第2章:箱の中の猫が生きているのか、それとも死んでいるのかは、箱を開けた俺たちには一切関係ない(第1話)

「よう、来たか」

 俺は、スタジオの照明の最終調整を終えた所だった。インターフォンが鳴り、扉の向こうには、長髪で眼鏡で痩せ型で三白眼の豊橋が居た。手には、汚れが目立つ半透明のビニル袋にくるまれた、大きな段ボール箱の様なものを抱えている。嫌な予感だ。生臭いぞ。

「今回のネタは期待できるぞ」豊橋が言った。「直接の関係者から手に入れたかもしれん」

 俺は、段ボールを暫く眺めてから、気付いた様に豊橋を部屋に入れた。

「俺はキレイ好きなんだ」俺が言った。「そして、誰よりも平和を愛している。HSP性向も高いから、酷い事件なんかだと感情移入し過ぎちまう。そんな俺の前で、今回お前は何を広げようってんだ?」

 豊橋は俺の問いには答えずに、撮影用に白いレンガ調の経師を設えた壁2面に囲われた、照明の中心にあるテーブルの上に、その箱を置くと、顔だけを俺の方に向けた。

「平和主義とは初耳だが…」豊橋が言った。「お前は人間の血液が腐敗した匂いを嗅いだことがあるか?」豊橋の問いに、俺は両手を上げる動作をし、そんな経験がない事を示した。豊橋は満足気に頷いた。「乾いた血液ならいい。そんなに匂わないからな。だが、生乾きの大量の血液は違う。恐ろしく生臭い」

「おい」俺が言った。「マスクとニトリル手袋とキムワイプを用意するまで待て。お前の為に、わざわざ50周年パッケージの奴を用意してやったんだぞ」

 俺はキッチンの戸棚から、それぞれ用具を取り出し、スタジオ部屋へ運んだ。豊橋は俺の忠告を無視して、既にカッターナイフでビニル袋を破いていた。よくも、そんな平然とした表情で、得体のしれないブツを触れるもんだ。

「AVをやるよりはこっちの方がいいだろ」豊橋が言った。「息抜きにもなるしな」

「こっちの方が稼げるならな」俺が言った。「俺はただ、スタジオが空いている時にお前に協力しているだけだ」

 俺は言いながら、豊橋に一式を渡した。豊橋は礼を言うと、ニトリル手袋を嵌めた。

 袋の中から出てきた段ボールは所々が赤茶色の染みでふやけており、酷く変形していた。封をしているクラフトテープも、誰かが慌てて貼り付けた様に雑だ。

 俺はビデオカメラの録画ボタンを押した。豊橋は、作業を止めた。

「始めていいか?」

 豊橋が訊いてきた。俺は手でOKの合図を作った。

 豊橋は腕組みをすると、テストモニターに映る自分の立ち位置を確認し、咳払いをしてからカメラに目線を向けた。

「cicada10484へようこそ。案内人のギルガメッシュだ。ゴールドフンガーは撮影に徹しているが、まあいい。後で登場する事になるだろう。まずは視聴者の諸君に今日の品物を紹介したい」豊橋は腕組みをしたまま、視線を段ボールに一瞬だけ落とした。「今日届いたばかりの上物だ。勿論、まだ開封をしていない。つまり、俺たちも中身が何なのかは知らない。ただ…諸君には解らないだろうが、現時点で既に、耐え難い生臭さが漂ってきている」

「俺のスタジオに匂いが染みついちまうよ」

「ゴールドフンガーが何か言っているが気にするな。いつもの事だ」豊橋は腕組みを解くと、手袋をした両手を段ボールの上に置いた。「まずはこの品物の来歴から話をしたい。いつも、諸君には期待通りの動画を届けられていると思うが、今回は謝罪しなければならないだろう。このブツは諸君の期待には応えられない。何故なら、期待を遥かに上回ってしまうからだ。では、コイツがどういう現場をくぐり抜けて来たかを説明する」

「期待値だけ上げておくのはお勧めしない。内容次第ではチャンネル登録者数が一気に減るからな」

「残念ながら、ゴールドフンガーの懸念が間違いである事を証明できるのは、俺と諸君だけのようだ。まず、この段ボールだが、諸君等には言うまでもなくダークウェブを経由して入手した物だ。過去の動画では、ゴミ積載所から適当に見繕われた汚れた衣類などを、さも犯罪に使われた用具であるかのように詰め込んで送ってきた連中もあった。だが、コイツはだいぶリアルな様だ。というのも、情報筋によると、この中身の元々の持ち主は、既にこの世にいないからだ。つまり、殺人事件に直接関わっているブツという訳だ。どこまでが事実かは勿論解らない。だが、まず、このブツの持ち主は米国の軍事気密に関わる研究機関に勤務していたらしい。研究機関、と言っても、実情は多様だ。軍の研究機関もあれば、民間企業への委託もある。この手のダークウェブの話題は色々と話が盛られるだろうから、研究の一部を受託した零細民間企業かサイエンスベンチャーの社員、というのが現実的な着地点だろう。そして、そいつは軍の最高機密にあたる兵器の製造に携わっていた。諸君は知っているだろうが、この手の機密プロジェクトは、自分が何を研究し製造しているのかが解らないくらいに分解された業務の一部を担い、それが最終的に何に使われ、何の役に立つのか、という全体像については一部の人間を除いた全ての人間が知らない状態で行われる。どこから情報が漏れるか解らないからな。あの戦艦大和も高度に分業化され、誰もがどんな戦艦を作っているのかの全体像を知らなかったというが、同じだ。まあ、そんなに機密性の高い兵器と言えば、差し当たりブラックホール生成装置あたりがリアルだが。で、コイツは自分の研究が最終的にどんな兵器になるのかが気になって仕方がなかった。それが良心に依るものか、好奇心に依るものかは、この際関係ない。で、設計図データを盗み出しUSBメモリに保存したらしい。とは言え、この手の設計図は高度に暗号化されているだろうし、ファイル自体が分断されて偏在させているはずだ。だから、データがUSBに保存されているからといって、簡単に設計図が手に入る訳ではないだろう。だが、まあ、とにかくUSBメモリが入っていれば、この話の信憑性は、より高まる。そして、不運な事に、情報を持ち出した事を唯一話した親友に裏切られ、軍の手によって始末されたらしい。解るだろうか。ゴールドフンガー、カメラを寄ってくれ」

 俺はビデオカメラを振ると、段ボール表面の豊橋が指さした個所にズームした。豊橋は、指をさしながらカメラに目線を戻した。

「もし、この染みが、手づかみでミートパスタを食べた子供が付着させたケチャップに見えるなら、早急に眼科を受診する事をお勧めする。では、これは何なのか。科学の声に耳を傾けてみよう」

 俺は慌ててキッチンに走ると、オキシドールを持って戻り、豊橋に渡した。以前、このパターンで本当にケチャップだった事があるから笑えない。まあ、カットしたが。

「これは、過酸化水素水だ」豊橋がカメラに向かって言うと、染みに少量を振りかけた。シュワシュワと音を立てながら泡沫が発生し、染みは洗浄された。豊橋は表情を変えなかった。「お解りだろう。血液だ」

「人の物と決まった訳じゃないがな」

「その通り。人の物ではないかもしれない。が、俺が何も言っていないのに人間の血液と決めつけるゴールドフンガーのサイコパス振りにはそろそろウンザリしてきたところだ」

「へっ。よく言うぜ」

「まとめよう。今回のブツは、とある研究機関の所属員が機密兵器の情報を持ち出すにあたり、それに気づいた軍に抹殺された事件に関わる様々な物品だ。恐らく、本人が着ていた白衣、家族の写真、手帳、コレクションしていた物品、など、プライベートの物品もあるだろう。何故なら、証拠隠滅が必要だからだ。で、今回は隠滅の為に集められた物品の段ボールを、俺が取引した人物が持ち去り、ダークウェブ上で販売した。これが事実でなければ、中身は猫か犬かカラスの死体ってとこだろう」

「もし動物なら、開けなければ死なないが、開ければお前が殺したことになるぞ」

「今のツッコミからは残念ながら知性の欠片も感じられなかったな。ゴールドフンガーはシュレーディンガーを勘違いしているようだ。観測者が常に箱の外だけにいるとは限らない。さあ、解説はここまでだ。充分聞いただろう。では、開封を始めよう」

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