずに奪い取る。
すかさず、睡眠薬入りの紅茶をエレンに飲ませようと口元に持っていく。
当然抵抗してきて、ティーカップをひっくり返そうと暴れてきた。
どこで気づいたか知らないが、組み付けばこっちのものだ!
「……やめて」
感情が籠っていない声だが、抵抗は本物で、気を抜こうものなら、中身がこぼれて台無しになってしまう。
「ほら、これを飲むの……よ、いいから飲みなさいっ!」
ティーカップを叩き落とそうと、じたばたもがくエレン。
はたから見れば、エレンが手籠めに遭っているように見えるかもしれない。
とはいえ、部屋から出てくるのが遅かろうと、断りもなく開けようとする者は誰もいない。
そう、この犯行現場を見る者は誰もいないのだ!
事が終わり次第、俺がエレンから怒られるだけだ。
「……二人がいなくなるのは嫌。いなくなってほしくない」
「別に、死にに行くわけじゃありませんよ。調査ですよ、調査」
「……二年前も同じこと言って、大怪我して帰ってきた」
エレンが言う二年前とは、体の半分が火傷を負い、まともに動けないまま教会に帰還した時だ。
あれは、調査だけで終わるはずだったのに、逸った邪教徒から奇襲を受けたせいだ。
エレンは俺の状態を見て、回復魔法を習得しようと決心したことは覚えている。
片手でエレンの両手を押さえつけ、馬乗りの形になってがっちり固めた。
普段、感情が表に出ないのに、こんな時だけ、泣き顔になるのはやめてほしい。
悪いことをしているのは、わかってるけどね?
「ちゃんと送り出してくれれば、飲ませませんから。ね?」
「……いや。私がついてきた意味がない」
お前は俺の世話役として来てるだろうが、とは口にしなかった。
頑なに拒むエレンに、俺は覚悟を決め、ティーカップをエレンの口に──
「おい、おせぇぞ。いつまで待たせるんだよ」
「ノックもせずに入るのは無礼だぞ、アルバート! 申し訳ありません。休憩にしては長すぎますが、何かありましたか? ……ああ、リーナ。これは、どういう状況ですか?」
開かないはずの扉が開いてしまった。
驚いて扉を見ると、ノックもしない犯人はアホのアルのようだ。
クーデリアは止めようとしていたのか、腕を伸ばした状態で静止していた。
俺が弁明する前に、
「……お、犯されるー」
「ち、違います。誤解です!」
慌てて、エレンの上から体を退ける。
「無理やり、それも女性同士で……。リーナにそういう趣味があったのですか」
顔を赤らめつつ、蔑みの色が含まれている視線がとても痛い。
褒められたことではない。
それはわかるが、話を聞いてほしい!
俺は、経緯を詳しく説明する。
「どう聞いても、お前が悪いじゃねぇか」
「それでも、睡眠薬はやりすぎでしょう」
当然の如く、二人が正論を吐き、正座する俺のハートを傷つけた。
睡眠薬については、俺が使用していることは言わなかった。
おかげで、良からぬことを企んでいないかと、クーデリアに勘繰られ、余計に怒られている。
「説教はそこらへんにしておけ。あいつらを待たせている」
あいつら……忘れていた。
それなりに待たせているから、謝っておかないといけないな。
エレンは俺の隣で、自ら入れた紅茶をこれ見よがしに優雅に飲んでいた。
腹立たしいことこの上ないが、悪いのは……まあ、俺である。
この程度の挑発、受け流せないでどうする。
「そうですね。行きましょうか、リーナ」
「私は悪くありません」
「まだいいますか!」
「……リーナ」
また俺の手を掴み、立ち止まらせる。
アルもクーデリアも、何も言わずに俺を見た。
……俺に何とかしろ、と。
だから、手っ取り早く睡眠薬を盛ろうとしたのに。
穏便にここから出ることは叶わないか。
どうしようか、考えていた時。
「……いってらっしゃい」
行かないで、ではなく、いってらっしゃい。
見送る言葉を掛けられ、目を瞬かせる。
「……駄々こねても、みんなあの手この手で私をここに置いていくのはわかってる。だから、ちゃんと帰ってきて。私、その間にもっと強くなっておくから」
「──必ず、生きて帰ってきますよ」
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