3. part of your world

「悲しいお知らせがあります」

 朝のホームルーム、担任が開口一番そんな事を言った。

「冬杜雫さんが事故で亡くられたそうです。屋上から落ちてしまったようです。非常に悲しいですし、今後このようなことが無いように……」

 びっくりした。意味が分からなかった。

 死んだ?あいつが?事故?

 だってあいつは……昨日も……それに……言ってたじゃんか……私は泡になって消えたりしないって……。

 目の前が真っ暗になって、その後の記憶はない。ただ、家にはなんとか帰ってたみたいだ。


「知らなかったけど、昨日でこの屋上が使えなくなってから一年経ってたみたいね」

 恋の口からそんな言葉が出てきて、背筋が冷たくなった。

「……そうなんだ」

「去年は学校にいたりいなかったりしたから、あんまり何があったとか知らないのよね。学祭も半分くらいサボったし」

 話が早々にそれてくれて安心した。

「サボって何やってたのさ」

「んー?まあ、色々よ」

「はあ?」

 私は訊き返したが、恋は答えないだろうとも踏んでいた。わざわざ聞き出すほど趣味も悪くない。

「ところで、結唯は知ってるの?」

「何が?」

「なんでこの屋上が使えなくなったか」

 私は持っていた水筒を思わず取り落しそうになった。

「え?」

「いや、だからなんでここが使えなくなったかって……大丈夫?すごい顔色してるけど」

「あ、ああ……うん、大丈夫」

 動揺しちゃ駄目だ。恋は、私がこの屋上を使えなくなった理由を知ってるか聞いただけだ。それが私にとってどれだけ大きなことかなんて恋が知るはず無い。それに、屋上が閉鎖された理由がそんな重大なものだとも思わない。普通のことだ。普通じゃないのは私の方だ。

「えっ……と、なんだっけ」

「ああ、いや、屋上の話だったんだけど。ほら、私、教師どもと仲悪いじゃん?それに、学校の噂とかも興味ないし。だから、気がついたら屋上が使えなくなってて驚いたのよね」

「そ、う、なんだ……私も、知らないなあ。突然言われたから。なんでも、屋上で悪さした人がいたらしいよ」

 私は嘘をついた。恋も、そこまで重大な意味で聞いたはずじゃないはずだ。だから、ここで嘘をついても、誰も困らないはずだ。だから……。

「結唯?ほんとに大丈夫?」

「っあ……うん、大丈夫、だから。ごめん、もう行くね」

「うん……じゃあね」

「じゃあ……」

 恋を心配させたくない。それは、私が望んでいたことじゃない。これは、私がやりたかったことじゃない。これは、違う。

「私がやりたかったこと……?」

 なに、それ。


 結局学校はサボった。

 居たくなかった。もう、何をしてもあの子のことを思い出しそうで。そして、そんな自分が嫌で。

 何もかもが嫌になって、すべて消えてしまえばいいと思った。私とあの子の思い出がぜんぶ。でも、そんなのは認めない。あの子の存在を否定したくない。あの子がこの世界から消えてしまったなんて、そんなことは、絶対に認めたくなかった。

 すでに夜になっていて、私は家に帰ることもなくフラフラと街を歩いていた。

 誰とも会いたくないし、誰とも話したくなかった。人とのつながりが邪魔だった。

 でも、私のささやかな願いすら、叶うことはないみたいだ。

「あれ?結唯ちゃんじゃん。何やってるの、こんなとこで」

 突然後ろから声をかけられて、私は驚きながら振り返った。

「……夕夏さん」

 福万来夕夏。私の母親の今の交際相手の連れ子。

「もしかして夜遊び?ちゃんとお母さんに連絡してるの?」

 あんたみたいな派手な格好した人に言われたくない。

「別に、関係ないじゃないですか」

「関係ないとはまたその通りな」

 やられた!みたいな顔をして笑っている。何故笑えるのか。私はこの人が苦手だった。

「まあまあ、確かに私は結唯ちゃんとは何の関係もないけどさ、心配くらいさせてよね。それに、結唯ちゃんは私と違って夜中にふら~っと出歩くタイプにも見えないし。何かあったのかなって心配になるじゃん?」

「はあ……」

 ならないが。

 他人のくせに、私のことをやたらと気に入っていて、やたらと突っかかってくる。どう接すればいいのかわからない。そんな相手だった。

 今も、私に対して、若い子は多少の不行をやるべきだとか、親は心配させとけだとか、私と大して歳も変わらないくせに、なんだか偉そうなことを延々とまくし立てている。普段から話すのも嫌だが、今日はいつにもまして鬱陶しい。

「ね、結唯ちゃん」

 急に真面目なトーンで話しかけてきた。

「なんですか」

「結唯ちゃんが今みたいに荒れちゃってるのは、ちょうど一年くらい前かららしいね」

「……そうみたいですね」

「めっちゃ他人事じゃん。ウケる」

「それがなんですか?」

「……いやさあ、ホントは本人からこういうのって聞くべきなんだけど。結唯ちゃんの友達が死んじゃったのが一年前なんでしょ?」

「………………………………………………………………………………………………………」

「ホントごめん!でも、結唯ちゃんのママがうちの父親に話してんの聞いちゃって。だから、私も私なりに考えてみたんだ。確かに一番の親友がいなくなっちゃったら、私もすごい寂しいよ。それがしかも永遠の別れなら、なおさら苦しいし。そんでもって、そういうのって簡単に乗り越えられるものでもないしね」

「…………………………」

「私だって似たようなことあったから、全部とは言わないけど、結唯ちゃんの気持ちもちょっとなら分かる。それを乗り越えるのがどれだけ大変なことかもね。だから……」

「……いんだよ…………」

「え?」

 私は

「うるさいんだよ……」

 お前と

「人の気持ちもわからないくせにうるさいんだよ!!!!!!!!!!!」

 違う!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 その瞬間だった。

 私が叫ぶと同時に、夕夏の身体がどんどん泡になっていった。

「は……?」

 私が状況を理解する前に、夕夏は泡となって消えた。

「え……」

 今起きたことが理解できず、何が起きたかを把握するには、何分かの時間が必要だった。

「消えた……?な、なんで……どうやって……」

 口ではそう言っていても、自分では分かっていた。

 これをやったのが、自分だということに。

「は……何……なんなのよ……」

 私がどうやってやったのか。それはなぜかわからないけど、どうやったのかは分かった。

 もう一度。試してみようと思った。

 地面に向けて、掌を伸ばして、念じる。

 地面の一部が抉られたように泡になった。

「で……できた……」

 私は二回目ができたことで、自分が何をやったのかをようやく理解し始めた。

 そして、その事実の重さに、恐怖が押し寄せてきた。

「私が消した……人を……?殺した……?」

 身体が震える。私は人を殺してしまった?だとしたら、私は許されないことをしてしまった。

 自分がやってしまったことに対して、一気に吐き気が押し寄せる。

 しかし、同時に頭の片隅には、あんな奴、消えてしまってよかったんだと叫ぶ自分がいた。

 それが単なる正当化でしかないと知りながらも、私はそれを否定することはできなかった。

 少なくとも、今の私は、後悔する以上に喜んでしまっているから。

 流れている涙が、どんな感情から流れているのか、分からない。

 その場にへたり込む。小石が足に刺さって痛い。

 痛いと思う余裕はあるんだ。そう思った。


 人殺しの事実に耐えかね実質茫然自失になった私は行く宛もなく歩きまわり、辿り着いた先は見知った学校だった。

 その中で何が起こったかも知らず、素知らぬ顔でそこに居続ける、私と雫の思い出。

 我ながら、ここに行くのはセンスがあると思う。なんのセンスかなんて知らないが。

「……そうだ」

 あることを思いついた。とても良いことを。

 私は夜間にも関わらず開きっぱなしの校門を通り抜けると、そのまま玄関ドアを泡にして中に入る。

 思えば便利な力だ、と思う。こんな形で気づかなければ。

 一年生の教室、二年生の教室、三年生の教室を通り過ぎて、施錠されているものの簡単に開けることができる屋上に辿り着いた。

「うん……決めた。消しちゃおっか。ここ」

 もちろん、私と一緒に。

 もうこの世界にいるのも嫌になった。あの子もいない。それに人も消してしまった。私は、きっとゆるされない。

 だから、ここで。

 私の思い出と一緒に。

 消え──────

「結唯!」

 刹那、聞き覚えのある声が響く。

 何回も何十回も何百回も聞いてきた声。だけど、知らない叫び声。

「恋……?」

「やっぱり……ここにいたのね」

 恋は今走ってきたといった様子で、肩で息をしている。深緑の右目と、エメラルドの左目が、私を見ていた。

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