第11話 携帯電話 前編
「期待ほどじゃなかったけど、悪くもなかったかな……」
ショッピングモールの中の映画館から出た私は、大きく伸びをして、一人頷いた。
予告から感じ取れたストーリーとオチで、予想の範囲を超えるものではなかったけれど、それでも作りは丁寧で、なんというか採算は取れたって感じの気分だった。
「それにしても……お腹すいたな」
映画の開始時刻が微妙だったため、お昼を食べるには少し遅い時間になってしまった。せっかく休日に出かけたのだから、ご飯は外食でもいいかもしれない。
そう思って改めてエントランスホールを見渡すと、映画館だけでなく飲食店もあれば、書店や携帯ショップも入っている。
吉田先輩はこの駅前ショッピングモールから歩いて10分程離れた、木造アパートに住んでいるらしい。だから映画館に通い詰めていれば、いつかばったり吉田先輩に会うこともあると思うのだけど――。
「……いや、どうだろう」
そもそも前提がおかしい。吉田先輩は休日に出かけたりするだろうか? 昼間から酒を飲むと言っているぐらいだから外出はしないはずだ。仕事はだいたい遅い時間まで残業しているから、平日もどこかに寄ることはできない。
吉田先輩はどの店にも大して利用していないんだろうなと想像がついて、少しだけうきうきとしていた気持ちがスッと冷めていくのを感じた。
「よし、先に携帯ショップに行くかな」
最近調子が悪いスマホを見てもらってから、ゆっくり食事をしようと思う。
ショッピングモールで食べるのなら昼時を過ぎても開いているし、逆にお客さんが少なくて料理が早く運ばれてくるかもしれない。
私は携帯ショップに入り機械で受付を済ませると、最新機種が置いてある棚へと向かった。
前評判がすごく高いスマホが出たばかりだ。どんなものか見てみようと思う。
ふと、前方に見知った後ろ姿が目に入った。
「同居人のこと、あんまり知らないんだね」
「いや、ファッションの趣味とかまで、わざわざ訊かねえだろ」
二人とも棚と向かい合っているので顔は分からないけれど、声とシルエットで直ぐに吉田先輩と橋本先輩だと分かった。
手にはスマホケースを持っていて、淡いピンク色とキラキラした飾りの多さから、女の子用を選んでいることがわかった。
橋本先輩が横を向き「そういうものかな?」と少し呆れるように言ったところで、私と目が合った。
「あ……」
橋本先輩が目を大きく見開き、ちょんちょんと吉田先輩の肩をつつく。そして、私の方を指差して、吉田先輩に振り返るよう促していた。
これって、私は邪魔者だったりするのだろうか?
振り向いた吉田先輩も、橋本先輩と同様に驚いた顔を見せる。
気にしても仕方がないので、私は明るく挨拶することにした。
「休みの日にも会うなんて奇遇ですね、吉田先輩♡」
「は? 何でお前がいんだよ」
「な、何でって……いちゃ悪いんですか? いきなり人をお邪魔虫みたいに言うのって、どうかと思いますけど?」
「いや、そういう意味じゃなくてだな……」
「じゃあどういう意味なんです? 私の最寄りの映画館はここで、ついでにスマホの調子が悪いので携帯ショップにも入りました。これで納得してもらえますか?」
「あ、ああ……」
吉田先輩が頷くのを見て、私は溜息を漏らした。
まったく、開口一番これだ。
それこそ吉田先輩が女の子用のスマホケースを選んでいることの方が、理由がないとありえない。
「そういう吉田先輩こそ何しに来たんですか? 女性向けのケースとか持っちゃってますけど」
吉田先輩が少し仰け反り、ぎょっとした表情を浮かべる。そんなに言い難いことなのだろうか?
「ああ、これは妹さんへのプレゼントだよ。妹さん、スマホを持ってないんだって」
「そうなんですね。でも、さっき『同居人』とか言ってましたけど、吉田先輩って妹さんと暮らしているんですか? 確か、前に一人暮らしって話してましたよね?」
どうして吉田先輩の事情を、橋本先輩が説明するのか分からない。
吉田先輩に妹さんがいるのも初耳だけれど、これは単に教えてもらっていないだけかもしれないのでいいとして、一緒に残業した日に一人暮らしをしていると聞いているから、そこは矛盾している。
何か怪しい――。
訝し気な視線を、私は吉田先輩に送った。吉田先輩がすっと目を逸らす。
「い、家出、してんだよ……」
「そうそう。家出中なんだ、妹さん。スマホもなく家に住まわせるのは危険でしょ? だからスマホを買うことにしたんだよ。ね、吉田」
「ああ、何かしらの連絡手段は欲しいからな」
橋本先輩はいつもと同じ感じで笑顔を絶やさず喋っているけれど、吉田先輩の方は目が泳ぎまくっている。この目の動きは、ウソをついているときの目だ。
何を隠しているんだろうと思ったけれど、そもそも家の事情をおおっぴらに語るほうがおかしいと、今になって気付いた。吉田先輩が話し難そうにしているのも普通のことかもしれない。
「何となく事情があることは分かりました」
「よかったよ」
「そうだ、吉田。三島ちゃんに選んでもらいなよ。女の子同士なら選びやすいでしょ」
「私は別に構いませんけど……」
思わぬ提案に、私は吉田先輩に目を遣った。
吉田先輩はアゴに手を当て、何か悩んでいるようだったけれど、表情は露骨に不満そうな感じだ。
それは私の口が軽そうに見えるってことだろうか? 吉田先輩のことだ、うっかり私に喋っちゃっうかもしれないし、それを口外されるのは困るなぁと思っているとか? まさかね……。
「えーと。私、妹さんが来てるってこと、誰にも言いませんよ? そこは信じてくれると嬉しいです」
苦笑しながら言うと、吉田先輩はほっとした表情を見せた。
ウソ、まじで心配されてたのそこだった?
自業自得の面があるとはいえ、信頼関係が築けていないことがショックだ。地道に理解してもらえるよう頑張るしかないだろう。
「じゃあ、頼むわ」
吉田先輩に促され、私は横に並んでスマホケースの棚を見つめる。
この棚は話題になっている最新機種のものだ。本体価格は十万を軽く超えている。これを渡すんだ……。
スマホケースと一概に言っても、デザイン性に富んだカバー型もあれば、フォーマルな印象を受ける手帳型だってある。
可愛いキャラクターもの、ラインストーンでキラキラしているもの、個性を演出したいのなら、やっぱりカバー型だろう。逆に派手すぎると困る社会人やよくカードを使うのであれば、手帳型というのも選択肢に入るかもしれない。
……そう言えば、ファッションの趣味、分からないって言ってたな。
好みが分からないとなると、個性的なケースは当たり外れが出てきてしまう。
「あのー。妹さんの年齢って訊いても大丈夫ですか? 社会人か大学生かでも、選ぶものが変わってくるんで」
「……だよな。高校生だ」
「えっ? じょし……」
私は大声を上げそうになり、慌てて言葉を呑み込んだ。
「あ、すみません、驚いちゃって……思っていたより年が離れていたんで……」
「いや、いいよ」
「でも……」と言ったところで、私は思わず吹き出すように笑ってしまった。
吉田先輩が私を見る。
「吉田先輩って、妹さんのこと大好きなんですね。家出期間中の連絡用で買うだけなら、こんな最新機種なんて買いませんよ」
「はぁ……? 俺はただ、女子高生だからデザインとか気にするんじゃねぇのって思ってだな」
「ふふ、もう、何ムキになってるんですか? 私は変な意味で言ったんじゃなくて、妹さん思いなんですねって言ったんです。この前、言ったこと忘れちゃいました? 悪い癖、出てますよ」
「あはは……」
吉田先輩が恥ずかしそうに頬を掻く。
私は結局、人を選ばないシンプルなデザインの白と黒のケースを差し出した。
「無難なところですけど、白と黒は女の子に人気ですよ」
吉田先輩は私の手に置かれたそれぞれのケースを見比べて、白を選んだ。
きっと白が似合う、清純な女の子なんだろう。何となくだけど、そんな気がした。
会計を終わらせると、私のスマホ修理に付き合ってくれると申し出があったので、ありがたく受け取ることにした。
吉田先輩なりのお礼のつもりだろう。もちろん橋本先輩は空気を読めるので、「僕は先に帰るよ」と早々に言ってくれた。
順番待ちの中、吉田先輩と向かい合ってテーブル席に座る。
「妹さん、喜んでくれるといいですね」
今日はすごくラッキーだ。吉田先輩へのポイントも稼げたし、二人きりの時間まで作れて、さらに妹さんを味方に付ければ後藤さんよりリードできるかもしれない。
「ところで、吉田先輩。後藤さんのどこが好きなんですか?」
「ああ、胸だな」
「いや、それは吉田先輩の性的嗜好じゃないですか? そうじゃなくて、性格的な意味でですよ」
私がジト目で睨むと、吉田先輩は乾いた声で笑った。
意外だった。速攻で返事してきたあたり、予め答えを持っていたってことだ。まじでこの人は、女子の胸しか興味がないのだろうか?
吉田先輩が思い浮かべるかのように遠くを見る。
「ミステリアスっつうか、何を考えているかわからないところだな。ああいうのって、ドキドキすんだよ」
「そ、そうなんですね……」
自分で訊いておいて、言葉が出なかった。
のろけ話にドン引きしてるんじゃない。後藤さんと私とでは性格が丸っきり違うのだから、吉田先輩の好みの方向がどうなのかも、心の準備をしておくべきだった。
「じゃあ、今度恋愛映画でも見に行きましょう。ミステリアスな女優さんが出てくるやつですね」
「はは、別におまえの好きなやつでいいよ」
どうでもいいって感じで喋る吉田先輩だけど、この主体性の無さが吉田先輩なりの思い遣りであることは、少し長くなった付き合いから分かるようになってきた。
そんな吉田先輩から愛されている妹さんって、どんな感じの人なんだろう。
できれば挨拶をしておきたいと思ったのは、気が早いだろうか。
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