第4話

 変な貼紙を見た。

「文芸部に所属する生徒は、本日の放課後、必ず部室に集合すること。なお、特別な理由なしに欠席した生徒には退部を言い渡すことをここに予告するものである」

 放課後。部室に顔を出すのは、いつ以来だろう。

 それにしても、おかしい。妙に、騒がしい様子の部室。そんな興奮すべきことが、文芸部に存在するのか。「うるさいなあ」呟き、戸を開ける。

「あ、やっと来たね」

 声が弾む。同時に、私の表情が強張る。ここは、学校だ。何故、この人物がここに居るのか。そして、何故か、女子高校生にちやほやされている。

「ロリコン」指を指す。

「失敬だな」眉根を寄せる。

「ロリコンノベリストが来た」

 もう一度、言い直す。ああ、何だろう。これ? 頭を振りながら、中に入る。空いている机にカバンを置く。普段、進んで他者と関わらない私が、この時ばかりは積極的に動かざるを、得ない。

「ねえ、あの人って、有名な人なの?」

 クラスメイトを捕まえ、尋ねる。

「何、言ってんの? うちの文芸部出身の小説家だよ。知らないほうがおかしいんだからね」

 それは、知らなかった。激しく、落ち込む。

「何故、文芸部にした私。もっと他に、美術部とか、書道部とか」

「あ、初めに言っておくけど、これから三日以上部活に不参加の人は追い出すからね? 休む時には、事前に届を出すこと」

「ありえない」

 長い時を経て、部活が終わる。部活は、絶望でしかなかった。

 いつもなら、公園のベンチで放心しているはずが、授業の後にも部活動など、到底、あり得ない話だ。ずっと舌打ちや、貧乏ゆすりをしていた。同じテーブルに座る部員は、集中力を乱されて迷惑だったに違いない。そんな不穏な空気をロリコンノベリストは楽しんでいた。あいつは、私が言い出すまで、助けてはくれなかった。

 俳句も、詩も、小説も書けない。だって、私は、それらをほとんど知らないのだから。

「あの、私、できません」

 屈辱だった。涙で、声は震えていた。

「そうか。確か、君は、帰国子女だったね。ラテン語やギリシャ語、フランス語が得意でも、日本語での創作は、至難の業だ。家から本を持ってくるよ。何、小学生向けの本だから、気負うことはない。少し、待っていなさい」

 会議室が、騒がしくなる。

「呉さん、どうして教えてくれなかったの。なんだ、じゃあ、今までも日本語が不自由なだけだったんだ。本当、ごめんね」

 うるさい、うるさい、うるさい。お前から、優しくされて、だから、なんだってんだ。

 部活動終了のチャイムが鳴る。ため込んだフラストレーションを走る原動力に変える。いつもの公園、いつものベンチ。これは、どうしたことか。小さな友人に、裏切られた。一緒に遊ぶ約束。破られた理由は、すぐに判明する。

「猫だ」「拾ったの」

 そうだろうなと思ったばかりだった。

 段ボールの中には、タオルが敷かれている。小さな毛玉が震え、精一杯鳴いている。

「動物をこんなに間近で見たのは、初めてかもしれない」

 箱を挟んで向かい側に座っていたさくらが顔を上げる。

「犬も猫も飼ったことないの」

 首を振る。さくらの顔が解りやすく曇る。

「そうだな。確かに動物なら飼うことができたんだ。なんだ、頼めばよかったな」

 気持ちが、幼い頃に帰る。姉と過ごしたただ楽しい日々。

「お姉ちゃんに聞けば解るかなあと思っていたの」

「それは、残念。あの人に聞けばいいのに」

 ひざをついたままで、後ろを指す。癇に障る笑い声が聞こえる。

「おかえりなさい」「ただいま戻りました」

 段ボールを避け、上半身をひざにつける。「かくれんぼ?」さくらが不思議そうに尋ねる。両手でひじを掴み、視界をふさぐ。「団子虫?」今度は、小説家が呟く。

「帰るの、早くないか」

「君こそ、学校に友人がいないからといって、いくらなんでも遊びに行くのに本気すぎやしないか」

 本気で心配している体に、腹が立つ。心配している演技だ。実際は、面白がっているりそうでなければ、いきなり母校の部活に顔を出すものか。

「お前には、関係ない。親でもないくせに。私の父でもなければ、ちびっこの父ですらない。でしゃばりすぎだ」

「今朝、この家に箱が届いた」

 箱と聞いて、傍らの段ボールに目を遣る。この男は、一体何の話をしているのか。

「もちろん、荷物を詰める。そう、他に綺麗な花も入れた。それから、出荷したよ。この子と一緒に後を追う。時間がかかるから、さくらは外に遊びに行った。そうやって入れ替わりでやってきたのが、これだ」

 両手を床につき、腕を伸ばす。夢見るようすのさくら。子猫を抱え、頬ずりしている。私と目が合うと、静かに微笑む。

「ママだよ」「違う」

 小説家を睨みつける。

「酷いことを言うね」

 首を振る。

「こいつが自分からそう思ったのならいい。でも、違うだろ。あんたが言い出したに決まっている」

 のどの奥がけいれんしている。この男は、嫌だ。それでも、視線は外さない。何かある。思い出せ。自然と、私は振り返っていた。さくらと子猫。さくら。花の名前だ。


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