第13話

 我が愛しの妹、呉紫織さま。

 あなたが三木本みきもと高校美術準備室までたどり着けたということは、私はすでにこの世からおさらばしていて、かつ、あなたが某小説家と出会った後ということでしょう。

 どうですか。小説家は、それは底意地が悪いことでしょう。

 当然です。私の恋人ですもの。ただの人間が、私のお眼鏡にかなうはずがありません。悪いことは言いません。小説家はおよしなさい。その代わり、小説家の隣の医者にしておくがよいことでしょう。結婚するならば、なおさらです。いささから話が脱線しました。

 確かに、一度は、我ら姉妹の母の画を描こうとはしたのです。あの美しいひとを。端的に言えば、無理でした。どうしてもと言うのならば、月岡学園へお行きなさい。玄関ホールに、我らが父の描いた母の画が掲示してあります。これから百年生きたとして、私にはあれを超える画を掛ける気が全くしないのです。

 だから、私は自画像を描いたのです。どうですか、嬉しかったでしょう。

 話は前後しますが、両親の出会いについて書こうと思います。残された父と娘の関係は誰のせいとは断言しませんが、複雑だと思われるので。そんな気恥ずかしい話、そう簡単にはできませんよね。

 あなたは、母を覚えているでしょうか。母は、生まれつき、目が見えず、耳の聞こえない子供でした。その子供は、何から何まで未熟で、それ故に、大変美しくもあったのです。自然と、母は画のモデルを引き受けるようになりました。父もそうして母に出会ったのです。そう、父は美術部に所属していました。

 色素が薄く、身体のパーツが小さい。言葉も光も理解しない。どう考えても、浮世の者には思えませんよね。きっとこの子供は、春の神様が作ったのだ。まことしやかにそう噂されていました。子供は、「小華こはるの君」と呼ばれていました。

 その日、父たる少年は、チューリップを携えて行きました。家の庭に咲いていたものです。小華の君の雰囲気とぴったりだと考えたからです。

 部屋の中心、大きなテーブルの上。緑色のラグは芝生のよう。薄紅色のワンピースを身にまとった小華の君。毛足の長い敷物の感触を確かめています。息をのむ少年。思い出したように近づき、手に触れる。続き、チューリップの花束を渡す。すると、小華の君が手を重ね会わせる。かと思うと、いきなり少年の指に噛みつく。血が流れます。狼狽する少年。後にも先にも、小華の君の可憐な顔を手のひらで押しやったのは、父くらいのものでしょう。

 小華の君にとって、噛むことは愛情表現でした。眼前に現れた人を離してなるものかと。

 今でも、父の身体には、母の歯型が残っているはずです。

 小華の君の妖精じみた容姿に一時は見惚れた父ではありましたが、すぐに二人が恋愛関係になったわけではありません。母のほうではその限りではなかったのでしょうけれど。父は、成り行き上、小華の君の教育係となりました。

 小華の君は、少年に夢中でした。見知らぬ花束と、落ち着いた足取り、汗ばむてのひら。大好き。大好き。噛みつく先は、指から手の甲、腕、首筋へと移っていきます。好きだから、抱きしめる。この人の口にしているものが気になる。同じものを食べたい。まさに、固く閉じた蕾が一気に花開くよう。あなたと一緒にいたい。わかりたい。伝えたい。恋をして、小華の君は少女となったのです。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る