第3章:俺が解せない物。「スライム」「ぬののふく」そして「300G」(第1話)

 この世界に転生して目を覚ましてから既に6時間程度だろうか。俺は身支度を終え、ミクルとフロルの準備も完了した事を確認しながら、腹が減ったな、と呟いた。

「お昼にはまだ早いけれど、どこかで何か食べてから行く?」フロルが提案してきた。「母さんから路銀は貰ってるし」

 占いで稼いだ金か。

「何か腹に入れておきたいのは事実だが…」俺が言った。「この世界の食文化にも興味がある。観たところ、食虫が中心って感じでもなさそうだ」

「失敬だな」フロルが、わざと腹を立てるような素振りで言った。「ボクたちは虫なんか食べない」

 そうか、それは残念だ。「ゴキブリを食べる少女」を超える食虫AVを撮れるかと思ったのにな。

「では訊ねよう」俺が言った。「フロルよ、お前の好物はどんな食べ物だ?」

「鳥肉の塩焼き! 特にベルナベルだね。皮をパリパリに焼くと美味しいよ」

「その…べルナベルというのは…」

「鳥の種類の名前」ミクルが言った。「大きくて、ちょっと獰猛なんですけどね」

 獰猛な鳥か。

「因みに、興味本位で訊くんだが、魔物の中にも鳥類はいるのか?」

「いるよ」フロルが言った。「魔物の鳥を食べる習慣はないね」

 へっ。こんなところで「スタンドバイミー問題」に出くわすとは思わなかったぜ。つまり、ネズミの友達のグーフィーと、ネズミのペットのプルートが、如何なる有利な種族の保存による、即ち自然選択による種の起源に基づいて人類とペットに分岐したか、という問いだ。俺に言わせれば、そもそもネズミが犬を飼っている事が大きな間違いだが。

「そうか、解った」俺は諭す様に、フロルを指さした。「今度からは好き嫌いせずに、魔物の鳥も食べるんだ」

 フロルは、きっとまずいし、やっつけるのに怪我しちゃうよ、と口を尖らせた。


 俺はミクルとフロルを先導して、家の外へ出た。真っ先に気になったのは、この街が思っていたよりも小規模そうである事や、絵にかいたようなファンタジー世界そのものである事や、ミクルの家に胡散臭い占いのピクトグラムをあしらった看板が掛かっている事などではない。空だ。否、空自体は俺の知っている世界と大差ない。白く大きな雲が漂っており、蒼穹からは眩しい陽射しが挿している。生き物が住める大気がある証拠だ。空気は現代日本なんかとは比較にならない程うまい事が、大自然の存在も雄弁に物語っている。だが、気になったのは、それではない。

「フロルよ…」俺は、隣で陽射しに目を細めるフロルに言った。「空に浮かんでいる、あれはなんだ?」

 フロルは怪訝そうな表情で、空を見上げた。

「どれのこと?」

「あれだ。太陽が輝いているのは俺にも解る。だが、それ以外に、薄らと見える2つの天体だ」

「ああ、あれね」フロルは笑いながら答えた。「あれは月だよ」

 そうか。月か。

「今度はミクルに訊きたいんだが、この世界では、月はいくつあるんだ?」

 ミクルは俺の隣まで歩を進めると、同じく空を見上げた。

「月は4つですが…不思議ですね。カナヤマさんの居た場所では違うんですか?」

 頭が混乱してきた。そうか、異世界転生、というのは、何も地球のパラレルワールドを行き来する話じゃないんだ。ここは完全に違う星だ。地球じゃない。俺は…俺はエイリアンだったのか。すっかりトールキンの世界に浸っているつもりだったが、まさかリドリー・スコットだったとは…。

 考えるんだ。月が4つある、という事は、天体の規模だって、潮の満ち引きだって周期が違うだろう。となると、女性の生理周期も違うのか? では、生殖の方法がそもそも地球とは異なる可能性があるな。まてまて、そうなると、AVどころじゃなくなるぞ。でも、往来を見渡す限り、性別は地球と同じ男女2種類だ。落ち着け。生殖方法が違うなら違うで、新たなエロの境地を切り開けばいいだけだ。彼女らに、何から訊けばいい? ミクルに生理周期を訊いてみるか?

「ああ、そうだ。違う。俺のいた場所では、月は1つだけだ」

「それは妙だわ…」ミクルが言った。「月の公転面はそれぞれ異なるから、この星のどこにいても、1つしか見られない場所は無い筈…」

 急に科学的考察になったな。そこは魔法とか宗教で摂理を説明するんじゃないのか。ミクルが首府の学校で紐解いてきた学問がどのような類の物かも気になるが、とりあえず詮索はやめておこう。

「疑問に思っている所済まないが、俺の方がパルプンテ状態だ。手っ取り早く状況を掴むための質問をさせてくれ」

「ええ、勿論です」

 ミクルが無垢な笑顔で答えた。

「この星の1年間は何日間で、君は今何歳だ?」

 俺の問いに、ミクルは一瞬、訝る表情を見せた。

「…カナヤマさんは、別の星からいらっしたの?」

 なかなか賢い女だ。

「それは俺にも解らん。だが、俺の知っている世界とは色々と違いそうだ」

 俺の言葉に、ミクルは哀しげな目をすると、大きく頷いた。

「ここでは、1年は832日です。わたしは今、8歳です」

 8歳だと!? ヤバい、これではロリータ物になってしまう。いや、それより下か。アリスコンプレックスか、下手したらペドフィリアだ。合法的に露出やセックスができなくなるじゃねえか。待て待て、1年が832日という事は、地球の2倍以上だ。だから、ギリ18歳換算になるか? ならセーフだ。それ以前に、1年の日数がここまで違うと、数字の在り方も大きく違うかもしれん。10進法は存在するのか? 832は12では割れないが、16では割れそうだ。というか、1年の日数がそんなに違うのに、老い方は地球と同じなんだな。宇宙の神秘というヤツだ。まあ、インフレーションからのビッグバンで超新星爆発のブラックホールバーストを辿れば、同じ元素比率になる訳だから、あまり疑問を持つのはやめておこう。

 俺は、俺らしくもなく眩暈を感じ、また掌で眼前を覆った。ミクルが心配そうに、大丈夫ですか、と背中に手をかけてきた。

「…大丈夫だ。あまりにも一度に多くの情報が飛び込んでくるんでな。脳が追い付いていないだけだ。すぐに良くなる」言って、俺は強く目を瞑りながら数歩だけ歩き、大きく顔を振った。「よし、昼飯を食いに行こう。大抵、悪い考えは空腹からやってくるからな」

 

 大通りに出ると、丁度、市が立っていた。どうやらこの街の住民は、特定の八百屋だとか果物屋だとか肉屋で買い物をするのではなく、定期的に開催される市の屋台で食料品を調達する様だ。店先に並ぶ品々の来歴をいちいち気にしている暇はないので、できるだけ見ないようにした。が、色合いや姿形は、まあ地球の物とそれほど大きく違いはしないようだ。地軸がどのくらい傾いているかは知らんが、季節があるのであれば農耕の在り方も大分変ってくるだろうな。

「パスタの屋台が出てるよ」フロルが言った。「パスタにしようよ」

 パスタね。なんでそのカタカナ語は、俺の世界と共通ワードなんだ。否、よく考えれば他の全てにおいて、そうなっている。固有名詞は共通だったり、共通じゃなかったりする。何故か。ここから導き出される結論は、この世界が、俺が転生した先の純正ファンタジー世界なんかじゃなく、そもそも俺は転生をしておらず、俺の脳内の精神世界が一連の神羅万象を作り出している、という事だ。この考えに基づくと色々と得心がいく。ここが地球じゃない事や、ミクルやフロルが欧米人とアジア人のいいとこ取りをしたような美形であったり、日本語が通じてしまったり。とすると、俺は今、現代日本のICUで意識不明中って事か。寧ろドグラマグラだったとは。うむ。この結論だけは真剣に考えたくない所だぞ。

「パスタは俺も好物だし、口馴染みのある食べ物は有難い。ところが、済まない事に、俺は持ち合わせがない。否、日本円はあるんだ。クレジットカードもあるし、スマホをかざせばQR決済もできる。だが、肝心なこの国の通貨がない」

「心配しないで」ミクルが言った。「母から貰ったお金があるから」

 そうだったな、ミクルよ。お前もニートだったな。

 よく考えれば、この文明の程度であれば、夜中にAVの幻燈会でもやれば、かなりの金を集められそうだ。ミクルを国王に引き渡した後は、そうやって路銀を稼いで地球に戻る方策を調査するのもありだな。

 俺たちは屋台を訪うた。茹でられるパスタの匂いがする。立ち食いスタイルだな。

「いい匂いだな」俺が店主に言った。店主は何も返答をせずに、作業をしながら表情だけ笑顔を見せた。「俺は色々な店を食べ歩いたグルメだから解るが、この店はアタリだ。そして俺は、アタリのイタリアンでは決まってぺペロンを所望する事に決めている」

 俺の言葉に、店主は手を止め、不思議そうな表情を向けてきた。

「ぺペロン? 新種の魔物の名前かね?」

 ははは。予測はしていたが、まあそうだよな。

「アーリオオーリオぺペロンチーノだ。あんたらの世界でもこんなに舌を噛みそうな料理はなかなかあるまい」俺が続けた。「店主よ、あんたのお勧めを聞こう」

「お勧めもなにも、パスタにはチーズを掛けて食うだけだよ」

「ぺペロンって何?」

 フロルも、キョトンとした表情で訊いてきた。解説するのが面倒なので、無視する事にした。いずれ作ってやるよ。

 店主は、茹で上げたパスタにオイルを回しかけ、そこに大量の溶かしチーズを乗せた物を3皿用意した。俺たちは、それをフォーク…食器類は違和感がなかった…を使って食べた。空腹、というのもあるが、シンプルな料理程、美味いものだ。

 食いながら、俺はミクルに、国王に会いに行く経緯についてなど訊ねる事にした。ミクルもフロルも、俺から見ればエイリアンだ。エイリアンにデリカシーは不要だと思うと、気兼ねなく訊けるし、そもそも俺は気兼ねなんかするタイプじゃない。

「ミクルよ。君は、何故、自分が国王に呼ばれたのかは知っているのか?」

 俺が言うと、ミクルは表情を陰らせ、小さく頷いた。

「復活した魔王を討伐する為…と」

「なるほどな」俺が言った。「今のところ、俺から見ると、ミクルに何かずば抜けた能力があるようには見受けられない。君でなければならない必然性が、よく理解できていないんだ」

 16歳の誕生日に母親に起こされて、いきなり国王に呼ばれ、魔王を倒せと言われるとんでもないプロットと同じだ。もし俺が今、あのRPGをリメイクするなら、詳細かつ具体的な理由を勇者に与えてやるだろう。でなければ、最後までモチベーションが続かない。

「それは、わたしにもわからないわ」ミクルが言った。「でも、この国では政治を含め物事の決定に占いを使うのは普通の事なんです。わたしたちの理解を超えた、計り知れない大局的な意味があるはず…」

 そりゃあ、不安だろうよ…。そんな状態なら、空から現れても無傷で髭面の俺なんかが救世主みたいにも思えたかもしれないな。

「国王に以前、会ったことは?」

「ありません」ミクルが言った。「首府で学生時代に、遠目に見たことはあるけれど、直接話した事はないの」

 若くて美しい巨乳の女を生贄に選ぶ口実が占いだった、という方がまだ論理的帰結というものだ。

「話題を変えよう」俺が言った。「魔王が復活した、と言うが、魔王の正体や居場所については、誰もが知っている状態なのか?」

 ミクルはかぶりを振った。

「それも解らない…。わたしたちが、わたしたちの体験から解っているのは、魔物の数が増え始めている、という事。魔王の魔力が復活した、というのがその要因として言われています」

「そうか。なら話は早いな。魔王の存在が不確定で、居場所も解らないのであれば、君が不安がる事はない。冒険を開始した後に、適当な所でやめちまうか、見つけられなかった、と言い訳をすればいい」

 俺の言葉に、ミクルは薄く笑むと、パスタに視線を戻し、それ以上言葉を継がなかった。


 俺たちは食べ終わると、フロルが勘定をした。俺は、ミクルとフロルに、御馳走さん、と告げた。

「因みに訊くが、今のパスタは1人あたり幾らだったんだ?」

「3ゴールドだよ」フロルが答えた。「屋台だからお得だね」

 出たな、単位「ゴールド」。ドラクマでもない、ギルでもない、ジェムでもない。汎用性の塊、「ゴールド」だ。これは英語だし、この世界でも金の採掘量が少ない事を意味している。そして俺の得た教訓は、あまり深く考えない、という事だ。

 然し、この問いは良かった。1Gの価値基準を俺の中で作る事ができた。

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