第2章:箱の中の猫が生きているのか、それとも死んでいるのかは、箱を開けた俺たちには一切関係ない(第2話)

 豊橋はマスクをかけると、カッターナイフを使って丁寧にクラフトテープを裂き始めた。相変わらずの無表情だ。

「さて、御開帳と行くが…」豊橋が言った。「ここからはゴールドフンガーの協力が必要だな」

 俺は、カメラを三脚から外し、手持ちに替えた。豊橋の横からカメラを構え、アップで段ボールを開ける場面を撮ろうって算段だ。

 豊橋は、一瞬横目でカメラがスタンバイした事を確認すると、段ボールの蓋をゆっくりと開けた。途端、生臭さはより一層強くなり、マスクを忘れた俺は数度咳き込んだ。

「なんだこの匂いは…」思わず俺が言った。「ここまで強烈なのは初めてお目にかかる」

「視聴者はゴールドフンガーの感想に興味はない」豊橋が言った。「撮影に専念して貰えるだろうか」

 俺は片手でマスクをすると、箱の中身を映した。中身は思った以上に雑然としている。

「さて、一つずつ取り出して行こう」豊橋が言った。「まずは…大人物のデニムか」豊橋は、箱から取り出した物をテーブルに丁寧に並べた。「コイツも匂うな。ダメージ加工なのか、何等かの理由で出来た穴なのかは解らない。ここまで雑然と丸めて箱に詰め込む人間は、PCのデスクトップは整理できず、ポテトチップスを掴んだ油まみれの指でキーボードやゲームコントローラーを触る事に抵抗がないズボラな人間か、命の危険に晒されて畳んでいる時間がなかったかのどちらかだろう。黒ずんでいるのは血痕か…」

「ポケットの中身を調べてみろ」

 俺の言葉に、豊橋は、物事の手順を踏めないゴールドフンガーもデニムを畳めないタイプだろう、とカメラに向かって言い放ちながら、ポケットを調べ始めた。

「これは…小銭か。どこの国の通貨だ…? ああ、25セント硬貨か」

「素材やデザインでどこの州の物か解るかもしれないな。記念硬貨が出ていたはずだ」

「…そして、鍵が1本。複雑な鍵じゃないな。自転車か、デスクの抽斗かってところだ。大き目のキーリングが付いているところを見ると、他にもいくつかの鍵がかかっていた事が伺えるな」

「デニムからは以上か?」

「以上だ。次は…Tシャツか。コイツにも多くの血痕が見られる」

「シャツのプリントをカメラに向けてくれ」

 豊橋は、カメラの正面でTシャツを開いた。プリントを見て、思わず俺は笑った。

「『I know HTML5』とはな」

「コーダーだったんだろう。箱の中の衣類は以上だ。白衣や作業着がない所を見ると、箱に詰め忘れたのでなければ、この服の持ち主は工作屋ではなくプログラムエンジニアだった可能性が高いな」

「刺殺されたならTシャツに穴でも空いてるんじゃないのか?」

 俺が言うと、豊橋はその三白眼を俺に向け、それからTシャツを回転させながら全体を確認した。

「…どうやらその手の穴は無い様だ。血痕も腹部から胸部あたりに集中している」

 言いながら、豊橋は衣服類をテーブルの上にまとめた。

「さあ、まだまだあるぞ」豊橋は次の物品に手をかけた。長方形の箱型の物体が、クラフトテープでぐるぐる巻きにしてある。この手のダークウェブで販売されている犯行物品類は、何故かクラフトテープぐるぐる巻きが多いが、当事者たちがサイコパスだから、という憶測で納得しておこう。「これはHDDドライブだな」

「いきなり大物が出たな。さっきの話だと、そこに機密兵器の設計図だか情報が書かれている可能性が高い」

「残念だが…」豊橋はクラフトテープを剥がしながら言った。「物理的に破壊されている。数ヵ所に穴があけられているようだ。コイツをサルベージするのは困難だろう。次に行こう」豊橋はHDDをテーブルの上に置いた。「さて、今度は新聞紙にくるまれた筒状の様だ。新聞の日付は…先月か。意外と新しい。新聞社から場所をある程度特定できるかもしれないな」言いながら、豊橋は新聞の包装から中身を取り出した。プラスチック製の汚れたボトルが出てきた。「これは何かの薬品だろうか…」豊橋は手袋の手でラベルの汚れを落としながら言った。「IPAか。でも中身は違う様だ」

「中身があるのか。じゃあ振ってみろ。どんな音がする?」

 豊橋は、カメラの前にボトルを寄せると、大きく振って見せた。液体じゃない。粉末状の何かだ。

「…開けてみよう」豊橋はキャップを静かに外した。「…無臭の様だ。中身を取り出してみよう」豊橋は自分の右手の掌の上に、中身の粉末を少量出した。

「舐めてみろよ」俺が言った。「失ったチャンネル登録者を呼び戻すチャンスだぞ」

「折角の提案を断るのは気が引けるが…」豊橋が言った。「俺が死んだ場合、このチャンネルの登録者数をゴールドフンガー1人で維持できるとは到底思えない。舐めるのは一興だし好奇心を擽られるが、そのタイミングは今ではない。さあ、次に行こう」

 豊橋は掌の粉をボトルに戻すと、テーブルにボトルを置いた。

「…コイツは大分酷いな…」豊橋が言った。「恐らくこれが、今回のメインディッシュだ」言いながら、両手で箱からブツを取り出した。「汚れたビニルに入れられた、ラグビーボール状の何かだ。異臭の原因はこれか…」

 俺はカメラを寄せた。豊橋は、一旦その物体をテーブルに置くと、作業スペースを確保する為に段ボールを床に移動させた。それから、カッターナイフを使ってビニル袋を慎重に裂き始めた。中からは、ラグビーボール状にクラフトテープがぐるぐる巻きにされた物が出てきた。この時点ではまだ中身は良く解らないが…。

「なんだこれは?」豊橋は、手袋の指先で、物体に付着した何かをつまみ上げた。「コイツは…毛だな。しかも、人間の毛じゃない」

「動物の死体か?」

 豊橋はカッターナイフを使い、慎重にクラフトテープを外し始めた。それから気づいた様に手を止めると、手袋を見た。

「なるほどな」豊橋は呟くように言うと、カメラに手袋を向けてきた。「生乾きの血液だ。コイツは何等かの動物の死体か、または体の一部を切り取ったものだ。そして、まだ最近処理されたばかりの物のようだ」

 豊橋は作業を進めた。テープを外すと、外側では「にちゃ」という粘度の高い液体が剥がれる音がしたが、やがて「べりべり」と何かを剥ぎ取る音に変化した。

 ある程度が露わになった時点で、豊橋は手を止めた。顔を上げ目を閉じると、深呼吸をした。

「ゴールドフンガー、カメラを寄せてくれ」俺は、露わになった部分をアップにした。正直、赤黒く汚れていて判別はできなかったが、鈍く光る毛並みが確認できた。「俺たちの予想は正解だった様だ。コイツは猫の死体だ」

 俺は、内心ホッとした。途中から、人体の一部が出てくる事を想定していたからだ。とは言え、不気味である事には変わりはないがな。危うく特殊清掃員に転職を考えなければならない所だった。

「なかなかグロいな」俺が言った。「モザイク処理は面倒だからやりたくないんだがな」

「モザイク処理が本業みたいな男が、言うじゃないか」

 豊橋は皮肉を言うと、残りのクラフトテープを剥がす作業を続けた。ゴールドフンガーがAV監督である事は、cicada10484の視聴者には伝えていない。

「さて…」豊橋が言った。「猫の死体が出てきて終わり、では少し味気ないな」

「機密研究の巻き込まれ事故が、猫の屠殺現場だった、って言うんじゃ落差がありすぎる」俺が言った。「保健所に電話をするのも気が引けるしな。入手経緯を説明するだけで大量のカロリーを消費しちまう」

「墓くらいは立ててやりたい所だが、その前に、俺の仮説を検証したい」

「仮説だと?」

 豊橋はニトリル手袋の右手で「チョキ」を作ると、左手で猫を持ち上げた。

「全体を映せ」

 豊橋が言うので、従った。

 豊橋は、腐敗の進んだ猫の死体のアナルの中に「チョキ」を捩じ込ませて行った。

「まさかこのチャンネルで猫のアナルファックを披露する事になろうとはな」俺が言った。「まだ雄猫なら救いがあったな。コメディとして終わらせられた」

 豊橋は、暫く指を捩じりながら、感触を確かめているようだった。

「…恐らく正解だろう」

 言うと、豊橋は指をアナルから引き出し、今度はヴァギナに捩じり込ませた。 

「ギルガメッシュよ、お前に獣姦王の名を授けよう。いずれバター犬2頭を進呈しようじゃないか」

「笑えない冗談だな。お前が言うとリアルだ」

 言いながら、豊橋はヴァギナから指をゆっくりと引き出した。どうやら、何かを見つけたらしい。

 指先大の長方形の物体だったが、猫の体液に塗れて判別ができない。豊橋はそれをテーブルに置くと、キムワイプで丁寧に拭き取り始めた。

「猫に手マンした男に使われる50周年パッケージというのも皮肉だな」

「それだけ絶大な信頼を寄せている敬意の表れでもある」豊橋は言うと、拭き終わった物体をカメラに向けた。「マイニング完了だ。ビンゴだったな」

 USBメモリだった。裸で猫のヴァギナに入れられていたが、幸い蓋付きのタイプだ。もしかすると、中身を読めるかもしれない。

「一気にリアリティを増したが、まだ作り話の可能性も高い」俺が言った。「そいつをPCに挿したところで、タチの悪いウィルスが仕込まれているか、または騙された事を嘲笑うペニーワイズの動画が入っているか。もしガチの機密データだとしたら、この動画の公開はリスキーだな」

「ブツを片づけたら、USBの中身を検証してみよう」

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