第8章:キリギリスを馬鹿にしたアリどもは自分達がただの歯車である事にすら気付かないまま死ねばいいのにと俺は常々思っている(第1話)

「臭いな。生活感のない匂いだ」

 俺は、進捗確認の様子見を目的に、事前に連絡なしで豊橋の家を訪うたが、豊橋は無表情で迎え入れてくれた。

「生活感が無いのに匂うという理屈は興味深い」豊橋は、椅子に座ったまま腕組みをし、言った。「まあ、こいつの匂いだろうがな」

 豊橋は、部屋の片隅で機械音を立てながら小刻みに動く四角い箱状の、妙な装置を指さした。土台の部分には液晶ディスプレイがあり、定期的に幾何学模様を表示させている。上部全体はオレンジ色の透明な樹脂の蓋で覆われており、その透明度を通して、内部で何やら機構が蠢いているのが解った。

「これが件の兵器の完成品という訳ではなさそうだ」俺が言った。「そうであれば、俺たちがこの世に無事で存在している理由を俺は探さなければならないし、そもそも稼働している時点でヤバい事になってそうだ」

 豊橋は首肯した。

「見慣れないだろうがコイツが今回のUSBの中身を現実世界に召喚してくれる3Dプリンタだ。お前は、3Dプリンタと言えばフィラメント積層式を思い浮かべるだろうが、違う。これは光造形タイプのプリンタだ」豊橋は言いながら、オレンジの透明の蓋を取り外して見せた。中の機構はシンプルだ。土台の上にバットが乗っており、その中に粘性の高そうな緑色の、やはり透明な液体が浸されている。その液体に対し、定期的に台形状のプラットフォームがピストン運動を繰り返している。「バットの中の液体はUV硬化レジンだ。405nm程度の紫外線を照射するとプラスチックの様に固まる物質だ。ジェルネイルと同じような成分と言えば解りやすいか。設定にもよるが、現在1層あたり0.05㎜の厚さに対して10秒間の紫外線照射を行い、プラットフォームにその層を順に重ねていくことで3Dプリントを実行している」

 言われて解ったが、バットの底は透明なフィルム状になっており、その下の土台から紫外線を緑色のレジンに対して照射していた。土台の液晶画面に表示される幾何学模様は、紫外線を照射する層の様相を表しているって訳だ。

「なるほど、コイツは大した機械のようだ」俺が言った。「当然、フィラメント式と比べて、この異臭を我慢しなければならない程のデメリットとトレードオフになるようなメリットがあるんだろうな」

「当然だ」豊橋は蓋を閉めた。「フィラメント積層の場合は直接ABSやPLAの素材を溶かしてノズルの先から射出する事で層を重ねていく。比較的大きな物を安価に作れる事と、前後の処理やプリンタ自体の手入れが簡単なのがメリットだが、層同士の接合が弱いから出来上がり品の強度が充分ではない。細かな造形も苦手だし、面ではなく線で重ねて層を作っていくから造形に時間がかかり過ぎる。そして、なにより俺の経験上、失敗が多い。光造形式の場合は、UVレジンがそもそも劇薬で異臭があるし、造形が終わった後にまた劇薬のIPAで洗浄を行い、さらに紫外線を照射して2次硬化が必要だ。紫外線自体も体や目に悪影響だからプリント手順は非常に面倒かつ慎重な物になるし、多くの場合フィラメント積層式よりも造形可能な体積が小さい。その代わり、コイツはフィラメント式では得られないスピード感と造形精度を誇る。そしてレジン自体も種類が豊富だ。試作用の、強度はないが紫外線照射が短くても固まってくれる高速造形可能なレジンから、工業用の治具にも耐えるタフレジン、ロストワックス方式の金型を代用できる耐温度性能に優れたレジンなんて物も存在する」

「良く解らんが、お前の様なマッドサイエンティスト気取りの男を満足させるだけのスペックを兼ね備えているエモい方式が、光造形式だったって訳だ」

 豊橋は無表情のまま、そういう事にしたければ勝手にしてろ、と言った。

「USBに入れられたstlの部品点数は思ったより多い上に、個々の役割が良く解っていない。3Dプリントした樹脂自体には電子工学的な機能を与えられる訳ではないから、最終的にはお前の言う通りレゴやプラモデルと同じ様な組み立て作業を行う事になるだろう。1つのファイルをプリントするのに数時間は要するから、暫く時間は稼げそうだ。その間に、俺たちはアノニマスの連中とどう交渉を図って行くかを考える必要がある」

 豊橋は、連中の事をアノニマスと呼んでいるらしい。呼称について意識合わせをした訳ではないが、面倒だから、ヤツに従う事にする。

「少なくともお前は、連中に差し出すべきだな。ここまでに掛かった様々な費用の領収書を。色々出て行く金があっただろう。レンタカーやGPDのUMPC、この3Dプリンタはなかなか高そうだ。本気で俺たちに完成させたいのであれば、ヤツらは出すべきだ。然るべき予算を」

「そうだな」豊橋は頷いた。「金払いは意外と重要な観点だ。奴らがこのまま俺たちを傍観して完成を待つだけであれば、俺たちは殺される可能性が高い。つまり、俺は金も命も支払い損になるって訳だ。逆に奴らが俺の立て替えた金額を支払う意思を見せた場合、そこには交渉の余地がある。俺たちを生かす事が前提になるからな」

 豊橋の言う事は尤もだろう。死に行く人間にわざわざ金を支払う馬鹿はいない、というのが通常の義務教育を終えた大人の辿り着く結論というものだ。

「どうする? 俺たちのこの会話も、盗聴の恐れはあるって訳だ。わざとらしく騒ぐか? 何々にいくらかかりましたぁって具合にな」

「妙案だが、俺は虚空に向かって、かかった金額を叫ぶような変質的趣味を持ち合わせてはいない」

「へっ」俺が言った。「また俺がやるのか」

「これが領収書だ。壁が薄いから気を付けろ」

 俺は豊橋から受け取ったレシート類を観ながら、レンタカーやPC、3Dプリンタの金額など、声を上げた。

「驚きだ」俺はレシートを見ながら言った。「この3Dプリンタ、数十万円はするかと思ったが、5万円程度で買えちまうのか」

「ああ、いい時代だろう」

「どうせまたmade in 深センだろう。そして素材となるUVレジンの値段は恐ろしく高いな。重量単位での値段で言えば、フェラーリよりもフリカケの方が高価だと言うが、その比ではない値段設定だ」

「金がかかった事への恨みつらみを奴らに対してぶちまけておくのは悪くないだろう。そして、これは俺の予測だが、奴らの金払いのやり方として考えられるのは、またお前のtwitterアカウントを使ったアクセスの方法だ」

「始めにシェアを送ってきた時みたいにか? twitterの負う使命は哀れな程多様だ」

 豊橋は小さく頷いた。

「向こうからアクションがあるか解らんが、とりあえず当面、片っ端から『RTとフォローをした人に100万円プレゼント』系のツイートに全て反応しておけ。向こうにその気があれば、恐らくどれか1つは当たる筈だ」

「なるほどな」俺が言った。「あの手のアカウントは、実際には金なんか払わずにフォロワーだけ増やし、後から全く別の広告用垢にすり替わるのが定石ってもんだ。フォロワーが集まった時点で、アカウント自体が転売されるからな。つまり、元のアカウントを誰が運営していたかの足が付きづらいから、奴らの金払いの手法としては好都合って訳だ」

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