Shea

水野匡

1. memory of mermaid

 あいつは人魚姫が好きだった。

 私は読んだことも見たこともないのに、延々と自分の思い描く理想の人魚姫について話してくるような、そんな奴。たまにいる、人の話なんて聞く気が微塵もない奴。

 でもそれで良かった。あの子が話しかけてくれていれば、私はそこにいられる気がしたから。

 だから私はあの子が好きだった。相手のことなんて気にしない、自分勝手な癖に、寂しがりやなあの子が。

 だから考えもしなかった。

 あの子が私の前からいなくなるなんてことは。


「ねえ、結唯ゆい。結唯は魚が陸に上がるべきだと思う?」

 目を覚ました私は、嫌な汗がじっとりと身体を覆っていることを認識した。

「嫌な夢……」

 私は誰に向かってでもなく呟いた。

 季節は梅雨を過ぎ既に夏本番で、蒸し暑さがまだ残る頃。エアコンの無い私の部屋は、扇風機を全力で回しても起きる頃には汗まみれで、シャワーを浴びないと辛い。

 最も、近頃汗まみれなのは暑さだけが原因じゃないけど。

 さっきまで見ていた夢のことは、思い出さないようにした。

 シャワーを終えて、風呂場から出たら、母は既に起きていて、朝食は既に出来上がっていた。

「おはよ~」

「おはよう」

 母と二人暮らしだから、食卓には二人分の料理が並んでいる。とはいえ、最近はそうも行かない事情がある。

「今日はお母さん、仕事終わったらそのまま×××××さんと食事してくるから、帰り遅くなると思う。いつものことだけど、悪いね」

「良いよ、別に。お母さんの自由じゃんそれ。私のことなんて気にしないでいいよ」

 どうせ朝まで帰ってこないんだから。

「ありがと。それと……」

「会ってほしいって話なら、前にも言ったでしょ。私が高校卒業するまで……家出るまで待ってって。それが私の条件。嫌なら……」

「分かってるって。ちょっと気が変わったりしたかなって思って。ごめんごめん」

 毎日毎日飽きもせずによく聞いてくる。私が何考えてるかも知らないくせに。こうやって笑って答えてる私がどんな夢を見てるかも知らないくせに。

「だから良いって」

 娘の前でくらい母親ヅラしてくれよ、頼むから。

 まあ、でも、願ってるだけじゃ、どうしようもないってことは、私が一番良く知ってる。


「ね、結唯。人魚姫はさ、人間の足を手に入れちゃだめだったんだよ。分かる?」

 わからないよ。

「人魚っていうカタチは肯定されるべきだったのに、本人はそれを否定してるし、他の人達もそれを頭ごなしで否定してるんだよ。ひどくない?」

 そうだね。ひどいよ。

「あ、適当に言ってるでしょ。結唯は何もわかってないんだから。人魚姫が背負っている悲しみがどういうものなのか」

 はいはい……。

 目を覚ませば、授業は既に終わっていた。と言うよりも、昼休みだった。

 また、夢をみていた。夢と呼ぶにはあまりにも克明で、鮮烈で、退屈な。そんな昔話と呼ぶにはあまりにも最近すぎる出来事。

 でも、私にとっては、現在の出来事。

「……行かなきゃ」

 私は痺れる腕に鞭打って、ランチバッグを持って歩き始めた。

 向かった先は屋上で、そこは本当なら生徒立入禁止。でも、私とそいつは校則を気にするタイプじゃないから当たり前のように居座ってる。

「遅かったじゃない。寝てたの?」

「寝てた」

 フェンスにもたれて外の景色を眺めていた枯琉恋かれるれんは、私が来たと見るや真っ先にそんな事を言う。失礼な奴。

「あんた不真面目だもんね」

「恋に言われたくない」

「そりゃそうだ」

 自分のことを棚に上げながら、それを指摘すると笑いながら受け入れるような変な奴。

「ほら、昼休み終わるわよ」

「分かってる」

 二人並んで座ってご飯を食べる。会話はない。食べてる時に話すタチじゃないのは私も恋も同じだ。

 雲が少し見えるが、色は白くて、まだまだ快晴と呼べる程度の青空。遠くでは、雲の下の街で雨が降っているのだろうかと考える。

「そういえば」

 ご飯を食べ終わりしばらく空を見上げていたら、恋がいきなり言い出した。

「進路希望調査、出した?」

「まだ」

「だと思った」

「なんなのよ」

 私は思わず言う。

「いや、どうせあんたのことだから、紙の存在も忘れてギリギリになって担任に言われて愚痴るんだろうって思っただけ」

「いくらなんでも私のこと馬鹿にしてるでしょそれ」

「まあ、間違いではない」

「あのねえ……私だって進路希望調査くらいはあること覚えてるから」

「それは良かった。でも、結唯見てるとそれくらいは違和感ないわね」

 恋はそう言って笑った。

 確かに私は最近色々とサボりまくっているし、重要と言われたプリントだって出さないが、それでも進路希望調査くらいは存在を覚えている。

 ただ、なんて書けばいいか分からないだけだ。

「恋は出したの?」

「ん?まあ、出したわよ」

「嘘」

「嘘じゃないわよ」

「信じられない」

「その顔が見たかった」

 恋が笑い、私も笑う。

 恋も私に負けず劣らず不良学生。試験じゃ下から数えた方が速いくらいだし、先生たちからは問題の芽として認識されているタイプの奴だ。別に武闘派にも見えない華奢な身体の持ち主なのだが、突然傷だらけになって登校して来たり入院してたりする奴。何かと謎が多い。

 だけど一緒にいると気が楽で、やりやすい。それはなぜかと考えると、恋の無関心さが理由かと思う。

「え、なんて書いたの」

「大学進学」

「意外」

「まあ、手堅くね。何するにしてもそっちの方が便利だろうから」

「恋にそんなしっかりした考えがあるなんて……負けた気分」

「私だってちゃんと将来のこと考えるわよ。たいてい夢物語になるか、先が見えない感じで終わるけど」

 恋は私に干渉しない。何をしたか、と聞いてくることはあっても、その動機を聞くことはない。私の内面まで踏み込んでこない。

 だから私はこいつのことが好きだ。そして私もまた、恋の内面まで踏み込むことはない。

 そんな相手とは、付き合っていく自身がない。

「ふーん。私も書かないとなあ」

「書く気、あるの?」

「あるよ。何書けばいいか分からないだけ」

「適当書いとけばいいのよ。別に書いたものがすべてってわけじゃないし」

 進路希望調査のことは、忘れていたわけじゃない。ただ、底に何を書けばいいのか、まるで分からなかった。

 未来のことなんて、何も分からないのに。

 私が生きるべき未来なんて、もう無いのに。

「……結唯?」

 恋が心配そうな顔でこちらを見ていた。左右で色の違う瞳が感情を物語っている。

「あ、ごめん。なんでも無いよ」

 いけない。恋の前でくらいはいつもどおりじゃないと。相手に心配されるような私は、私じゃない。

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