第3章:俺が解せない物。「スライム」「ぬののふく」そして「300G」(第3話)

 隣町に到着した頃には、陽はすっかり落ちていた。にも拘わらず辺りが明るいのは、単純に都市の光がなく月が明るいから、だけではなく、複数の月が空に輝いているからだ。昼夜問わず上空に衛星があるのは落ち着かないが、どうやら自転周期は24時間に近いと俺のストマックウォッチは言っている。パブロフの犬並みに、この複数の月を見ると、ミクルに月経周期を訊きたくなっちまう。というか、この世界では生理用品は存在するんだろうか。ゲームやラノベの世界じゃ、そういったデリケートな所は隠そうとするから面倒だ。特に女は、トイレもしなければ経血も流さない。そんな訳はない。あの双子の占い師のキャラクタが定期的に馬車の中の僧侶と交代したのは、生理休暇が必要だったからに違いない。

 隣町の名前は、調べるのは面倒だし言われてもどうせ覚えられないから確認はしない。隣町は隣町だ。この町は、アルタクス市よりは幾分も小規模らしい。建物の並ぶ間隔や人の往来の数が物語っている。

「宿を予約しています」ミクルが言った。「向かいましょう」

 

 そして、俺の不安は的中した。

「4畳半程度の部屋に、3人も詰め込むのかよ」

「仕方ないよ」フロルが反論した。「そもそも、姉さんとボクの2人しか泊まらない予定だったんだもん」

 なるほど、俺が余計だったか。

「どの道、寝るだけですから」ミクルが言った。「少し狭いけど、大丈夫よ」

「そうか。だが遠慮申し上げる」俺が言った。「特にミクルよ、お前に忠告するが、昨日今日会ったばかりの、とりわけ俺のようなタイプの男と寝室を共にするのは、あの美人の母親を悲しませる事になるからお勧めしない。仮令、フロルが盾になったとしても、だ」

「ちょっとぉ」フロルが言った。「ボクだって女の子なんだからね。なんで姉さんには忠告するのに、ボクは大丈夫なのさ?」

 俺の言葉に、ミクルは首を傾げて笑顔を作った。

「心配していません。母の占いに間違いはないから…。それに、わたしの占いでも、あなたがわたしやフロルに危害を加える事はない、と出ているわ」

 マジか。だが、それは占いではない。心理戦だ。そう言っておけば、大抵の男は襲えなくなるし、実際に俺は襲わない。襲わないが、AVを撮影したい、という気持ちまでは見抜けまい。

「わかった。どのみちベッドは1つしかないしな。ミクルとフロルで使ってくれればそれでいい。俺は床で寝るとしよう。解ってる。お前の性格上、3回は断りたいところだろうが、俺はそれを4回断る性格だから、勘弁してくれ」

 それでもミクルは申し訳なさそうにしながら、ベッドのシーツを整え始めた。俺は荷物の中からタオルを取り出すと、トランシーバー2台をぐるぐる巻きにし、簡易的な枕を作った。季節感は解らんが、気温はいい塩梅だ。使い古された木の板の軋む床は雑魚寝には向かないが、気にするタチでもない。それよりも気になるのは、この宿のアメニティだ。何しろ、ミクルもフロルも、荷物ときたら、フロルが背負っている背嚢一つっきりなのだ。つまり、洗面用具や着替えに該当するものはない、と見た。となると、どうやってあの清潔感を保っているのか。この状況から考えられるのは、この世界では宿のアメニティ類がそれなりに充実している、という事だ。当然、風呂もあるだろう。

 俺は荷物を部屋の隅に寄せると、小さなクローゼットや鏡台の抽斗なんかを漁った。もともと、他人の部屋などに招かれた日には、片端から漁らないと気が済まない性格だ。

「この世界の事に口出しをするつもりはないんだが…」俺が言った。「この宿には寝間着のような物はあるのかな? それに、体を清潔に保ちたいし、口内のケアだって怠りたくない」

「着替えはあると思うよ」フロルがクローゼットを開けた。「まあ、女性用が、2着しかないけれどね」

 予約の方法が、手紙なのか伝書鳩なのか魔法なのか知らないが、女性2名で予約したんだろうから、それは納得するしかなさそうだ。

「外に洗面台があるみたい」ミクルが言った。「髪を梳ったり、体を拭く事はできると思います。楊枝とウェスも用意されているんじゃないかな」

「気の利いた宿だと、ミントとか蒟醤類を置いてるけどね」

 なるほど具体的だ。そうやって清潔感を保っているのか。

 フロルは腰に佩いていた剣や短剣をおろすと、部屋を出ていった。そして程なくして、煙が焚かれた陶器の香炉を手に持って入ってきた。

「カナヤマは外に出ててくれる?」フロルが言った。「姉さんもボクも、着替えるから」

 言われて、俺は廊下に出た。フロルが男である事を、俺は知っているが、フロルは俺がそれを知っている事を知らない。別にそれを言った所でどうとなる訳でもなかろうが、フロルから言うまではあまり刺激しないで置いた方がよさそうだろうか。

 狭い宿だ。俺は廊下に設えられた洗面台に置かれた水差しで、同じく用意されている手拭を浸すと、硬く絞り、体を拭いた。メントール系の香りと清涼感が俺の鼻と皮膚を刺激した。色々と手が込んでいる。それから楊枝で歯間の面倒を見た上で、リンネルの小さなウェスを同じく香りのついた水で絞ると、歯の表面を磨き、歯茎のマッサージをした。確かに、これで充分だ。

 扉をノックし、フロルの許可を待ってから部屋に入った。香炉は、ハンガーに掛けられた2人の衣類の真下に置かれ、香りが服に移るようにしてあった。もともとミクルの巨乳は、その緩い衣服からこぼれる勢いだったが、更に緩いワンピース状の寝間着では、胸の輪郭がより強調されていた。このあどけなさ…。あざとさなどない。つまり、ミクルは処女だろう。

「対比してお前はなんだ」俺はフロルに向かって言った。「同じ遺伝子とは思えないな」

 フロルは、俺が胸について言っている事を察したらしい。咄嗟に胸を両腕で抑える仕草は、確かに女の子に見える。すぐに染まる頬も、俺クラスの目利きでなければ男の娘とは到底見抜けないだろう。


 2人が洗面を終え、香炉の火を調整し、蝋燭の灯りを消すと、俺たちは横になった。ミクルとフロルはベッド、俺は床だ。疲れたのか、程なく2人の寝息が聞こえてきた。寝付かれない俺は、ポケットからスマホを取り出すと、電源を入れた。ニュースサイトくらい見たい所だが、当然ネット接続はされていない。写真もgoogleフォトに入れているから、ローカルに保存しているヤツくらいしか見られない。俺は、今日撮影した俺の出現場所の写真を繰ったり拡大したりして調べたが、これと言って解る事はなかった。まだこの世界の魔法について詳しく知らないが、これだけ正確な球形の浸食は、どうも高度な科学の匂いがする。それに、豊橋から最後に来ているメッセージも気になる。豊橋も状況がつかめない、と言っている訳だ。直前の記憶が曖昧、というか、ほぼ消えてしまっているのでなんとも言えないが、この書き方からすると、俺がこの世界に来た事について豊橋もなんらか関わっている可能性が高いな。もしかすると、豊橋自身もこの世界に来ているかもしれない。cicada10484では確かに危険なテーマばかり取り扱っていたが…何か関係があるだろうか。

 だめだ。考えが巡って寝付かれない…。俺が監督したAVでも見てオナニーでもして脳の疲労を促進したい所ではあるが、俺が持ってきたティシューの枚数には制限があるから、無駄撃ちは控えたい。というかこの世界の男どもの自慰に対する考え方や、やりかたについては調査する価値があるな。自慰が極度に禁忌とされていた場合、俺のコンテンツで商売をするのは少々やっかいになりそうだからだ。しかし、そもそも、この世界の男女のセックスは、地球のそれと同じなのか? 俺のコンテンツ力はこの世界で通用するのか?


「何それ?」

 俺は、突然の声にビクっとした。フロルがベッドから上体を乗り出して、俺のスマホの画面を覗いていた。

「フロルか」俺が言った。「悪いが、意外と思うだろうが俺はHSP性向が強いデリケートな人間だ。突然話しかけられると驚いて心臓がとまっちまう。起きていたなら、わざとらしい衣擦れの音を出すとか、起きているシグナルを事前に発してもらえると俺の人生はもう少し充実するんだがな」

 俺の言葉を無視して、フロルはベッドから降りて来た。それから、躊躇なく俺の布団…といってもベッドのシーツを1枚拝借しただけだが…に入ってきた。

「昼間から気になってたんだ。それは何の道具なの? ボクらの知っている魔法とも全く違うみたい」

「フロルよ」俺は諭すように声をかけた。「お前はまだ幼いから解らないかもしれないが、お前が、飽く迄自分自身を幼気な少女だと主張するのであれば、こんな具合に俺の布団に潜り込むのはやめろ」

「へ~、気にするんだ」フロルはからかう様に言ってきた。コイツ、オトナを舐めてやがるな。「ボクは全然大丈夫だよ」

「そうか。それはめでたい。だが、このシチュエーションを続けるなら、お前には俺の様々な疑問に答える義務が発生する。例えば、この世界での男女の交わりとはどんなものなのか、とか。少なくともフロルを見る限りでは、貞操観念なんて高尚な教育制度は整っていないように思えるな」

「わかんない」フロルが言った。「でも、その光る絵みたいな事だと思うよ」

 光る絵だと? ああ、スマホの画面が、俺のAV動画を停止した状態になっていた。俺は、音量が充分に小さい事を確認してから、再生ボタンを押してやった。フロルの表情が驚きに変わった。

「凄い! 何これ? 動いてる」

 だろうな。

「予想通りの反応を示してくれるのは、説明の手間が省けてありがたいが、このデバイスについて語るタイミングは今じゃない。俺が知りたいのは、この世界でのセックスのイメージはこれと同じで合ってるのか、という事だ」

「解んない」フロルは動画に見入っていた。若干異様な光景ではあるな。「でも、多分同じだと思うよ」

 そうだろうな。フロルは童貞だ。

「では訊こう」俺は、フロルにカマを掛ける事にした。と言うのも、販路に乗せる前の動画だから、無修正なのだ。この動画は。「この世界での男女の体の差について勉強したい。この2人の局部をよく見るんだ」

「…うん。見てるよ」

「よし、そうか」って、絵本の読み聞かせしてるんじゃないんだがな。「では、フロルよ。お前の股間の状況は、この2人のどちら側だ?」

 俺が言うと、フロルは布団に潜ってしまった。流石にそこまで幼くはなかったか。

「…カナヤマは意地悪だね」フロルが言った。「そんなの、知らないよ」

「そうか、悪かった」俺が言った。この世界でも男女の性についてはデリケートな問題である、という事は、これで解った。「変な物を見せちまったな。ここにも男女の性別があり、性器も同じ仕組みである事が理解できただけで、俺はひとつ賢くなれたよ」

 暫く沈黙が続いた後に、フロルが急に布団から顔を覗かせると、小さく舌を出し、べえ、と言うと、またミクルのベッドに戻っていった。

 俺は思わず、大きく溜息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る