履歴書

「ねえ、これ買ってきたから書いて」


彼女はそう言ってぼくに紙袋を渡した。


「何これ」


「履歴書セット。封筒も入ってるよ。


忘れないうちに今から書いてよ。


あたしシャワー浴びるから」


「でも、チャーハンは。今から作るんだけど。


食べてからにしようよ」


ぼくはキッチンに並べておいた材料や調味料を見た。


「書く方が先」


彼女は着替えとタオルを持ってバスルームに入っていく。


「ねえ、どうすればいいの。あたし作ろうか」


ぼくが履歴書を書いていると、


彼女がバスルームから出てきてキッチンのあたりをウロウロしている。


だから食べてからにしようって言ったじゃない。


「スープあたためといて。弱火でいいから」


「スープってどれ」


「コンロの上のなべ」


彼女はなべのふたを開けてのぞきこんでいる。


「いい感じだね。おいしそう」


「何で履歴書なの」


ぼくが彼女にきく。


「友だちがね、仕事があるっていうの。


このままってわけにはいかないでしょう」


「そうだけど、どんな仕事なの」


「わからない。行けばわかるよ。大丈夫」


そうかなあ。


せめて何をやってるかぐらい知っておかないと。


面接とかあるんだろうし。


「それで、どうすればいいいの」


「メモもらってきたから、明日そこに行って」


「写真は」


「どっかに機械で撮れるところあるよね」


「時間は」


「いつでもいいんじゃない」


油のはじける音がする。


ちょっと待ってよ。ぼくはあわててキッチンに行く。


「玉子は」


「玉子、入れた方がいいの」


フライパンの中はもう手がつけられない状態。


しかたなくぼくはとき玉子をスープのほうに入れた。


「やっぱりあたし下手だね。でも、スープはおいしいよ」


スープはあたためて玉子を入れるだけにしておいたからね。


「味は悪くないよ」


「そうだね。でもパラっとしてないね」


彼女は笑っている。


「ねえ、スーツがないんだけど」


食事の後片づけをしながらぼくが彼女に言った。


彼女はぼくのカバンをじっと見ている。


そして「そうだよね」と言う。


「ねえ、ズボンくらいはあるよね。それらしいの」


「多分あると思うよ。しわくちゃだけど」


「そう」


そう言って彼女は少し考えながら自分の部屋に入っていく。


それからしばらくして、


ワイシャツとネクタイを抱えて部屋から出てきた。


「なんで持ってるの」


「あなたの忘れ物。暑いんだからさ、


上着はなしってことでいいんじゃない。


このさいだからさ」


ネクタイには見覚えがあった。


いつここに忘れていったのかはまるで記憶がない。


でもありえないことではない。


ワイシャツは多分予備にここに置いておいたもの。


ぼくはカバンの中からズボンを取り出した。


彼女はそのズボンを広げてながめている。


「何かで押しておけば、どうにかなるね。朝までには」


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