第13章:ラスボスが世界の半分をくれると言うのであれば、それを断ってまで正義に加担する理由を俺は持たない(第3話)

 俺は、扉の把手に手をかけると慎重に開けた。文明の匂いのする扉だ。この世界の連中の趣味ではない事は確かだな。

 気圧差があるらしい。一瞬、扉から風が吹き込んできた。

「中は明るいのか…」

 俺は呟く様に言った。俺の仮説では、この中に、既にエクスカリバーが存在している。占いでは「穴にエクスカリバーを挿す」だったが、そうじゃない。エクスカリバーは元々穴の中に「挿されている」んだ。冷静に考えれば解る。もし、過去、同じ様な魔王復活の危機があり、それが解決されたのであれば、エクスカリバーは既に穴の中になければならない。成程、善意または悪意の第三者がエクスカリバーを抜いてしまったがゆえに、魔王が復活した、という説明は合理的かもしれない。では、魔王とは何者なのか。問題はここだ。この穴が魔物を呼び出す要因となっているのであれば、そのエクスカリバーの取り扱い方次第で、ゾッとしない事が起こる可能性がある。

 俺は、意を決して扉を開けた。

 暗闇から急に明転した為、すぐには視認できなかったが、やがて目が慣れてきたころ、俺は息を飲んだ。

「…おいおい、マジか…」

 俺はゴメちゃんを先頭に、扉の中に足を踏み込んだ。踏み込んでから気づいて、履いているスニーカーを脱いだ。

「ナンジェーミンよ、ここは土足厳禁だ」

 続いて中に入ろうとしているナンジェーミンに向かって、俺が言った。ナンジェーミンは、訳が解らない体で靴を脱ぎ始めた。

 俺は、部屋全体を見渡した。こいつはなかなかタフだ。

 一言で言えば、そこは「俺のAV撮影スタジオ」だった。豊橋とcicada10484の動画を撮影していたスタジオでもある。つまり、俺のスタジオの扉が、あのゴブリンの城の穴の中と繋がってしまった、という訳だ。ただ、そのままつながった、と早合点するのは、いくつかの要素で賢い人間のする事ではない。第一に、時間軸が解らない。俺があの世界に移動した時点につながっているのか、向こうで過ごした時間が流れた後の時点なのか、それとも全く違う時点なのか。第二に、ここが本当に俺のいた現代日本の俺のスタジオかが解らない。俺の精神が見せるタルパの一種かもしれないし、魔王とやらが作り出した幻影かもしれない。第三に、この扉はあの世界につながったままだろうし、ミクルやフロルたちのその後の人生を無視して元の世界に戻れたことを喜び、再びこちらでの日常を送れるだけの冷徹さを俺が持ち合わせているか解らない。もっと言えば、この扉がつながったままとしたら、俺はベランダから飛び降りる以外にこの部屋から出る手段がない。第四に、魔王とやらが本当に復活しているとして、この扉が繋がった状態で、こっちの世界にまで魔物が干渉してくる可能性を否定できない。結論、俺は向こうの世界が抱える問題を解決しなければならない。

「不思議な世界だね」ナンジェーミンが言った。「とても…くらくらしているよ。見たことのない物ばかりだし、なんというか…凄く直線的な世界だ」

 直線的な世界、とはエモい表現だ。

「俺も理解が追い付いていない。ただ、言えるのは、この部屋は俺が元々住んでいた場所だ、という事だ」

 まあ、正確には住んでいたというよりも、撮影に使っていた訳だが。

「それは…つまり、あの穴を通って、カナヤマ君はやってきた、という事?」

 俺はかぶりを振った。

「それは恐らく違う。俺自身、全く記憶がないのが残念だが、もっと強い力が関わっている。時空間そのものを削って移動させるような…そういう類の現象だ。だから、何故あの穴が俺の部屋に繋がっているのか、全く理解ができていない」

「でも、エクスカリバーを探さないといけないよね。カナヤマ君は、エクスカリバーについて、何か知っていたのかい?」

「知っていたら苦労はないさ」俺が言った。「このスタジオに、エクスカリバー的な何かは存在しない…筈だ」

「じゃあ…」ナンジェーミンは、ゆっくりとテーブルの方を指差して、言った。「あれは、何だろうね?」

 あれ? あれとは…。

「あ? ああ、あれか…」

 俺は、ナンジェーミンが指さした方に目を遣った。そこには、テーブルの上に無造作に置かれたノートPCが1台あった。俺のPCじゃない。豊橋のPCか?

 俺はPCを片手で持ち上げると、電源が立ち上がっているか確かめた。スタンバイ状態になっている様に見える。PC自体は、ケンジントンロックを経由してワイヤーでテーブルに括りつけられている。

「ほら、それなんだけれど」ナンジェーミンが言った。「その板の、横についている箱は、なんだろう?」

 箱だと? ああ。

「USBメモリの事か」

 USBメモリが挿しっぱなしになっている。豊橋が猫のヴァギナから取り出したやつとは、別のUSBだ。

「ほら、思い出して。集落で、ゴブリンが言っていたよね?」ナンジェーミンは興奮気味に言った。「エクスカリバーは剣じゃない、神聖な場所に、設置されていて、小さな箱の形をしている。誰でも抜けるけれど、抜いたままでは外に出られないって。覚えてる?」

「ん?」俺は、ナンジェーミンの言葉を理解するのに、暫く時間がかかった。「ああ、つまり、このUSBメモリか? これがエクスカリバーって事か?」

「そうだよ!」ナンジェーミンは両手に力を込めて言った。「それこそが、エクスカリバーだよ! やったね! まさか、穴の中に、既にエクスカリバーが存在していたなんてね」

 俺は、思わず声を立てて笑ってしまった。まさか、USBメモリだとは。そうか。でも、そうだ。言われてみれば、あらゆる条件に合致する。恐らくエクスカリバーについて話をしたゴブリンは、どこかでこの穴を見つけ、入り、そしてこのUSBメモリを抜いたんだ。大したエクスカリバーだぜ。

 俺は、躊躇いなくUSBメモリを抜いた。ナンジェーミンはそれを見て驚いた様だったが、次の瞬間、小さなモーターが動作する音がして、ゴブリンの城に繋がる扉がロックされるのが解った。

「なるほどな。手が込んでやがる」俺は扉に近づくと、把手を回し、押したり引いたりした。「確かに、出る事ができない」豊橋の仕業だな…。

 俺は、USBメモリをノートPCに挿し直した。途端、またモーター音がして、扉が開くのが解った。それから俺は、PCを起動させようと電源ボタンを押した。残念な事に、BIOSパスワードがかかっていた。cicade10484とか適当に入れてみたが、解除はできなかった。

 俺は自分のスマホを取り出すと電源を入れた。電波は…届いていない。

「よく解った。一度戻るぞ」

 俺は、ゴメちゃんの手綱を握ると、元来た穴を抜け、城に戻った。大橋さんを通訳に、記録係が色々と興奮気味に質問をしてきたが、適当にあしらって部屋を出た。


 俺は、俺自身が想定していた以上に多くの記憶を失っている可能性に気づいた。USBメモリだ。cicade10484でダークウェブの販売品を紐解く動画を撮影していたのはよく覚えている。そして、猫のヴァギナからUSBメモリを豊橋が取り出した事も覚えている。にもかかわらず、そこから先の記憶がどうにも曖昧なのだ。猫のヴァギナから出て来たUSBメモリには、何が記録されていたのか。そして、エクスカリバーには何が記録されているのか。穴が俺のスタジオに繋がっていた、という事は俺が元の世界に戻るチャンスがまだ残っている事を示している。問題は、あの部屋自体が、果たして元の世界に存在しているのかどうかがまだ解らないし、現実かどうかも確証がない、という事だ。少なくとも電波は来ていなかった。

「ねえ、カナヤマ! そんな早足でどこに行くの?」

 後ろからついてきたフロルが、声を張り上げて言った。俺は歩きながら、ゴメちゃんの手綱をフロルに渡した。

「何を言っているか解らないかもしれないが、エクスカリバーがUSBメモリであると解った以上、それを読み解く必要がある」俺が言った。「俺がこの世界で入手した情報において、エクスカリバーと同じくらい直線的で理解不能とされる物がある。『箱』だ」

「箱? じゃあ、学府に向かうの?」

 俺は、その通りだ、と答えた。

「俺の想定が正しければ、箱は俺の世界から、俺と共にこの世界にやってきた。箱はなんらかの端末と見て間違いないだろう。そして、豊橋がUSBメモリについて、トラップ状の管理を仕掛けた所を見ると、USBを持ち出す人間を部屋に閉じ込める意図、目的があったと考えて間違いない。つまり、なんらか悪意のある第三者がこの案件には関わっている」

 或いは、そいつが魔王、だろうか。

「カナヤマ君、一緒に部屋に入った僕が言うのも何だけれど、よく理解ができていないよ」ナンジェーミンが言った。「レベル99の資格試験の事を思わず思い出しちゃったよ。毎年、試験シーズンになると心臓がドキドキするんだよね」

 ご苦労なことだ。

「簡単に俺の考えを説明してやる」俺が言った。「エクスカリバーには、挿すべき穴が別にきちんと存在している。そして、その穴こそが『箱』に違いないというのが俺の仮説だ。だから、箱が何なのかを確認しに行く必要がある」

 最悪、俺のゲーミングPCでエクスカリバーを読み取る、という手段もあるだろうが、箱と対になるUSBメモリであれば、読み込めたとしても俺が復号したり読み解いたりしたりできる代物ではないだろう。箱が端末であれば、USBメモリは起動させるドングル、キーになる筈だ。

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