第9話 動く死体

 グール。

 淀んだ魔力によって汚染された死体。

 たった一つの欲求……食欲を満たすために、見境なく生きる者を喰らう。



 アイラス教は死体を火葬ではなく、土葬するのが一般的だ。

 たとえ、アンデットが生まれる要因になったとしても。



 アンデットを滅するべしなんて教義のくせに土葬するのは、アイラス教の初代聖女だったラーナが死者を完全に復活させる《リザレクション》という魔法を行使した記録があるためだ。



 火葬して肉体が喪失すれば、復活させることはできない。

 彼女の神の御業を信奉の一つになるのは、当然と言えた。

 ……という表の理由と、アンデットに効く聖水の販売元は教会なので、バンバン売り捌くためという理由も。



 グールの基本的な攻撃方法は噛みつきで、移動速度は鈍重と言っていい。

 そう、遅いはずなのだ。



「あいつら何で走ってんだよ!」



 腐敗していない真新しい死体でも、グールが走ることはない。

 見れば、フォームこそ美しくないが、見事に走っていた。

 新種という可能性もなくはないが。



 アルが悪態をつく。

 振り返ながら、クーデリアも一緒に炎弾の魔法ファイアボールを放つ。

 グールの一部が弾けた。

 痛みを感じず、恐怖を抱くこともないモンスターは、その程度で止まらない。



「私の知るグールより、耐久力が高いな。上位魔法の《インフェルノ》を使うしかない」

「で、どれくらい時間がかかるんだ?」

「……約三分」



「なげぇよ!」

「それは、あなたもでしょう。アル」



 純粋な魔法使いではない騎士に、詠唱の短縮・破棄はそもそも必要のない技術。

 上位魔法を覚えているだけでも上等と言える。

 エレンは攻撃魔法が得意ではない。



 代わりに俺たちにかけている筋力・耐久力・敏捷力を上げる《フィジカル・ブースト》のような補助魔法が得意だ。

 アルが俺に近づき、耳打ちしてきた。



「(俺とクーデリアで時間を稼ぐから、エレンを連れて逃げろ)」

「(……そんなことをするぐらいなら、『私の魔法』を使うわ)」



 俺の魔法は、教会で禁忌に指定されている。

 教会から許可もないのに、使用するのは許されない。



「(あれは…………ダメだ)」

「(一対一であなたに勝てるモンスターは、そう多くはありません。が、どれほどの強者でも、一対多では袋叩きに合うだけです。敵の数は約百、私とエレンが無事でも、あなたたちはそうはいかないでしょう。それなら、私が戦ったほうが生き残れます)」



 アルはぐうの音も出ない様子。

 走り続ければ、街に逃げられるかもしれない。

 だがほっといて街の中にアンデットが入り込んだ場合、街に被害が出るのは必定。

 遮蔽になるものがあれば、やりようはいくらでもあったのだが……。



「クーデリア、あなたは走りながら《インフェルノ》の詠唱は可能ですか?」

「え……可能ですが、先ほども言いましたが三分は掛かります」

「……はぁ……はぁ…………。どうするの?」



 息も絶え絶えのエレンが不安げに俺を見つめる。

 かなりの時間を走っているから、エレンの体力がもう持たないかもしれない。

 教会への言い訳は後で考えよう。



「このままでは、近いうちに追いつかれます。クーデリアは詠唱を。私が合図するので、その時に魔法を放ってください! アルは私と足止めをしますよ。エレンは後方で待機です」



 魔法の源である精神エネルギー、魔力を魂の奥底から汲み上げる。



「『──祖は安息の地にて人々の記憶に生きる者』」

「‼ 魔法の詠唱? リーナ、あなたは……」

「クーデリア! そんなのは後でいいから、詠唱を早くしろ!」



 聖女という存在は、腹立たしいことに誰にでもなれるわけではない。

 神に愛されている証、聖痕が体のどこかに現れること。

 《祝福の儀式》を受け、神から授けられた魔法を行使できる者、この二つがあって初めて聖女になれる。



 俺は魔力があっても、魔法の才能は全くなかった。

 だが《祝福の儀式》のおかげで、たった一つの魔法がもたらされた。

 本来は、三百人の魔法使いと、儀式に適合する生贄の命を持って発動する禁忌の魔法。



 多数の制限があるものの、たった一人で行使するに至った俺だけの魔法。

 足元を中心に広がっていた魔法陣が、平面から立方体へと転換する。

 最後の詠唱一節を唱えようとした瞬間──



「《ダイヤモンドダスト》ッッ‼」



 どこからか、少女の鋭い声が飛ぶ。

 俺たちを追いかけていたグールの集団周辺だけに、『雪』が降っていた。

 今の季節で雪が降るはずがない。



 これは、魔法による作用だ。

 《ダイヤモンドダスト》。

 一定領域に雪を降らせ、たった一つでも触れれば体を凍らせ、あらゆる生物を氷像にする凶悪な魔法だ。



 俺の魔法ではないし、クーデリアが使おうとしていた《インフェルノ》とは対極に位置する。

 雪に触れたグールは、次々と氷像に変わる。

 誰も、叫び声一つあげない。



 例外なく全てのグールは、疑似生命活動を停止した。

 一体誰が?

 辺りを見渡すと、二人の男女が俺たちに近づいてきた。



 男は、夜に溶け込むほどの漆黒色のフルプレートアーマーを着用している。

 一見何の変哲もない鎧に見えるが、かなりの力を感じる。

 この感覚、覚えがある……オリハルコン製か?



 女は、男の鎧の色と合わせるように黒のローブを着用し、グールを倒したからかドヤ顔を決めている。



「みなさん、大丈夫ですか? 咄嗟に僕の仲間に魔法を唱えてもらったのですが……」



 男が丁寧な言葉で話しかけてくる。

 首辺りの隙間から、チラリと認識票が見えた。

 あれは、世界で数少ないオリハルコンの認識票。

 どうやら俺たちを助けたのは、ギルドの最高戦力のようだ。

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