2. she went to from me

「もう一年だって。笑えちゃうよね。私にとっては今も今日のことなのに。あんたが全部持っていったままだよ。みんな変わってるのに、私だけずっと変わってない気分。今日進路希望調査書いたかって恋に言われたの。まさか恋に言われるとは思わなかったけど。でも、それ以上聞いてこなかった辺りあの子らしいけど。ねえ、あんただったらどう書いてたの?人魚姫?それとも王子様?でも、あんたは人魚姫が嫌いだって言ってたもんね。それとも、あんたも私が知らないだけで、なにか将来の夢があったわけ?……ねえ、雫。教えてよ」

 返事はない。当然のことだが。

「私だってさ、あんたのとこに行きたいよ。でも、私は……やっぱりなんでもない。こんなこと言ったらあんたに怒られるもんね。でも、あんたは身勝手だよ。私のことめちゃくちゃにした癖に、最期までめちゃくちゃにしてくれて。こんなことだったら、私……」

 続く言葉はたくさん浮かんでくるけれど、言うべき言葉は一つも分からなかった。

「……話したいことたくさんあるのに、全然声にならないや」

 私はろうそくの火を消して、墓石の前から立ち上がった。

「じゃあ、また来るから。いつになるかは分からないけど」

 冬杜家のなんだかと書かれた墓石をあとにして、私は家へと帰ることにした。


「今日はいつにもまして暗い顔してるわね」

「そうかな」

「なんかあったの?言いたくないならそれでいいけど」

「じゃあ言わない」

「じゃあ聞かない」

 と言って本当に聞いてこないのが恋のいいところだ。非常にありがたい。

「にしても、今日はジメッとしてるわね。低気圧かしら?」

 空を見ると、灰色の雲で覆われ、薄暗い天気だった。雨こそ降り出していないが、今すぐにでも崩れておかしくない空模様だ。

「あ、行かないと」

 ふと思い出した。

「どうしたの?」

「いや、面談あるの忘れてた」

 担任との面談。要するに、もう高3なんだから志望校くらい決めろという話である。

「ああ。進路希望調査は出したの?」

「まだ」

 多分、私はこれも聞かれるだろう。

 めんどくささが勝ってはいるが、しかしすっぽかしてより面倒にするほど面倒を背負う方でもない。

「じゃあ」

「はいはい」

 恋と別れて職員室にやってきた私は、担任と向かい合って座っていた。職員室なので、周りには他の教師もいる。少し嫌だった。

「美苑さん、まだ進路希望調査書が未提出だったね」

「はい」

「なんでかな?そろそろ志望校を決めるかしないと、身動きが取れなくなるよ。進学するなら早いほうがいい。時間は無限にあるわけじゃないんだ。それに、どうするにしても、美苑さんが決めないと、僕も何も手助けできないよ」

 手助けなんかいらない。

「そうですね、私としても行ってみたいところはいくつかあるんですが、行けるかどうか分かりませんし、母に負担もかけたくないので」

「うーん。その気持ちは分かるけど、美苑さんの実力なら奨学金も狙えると思う。今は不真面目みたいだけど、やればできるのは知ってるからね」

 やればできるなんて、簡単に言わないで。

「それも昔の話ですよ。とにかく、進路希望調査はすぐ出せるようにしますから」

「まあ、早い方がありがたいけど、別に無理に出すこともないから。それより、少し聞いてもいいかな」

「……なんですか?」

 やめろと誰かに言われている気がした。でも、私と担任の他に、こちらに注意を払っている人はいない。進路相談なんて、ここでは珍しくもなんともない。

「美苑さんが今のようになってしまったのは、やっぱり一年前のことがきっかけなのか?」

「……はい?」

 聞かなかったことにしろ。職員室のどこかから、そんなふざけた調子の声が聞こえてきた。

「僕だって彼女の担任だった。だから気持ちはわかる。でも、もういなくなってしまった人のことを気にしすぎても、どうしようもないじゃないか?それに、忘れろってわけじゃない。むしろ、いつもどおり、前を向いていくことが、彼女のためじゃないかな」

「────」

「美苑さん?」

「勝手なこと言うなよ……」

「え?」

「すみません、具合悪くなったので早退します」

 私はさっさと立ち上がって職員室をあとにした。私を呼ぶ声が聞こえていたような気もしたが、無視した。

 外に出ると、雨が降り出していた。傘は、当然持っていない。

「めんどくさ……」

 濡れるのは気にしないことにした。

 今の時間に家に帰っても当然誰もいない。母はまだ仕事中だ。

 ビショビショの靴下を手に持って脱衣所に向かう。後で水滴を拭いておかないと。

 制服は夏服だから普段に比べればまだ替えがきく。洗濯機に放り投げて風呂場に入った。

 冷えた身体にお湯が染み込む。生きていることを実感する。

 身体を洗いながら、さっき担任に言われたことが頭の中で反響する。

 ──彼女のためじゃないかな

「うるさいッ!!!!!」

 無意識の内に叫んでいた。担任の声が邪魔だった。

「勝手に決めるな……お前は何もしてないくせに……」

 私はそういうのが精一杯だった。勝手に動いた手が、壁にぶつかり痛みを発していた。

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